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湖畔吟
金子光晴(1895〜1975)が大戦末期に書き、戦後出版された詩集『蛾』に収められたこの詩に、初めて接した時の驚きと喜びは忘れることができない。詩を読み始めたばかりの僕にとって、新潮文庫の「現代名詩選」は格好の教材だったが、そこで出会った「湖畔吟」には心底引きつけられた。なによりもこの詩は、あの三巻本が収録する多くの詩のなかで、唯一の明確な戦争抵抗詩だった。日本にもフランスのレジスタンス文学に近い詩があったことを知るのは、感動的な発見でないはずがなかった。そして、なぜこのことを多くの日本文学史は書かないのだろうと憤りさえ感じた。また、この詩の素直で甘美な表現も僕には好もしかった。昭和初期のプロレタリア詩の完成度の低さに失望を感じていた僕にとって、この詩は社会性と叙情とが融合した最高の作品に思えた。
その後、金子光晴の多くの詩を知ったが、「湖畔吟」以上の作品には出会えなかった。というよりも、「湖畔吟」とはまったく違うスタイルで書かれた多くの詩が僕をとまどわせた。全体から見ると「湖畔吟」は特殊な作品であり、金子の主調は別のところにあるということがわかるにつれて、僕はこの詩を偏愛しながらも、金子光晴に深入りすることができなくなった。
この状態は今も変わっていない。金子光晴は僕のなかに明確な全体像を結んでいないし、その中心的な仕事と目されている『鮫』や『落下傘』のなかの多くの詩は、発想の独自性、表現の自在さ、文明に対するとらわれない視点で、僕を驚かせながらも、詩そのものとして僕を魅することはない。
ところで、「湖畔吟」に対する感じ方も変わった。このページのために久しぶりに読み、書き写してみて、必ずしも全面的に「好きな詩」とは言えないかもしれないと思った。何が気に入らなくなったのだろう。おそらくこの詩の逃避と絶望の表現は綺麗すぎ、詩的すぎるのだ。余りに卑近な例えだが、この詩はワイドショーなどで目にする俳優の弔辞を連想させる。切々たる言い回し、美しい涙に彩られていても、俳優の弔辞はたいていの場合、演技を感じさせ、白々しい印象を残す。故人が親しい友であり、悲しみが真実だと想像できる場合でさえ、彼らの表現は業のように演技から抜け出すことができない。そのように、この詩に盛られた日本への弔辞も、美しく詩的に表現されているが、詩的表現の枠内にとどまっている。そこを突き抜けて迫る悲しみ・絶望がない――。僕がこの詩に今感じていることを強引に増幅して言葉にすれば、こういうことになるかもしれない。たぶん、この詩を初めて読んでから経過した20年という時間が、僕をすれっからしにしてしまったのだろう。かつて甘美な絶望を読んだ詩に、今は詩人の手管を見てしまうのだから。
それにしても、戦時下の窮迫、四面楚歌を、このように見事な詩に加工してしまう詩人の精神とは、何と強靱なものだろう。第10連の恐ろしい予言「何もかも骨灰となるだらう。」から一転して呼び戻される湖の情景の、印象的な効果に見られる手腕の冷徹さ。恒星の非情の輝きを、人の世の愚かさに対置し終えた時、詩人は詩の勝利を一人味わったに違いない。