『浪華十二勝』 は江戸後期の大坂の儒者、篠崎小竹が大坂の勝景を詠じた12の詩群です。詩といっても、当時の儒者の書いた詩ですからもちろん漢詩です。『浪華十二勝』は1行5文字の4行詩、つまり五言絶句で構成されています。このページでは、12の詩の現代語訳気ままな鑑賞を試みています。


ところでこの漢詩というジャンル、中国文化の絶大な影響を受けていた江戸期には、俳諧や川柳はもちろん、和歌などよりも一段格上の“本格文学”と見なされていたらしいのですが、わが文明が西洋志向に転じた明治以降は急速に凋落し、現在では日本文学史からも継子扱いにされている存在です。最近は加藤周一の『日本文学史序説』や中村真一郎の『頼山陽とその時代』、また岩波の『江戸詩人選集』の刊行などによって、再評価の動きもあるとはいえ、まだまだ正当な地位を回復しているとはいえないでしょう。なにしろ、本来中国語の詩なのですから、文字面は漢字ばかり。しかも見たこともない字も少なくなく、江戸の知識階級が幼い頃から四書五経の訓読を通じて身につけていた重厚な漢学の教養から遠く隔たってしまった我々にとっては、ほとんどロゼッタストーンの世界です。つまり、我々現代日本人の(もちろんそこには日本文学研究者も含まれます)、漢学に対する無能力が江戸漢詩への評価を阻んでいるのです。当の漢詩からすれば、なんとも理不尽 な状態ということになるのではないでしょうか。

かく言う私も、漢詩の理解と鑑賞についてごくわずかな能力しか持っていないことを白状しなければなりません。出身は日本文学科ですが、卒論はお決まりの芥川。講師として教壇に立っていた、眼光炯々たる黒川洋一教授の中国文学史には強い印象を受けましたが、漢文学関係の授業といえばこれ一つでした。だから、漢詩を読むのも、江戸の木版本(その写し)に親切にも施された返り点と送り仮名を頼りに、漢和辞典を引き引きヨタヨタと進むばかり。とても完璧な理解に至っていると豪語できる自信はありません。

ならば、なぜこんなページを作るのか?自分の低能力を省みずに言わせてもらうと、やはり漢詩がおもしろいからなのです。まず第一に、謎解きがおもしろい。一見難しそうな漢字の連なりから、鮮やかなイメージや複雑な感情が浮かびあがってくる。そこにはちょっとした暗号解読の楽しみがあります。また、江戸の詩の代表格と見なされている俳諧の、スナップショット的世界に物足りなさを感じてきた人にとっては、漢詩はもう少し息の長い文学的感興を可能にしてくれる詩形だといえます。どちらがより優れているということではなく、いい漢詩には俳諧とはまた別の楽しみがあるのです。しかし、そうした一般的な漢詩の楽しみ以上に、この『浪華十二勝』なるシリーズを魅力的にしているのは、なんといっても大坂を題材としているということ。私にとって大坂(大阪)はごく親しい都市であり、その江戸期の姿を、その美しさ・楽しさ・心地よさを、いきいきと描いている12の詩は、古き良き浪速への懐旧の情をかき立ててくれる格好の触媒なのです。

つまり、『浪華十二勝』を肴に江戸の大坂を懐かしむ。はなはだ後ろ向きのスタンスですが、それがこのページの眼目といえるかもしれません。間違っても江戸漢詩の研究講座などではないのです。だからこのページには、懐古主義の常として、現代の大阪に対する愚痴が混じったりしますし、懐旧を容易にする助けとして、当時の絵図なども織りまぜています。もし同好の士がいて、このページを少しでも楽しんでもらえれば、制作者の喜びこれに過ぐるはありません。まあ、人を楽しませるにはHTMLの技がお粗末で、ストレスを与えるばかりかもしれませんが…。

念のためにこのページの使用方法を申し上げておくと、タイトルの右に12個並んだ詩の題名をクリックすると、詩と現代語訳が表れます。そして現代語訳の下にある「贅言」をクリックすると、各詩をめぐる私的な鑑賞のページが表示されます。「贅言」のページからはさらに詩に関連する江戸期の絵図を表示することができます。引用した江戸の絵図は、できるだけ細部がわかるよう大きめのサイズとしましたが、その分表示に時間がかかるかもしれません。

このページの文責はすべて私にあります。ご意見、ご感想がありましたら、ぜひメールを。特に、漢詩の現代語訳や解釈の誤りはきびしくご指摘いただければ幸いです。