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旅人かへらず




旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃




窓に
うす明りのつく
人の世の淋しき




自然の世の淋しき
睡眠の淋しき




かたい庭




やぶがらし




梅の樹脂
生命の脂
恋愛の脂
/にが/き古木のとがり
夏の宵の蓮の筆に
光りをののく星空/ほしぞら/
情を写して
憂しき思ひの手紙を書く
永劫の思ひ残る




りんどうの咲く家の
窓から首を出して
まゆをひそめた女房の
何事か思ひに沈む
/けやき/の葉の散つてくる小路の
奥に住める
ひとの淋しき




あのささやき
密の巣の暗さ
女の世の
なげかはしき




十二月になつてしまつた
名越の山々の
麓を曲る小路に
はみ出た蒼白な岩かどに
海しだの墨色/すみいろ/のみどり
ふるへる
たんぽぽの蕾
あざみの蕾
砂に埋れ
小さい赤い実を僅かにつけた
やぶかうじの根
苔と落葉の中にふるへる
この山々の静けさ
早く暮れる日影を拝む


一〇

十二月の末頃
落葉の林にさまよふ
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出てゐる
これは都の人の知らないもの
枯木にからむつる草に
億万年の思ひが結ぶ
数知れぬ実がなつてゐる
人の生命より古い種子が埋もれてゐる
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい実の中に
うるみひそむ
かすかにふるへてゐる
このふるへてゐる詩が
本当の詩であるか
この実こそ詩であらう
王城にひばり鳴く物語も詩でない


一一

ばらという字はどうしても
覚えられない書くたびに
字引をひく哀れなる
夜明に悲しき首を出す
窓の淋しき


一二

浮草/うきくさ/
花咲く晩
舟をうかべて
//る月の曇る


一三

梨の花が散る時分
松の枝を分けながら
山寺の坊主のところへ遊びに行く
都に住める女のもとに行つて留守
寺男から甘酒をもらつて飲んだ
淋しきものは我身なりけり


一四

暮れるともなく暮れる
心の春


一五

行く道のかすかなる
鶯の音


一六

ひすいの情念
女の//のかすむ


一七

珊瑚の玉に
秋の日の暮れる


一八

白妙の唐衣/からごろも/きる松が枝に
ひよどりの鳴く夜は淋し


一九

桜の夜は明けて
にはとりの鳴く
旅立つ人の泣く


二〇

藪に花が咲く頃
心はくもる


二一

昔の日
野ばらのついた皿
廃園の昼食
黒いてぶくろ
マラルメの春の歌
草の葉先に浮く
白玉の思ひ出
無限の情


二二

あの頃桜狩りに
荒川の上流に舟を浮べ
モーパッサンを読む
夕陽に蘆の間に浮かぶ
下駄の淋しき


二三

三寸程の土のパイプをくはえた
どら声の抒情詩人
「夕暮のやうな宝石」
と云つてラムネの玉を女にくれた


二四

雨のしづくを含むはぼたん
悪魔の食物となる
女はたべてはならないと
古の物語にいはれてゐる


二五

「通つて来た田舎路は大分
初秋の美で染まりかけ
非常に美しかつた
フォンテンブローで昼飯をたべたので
巴里に着いたのは午後になつた」
とある小説に出てゐるが、
死んだ友人にきかしたら
うれしがつて
何かうにやうにや云つたことだらうが


二六

菫は
心の影か
土の淋しさ


二七

古のちぎり
けいとうの花に
雨が降る頃
いくつかの古庭をすぎ
くさりかけた寺の門をくぐつて
都に近づいた


二八

学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草をつんだり
トンネルの近くで
下から
うなぎを追つて来た二人の男に
あつたこんな山の上で


二九

蒼白なるもの
セザンの林檎
蛇の腹
永劫の時間
捨てられた楽園に残る
かけた皿


三〇

春には
うの花が咲き
秋には
とちの実の落ちる庭
池の流れに
小さい水車/みづぐるま/のまはる庭
何人も住まず
せきれいの住む
古木の梅は遂に咲かず
苔の深く落ちくぼみ
永劫のさびれにしめる


