鐵齋の扇面画は楽しい。余技とまでは言わないが、肩の力を抜いて自在に描いている所に、独特の魅力が生まれている。人物画や木石図はしばらく置くとして、とりわけ、この「静坐息機図」を始めとする扇面山水には、軸物とはまた違う表現のスタイルを獲得しているものが多い。何が軸物とは違うのだろう。
ひとつにはタッチが違う。鐵齋の軸物山水には、特に後期になるほど、独創的な筆触が使われ、しかも絵ごとに主調となるタッチがガラリと変わって、墨・彩色の使い分けとともに、一作一作尽きない楽しみを与えてくれるのだが、扇面画ではそうした筆触への尖鋭な意識はほとんど感じられない。扇面は小画面だし、すでに折りの入った紙に描く場合が多いので、自在なタッチを施す余地がないのは当然だろう。あたりまえの筆で普通に描かれた絵。従って工夫の力点は、色彩ということになる。それが第二の違い。
矢代幸雄もいうように、鐵齋は多種類の色彩を使ったわけではなく、限られた色でみごとに色彩的効果を上げた画家だが、扇面画では軸物に比して色彩の幅は広がっている。この絵についていえば、左の岩や橋の周辺に最後に散らされたらしい緑青はおなじみの色だが、その余は、特に梅の周り辺りに、軸物では見られないような微妙な彩色が施されていて、それが白く散らされた梅の花を浮き立たせて絶妙な味わいだ。鐵齋の梅景図といえば最晩年の傑作「梅花書屋図」辺りがまず思い浮かぶのだが、それに劣らない色彩の妙がこの小さな扇面には展開されている。そして、その色使い・筆使いを、息のかかりそうな距離から(もちろんガラス越しにだが)、嘗めるように見つめることができる――、これもまた、鐵齋のいい扇面を、鉄斎美術館の中央に二列並んだ小品用のガラスケースに見つけた時の、特別な喜びといえるだろう。
(2005.1.21)