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1999年11月12日

 とてもていねいに作られた菅原道真のページ[山陰亭]に、「菅家文草」「菅家後集」のいくつかの漢詩とその口語訳が収められている。菅原道真の漢詩集は、加藤周一が「日本文学史序説」のなかでその重要性を力説しているのを読んで、図書館で借りて、自分なりに感じ入った覚えがあるけれど、江戸の漢詩に興味をもってからはすっかり遠ざかっていた。今日、「山陰亭」で久しぶりに読んで、もう一度読み直してみたいと思った。
 たとえば、こんな詩…、
  五言 自詠

離家三四月  家を離れて 三四月
落涙百千行  落つる涙は 百千行
万事皆如夢  万事皆夢の如し
時時仰彼蒼  時時 彼の蒼を仰ぐ   ([山陰亭/漢詩和歌快説講座])

流謫の身を嘆く詩だが(「菅家後集」はすべてそのような詩だったと思う)、おきまりの措辞を連ねた、余りに月並な前3行の後に現れた「時時仰彼蒼」のなんと鮮烈なこと。この青空は、同時代の古今集のほとんど記号と化した「そら」とはまったく別の物だ。流謫の詩人が悲痛極まりない目で仰ぐ冷たく澄んだ空が、ここにはみごとに表現されていると思う。平安文学の枠を超えて、ダイレクトに僕らに響く叙情がここにはある。この1行の効果ために、道真はあえて平凡な3行を置いたのではないか。そんな感じさえする。
 もし、鬱陶しい欠字が少なければ、入力してみてもいいと思う。もちろん自分の楽しみとして、ゆっくり時間をかけて。