三一

犬のをかしく戯れる
秋晴れの甲州街道は
遠く走り行く


三二

落ちくぼむ岩
やるせなき思ひ
秋の日の明るさ


三三

/くぬぎ/のまがり立つ
うす雲の走る日
野辺を歩くみつごとに
女の足袋の淋しき


三四

思ひはふるへる
秋の野
都に居る人々に
思ひは走る
うどの花が咲いてゐた
都の人々はこの花を知らず


三五

青いどんぐりの先が
少し銅色になりかけた
やるせない思ひに迷ふ


三六

はしばみの眼
露に濡れる頃
真の日のいたましき


三七

暮るるともなき日の
恋心
山里の坂
どんぐりの果の恋しき


三八

窓に欅の枯葉が溜る頃
旅に出て
路ばたにいらくさの咲く頃
帰つて来た
かみそりが錆びてゐた


三九

九月の始め
街道の岩/かけ/から
青いどんぐりのさがる

窓の淋しき
中から人の声がする
人間の話す音の淋しき
「だんな このたびは 金毘羅詣り
に出かけるてえことだが
これはつまんねーものだがせんべつだ
とつてくんねー」

「もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴」


四〇

窓口にたほれるやうに曲つた幹を
さしのばす花咲くさるすべりの樹に
何者か穴をうがつ
何事をかなす


四一

高等師範の先生と一緒に
こまの山へ遊山に行つた
街道の鍛冶屋の庭先に
ほこりにまみれた梅もどき
その実を二三摘みとつて
喰べた
「子供の時によくたべた」
といつて無口の先生が初めて
その日しやべつた


四二

のぼりとから調布へ
多摩川をのぼる
十年の間学問をすてた
都の附近のむさしの野や
さがみの国を
欅の樹をみながら歩いた
冬も楽しみであつた
あの樹木のまがりや
枝ぶりの美しさにみとれて


四三

或る秋の午後
小平村の英学塾の廊下で
故郷にいとはしたなき女
「先生何か津田文学
に書いて下さいな」といつた
その後その女にあつた時
「先生あんなつまらないものを
下さつて ひどいわ」といはれて
がつかりした
その当時からつまらないものに
興味があつたのでやむを得なかった
むさし野に秋が来ると
雑木林は恋人の幽霊の音がする
/くぬぎ/がふしくれだつた枝をまげて
淋しい
古さびた黄金に色づき
あの大きなギザギザのある
長い葉がかさかさ音を出す


四四

小平村を横ぎる街道
白く真すぐにたんたんと走つてゐる
天気のよい日ただひとり
洋服に下駄をはいて黒いこうもりを
もつた印度の人が歩いてゐる
路ばたの一軒家で時々
バツトを買つてゐる


四五

あけてある窓の淋しき


四六

武蔵野を歩いてゐたあの頃
秋が来る度に
黄色い古さびた溜息の
くぬぎの葉をふむその音を
明日のちぎりと
昔のことを憶ふ
二三枚の楢の葉とくぬぎの葉を
家にもち帰り机の上に置き
一時野をしのぶこともあつた
また枯木の枝をよくみれば
既に赤み帯びた芽がすくみ出てゐる
冬の初めに春はすでに深い
樹の芽の淋しき


四七

百草園の馬之助さんは
どうしたかな
春はまだ浅かつた
山の麓の家で嫁どりがあつた
坂をのぼつてみると
こぶしの花が真白く咲いてゐた
仏陀の雲のちぎれ
西の山に日の光りさす


