[武陵桃源図]
紙本・着色

 2005年の鉄斎美術館の春季展は、開館三十周年記念の特別展ということで、珍しく他館から借りてきたものも幾つか展示されていた。なかでもこの絵は、ふだんは皇居の「三の丸尚蔵館」に収蔵されているもので、宮内庁の厚い壁というわけでもないだろうが、京都市美術館で見た生誕百五十周年の記念展以来、実に20年ぶりのおめもじだった。といっても、芋の子を洗うが如き大盛況だったあの大展覧会で、この絵を見た印象はまったく残っていないので、まあ今回が初見参。思いがけない出会いに少し胸が躍った。
 この絵は、対になった「瀛州神境図」とともに、昭和天皇の成婚の際に皇后の出た久邇宮家に献上されたものだという。筋金入りの尊皇家だった鐵齋は、当然力を奮って描いている。大判の紙本画だが、両軸ともことのほか丁寧な筆遣いで描かれていて、一見、筆触の伸びにくい絹本画に近い印象を与える。特に「瀛州神境図」の方は、生誕百五十年展の図録解説も指摘するように70歳代後半に描かれた絹本仙境図を思い出させる。鐵齋にとってはいわば手の内に入った画境で、力作ではあるがこの時期の作としてはあまり面白くはない。
 一方、「武陵桃源図」の方は少し違った印象だ。以前に紹介した京都国立博物館の屏風の、神韻縹渺たる「蓬莱仙境図」の右隻と、ノスタルジックな「武陵桃源図」の左隻の対比のように、ここでもこの人臭い隠れ里の絵の方が親しみやすい。といってもここには、あの屏風のように桃花源の風景が事細かに楽しげに再現されているというわけではない。よく見ると楊柳の茂る水辺の村には、舟を漕ぐ漁民の姿や牛を操る農民の姿もあるが、ごく簡単な描かれ方だ。この絵の魅力の中心は色彩にある。幽谷を抜けた向こう、峰の麓に広がる桃花源の村里を彩る色彩の美しさはどうだろう。野や田畑や堤や楊柳に施された緑や青緑、薄茶、黄土色が透明に移り行き、混じり合い、そこに桃の花が誘惑するようなピンクを滲ませる。水流に点綴する水草のアクセントの効果も見事だ。ここに見られる色の感覚は、とてもモダンで我々にも近しいものだ。あまりに近すぎて通俗的な感じさえするほどだが、鐵齋が描くまで南画にはこんな夢見るような色彩は存在しなかった。鐵齋はいつ、どのように、こんな蠱惑的な色彩感覚を手に入れたのだろうか。西洋絵画から、あるいは明治の新絵画から、そんな可能性も頭に浮かぶが、それを証明する材料は持たない。
(2005.5.17)