21世紀最初の鉄斎美術館の展示は、新春にふさわしく吉祥に関連する絵を集めたもの。大阪に出かけた帰りに、いつも以上に賑わう境内を大慌てで抜けて、入館時間ぎりぎりに飛び込んだ初日の展示室には、「扶桑神境図」や「朱梅図」などのおなじみの最晩年の大傑作や色彩の美しい扇面画も揃い、いつもながらに幸せな時間を過ごすことができた。今年は何度この部屋を訪れることになるだろうか。 「古石長椿図」は、そうした大名作たちとは違った意味合いで面白かった絵。といっても、77歳の鐵齋はすでに巨匠と呼ぶべき存在で、殊に絹本画については完成の域に達していたから(80歳代後半から晩年の大飛躍は主に紙本画の上で起きる)、この絵も十分に見応えがある。特に岩や峰の薄い茶から代赭、群青へと移る色彩が心地よかったが、それ以上に気になって仕方がなかったのが、何本も描かれた椿の姿。どうも鐵齋は木を描くのがうまい画家とはいえないようで、松や杉、柳などはまだしも(梅や竹にはみごとなものも多い)、広葉樹の類はたいてい稚拙で不細工な印象を与える。大雅・蕪村をはじめ、江戸の南画家たちには樹木を描く名人が多く、鐵齋も十分にその技法を知っていたはずだが、習作期を過ぎるとそれを念頭に置いた様子はない。おおむね鐵齋の広葉樹は、葉の輪郭線をしっかり引いて、その中をべったり緑や茶色で塗ることが多い。葉の一枚一枚が大きいから、まるでたわわに実った果実のように見えることもあるし、無骨に描かれた幹とともに、一本一本がそれぞれ存在を主張していて、目障りに感じることもままある。この絵では椿が主役のひとつだから、木がめだつことに文句はないが、山斎をはさんで手前の木々は椿というよりも泰山木みたいだし、向こう側のは、ほとんど石炭紀の鱗木の林を思わせる。魁偉な岩峰や滝といった道具立ても揃って、これは鐵齋のジュラシックパークなどと、新年からあらぬことを考えた。 しかし、鐵齋はなぜあのように広葉樹を描いたのか、描くことで絵全体にどんな効果を与えようとしたのか。それをじっくり見極めてみたいと思う。 |