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1999年10月20日

 文学テキストサイト[書籍デジタル化委員会]に中島敦の「巡査の居る風景」という作品が登録された。中島敦らしからぬタイトルに引かれて、たまたま読んで驚いた。植民地時代の朝鮮での、内地人(日本人)と現地の人々との支配―被支配の関係を、直接的な弾圧としてではなく、日常生活に内攻したどうしようもなく重苦しいものとして描いていて、強い印象を与えられた。僕は中島敦をよく読んだことはないので、もしかしたら知る人ぞ知る作品だったのかもしれないが、中国古代に材を取ったあの重く結晶度の高い小説の作者に、こんな作品があったとは意外だった。年譜によると、この作品は中島敦が20歳の1929年(昭和4)に、一高の校友会雑誌に掲載されたもの。副題に「一九二三年の一つのスケッチ」とあるように、たしかに作品自体は若書きと呼ぶべき出来だが、ここに盛られた視点はただごとではない。僕は石川淳の「マルスの歌」を思い出した。そこでは、主人公がニュースフィルムの被征服民の表情からNO!を読み取るが、ここでは被支配者の巡査を主人公にすることで、より複雑な状況を内包させている。被支配者でありながら、統治者の一員として生きる巡査の重苦しい気分の描写は、深く的確だと思う。
 中島敦は中学時代を朝鮮で送っているから、そこでの経験が、日本の植民地支配が作りだした状況に対する、人間的な(イデオロギー的ではなく)理解へとつながったのだろう。それにしても、昭和初期に早くもこんな視点を獲得してしまった作家志望の青年は、その後の長い帝国主義戦争の中で何を書けばいいのだろうか?中島敦の異様に密度の高い作品の背景として、実はこうしたことも考え合わせた方がいいのかもしれない。そんなことも考えさせられたウェブでの読書体験だった。