四八

あの頃のこと
むさし境から調布へぬける道
細長い顔
いぬたで
えのころ草


四九

きりぎりすの声
驚き心はせかる
昔の女の夢みる


五〇

どんぐりの実のやさしき


五一

青銅がほしい
海原の滴りに濡れ光る
ネプチュンの五寸の青銅が
水平に腕をひろげ
少しまたをひらいて立つ
何ものか投げんとする


五二

炎天に花咲く
さるすべり
裸の幹
まがり傾く心
紅の髪差/かみざし/
行く路の
くらがりに迷ふ
旅の笠の中


五三

岩石の淋しさ


五四

女郎花の咲く晩
秋の夜の宿
あんどんの明りに坐わる
虫の声はたかまり
手紙を読む
野辺の淋しき


五五

くもの巣のはる藪をのぞく


五六

楢の木の青いどんぐりの淋しさ


五七

さいかちの花咲く小路に迷ふ


五八

土の幻影
去るにしのびず
橋のらんかんによる


五九

とびの鳴く
心にこだまする
いつの間にか
山の桜咲く


六〇

女の笑ふ寝顔
露草の色
万葉人の淋しき


六一

九月の一日
心はさまよふ
タイフーンの吹いた翌朝
ふらふらと出てみた
一晩で秋が来た
夕方千歳村にたどりつく
枝も葉も実も落ちた
或る古庭をめぐつてみた
茶亭に客あり


六二

心は乱れ
山の中に
赤土の崖の上
松かさのころぶ


六三

地獄の業をなす男の
黒き毛のふさふさと額に垂れ
夢みる雨にわびしく待つ
古の荒神の春は茗荷の畑に


六四

坂道で雉の声をきく


六五

よせから
さがみ川に沿ふ道を下る
重い荷を背負ふ童子に
道をきいた昔の土を憶ふ


六六

野辺に出てみると
淋しい風が吹いてゐた
水車/みづぐるま/の音がするばかり


六七

こほろぎも鳴きやみ
悪霊のさそふ笛の
とりつかれた調/しらべ/
野を下り流れ行く


六八

岩の上に曲つてゐる樹に
もうつくつくぼうしはゐなく
古木の甘味を食ひだす啄木鳥/きつつき/たたく


六九

夕顔のうすみどりの
扇にかくされた顔の
/まなこ//すもも/のさけめに
秋の日の波さざめく


七〇

都の街を歩いてゐた朝
通りすがつた女の/うしろ/
ベーラムのにほひがした
これは小説に出てゐたことだ
誰の書いた小説か忘れた
さほど昔のことならねど


七一

河柳の葉に
毛きり虫の歩く
夏の淋しき


七二

昔法師の書いた本に
桂の樹をほめてゐた
その樹がみたさに
むさし野をめぐり歩いたが
一本もなかつた
だが学校の便所のわきに
その貧しき一本がまがつてゐた
そのをかしさの淋しき


七三

河原の砂地に幾千といふ
名の知れぬ草の茎がのびてゐる
よしきりや雲雀の巣をかくして
その心の影


七四

秋の日も昔のこと
むさし野の或る村の街道を歩いてゐた
夕立が来て或る農家の戸口に
雨の宿りをした時に
家の生垣に
かのこといふ菓子に似た赤い実
がなつてゐた
「我れ発見せり」と思つた
それは先祖の本によく出てくる
真葛/さねかづら/とか美男葛といふもの
その家の女にたのんで折り取つた
女は笑ふ「そんなつまらないもの」
をと だが
心は遠くまた近い


七五

誰が忘れて行つたのか
この宝石
この極光の恋を


七六

木のぼりして
ベースボールが見られた時代は
よかつたな――


七七

むさし野を行く旅者/たびもの/
青いくるみのなる国を
知らないか


七八

こま駅で夏の末
百姓のおばさんから梨を買つた
その/ひと/は客をよろこばす
つもりで面白いまねをして
笑はせてお礼のかはりをした
この辺に郷土学者がゐないかな
神話の残り淋しき


七九

九月になると
長いしなやかな枝を
藪の中からさしのばす
野栗の淋しさ
その実のわびしさ
白い柔い皮をむいて
黄色い水の多い実を生でたべる
山栗の中にひそむその哀愁を


