[天保九如章図]
紙本・墨画
〈単色画像〉

 またまたあらぬ想像に誘われてしまった絵。大判掛軸の大画面に岩峰がそびえ、そこから流れ出た水が、松の生うる磐石の間を流れ下る。絵画的には黒々とした墨の力感が特色の絵だが、視線はともすれば中央の岩峰に引き寄せられる。その太々とした根の張り具合や段のついた頂部を見ているうちに、これがどうも陽物に見えて仕方がなくなってきた。形的には少し変だが(そういえば、ポンペイで発掘されたフレスコ画の、豊穣の神プリアプスの立派なそれも確かこんな風だった)、下部の渓谷のような荒々しいタッチではなく、たっぷりした墨の滲みで重量感(生命感?)豊かに描かれているのを見ていると、思いつきは確信へと深まっていくのを如何ともし難い。
 賛には「如南山之寿」とあり、これは「詩経」の小雅・天保章にある9つの「如く」を使った祝いの句に、「南山の寿の如く、騫(か)けず崩れず」とあるのから採ったものという。なるほど画中には日と月があり、川や松があり、天保章にある画題が揃っていて、突兀とそびえるこの峰は南山なのだろう。「永遠に崩れないといわれる南山のように、人も長寿であれかし」というのが、この絵から受け取るべきメッセージなのだろうが、鐵齋はそこに多産豊穣をねがう陽物信仰のニュアンスを加味しなかっただろうか。全国を旅した鐵齋は、各地の神社などに残る陰陽物信仰をきっと目にしていたはずで、その土臭いエネルギーをそっと絵に導き入れることを試みたりはしなかっただろうか。
 もちろんこれは絵の印象から思いがけずも広がってしまった想像にすぎないけれど、いくつかの例証が重なれば、証明できなくもないかもしれないと思う。幸い今回の展示には、晩年に同じ画題を描いた「如南山之寿図」があり、これを見ると南山はまさしくその姿。そのうえ、よく見ると画中には、陽に対応する陰のイメージも仄見えなくもない…。
 鉄斎美術館、2001年春富岡鉄斎展、第2回展示で。