北桃谷町界隈 Mar.1997.

城東 桃 万樹
霞彩 江に映じて蒸す
一酔 来路を忘る
いずれの村か武陵ならざる


 大坂城のある上町台地は果樹栽培に適した土地で、江戸時代には桃畑が広がっていたようです。この詩はその花盛りのようすを歌ったもの。桃色の花の雲に包まれた、文字通りの桃源郷のような村々の風景が目に浮かびます。桃の花見は浪速の人々の春の楽しみのひとつになっていたのかもしれません。明治初めの頃の地図で見ても、大坂城の南には市街地に取り囲まれながらも、果樹園のマークがたくさん残っているのが見られます。谷町筋の少し東の現在の桃谷小学校の辺りから、天王寺区小橋町にあった味原池の周辺の丘陵地、さらに南は四天王寺の辺りまで一面の桃畑です。現在ではすべてコンクリートの下に消え去り、わずかに「桃谷」という地名にかつての田園風景のなごりをとどめるだけです。なお、大坂城の南に位置する「桃谷」を「城東桃萬樹」と歌ったのは、語呂がいいだけでなく、大坂の市街地から見て東という意味合いもあったのかもしれません。