八〇

秋の日ひとり
むさし野に立つ
ぬるでの下に


八一

昔の日の悲しき
/ほこり/のかかる虎杖/いたどり/
木の橋の上でふかすバット
茶屋に残るリリー


八二

鬼百合の咲く
古庭の
忘らるる
こはれた如露のころがる


八三

雲の水に映る頃
影向寺の坂をのぼる
薬師の巻毛を数へる秋
すすきの中で菓子をたべる
帰りに或る寺から
安産のお札を買つて
美術史の大学院生にやつた
なにのたたりかかぜをひいた


八四

耳に銀貨をはさみ
耳にまた吸ひかけのバットをはさむ
かすりの股引に長靴をはく
とたんの箱をもつ
人々の昔の都に
桜の咲く頃


八五

よもぎの藪に
こひるがほの咲く夜明
あさめしに招かれて
そばを喰べに急ぐ
露の旅は無情の天地
日天月天の間にすだく
生命の時間今日も過ぎ行く


八六

腐つた橋のまがりに
あかのまんま傾くあの
細長い風景をまがつて
歩いた


八七

古木のうつろに
黄色い菫の咲く
うつつ
春の朝


八八

女郎観音の唐画
絹本は数百の秋を積み
江戸の役者の似顔に似たる
芝の秋の思ひ出


八九

竹が道にしたたる
武蔵野の小路に
国貞の描いたやうな
眼のつりあがつた女
に出会ふ
何事か秋の葉の思ひ
今宵の夢にみる
くちた木の橋に
あかのまんまの色あせる


九〇

渡し場に
しやがむ女の
淋しき


九一

或る女がゴーガンの絵と
桔梗をもつて
来てくれた
秋の日


九二

あの頃の秋の日
恋人と結婚するために還俗した
ジエジュエトの坊さんから
ラテン語を習つてゐた
ダンテの「王国論」をふところに入れ
三軒茶屋の方へ歩いた
あの醤油臭いうどん
こはれて紙をはりつけたガラス瓶
その中に入れて売つてゐるバット
コスモスの花が咲く
安ぶしんの貸家


九三

暗いはたごやの二階で
二子多摩川の鮎をたべた
三人の詩人と
そこは独歩の小説に出てくる
宿屋で大山街道に入口がついてゐた


九四

「失はれた浄土」は盲人の書いた地獄
へくそかづらの淡いとき色も
見えないただ
葡萄の蔓
ひやうたん

がその庭の飾りで
ふるへてゐる


九五

ロココの女
すきがあれば金をつめる
涙は薔薇と百合の間にこぼれる
心のくもりは宝石のくもり


九六

春はまだ浅い
山々はうく黄色く
松林が黒くぼけてゐる頃
石川先生と多摩の丘陵を歩く
谷に水車がまはつてゐた
『文学や絵でかくと美しいが
あんな所で実際住めるものぢやない』
とチーズを包んだ弁当をあけながら
さう云つた
坂を下つて畑の中を歩くころ
『わたしが木曽の山の中を歩いた時
山の中に家があつたので
昼飯をやるに都合のよいところで
あると思つたので、その家を訪れた
誰も出て来ないから
かまはず障子を開けて畳の上で
ころがり休んだことがある
後から考へてみるとそれは村の
避病院であつた』
と笑ひ顔して云つた
路ばたで鶯が鳴いてゐた
『あの鶯の鳴き方はうちの八百屋の
小僧が自転車にのりながらまねする
鶯の声より下手だ』
不動も詣らず帰つた
鶉の鳴く日の如く淋しかつた


九七

風は庭をめぐり
黄色いまがつた梨を
ゆすり
小さい窓からはいつて
燈火を消すことがあつた


九八

露にしめる
黒い石のひややかに
夏の夜明


九九

ゴブラン織の淋しさ
ゴブラン織に織られた
裸の女の
淋しさ


一〇〇

垣根の
春の
淋しさ


一〇一

水色の葫蘆のさがる町
この郷人の細工
この三寸の象牙
はづかしい思ひで彫む
裸の女は皆お湯にちなむ
しまだの女化粧道具を入れた
籠をさげる
この水鳥
この銭湯の曼陀羅/まんだら/


