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2000年2月20日

 [四季・コギト・詩集ホームぺージ]は熱い詩のサイトだ。制作者の中嶋康博さんは、戦前の叙情詩に思いを寄せる詩人で、「四季」「コギト」に拠った詩人達に私淑するばかりでなく、「コギト」の詩人田中克己には、その晩年の数年間、直接師事したという人でもある。従って、このサイトには、半世紀前の詩人群を語るものとしては異様なほどの、レアな口吻があふれている。特に、[田中克己文学館]には、中嶋さんが編集・出版した詩人の膨大な詩作ノートが順次収録されつつあり、その解題や「刊行始末記」、田中克己を巡るエッセイでは、熱のこもった述懐を読むことができる。とりわけ、戦争賛美詩を理由に詩史から遠ざけられている師の現在の地位を嘆くくだりには、悲憤慷慨といってもいい調子がある。中嶋さんは僕よりも数年若い昭和30年代生まれのようだが、近い世代の人に、このような文学上の師弟関係や特定のエコールへの共感が生きていたことは、驚きだった。
 中嶋さんが力説するように、日本の口語詩が、戦乱を前にしたあの時代に、あわただしく短い頂点を迎えたことは確かだと思う。中原中也、立原道造が達成した言葉の質に、戦後到達した詩人はいない。叙情詩がどうとかいう流儀の問題ではない。戦争を挟んで言葉の質が変わったと感じるのだ。戦後、言葉は機能的になったが、歴史的余韻や香気を削ぎ落として痩せ細った。詩も当然その影響を受けないわけにはいかなかったわけで、中嶋さんの「四季」「コギト」への肩入れの背景には、こうした戦後の詩語への嫌悪があるのではないかと思う(ウェブの表記に歴史的仮名遣いを使うのも同じ理由からだろう)。しかも、この人には戦前の叙情詩の系譜を受け継ぐ詩人(実際、田中克己が主催した第五次「四季」の最後の同人であったらしい)としての強い自覚と、それを文学史のなかに正しく位置づけたいという情熱があって、それが、戦後の“乾いた詩論”への攻撃的な批判となって噴出すると同時に、一方では「四季」「コギト」周辺の忘れられた詩人たちに光を当てる地道な作業へとつながっている。古い詩集を蒐集し、書影や全文テキストも交えながら、それらを精力的に紹介するページには、この人の詩への思いの深さが感じられる。