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●本文は各名所に関する竹枝詞および解説の漢文から成るが、竹枝詞は原文と読み下し文を列記し、漢文は読み下し文のみとした。また読み下しは底本の訓点と送り仮名に従ったが、送り仮名は現在のものに改めた。
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大阪繁昌詩
金峰先生著 紀律堂藏板

 大阪繁昌詩三巻。首に畫圖を載するは、是金峰先生の遺囑なり。此の篇、十六七の兩歳に成る。然れども謙遜して敢へて人に示さず。終に臨みて/これ/を筺より出す。母夫人、泣きて遺囑を頷す。此題して大阪繁昌詩と曰ふと雖ども、詩話や、隨筆や、異名編や、地理志や、具備せざること無し。/まま/世教に關する者あり。覧者、尋常の詩編を以て、之を視ること勿れ。然れども、業暇緒餘に出づ。又此を以て金峰先生を概論すべからず。今、上梓するに及びて、華城夫子、省をして覧者に告げしめて曰く。是亡兒の遺稿。童蒙の筆と雖ども、亦心血の注ぐ所。父者、之が爲る、一句を添へ、一字を減ずるに忍びず。/ただ/舊稿のままを梓して、以て天下諸名家の好雌黄を待つ。
門人 伯耆 原田省 謹識



大阪繁昌詩目次
巻之上
 富家銀主
 望岳酒/フジミサケ/ 附酒異名
 豐臣太閤 附武内宿禰
 萬歳樂
 司命索/シメナハ/
 七菜粥 附春駒
 十日蛭兒/トオカエビス/
 引繩/ツナヒキ/ 燉度/トンド/
 赤豆粥 附八幡信貴二廟祭
 茶臼山/チヤウスヤマ/
 一心寺
 安居天神
 清水寺 合法衢/ガツホウノツヂ/ 石像閻王
 浮瀬樓 附猩舞大盃
 庚申堂
 天王寺 附古樂論
 巫女街/ミコマチ/
 樂人街/ガクニンマチ/
 吉祥寺 附四十七士論
 隆専寺 附彼岸櫻
 寺街
 開帳
 生玉
 高津 附豆腐異名
 道頓溝
 桃谷
 産湯/ウブユ/
 玉造
 上午/ハツウマ/春遊 鴫野/シギノ/梅花
 網島大長寺
 片街魚市
 櫻祠
 鶴滿寺
 長柄
 天滿菅廟
 天滿菜市
 八軒屋
 懸鐘街
 古林見宜宅 附老狸記
 高麗橋賣縑戸/ゴフクヤ/
 虎屋饅頭肆 附饅頭異名
 伏見街蠻器肆
 道修街藥舗
 鳥屋街 附一奇事
 學校 附竹山履軒二翁評
 堂島米市
 靱街鮑魚/ウツボノホシカミセ/


巻之中
 西本願寺
 東本願寺
 坐摩
 順慶坊
 心齋橋書林
 賣石家 附石屏風
 四橋
 新町橋
 九軒
 長掘材木市
 沙塲 白麺/ウドン/異名
 鰹座 附白髪街觀音佛并松魚説
 阿彌陀池
 松岬/マツノハナ/ 附朝鮮人墓
 川口
 瑞見山
 天保山
 安治川
 玉江橋
 雜喉塲
 福嶋逆櫓松
 寒山寺
 金魚戸 附金魚異名
 吉介牡丹 附牡丹異名
 權現祭
 野田藤花
 浦江燕子花 附燕子花異名
 大仁村 附渡唐天神説
 祈晴僧/ヒヨリボウズ/
 梅雨 附蘇葉及梅實異名
 茄田 附茄子異名
 住吉舞
 撃皷童
 御靈祭
 稲荷祭
 天神祭 附菅丞相論
 西瓜店 附西瓜異名
 浪華橋納涼
 角觝塲
 心齋橋
 浴肆/フロヤ/ 附洗穢論


