2000年1月18日
震災5年。今年はテレビの扱いも去年より大きめだが、同工異曲に問題意識を振りかざす特別番組を見る気がせず、ウェブで個人の発信を探して過ごした。[
東京発・「三年目の震災日記」]というページを発見。西宮で被災した主婦が、当時の覚書を再構築したすぐれた震災レポートだ。地震直後からの時間を追った詳細な記録を読んで、あの日の印象が蘇る。
僕にとって激震は山ひとつ隔てた場所の出来事だったが、親戚の安否を訪ねて山を下り、惨状を目の当たりにすることになった。老夫婦の遺体に手を合わせ、もう一軒の親戚のために、破れた水道管から水を汲む行列に並びながら夕暮れを迎えた(その時見た夕空はいやに美しかった)。そして、車のライトと被災者の焚き火しか明るいもののない神戸の街を走って、山の向こうへ帰った。帰ることができた僕は、その日、目と感情で見た震災を心にしまったが、激震地に住む多くの人は、それから何十日も、震災による日常の破壊と精神への打撃に向き合って生活しなければならなかったわけで、この日記は、その決定的な相違をあらためて教えてくれた。僕は震災を見たが、震災を知ってはいない。