一〇二

草の実の
ころがる
水たまりに
うつる
枯れ茎のまがり
淋しき人の去る


一〇三

庭の
蝉殻/せみがら/
夏の夜の殻の朝
悲し


一〇四

八月の末にはもう
すすきの穂が山々に
銀髪をくしけづる
岩間から黄金にまがる
女郎花我が国土の道しるべ
故郷に旅人は急ぐ


一〇五

虫の鳴く声
平原にみなぎる
星もなく夜もなき
生命のつなぎに急ぐ
この短い永劫の秋に
岩片にひとり立ちて
このつきせぬ野辺を
聴く心の悲しき


一〇六

さびれ行く穀物の上
哀れなるはりつけの男
ゴッホの自画像の麦わら帽子に
青いシヤツを着て
吊られさがるエッケホモー
生命の暮色が
つきさされてゐる
ここに人間は何ものかを
言はんとしてゐる


一〇七

なでしこの花の模様のついた
のれんの下から見える
庭の石
庭下駄のくつがへる
何人もゐない
何事かある


一〇八

むくの実が坂に降る頃
ゴブラン織をあけて
かなしげなる窓を開いて
ぼけた遠山の方へ飛ぶ水鳥
渡し守りの煙草を吸ふのを
眺めてゐると
昔読んだ小説の人々が生霊
の如くやつてくる
一緒になりまた別れる
悪霊を避けよ
苦しき立場
レモン畑
かみそりの歯
猿女房
と次から次へとやつてくる
その辺にゐる本当の人間の方
が幽霊に見える


一〇九

ゐろりに
アカシアの木をたいてゐた
老人の忘らるるとは


一一〇

八月の末頃
海からあがり
或る町を歩いた
プラタヌスの葉が
黄色く街路に落ちてゐた
旅役者がカフェの椅子に
よりかかつて何も註文もせず
休んでゐた
裏通りを歩いてみると
流行しだした模様入りのハンカチフを
売つてゐた
チャプリンがかかつてゐた
仏蘭西で初めて仏蘭西語の小説を買つた
坂をのぼつて行くと
海がうすみどりに光つてゐる
のぼりきつたところに
カンナの花が咲いてゐる家がある
はいつてみると
としまの女がだまつて
メーテルリンクの「蜜蜂の巣の精神」とか
いふ本を読んでゐた
何かまちがつてゐるのではなかつたか
時間がなかつたので
馬車に乗つて帰つた
ヴィーナスの頭のついた古銭を
くれる約束した若いギリシヤ人が
舎利の壺に瞿麦/なでしこ/をたてたやうな
顔をして笑つた


一一一

/つるばみ/
/ひと/のひそむ
美しさ
その粉の/にが/
人間の罪をあがなふ
はりつけの情念の苦き


一一二

とき色の幻影
山のあざみに映る
永劫の流れ行く
透影/すきかげ/の淋しき
人のうつつ
あまりにはるかなる
この山影に
この土のふくらみに
ゆらぐ色


一一三

あかのまんまの咲いてゐる
どろ路にふみ迷ふ
新しい神曲の初め


一一四

くぬぎの葉二三枚
昔の恋人の幽霊
昔の光芒


一一五

西国の温泉にしようか
東国にしようかと考へた
むぎわらやの人は遂に
修善寺にした
あの人はよく宿へ遊びに
来てくれた
寺の鐘が鳴る時分
松の葉が金色に光る時分
池の流れにまはす玩具の
水車をみながら一緒に
お湯にはいつた


一一六

旅につかれて
村の言葉でよそぞめといふ木の下で
休んでゐた時考へた
杓子の化物を考へた
偉大な神話づくりが
我々の先祖の中にゐた
立ちあがつてみると
秋も大方過ぎてゐた


