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詩作の後
伊東静雄(1906〜1953)が1947年に出版した最後の詩集『反響』に収められた詩。
伊東静雄の詩集としては、最初の『わがひとに与ふる哀歌』(1935)が有名だが、僕は『反響』のなかの幾篇かが好きだ。『わがひとに与ふる哀歌』は出版当時、萩原朔太郎から激賞されたことがよく知られている。確かにそこには大方の甘い叙情詩とは趣を異にする、硬質で難解な詩が多く収められている。しかし、それらは今の僕には少し遠いところにある詩群だ。解説書によると、この詩集にはドイツの詩人ヘルダーリンやセガンティーニの絵の影響が認められるらしい。なるほど、「わが死せむ美しき日のために/連嶺の夢想よ!汝〈な〉が白雪を/消さずあれ」(曠野の歌)などという恐ろしく“テンション”の高い発想法は、そうした泰西の芸術の影響下での、いわば純粋培養的な詩作から生れたものと考えれば、理解しやすい。ある詩的な理想に向けて、書物や絵画から抽出された純粋な言葉やイメージを一心に追った、それは青春の詩と言っていいかもしれない。齢四十を過ぎて、言葉にいっぱい埃や汚れをこびりつかせた男には、ちょっとしんどい世界だ。
一方『反響』だが、こちらは実に平明な詩から構成されている。『哀歌』に始まり、『夏花』『春のいそぎ』とさまざまな発想・美学・形式・テーマ(中には7篇の戦争詩も含まれる)を通過してきた詩人の言葉は、波に洗われ、砂に磨かれた流木のように、軽く、手触りよく、しかも侵されない芯を感じさせる。そうした10篇の詩のなかでも、この「詩作の後」は筆頭にあげていい名篇だと思う。
解釈に迷う点はまったくない。読んだそのまま、詩作の後の「孤獨な陶醉」をうたった詩である。しかし、詩人の恍惚と孤独と疲れとをこのように見事に表現した人は他に居ただろうか。連を区切らない各行は流れるように続き、詩人は夏の黄昏の室内や濃い緑を湛えた庭、そして野池で水浴びする老農夫のイメージの間をたゆたいながら、倒れるように眠りに滑り込んでいく。その眠りは確かに「内なる調和」に守られているはずだが、かすかに死の影がただようのはなぜだろう。ここには創造の喜びといったものはない。むしろ、ある宿命を甘受しながら、生命の終わりに向かって詩作を続ける詩人のイメージが浮かんでくる。そう感じざるを得ないものを、確かにこの詩は蔵している。敗戦まもない昭和21年にこの詩は書かれた。前年7月に詩人は堺の自宅を空襲で焼かれ、大阪府南河内郡黒山村に移り住んでいる。詩人は家や蔵書を失い、文学の友を失い、7篇の戦争詩を書いた自分の詩歴へのある種の断罪を経験している。積み重ねて来た詩的経歴と詩的衣装から一度精神的に断絶したとき、残された言葉だけが静かに美しく流れ出て、白鳥の歌と呼ぶにふさわしい詩集になった。
『反響』を刊行した2年後の昭和24年、伊東静雄は肺結核を発病し、国立病院大阪長野分院に入院する。その闘病生活は昭和28年の死まで続いた。