五言 自詠流謫の身を嘆く詩だが(「菅家後集」はすべてそのような詩だったと思う)、おきまりの措辞を連ねた、余りに月並な前3行の後に現れた「時時仰彼蒼」のなんと鮮烈なこと。この青空は、同時代の古今集のほとんど記号と化した「そら」とはまったく別の物だ。流謫の詩人が悲痛極まりない目で仰ぐ冷たく澄んだ空が、ここにはみごとに表現されていると思う。平安文学の枠を超えて、ダイレクトに僕らに響く叙情がここにはある。この1行の効果ために、道真はあえて平凡な3行を置いたのではないか。そんな感じさえする。離家三四月 家を離れて 三四月
落涙百千行 落つる涙は 百千行
万事皆如夢 万事皆夢の如し
時時仰彼蒼 時時 彼の蒼を仰ぐ ([山陰亭/漢詩和歌快説講座])