[武陵桃源図(屏風)]
絹本・着色
〈部分〉

 北アルプスへの途次、富山に寄って、富山県水墨美術館で開催中の「富岡鉄斎展」を見た。まず驚いたのは、この美術館の立派さ。神通川に近い広大な敷地には、十分な駐車スペースと広々とした芝生と池の庭があり、折からの猛暑のなかでも、心地よい開放感を味わいながら建物に向かった。館内もロビーや廊下がたっぷりと広く、おそろしく分厚い一枚物の名木のベンチがそこここに置かれ、庭が見渡せる喫茶室やインターネットパソコンが置かれた資料室などもあり、絵を離れてもゆっくり時間を過ごせそうな構成だった。展示室以外は利用無料のフリースペースというのも振るっている。こんな美術館が近くにあったら、しょっちゅう入り浸ってしまうだろうなと、富山の人が羨ましくなった。
 開館は1998年春と出来たばかり。富山県出身の現代水墨画家下保昭の作品を中心に、「富岡鉄斎、竹内栖鳳、横山大観、菱田春草、小林古径、入江波光、堂本印象、横山操、加山又造など、約30人の作家の作品を収蔵」しているということで、鐵齋については今回見たなかでは、3点がこの館の蔵品だった(うち1つはかなり疑わしい四曲屏風)。いまさら鐵齋の本格的な収集というのも難しいだろうから、より近い世代の日本画家を中心に今後コレクションを充実させていくのだろう。
 今回展示されていた51点は2点の館蔵品(加えて、常設展示室に新蔵品として1点あり)を除いて、鉄斎美術館・布施美術館のほか、各地の国公立美術館からのもので、親しみやすさを考慮したためか、軽妙な人物画が比較的多いように感じた。その意味で軽くなりがちな全体の印象に、強いアクセントを与えていたのが、何点かの力の入った屏風絵。ふだんは軸物に注意が集中し、ざっと見ながら通りすぎてしまうことの多いその大画面から、今回は(照明の当て方が良く、それぞれが隅々までクッキリと眺められたこともあって)、新鮮な楽しみを受け取ることができた。
 とりわけ面白かったのは、京都国立博物館蔵の「武陵桃源図」。六曲一双の「蓬莱仙境図」と対になった絵で、右隻が蓬莱島を描いて神韻縹渺とした気を漂わせるのに対して、左隻のこの絵には伝説の隠れ里が懐かしく描かれていて、心に残った。
 絵は大きく二つの部分からなっていて、右半分の三曲は桃源に至る深山幽谷のダイナミックな表現で占められている。漁人が迷い込んだという、桃の花咲く谷が夢のように美しい。そして、杣道に導かれて左側の三曲に目を移すと、景色は豁然と開け、桃花源の村里が広がる。そこに描かれているのは、蓬莱図のような神仙の領域でも、右側の桃の谷のような夢幻の境でもなく、ごく人間臭い風景だ。田には牛を操る農民の姿があり、湖には網を手繰り、舟を漕ぐ漁民の姿がある。それだけでなく、この村には文人墨客もいて、幽居には書を読む姿があり、池亭には風流の宴を張る人々が集う。また遠くには桃花に囲まれたゆかしい茶屋や鬱蒼たる木立のなかの寺院らしきものも見えて、生業あり、遊びあり、文事あり、祭礼あり、経済生活から精神生活まで、ここに備わらざるものはない。みごとに自己完結し、調和を保った世界が、桃の花や楊柳の彩りとともに、憧れに満ちて美しく、しかも周到に描かれていて、いつまでも見飽きなかった。
 この絵が描かれた1904年・明治37年は日露戦争開戦の年だ。そのような時代にも、鐵齋は本気で桃源を構想することができる人だった。その揺るぎない蓄積を思うべし。