この絵を見たのは、1997年の鉄斎美術館の名品展でだ。「富岡鉄斎名幅百撰」と題して、3回に分けて鐵齋の名品中の名品100点が展示されたのだが、結局ずぼらをして最初の展示しか見ることができなかった。清荒神がもう少し近ければと思う(近畿以外にいる鐵齋ファンには贅沢だと叱られそうだが…)。その時見た、最晩年の絵を含めた何点かの傑作の中で、特に心に残ったのが、この絵と次の蓬丘仙境図だったのは、この2つの絵にきわだった特色があるからだと思う。もちろん鐵齋の絵に没個性的なものなどあるはずもないが(中年期の若書きを除いて)、同じ日に見た最晩年の「扶桑神境図」などは、一種総合的な作品という感じで、鐵齋が身につけてきた技法やら、ひいては和漢の絵画の歴史やらが一つに収斂した、絵画史上の大傑作という趣きがある。あまりに立派で間然するところがなくて、「これ、エエなあ」などと気軽に言えそうにないのだ。その点で、80歳代半ば過ぎぐらいの絵には、もちろんそれぞれが一騎当千の名作であることは言うまでもないが、もう少し気楽に向かうことができる気がする。一つひとつに違った技法が使われていたり、変わった題材や構図が選ばれていたりして、鐵齋が自分の融通無下な神技をあれやこれや楽しみながら描いたという雰囲気がいいのだ。 この絵で鐵齋は墨の芸を存分に披露してくれる。鶴の遊ぶ小島を前景に、ふんわり宙に浮かんだような蓬莱島。その蓬莱のえも言われない夢幻な感じのする表現が、この絵の眼目だろう。もちろん、その独特な表現については画集を見て知っていたのだが、実物を見ると、トーンは予想以上に淡く、墨のにじみなどにも青みがかった透明感があって、なんとも人をとろかすような、それでいて厭味のない絵だと思った。特に、蓬莱島の下半分の色の混ざり具合などは、幾ら見ていても飽きない。墨の棒で直接描いたらしいかすれた強い線の下に、柔らかなにじみを纏った墨色と淡い代赭と緑青が、濁りを感じさせることなく混ざり合って、夢のように美しい。その下に広がる大きな白場の海は、鐵齋には珍しい省略法だが、ほとんど表現主義的にまで高まった墨と色の世界を殺さないためには、こんな大胆なフェードアウトも必要だったのだろう。 |