一一七

雨の降る天をみながら
千一夜物語はあの
「海の男」がすきだ
何か急に立ちどまり
また考へ出した
それから橋を渡つて町へ行つた
そこは夏が来てゐた


一一八

偉大な小説には
子供の雑記帳に鉛筆で書き始めた
ものがあると誰か言つてゐる
秋のきりん草の中でさう思ひ出した


一一九

人間の声の中へ
楽器の音が流れこむ
その瞬間は
秋のよろめき


一二〇

色彩の世界の淋しき
葉先のいろ
名の知れぬ野に咲く小さき花
色彩の生物学色彩の進化論
色彩はへんぺんとして流れる
同一の流れに足を洗はれない
色彩のヘラクリトス
色彩のベルグソン
シャヴァンの風景にも
古本の表紙にも
バットの箱にも
女の唇にも
セザンの林檎にも
色彩の内面に永劫が流れる


一二一

何事か思ふ
女霊の
ほそ長き風景の中
風車のまはる


一二二

十二月の初め
えのころ草も枯れ
黄金の夢は去り
夢の/から/のふるへる


一二三

山の椿は
年中花の咲くこともなく
枝先の白い芽は葉の芽
花よりも葉の美しき
黒ずめるみどり
かたく光るその葉
一枚まろめて吹く
その頬のふくらみ
その悲しげなる音の
山霊にこだまする
冬の山の静けさ


一二四

影のない曼陀羅の
草の実の
紅の無常
紫の淋しさ
形のわびしさ
山々の枯れ枝にさがる
冬の日にこぼれる


一二五

向ふから
牛に乗つて来る男がゐる
天神様のやうに


一二六

或る日のこと
さいかちの花咲く
川べりの路を行く
魚を釣つてゐる女が
静かにしやがんでゐた
世にも珍しきことかな


一二七

恋人の暮色の中に
蝙蝠の飛ぶ


一二八

何者かの投げた
宝石が
絃琴にあたり
古の歌となる


一二九

むらさき水晶
恋情の化石か


一三〇

桃の木に彫む
童子の笑ふ首
悲しき生命の
甘茶の淋しき


一三一

衣裳哲学こそ
女の哲学なれ
女のまる帯の
うらがなしき


一三二

茶碗のまろき
さびしきふくらみ
因縁のめぐり
秋の日の映る


一三三

錦の織物
うらがなし


一三四

榎の古木くちる
春の日のうららかさ


一三五

花咲くいばらの垣根
何人の住める


一三六

名の知れぬ石の幻像に
野菊をかざる


一三七

秋のきりん草の中へ
消える釣人のうしろ姿


一三八

野に咲く
花の/くら/さに
心は翳る
想夫の思ひ人知れず
咲く
心の野辺に


一三九

しやくやくの咲く
庭の水に映る
情人の唇とがる
水鳥のたつ思ひに


一四〇

秋の夜の悲しき手を
引きよせ
くぬぎの葉づれをかなでさせ
かよわい心はせかる
星の光りを汲まんと
高くもたげる盃の花咲く
むくげの生籬をあけ
静かなる訪れをまつ
待ち人の淋しき


一四一

野に摘む花に
心の影うつる
そのうす紫の


一四二

たそがれの色に
衣を染め
あしたは旅立つ


一四三

何者か
心に影をなげる
ふりかへりみれば
秋の日の女
とんぼ
の笠にとまる


一四四

秋の日のよろめきに
岩かどにさがる
妖霊の夢
たんぽぽ毛球
半分かけた
上絃の夢うるはし


一四五

村の狂人まるはだかで
女郎花と蟋蟀をほほばる


一四六

茄子に穴をあけ
十五夜の月を眺める
古の儀式の淋しき


一四七

庭の/すみ/人知れず
岩のほろほろと
こぼれる
秋の日
牧谿の横物をかけ
野花の一輪を活け
静かに待つ
待つ人の来たらず
水草の茎長き水鏡
女のこころうつる
男は女の影にすぎない
土は永遠を夢みる
人はその上に一時/ひととき/のびる
旅のつる草
茎に夕陽の残るのみ
草の実は女のこころ
心のかげりは
野辺のかげり


