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2000年7月11日

 前項で個人の山岳ページを軽視するような書き方をしてしまったので、少しフォローしなければと考えていたところ、[私的リンク]にもあげている辻凉一さんのサイト[山人舎]に、面白いレポートが載った。辻さんがフィールドとする鈴鹿山脈は、標高1000mそこそこの峰が連なる近畿の一山域で、『日本百名山』の著者からは「何にしても高さがない」として選外とされてしまった、地形的には平凡な山々だが、植林に侵されない自然林(2次林)の割合が近畿の山にしては例外的に大きいことや、人と山との長い歴史を感じさせる痕跡(炭焼き窯や鉱山の跡など)が多いことなど、他に替えられない魅力をもった山域だと常々感じてきた。事実、この山域に入れ揚げた人は多く、鈴鹿にこだわり抜いた登山グループや自費出版物も少なくないと聞く。僕が最も多く山の情報を得ているniftyの「山のフォーラム」でも、鈴鹿ほど四季を問わず山行報告がアップされ、熱心なやりとりが続いている山域は他にない。実は辻さんもniftyでは「山人」のハンドル名で知られた人で、ウェブサイトではその達意のレポートをまとめて読むことができるのが有り難い。一般にネット上の山行報告といえば、至極即物的なものが多いなかで、辻さんの文章は書き手と山との精神的な関わりの深さを感じさせ、鈴鹿に興味のない人にも十分に読ませる魅力を備えている。そこには、鈴鹿を通して、人にとっての山そのものの意味が表現されている。
 しかし、今回の[蛭の蠢動、梅雨のフジキリ谷北谷でイワナを追う]と題されたレポートでは、そうした精神云々以前に、辻さんの山行の、憑かれた苛烈さと言うか、毒食らわば皿までのおおらかさと言うか、とにかく度を外れた没入ぶりに驚倒させられる。まあ、読んでみてください。そして、山に心を絡め捕られてしまった人種の不思議さにあきれてください。でも、念のために申し上げておきますが、僕がいくら人外境を好む人間でも、こんなことはできるもんじゃありません。吸血蛭がうようよ跋扈するなか、塩と婦人用ストッキングを頼りに、薄くて不完全なツェルトを張って寝るなんてことは!