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亡き人に
高村光太郎(1883〜1956)の詩はあまりに手軽に利用され過ぎている。「道程」はたぶん教科書が最も多く取り上げた詩の一つだろうし、福島を旅する人はバスガイドが「樹下の二人」を朗誦するのを聞くだろう。ついでに「あどけない話」もやってくれるかも知れない。ちなみに僕が「火星が出てゐる」を知ったのは中学か高校かの教科書でだったし、「レモン哀歌」は高校受験の模擬試験の会場で初めて読んだ。もちろん、多くの人に読まれることは、詩人の栄誉だろう。しかし、光太郎の詩は読まれるのではなく、読まされる(聞かされる)詩として突出している。これは詩にとって不幸なことではないだろうか。詩は本来万人のものではない。喜びをもって詩を読むためには、ある種の才能が必要だ。それを持つ人がそんなに多くないことは、小説と詩集の発行部数の違いを見ても明らかだろう。無理解な群衆の前にさらされる可哀相な詩。しかし、本当の不幸は、そうしたことを通じて、詩を理解する人にも歪んだ詩のイメージがプリントされることにあるのかもしれない。たとえば、「道程」のイメージが、遠い昔教室で同級生が口にしたこの詩への低級な軽侮とつながっている人や、「樹下の二人」「あどけない話」を純粋に詩そのものとして読んだことのない人も多いに違いない。同じ作者が芸術を意図して作った裸婦像が(出来映えはともかくとして)、一観光資源として湖畔に置かれているのと同様に、高村光太郎の詩はとっつきやすく侮りやすい詩の標本として、人々の前に置かれている。
たぶん、こうしたことは高村光太郎の詩の特質に因る点が大きいのだろう。平明な口語体に人道主義的な内容を盛った詩集『道程』は、いかにも教科書制作者が食指を動かしやすいものだし、『智恵子抄』にうたわれたおおらかな愛と運命的な死は、大衆に訴える要素を十分に備える。そして、その詩は、おそらくその人がそうであったように、神経質でなく、楽天的で、そしてどこかに常に素人っぽさを漂わせている。癖のある語彙や病的なイメージのない、素直で透明な詩が多い。しかし、こうしたことを理由に高村光太郎の詩を一段低く見る人がいたら、それはおそらくまったく正しくないだろう。『道程』に萌芽し、「雨にうたるるカテドラル」や「火星が出てゐる」に結実した、韻律的な前進力にあふれた詩法は、萩原朔太郎の映像的な詩などとともに、日本の口語自由詩の大きな源流の一つである。作者がそれと意識していなくても、日本語で書かれる多くの詩に今も高村光太郎の影響は及んでいるに違いない。そして『智恵子抄』の、特に妻の死後に書かれた4つの詩、「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」「亡き人に」「梅酒」の比類ない哀切さ。そこには、古今を通じてごくわずかな詩人にしか訪れなかった、人生の時間と詩との幸福な(その時詩人が、感情の上ではどれだけ不幸ではあっても)出会いが、珠玉のような作品として跡をとどめている。詩人高村光太郎の頂点は、たぶんこの4つの詩にある。
一読、鮮烈な愛のイメージがさわやかな香気を伴って心に残る「レモン哀歌」、世馴れない詩人の自失の姿を軽く描きながら、失ったものの大きさを感じさせる「荒涼たる帰宅」、そして穏やかな慈しみにあふれた「梅酒」、どれも忘れ難い詩だが、僕はとりわけこの「亡き人に」が好きだ。この詩は、連を短く区切らず饒舌に言葉をあふれさせることを好む詩人には珍しく、2行区切りの厳格な詩型で書かれている。そのことが言葉の凝集力を高めるのに役立っているのだろう、この詩の結晶度の高さは4つの詩のなかでも際立っている。あるいはこの詩が描くほとんど形而上的とも言える愛が、そのような禁欲的な形式を必要としたというべきだろうか。詩人は亡き妻の遍在をうたう。それが単に詩的修辞ではなく、詩人が日々に感覚していたものであることを、詩全体にあふれる一種の幸福感が物語っているようだ。殊に、最初の3連が描く朝の目覚めの感覚は麗しい。詩人の中で母となり、すべてに満ちあふれる存在となる死者――。これほどまでに清朗な表現を獲得した悼亡の詩も、また古今に稀だろう。