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鉄斎美術館で開催中の「鉄斎秋季展」の初回展示で見た絵。北宋の詩人欧陽修の有名な賦「秋声賦」を基に描かれたもので、賛には「秋声賦」の全文を掲げる。この賛、よく見ると、残り数行まで書き込んできて、このままではスペースが足りないぞと気づいて、仕方なく文字を小さくしているところなど、表面的な整いにこだわらない鐵齋らしさが感じられて面白かった。と同時に、「秋声賦」はよく知られた名文章であり、タイトルを示すだけで絵の拠るところは明らかにできたはずで、なぜ広くもない画面に敢えて全文を書き込んだのだろうという疑問も浮かんだ。 そこで(会場でではなく、帰って複製画を見ていて)思いついたのが、もしかしたらこの絵においては、文が主で、画が従ではなかったろうかということ。つまりこの絵は、大文章を飾るいわば挿絵として描かれたのではなかっただろうか。挿絵という表現が軽過ぎるなら、文章に対して鐵齋が絵筆で奏でた伴奏といってもいいかもしれない。この絵の、要所は押さえながらも、全体に少しタッチを大雑把にし、完成度を緩めて、左上の大きなスペースに納まるべき文字にちょっと座を譲った、というような描かれ方を見て、そんな見方もできるのではないかと思った。 鐵齋は折に触れ、自分を画人ではなく儒者だと言い、自分の画を見るなら、まず賛を読んでほしいと言っていたそうだ。その絵の成り立ちには、他の文人画家以上に、文への愛着が大きく関与していた。鐵齋の創造における文と画の関係は、今後よく考えるべきテーマだろう。 |