一四八

風になびく金髪の少年
かた手に魚をつかみ
かた手に林檎をもつて
雲の上を天使の間を走つてゐる
何処の食堂にかかつてゐた絵であつたか


一四九

夏の日は
青梅の実の悲しき
いたどりの国に生れ
おどろの路に迷ふ
鐘のない寺の屋敷を通りぬけ
朝顔の咲く垣根を過ぎ
もずの鳴く里を通り
雨の降る町に休み
たどたどしく歩み行く
むぐらの里に
茶をのみかはす
せせらぎの
女の
情流れ流る


一五〇

斑猫の出る街道を
真向きに茜を受け急ぐ
尖塔の町に行きつかず
茶の生籬と南天の実のみつづく
やがて
まきのまがきから顔を出した
女に道をきいてみた
正反対に歩いたのだ
「まつすぐに戻られよ」


一五一

折にふれ人知れず
争ふ夫婦の舌のとがり
永遠の暗黒にもどり
古の土の思ひ
物いはず
落葉をふむ
互にはぐくむ庭に
ひよどりの鳴く


一五二

杉菜を摘む
この里に住めるひとの
淋しき


一五三

うららかな情念のまがり


一五四

座敷の廊下を行くと
とざされたうす明りの
障子に映る花瓶に立てられた
山茶花の影の淋しき


一五五

何事をか語る
あはれにもをかしき
女大工の
アメールなるささやきの
何故か思ひを刺す

枯木の中にさまよふ時
ふれる苔の思ひ
淋しき


一五六

ふところにパン粉を入れ
瓢箪に茶を入れ
柿の木の杖をつき
坂をのぼつて行く
女の旅人
突然後を向き
なめらかな舌を出して
『これは未だ人生の芝居だ
人生はあのはしばみの中にある
詩も絵もあつたもんぢやありませんよ』
とまた/くれない/の舌を出した


一五七

旅に出る時は
何かしらふところに入れる
読むためではない
まじなひに魔除けに
ある人は昔
「女の一生」を上州へ
ある国の革命家は
「失はれた楽園」を
野の仕事へ

下総から来た女中は
行李の中へひそめる
グレタガルボーの写真を

旅に出る時
恋に落ちないやうに
飢餓に落ちないやうに
ダンテの「地獄篇」の中に
えのころ草をはさんで
食物は山の中に沢山ある


一五八

旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壺をこはせば
永劫のかけらとなる
旅は流れ去る
手を出してくまんとすれば
泡となり夢となる
夢に濡れるこの笠の中に
秋の日のもれる


一五九

山のくぼみに/たま/る木の実に
眼をくもらす人には
無常は昔の無常ならず


一六〇

草の色
茎のまがり
岩のくづれ
かけた茶碗
心の割れ目に
つもる土のまどろみ
秋の日の悲しき


一六一

秋の夜は
床に一輪の花影あり
もろもろの話つきず
心の青ざめたる
いと淋し
『古屏風の風俗画の中にある
狐のやうな犬
遊山する女の眼
桜と雲の上に半分見える
寺や社の屋根
秋のまつげのやうな草の葉
思ひ残る』

『から/ごろも/を着てゐた時代の
女のへそが見たいと云つた
女がある
秋の日のうらがなしさ』

誰か立ちぎきするものがある

『「西風に寄す」といふ詩を残した
詩人の肖像は
そのあまりに女々しくその詩人を
長く嫌つてゐたが
あとからその画は女が描いたもの
であると知り
なるほど女が出て来たのか
岩からにじみ出る女の心の
たんぽぽ』

