5月14日まで開かれていた鉄斎美術館の名作展を見てきた。今回は「開館二十五周年・新収蔵庫完成記念」ということで、入り口でカラー図版まで載った70ページの立派な図録を渡されたのには驚いた。わずか300円の入館料でこんなものを配っていて大丈夫なのだろうかと少し心配になったが、そもそもこの美術館、入館料収入自体をすべて宝塚市に寄付しているのだという。母体である清荒神清澄寺の休日・平日を問わない賑わいを見れば、なるほどと思わないでもないが、やはりこれはよほどの使命感がなければできない事業だろう。鐵齋作品のかなりものが、このような厚い志の下にあって、積極的に公開されていることは、ほんとうに幸運なことだと思う。 さて、名作展だが、質・量ともに充実した内容で、堪能することができた。今年の春は、このほか、ほとんどが画集などに未出の作品で構成された出光美術館の展覧会もあって([作品一覧]に同館で見た作品を追加したが、素材・形状までメモるのを忘れていて、ほとんどが作品名のみ)、関西の鐵齋ファンにとっては応えられないシーズンとなった。展示は、鉄斎美術館から各地の美術館へ寄贈され“里帰り”した作品を中心に、大成期のものが多く、それだけに見応え十分で、さして広くない館内を行ったり来たりしているうちに、たちまち一時間以上が過ぎた。そのなかで、この「青龍起雲図」には特にひかれたのだが、その前に一つ気になる絵があった。 それは最晩年の89歳に描かれたという「蓬莱山図」。率直に言ってこの絵、おもしろくないのである。贋作とまで言い切る勇気はないが、らしくない点が幾つも目について、首をひねらないわけにはいかなかった。ここでそれを詳しく言い立てるつもりはないが、全体から感じる面倒げな気分は、鐵齋の絵ではついぞ見たことのないものだ。贋作というよりも、病に伏す直前の衰弱をここに感じるべきか。画聖も人の子だったということだろうか。 一方「青龍起雲図」、ここには颯爽たる鐵齋が居る。手の込んだ絵ではない。中央に青い龍が蟠り、その上下に黒雲がすさまじく渦巻いている。龍は目だけがキョロリとしてあまり龍らしくない描かれ方だが、その抑えた青は墨色とよく調和している。この絵で目覚ましいのは、雲の表現だ。たっぷり置いて滲ませたり、薄くさっと掃いたり、墨の棒そのもので鋭く引いたり、墨の芸を駆使した雲の表現は、いきいきとして躍動感があり、88歳にしてなお(いや、ますますと言うべきか)瑞々しい鐵齋の勢いを感じさせる。特に下の方の黒雲の渦巻きに見られる墨のタッチの快速感などを見ていると、快刀乱麻という言葉が浮かんできて仕方がなかった。 |