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2002年1月23日

 よく知られた和歌のサイト[やまとうた]を読んでいて教えられたことふたつ。
 ひとつは俊成の歌、
またや見ん交野の御野の桜がり花の雪ちる春の曙
 初句の「や」は反語ではなく「疑問を含んだ詠嘆」とする。これは僕もそのように読んできたのだけれど、その後の「交野」が「難い」の掛け詞というのには気づかなかった。それで結局「またや見ん」には「いや、もう見ることもないだろう」という切ない反語の意味合いが加わってくる。俊成卿晩年の回想。
 それと「花の雪」は、単に花を雪に直線的に見立てただけでなく、雪の季節に行なう鷹狩りのイメージを、桜狩りに響かせたもの。これは本居宣長の評にあるそうで、なるほどそのように考えると、小手先の比喩とも思えたものが、上の句ともしっくり溶けあって感じられる。
 それにしても、初句・二句の音の綺麗なこと。大好きな歌。

 もうひとつは、式子内親王の次の歌を知ったこと。『式子内親王集(萱斎院御集)』に入っている歌だそうだが、塚本邦雄の『清唱千首』には採られていなかったなあ。
おしこめて秋のあはれに沈むかな麓の里の夕霧の底
 季節感を超えて伝わる「存在のはかなさ」の感覚。[古玉聚]の感想を読んでみてください。