『さざんくわの花をもつた
河童頭の童子の肖像画
誰が描いた絵だつたかな』

『昔株屋をやつてゐたが
此頃は百姓にもどつた男
橋のたもとで大根の種を買つて
つり銭を待ちながら
へッへッと笑つて云つた
女は男の種を宿すといふが
それは神話だ
女の中に種があんべ
男なんざ光線とかいふもんだ
蜂か風みたいなものだ』


一六二

秋の夜の雨
とび石の臼にたまり
菊のにほひする
昔のはるかなるにほひ


一六三

世の中に奇蹟の現れをみるため
牧人のよれよれの衣のかげに
都へのぼつてみた
さびれ縮れた欅の森に
うとうととまどろむ
散る葉と小枝のささやきに
暁の女を夢みた
漆喰に映る
晨の灰色の青ざめたる
オリオンの星座の断層
夜明の風の凝結か
暗黒を破り出た喜びか
土星の深き抱きより
木霊のめざめか午後か
魂の分裂
うるはしき空間
性なき清き樹木の切断
だがなにしろ金星の身なれば
人間の生殖の女神
生命の祭礼を司る光り
夫婦のうつつもやぶさかならず
女が人形になるせつな
人形が女になるせつな
肉体からぬけ出た瞬間の魂
夜明に薔薇のからむ窓の
開かれる瞬間
あの手の指のまがり
歩み出す足の未だ地を離れず
何事か想ふ女の魂
水霊のあがり
花咲く野に踏み入る心
暁の行く石の中かすかに


一六四

めざめる夢をみる男の如く
ねむられず夜明前
露の//の旅に
何人の山の家か知らねど
白いペンキの門をくぐり
坂をのぼつた
東南に傾いた山
青磁色の山々が地平に
小さく並んでゐる
そのテラスの上に
水つきひからびた噴水の
真中に古さびた青銅のトリトンの
淋しくしやがんでゐる
水なきふくべの如く
香水の空瓶の如く
鎗さびの五月の朝

家の窓は皆とざされ
ただ二階に一つあく窓
花咲くいばらの中から外へ開かれ
鏡台のうしろが見える
何人の住める
山の端に夜明の
あざみの色のふるへる頃
ひばりの尖塔に
夢を結ぶ女の住むところか
この荒れはてた家に
うれしき夢の後かまた
ねむれずにか早く起きて
髪をくしけづる
/ひと/の知りたき
蜜月の旅の昔のねどこか
入口の階段に
石に刻まれた若き恋人の
抱擁の中から苔のさがり
黄色い菫の咲く
春のせつなさ
坂の途中かたいきの哀れなる
杉菜を摘む女は語らず
生誕の日の近づく
ばらの実の
いとほしき生命の実の
ささやきのささやきの
葉をうつ音永劫の思ひ


一六五

心の根の互にからまる
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る

種は再び種になる
花を通り
//を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭草の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまわる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る

無限の過去の或時に始まり
無限の未来の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
この小さい庭に
梅の古木 さるすべり
樫 山茶花 笹
年中訪れる鶯 ほほじろなどの
小鳥の追憶の伝統か
ここは昔広尾ヶ原
すすき真白く穂を出し
水車の隣りに茶屋があり
旅人のあんころ餅ころがす
この曼陀羅の里
若き水鳥の飛立つ
花を求めて実を求めず
だが花は実を求める
実のための花にすぎぬ


一六六

若葉の里
/べに/の世界
衰へる
色あせた
とき色の
なまめきたる思ひ
幻影の人の
かなしげなる


一六七

山から下り
渓流をわたり
村に近づいた頃
路の曲り角に
春かしら今頃
白つつじの大木に
花の満開
折り取つてみれば
こほつた雪であつた
これはうつつの夢
詩人の夢ではない
夢の中でも
季節が気にかかる
幻影の人の淋しき


一六八

永劫の根に触れ
心の鶉の鳴く
野ばらの乱れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくづるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
曼陀羅の織物を拝み
枯れ枝の山のくづれを越え
水茎の長く映る渡しをわたり
草の実のさがる藪を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず