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旅人かへらず


 何か詩が読みたいのだけれど、先鋭な問題意識や重たいイメージを湛えた作品は御免被りたい、ただ散漫に言葉の味わいの中を漂いたい、そんな気分の時は「旅人かへらず」がぴったりくる。西脇順三郎(1894〜1982)の代表作のひとつとして文学史に名を連ねることも多いこの作品は、僕にとって最も気楽に接することのできる現代詩のひとつである。
 全部で168の章から構成されたこの詩には、「幻影の人と女」と題した序文があり、この詩のテーマである「幻影の人」が解説されている。しかし、独特の世界観に基づく「幻影の人」の定義は今ひとつ定かではないし、その思弁的な文章が詩を読むうえでぜひとも必要とも思えないので、ここでは序文は引用しなかった。実際、詩そのものを見ても、序文の思弁風の内容が全体を支配しているというわけではない。「幻影の人」のイメージを描いて起結を整えている最初と最後の章以外に、序文の世界観を直接反映した内容が見られるのは、わずかな章に過ぎない。大部分は断片的なイメージやエピソードであり、この詩で「幻影の人」が果たしている役割はさほど大きくない。言ってみれば看板を提供しているに過ぎないように僕には思える。「幻影の人」の観念的な追跡にのみ興味を向けていては、この詩の本当に“おいしい”部分を見逃すことになるだろう。では、この詩の本当の主役とは? 言うまでもなくすべての詩の主役は言葉であるに違いない。
 西脇順三郎の詩の方法は、初期の「Ambarvalia」から晩年の詩まで、たぶん一貫していると思う。それは、過去の文明や学芸とつながる言葉を重用し、その言葉が歴史的に分厚くまとっているイメージや風合い、余韻を中心に詩を組み立てていくというものだ。「Ambarvalia」にそのような言葉を供給したのはギリシアを中心にした西洋文明だった。もっとも、詩は日本語で書かれているから、明治このかたの西洋思想の輸入の中で蓄積されてきた語彙がその役割を担った。それらの言葉は多分に憧れの色合いを帯びていたから、「Ambarvalia」の殊に「ギリシア的抒情詩」は、清新なイメージを湛えた魅力的な詩編となった。
 一方、「旅人かへらず」が拠っているのは、おおむね日本文明であり、古典から現代までの雅俗取り混ぜた言葉である。それらの古びた、あるいは日常的な言葉を、168の章に自在に面白く取り合わせた詩人の手際を、超現実主義などと呼ぶのは少々大仰過ぎるように思う。この詩は時として僕に南画の桃源図を連想させる。庭、垣根、古木、草の実、さりげなく描かれる人物…、道具立てが南画的だというだけでなく、古今のイメージの混淆から生まれる自由な感覚や軽み、エピソードの一種誹諧的な味わい、そして全体に漂う自然と過去の文化へのノスタルジーが、南画に近似したものを感じさせるのだ。疲れた夜、寝床にもぐり込んで、西脇順三郎詩集を適当に繰りながら、ぼんやり言葉の桃源郷に遊ぶのは、悪くない楽しみだ。
 ところで、この詩が1947年に出版されたまぎれもない戦後の詩であることに、意外な思いをする人も多いのではないだろうか。確かに、敗戦後の“荒地”の時代に、この桃源詩はいかにもふさわしくない。しかし、年譜を見ると、その辺りの事情が理解できるようにも思う。1933年の「Ambarvalia」以降、太平洋戦争の10年間、西脇は詩作を中断し、その間を東洋・日本の古典の渉猟に当てたという。つまり、「旅人かへらず」は、荒んだ時代に背を向けて、過去の文化の温もりに手をかざして過ごした、詩人の“抵抗”の所産といえなくもない。そういえば、104章には「女郎花我が国土の道しるべ」という1行があった。「我が国土」という大時代的な言葉に嫋々たるおみなえしを絡めた所に、大言壮語の時代への詩人の毒を感じるのは、思い過ごしだろうか。