巻之下
 道頓港戯塲
 俳優
 尤海殢波
 法善寺
 日本橋
 辨天蓮池 附蓮花異名
 眞言坂
 高津新地百家巷/ヒヤクケンナガヤ/
 賣糕翁
 鬻蟲燈
 盂蘭盆
 中元謁墓
 堤望火字
 地藏祭 附地獄論
 瀬戸物街
 施餓鬼
 圓頓寺 附胡枝花異名
 大阪城更鎮/カハリバンシヨ/
 木津川釣鯊船/ハゼツリフネ/
 鐵眼寺 附綿異名
 阿福茶店/ヲフクチヤヤ/
 豹 附異名
 天下茶屋
 住吉
 阿部野 附楠新田二公論
 壽法寺
 奢必麼瞢破落飛/セヒモンハラヒ/
 牡蠣船/カキフネ/ 附蠣異名
 越後獅子
 山鳥舗/シヽミセ/
 顔觀/カホミセ/
 煨藷燈/ヤキイモノアンド/ 附蕎麥蜜柑薩芋等異名
 胡羅蔔/ニンジン/ 附異名
 嗟來粥/カイヤロウ/ 附救荒書目
 梅莊 附梅花異名
 藏菜/クキツケ/
 搗餅
 掃煤
 除夜
 節分
 禳厄/ヤクハラヒ/
 感懷
  通計一百三十首



田中右馬三郎傳

 予、乏しきを承けて留守職となり、浪華の公邸に居ること十數年。官務の暇、邸中の子弟に教えるに文武の二術を以てす。姪婿小川生、藩命を奉じて醫業を學ぶ。因って來たって邸舎に寓す。生、華城先生の學醫を以て京攝の間に鳴るを聞き、乃ち先生の門に入る。先生は田中氏、名は顯美、字は君業、通稱は内記。華城は其の號。予、生を价して先生と交はることを得たり。毎年、予上元を以て宴を開く。此の日始めて先生を迎ふ。先生、子君安を携へて來る。君安、白皙纖麗、美女子に似たり。蓋し父子聯璧、邸中見る者、兄弟の如しと云ふ。君安、擧止閑雅、深沈言笑寡く、予一見して凡兒に非ざるを知る。先生の予を招く冬至を以てす。年年互いに例と爲し、往來して文字の交を結ぶ。君安、今春以來勞疾に罹り、荏苒愈へず、遂に没す。實に文久二年壬戌六月二十八日なり。年を//けること僅かに十九。中寺街妙壽寺先塋の側に葬る。諱は樂美、君安は其の字、金峰と號す。通稱は右馬三郎。著す所大阪繁昌詩三巻。雜體詩三巻、文一巻、金字編四巻、金匱要略正義一巻、及び漫録三巻。/ゆくゆく/将に皆上梓せんとす。/ああ/、年少くして此の數部の遺著有るは、天下の希に覯る所なり。且つ平生の行事、大いに傳ふべき者有り。故に予因って之れが傳を立つ。
 曰く、君安の先は、本と丹波より出づ。姓は源、六田氏、蓋し八幡公の裔に係る。雙劍一槍、屹として州の豪族たり。六世の祖、莊次郎君なる者、故有って系譜古器を携へて京に入り、田中氏に寓す。遂に之を冒す。小森公の門に入りて、醫を業とす。又仁和王に/つか/へて、法橋の爵を受け、薙髪して嘉菴と稱す。南遊して川を下り、浪華に來たり、高麗橋第三街に居る。遂に浪華の人と爲る。吉川圓齋の妹を娶り、三男を擧ぐ。皆法橋に立ちて没す。一孫を存す。長ずるに及びて京に往き、神祇殿に謁し、神道を唱ふ。長門介と稱す。諱は顯輝、綺潮と號す。/いくばく/も無くして歸り、樋口亮菴の女を娶り、三男一女を擧ぐ。皆早く没す。次男諱は輝美、玉洲と號す。深江氏を娶りて、一女一男を生す。女は夙く逝く。男は乃ち華城先生なり。母夫人深江氏、最も賢少にして寡。貞烈辛苦して、終に先生をして、藤澤泊園に事へて儒術を学び、又備前難波抱節に從ひて醫業を受けしむ。先生、今日の盛なることあるは、實に深江氏の力なり。//きに先生の備に在るや、皇母樋口氏、猶在り。先生を待つこと、日夜尤も切なり。故に未だ二年ならずして歸り、杉本氏を娶る。母夫人、先生の遠遊して其の志を成すこと能はざるを以て、北辰星に祷り、弘化元年甲辰、君安を北久寶寺坊第三街に生ず。北辰を祷るは必ず午日を用ゆ。君安の生ずる、仲夏既望を以てす。仲夏は午月。既望/たまたま/午日に當たる。且つ其の出誕も亦午時。月日時全く符合す。人皆以て祷る所の驗と爲す。
 三四歳に及んで常兒の戯物を弄せず、/ひび/に衣冠を著け、天朝に趨くの嬉遊を爲す。人之を異とす。六歳の時、神武より仁孝に至るまで、歴世の帝王序次を紊さず、悉く之を暗記す。又名相英将の群名、皆之を諳じ、能く其の時世を分かつ。先生、其の虚弱を患へ、未だ句讀を授けざれども、君安几に憑り、巻を披き、字林玉篇を引き、漸く之を讀み、能く其の義を辨ず。人/ますます/之を異とす。
 八九歳の時、杉本氏君安を携へて他に/おもむ/く。偸兒二人後に在り。陪從の奴婢、未だ之を知らず。君安先ず之を覺り、顧みて叱して曰く。吾謹んで我が母を護す。汝速やかに去らざれば、則ち我が腰下の雙刀、将に光を放たんとす。偸兒驚き逃る。
 君安天性仁恕、哀憐の至情、尤も人心を動かす。家に轎奴有り。博飲を好む。人之を戒れば、却て罵ること甚だし。君安、奴の冬日衣無きを見て、懇ろに杉本氏に緼袍襦帯を乞ひ、乃ち之を與へて曰く、汝/ひび/に轎を舁きて大人を護す。勞せりと謂ふべし。若し衣無ければ、吾恐らくは汝の寒疾を患んことを。奴感泣して曰く。郎君、年纔かに十一。其の慈愛此の如し。今我改めざれば、必ず冥罰を受けん。是より終身博飲を絶す。
 先生火災に遭ひ、居を備後街に移す。一夜強盗數輩、樹を攀じ、壁を穿ち、樓上に聚り、將に燈を點じて樓を下らんとす。時既に四更、闔家熟睡。深江氏、忽ち樓上の火光人語を訝り、先生を呼びて曰く。内記。内記。先生、聲に應じて起く。乃ち先生に耳語す。先生、衣帯を整へ、兩劍を佩び、長槍を提げ、塾徒を聚め、将に樓に上らんとす。君安亦劍を帯び、徐ろに進み先生の裾を曳きて曰く。盗の欲する所の者は金錢是のみ。乞へば則ち之を與へん。//かざれば則ち盡く之を殪さん。大人願はくは盗の樓より降るを待て。盗、君安の言を聞き、膽を落とし垣を踰へ、皆走り去る。樓上の一物を掠めず。時に年十三。
 十四の時、既に父に代って、門徒を聚め左傳を講ず。杜注を疑ひて、奇説を發す。藤澤泊園、之を聞き五絶を賦して/おく/る。又宅を安土坊に遷すや、先生通策十五篇を著作し、薩摩侯の倉邸に來るを俟ち、邸中の留守職平田某に因って之を獻んとす。侯、國に在りて暑痢に罹り/には/かに薨す。其の志を遂げず。/さき/に通策の成る、/ひそ/かに君安に示す。君安、平日見る所、先生と議論合せず。然れども勉めて其の鋒を避け、歡情を失はず。此の日君安、進んで和戰海防の策を論じ、細かに其の六篇を議す。先生、君安の議に服し、/には/かに其の稿を改む。此の時年十五。先生、未だ教導を加へざれども、自ら勉勵して博く群書に渉る。且つ記性絶倫、一讀忘れず。
 乃ち筑前の松崎元眞なる者、歳/まさ/に三十。嚮きに荏都に往き、一齋艮齋の二公に事ふること既に十年。國に歸らんとす。浪華を過ぎ、先生に謁し、弟子の禮を執り、醫術を學ぶ。先生、謂ひて曰く。我、/このご/ろ冗務、暫く兒に就いて儒籍を談ぜよ。元眞大いに喜び因って君安に/まみ/ゆ。君安、沈黙恭座、卑謙首を俯す。元眞出でて罵りて曰く。美童子何ぞ字を知らん。是殆ど癡魯人のみ。塾生以て告ぐ。君安微笑す。他日元眞を我が齋中に招き、近作若干を示す。元眞一覧大いに/おどろ/く。詩文皆老手錬。因って漸く問へば、漸く答ふ。君安博覧強記、應答響の如し。談/たまたま/司馬文正公の傳家集に及べば、則ち君安、五規の文を暗誦す。陸象山の集要に及べば、則ち語録中の文を暗記す。元眞/いよいよ/駭く。又問うて曰く。本朝近世誰か大家と爲す。君安曰く。吾れ童齡、何をか知らん。然れども吾が見る所を以てするに、太田錦城氏の經に於ける、菅茶山氏の詩に於ける、頼山陽氏の史に於ける、齋藤拙堂氏の文に於ける、我竊かに推して四大家と爲す。/ひとびと/尸祝して可なり。又問うて曰く。西土近代何をか有用の書と//る。君安の曰く。康熈帝の字典、顧寧人の日知録、朱竹坨の經義考、趙雲崧の二十二史の箚記、唯是のみ。元眞退き塾長に謂ひて曰く。博覧強記且つ明識あり。然れども謙虚抑損、字を知らざる人の如し。是尤も大器。得易からざるの才なり。異日才名を天下に振はん者は、必ず此の子ならん。我、惜しむらくは醫業を継ぎて身を終へしむるを、と。
 蓋し君安、人に教ふるに丁寧反覆、温和の気、眉宇に溢る。故に人多く之に服す。先生は嚴律方正、人に教ふるに法あり。人皆之を畏る。故に塾中夏日冬日の評あり。一村醫の子、三浦生なる者、塾にあり。本と是無頼の徒。貧を訴へ金三圓/サンリヨウ/を借りんことを請ふ。君安大いに之を憫み、竊かに我が門生より受くる所の謝金を出して、之に三圓を借す。同塾生之を悟り、痛く虚を吐き金を借り酒を飲み遊を致すの状を責む。金を償はしめんと欲す。生詐りて曰く、我が借る所の者の金三方/サンブ/のみ。君安之を聞き微笑して塾生に謂ひて曰く、彼は長、我は少、嚮に巧みに我を誑かす。彼乞へば則ち我固より将に之を與えんとす。今圓を轉じて方と爲す。大丈夫の心膓に非ず。亦何ぞ穢濁なる。然れども金銀を以て争辨するは甚だ師弟の誼を失ふ。諸君請ふ、過を戒め舊に依り憐れんで/これ/を塾に居けよ。大人をして之を聞かしむること勿れ。塾生、其の臍を噬まざるを/にく/み、以て先生に告ぐ。先生曰く、我常に三浦生の人と爲りをにくむ。今果して仁恕の兒を欺く。且つ彼、兒の教育の恩に浴すること淺からず。是恩に報ずるに讎を以てする者。即ち人顔獸心。諸子此の氄毛四蹄と居を同じくすること勿れ。遂に弟子の籍を削る/ハモンスル/。人皆嘖嘖として君安の寛假豁大の胸襟を感稱す。
 君安十七の時、米價沸踊。一日愀然として先生に請ふて曰く。聞く、間者/コノコロ/米價一時に沸踊、窮して乞子と爲る者多し。些少と雖ども我が藏する所の束修を傾け、米を買ひて之を賑はさん。先生大いに感じ、即日嚢金を出し、君安の意の如くす。遠近聞く者、感動せざる者無し。
 先生、一日君安に謂ひて曰く。吾汝の志す所を聞かん。君安の曰く。我弱冠にして東し荏戸に遊び、二十七八にして歸り、門戸を京に張り、我が志を成さんと欲す。先生莞爾として曰く。嘗て汝の三四歳の嬉遊を想ふて、汝の期する所、吾之を知れども、汝は家に在って箕裘を継ぐ者。君安の曰く。若し家に在れば、我将に官府に訴へ、醫學寮を建て、施藥堂を營み、以て群生を教授し、且つ貧民を憐療せんとす。是宿志なり。先生識量の凡ならざるを喜ぶ。
 君安多病、死なんと欲する者/しばしば/。平生百方之を保攝す。今年/また/病牀に臥す。病中猶先生に代わって素問及び論語、八大家讀本を講ず。而して冉冉衰憊、遂に大漸に及ぶ。紙筆を求めて自ら永訣の作二首を書す。今之を録すに曰く。
  十九年來草廬に臥す
  病中何の暇か佳譽を發せん
  今朝父に別れ泉に歸る後
  膝下誰かよく著書を校せん
 其の二に曰く。
  大母慈萱涙痕を拭ひ
  枕頭我を撫でて遺言に泣く
  宿心未だ遂げざるに身先ず没す
  //を含み乳を索むるの恩を/いかん/ともすること無し
 書し了わって曰く。吾将に泉に歸らんとす。願はくば大人吾が志を成せよ。乃ち瞑す。盛夏の節、猶衾中に在ること三日。其の面、微笑生くるが如し。蓋し先生の著述、其の校正潤飾、半ばは君安の手に成る。是の故に膝下誰能校著書の結句有り。文を評するは則ち勁秀瑰偉、余以て先生の筆力に減ぜずと爲す。君安の逝きしより、門下の弟子多く散す。嗚呼、君安の逝くは/ただ/田中氏の不幸のみならず。人人君安の遺著を讀めば、則ち必ず我が傳ふる所の決して濫賞虚褒に非ざるを知らん。
 贊に曰く。浪華は豐臣氏の墟なり。元和の役に長門守重成なる者有り。其の才器容貌を論ずれば、君安守重と善く相類す。文武異なると雖ども少年の芳名を千秋に流すに至っては則ち一なり。我謂へらく、君安五過絶有り。孝順婉怡、人に過絶す。仁恕哀憐、人に過絶す。博覧強記、人に過絶す。沈黙遜退、人に過絶す。容顔麗美、人に過絶す。其の沈黙遜退に至っては、是尤も難き所なり。此の如きの子にして、齡長からざる。/ああ/、天道は是か非か、信に然り。我又之を聞く。志摩の伊藤雲龍なる者、歴史を好み、善く人を鑒す。君安を哭して曰く。此の人や、其の姓源家の出と雖ども、其の才望器量の/ごと/きは、則ち平内府の流亞なり。乃ち痛く惜しんで小重盛と稱すと云ふ。
                        吉田藩 兵頭清生 撰



大阪繁昌詩巻之上
       田中右馬三郎源樂美君安 著

繁昌引
 余や今年十六。繁昌の土に生じ、繁昌の景を觀、/すなは/ち繁昌の詩を賦す。一詩に一記を添へ、頗る積みて巻を成し、遂に臘末に賈浪仙の家法を学ぶに至る。句必ずしも縟麗を帯びず。必ずしも新奇を吐かず。結搆必ずしも空に架し虚に馭せず/ウソヲイハヌ/。格調必ずしも晩唐と宋風とを辨ぜず。實事實景、之を眞詩と謂ふ。徐而菴の詩論に曰く。先ず法//り入り、法從り出づ。能く無法を以て有法と爲すと。果して是眞詩を得るの道。嗚呼、余無法を以て繁昌の詩を賦す。太平の恩に報いるに足らずと雖ども、聊か亦太平の祥を鳴らすに足る。然れども眞に口頭の囈語/ネゴト/、一覧の客、宜しく開口捧腹の具と爲すべし。


○富家銀主

豊公巨膽壓支那   豊公の巨膽 支那を壓す
貔虎投鞭鴨緑波   貔虎 鞭を投ず 鴨緑の波
長有餘威歸富戸   長へに餘威の富戸に歸する有りて
諸侯齎幣借金多   諸侯 幣を齎して金を借りるもの多し

 五大洲中、人品都雅、萬物富饒なる者は、日本を以て第一と爲す。(歐陽永叔の日本刀の歌に云はく。土壌沃饒、風俗好し。)而して黄金山の如く、白銀海の如くなる者は、我が大阪を以て無雙と爲す。(穀堂遺稿に浪華の殷富、寰區に甲たり。素封の君、數を知らず。)諸侯の王事に勤め、幕府に聘し、國用足らざる者は皆使いを遣はし幣を厚くし大阪に來たり以て之を借る。(邦俗、金を借す家を呼んで銀主と稱す。)樂美、始皇紀を考ふるに、豪富を咸陽に徒すこと、實に故有り。今日金銀諸侯に供するは、則ち固より天下有用の財と稱するに足る。且つ吾之を聞くことあり。豊臣氏の天下を治むる、金銀/あげ/て用ゆべからず。是を以て大阪城に金井有り。(黄金數百枚を泉底に埋む。都人黄金水と呼ぶ。)銀井有り。(亦白銀數百兩を泉底に埋む。白銀水と呼ぶ。)元和元年。兩將軍城内の燼餘を收め、猶金二萬八千枚、銀二十四萬兩有るを見る。(事、日本外史に見ゆ。)海外同穴の狐狸、吾が金銀に首を//げ、尾を揺らすこと久し。(草茅危言、外舶互市の條、金銀の論、決して用ゆべからず。)願はくは彼の狐狸をして山の如きの黄金、海の如きの白銀を//い盡さしむること莫れ。


○望岳酒

木罌幾萬浪華津   木罌幾萬か 浪華の津
縲縲如岡堆水濱   縲縲 岡の如く水濱に堆し
此是伊丹第一酒   此は是 伊丹第一の酒
将輸八百八街人   将に八百八街の人に/ハコバ/んとす

 粟米の甘美なる者は、日本五大洲に冠たり。其の粟米を以て酒を釀し、芳烈にして且つ旨き者は城北伊丹の製する所、六十餘州に甲たり。(樂美按ずるに西土の美酒、獨り姑蘇州を推す。明一統志を閲るに、實に是古の蘭陵郡、本邦の専ら伊丹の釀製を貴ぶが/ごと/し。)儀狄之を製し、夏禹之を味はふは、/そもそも/邈たり。得て/かんが/ふべからず。近く賈思勰の齊民要術、竇苹の酒譜等の書を考ふるに、製法大いに異なり。宜なり其の芳烈にして且つ旨きこと、木罌/サカタル/に盛り、藁苞/コモマキ//つつ/み、江戸に輸し、/たまたま/鬻ぐに及ばずして還る者有り。都人、望岳酒/フジミサケ/と稱す。其の味更に美、其の價/ますます/貴し。
 樂美、群書に渉り、酒の異名を見ること左の如し。

黄矯 紅友 歡伯 醇儒 掃愁箒 釣詩鉤 百藥長 十旬郎 玄水 瑞露 麹君 蘭生 楚瀝 呉醴 杜康 陸諝 頓遜樹 般若湯 春潮紅 秋露白 富水 狂藥 海老 桑郎 平原督郵 青州從事 上天美禄 洞庭春色

 兩兩相對し、其の義を比す。(異名至って多し。餘は余が輯むる所の金字編に出づ。)
 家父、酒を咏ずる七律の前聯に云ふ。
  祛愁の使者 吾が命に奔り
  破悶將軍 汝の威を振るう
(樂美の曰く。祛愁使者、破悶將軍も亦異名。倶に事物異名に見ゆ。)王勣、杜康を祭る文有り。(陳繼儒の古品外録に見ゆ。)


○豐臣太閤

太閤宿禰兵有神   太閤宿禰 兵に神有り
堅艦發個浪華津   堅艦 この浪華津を發す
若教太閤年三百   若し太閤をして年三百ならしめば
亞魯佛英皆吾臣   亞魯佛英 皆吾が臣

 武内宿禰、神功皇后に從って三韓を討す。豊臣太閤、朝鮮を抜き、朱明を伐つ。此の二將は大いに皇威を海外に耀かす。實に天下萬世の大忠臣たり。宿禰薨ずる時、年三百。(水府公の大日本史宿禰の傳に曰く。景行、成務、仲哀、應神、仁徳の五朝に歴仕し、官に在ること二百四十四年。年壽は傳の註の諸説に見ゆ。)太閤は乃ち六十三。頼山陽の日本外史に之を論じて曰く。太閤をして女直靺鞨の間に生ぜしめ、而して之に假すに年を以てせば、則ち必ず朱明の國を滅ぼす者は、覺囉氏/ダツタン/を待たざるを知らん。樂美竊かに謂はく。太閤の大業を遂げざること、實に惜しむべし。嚮きに沈生の三寸の舌に欺かれず、疾く之を伐たば、太閤必ず彼の八百餘州を掌底に握り、甘心して以て瞑す/メフサグ/。故に吾甚だ太閤の擧ぐる所を惜しんで曰く。是不幸短命にして死すと。外史又論じて曰く。蓋し其の人と爲り、/ハナハダ/秦皇漢武帝に肖たり。而も雄才大畧は遠く其の右に出づ。嗚呼、其の右に出るは、則ち固より然り。然れども太閤豈に秦皇漢武の匹敵ならんや。吾、明史を閲するに、朱室の中葉、醜虜に澳門に居るを許す。韃清、之に代れども猶其の制を革めず。又清の會典を閲するに、帝嘆じて群臣に謂ひて曰く。千百世の後、中國の患を遺す者は、必ず西洋ならん。其の言果して驗あり。帝、其の禍を洞察すれども、之を防ぐの長策を貽さず。天下を馭するに於いて、亦左せり。若し太閤をして明に代らしめば、則ち必ず唾し且つ之を逐はん。ただ唾し且つ逐ふのみならず、/タトヒ/髀肉未だ生ぜざれども、又将に北のかた鄂羅斯/ヲロシヤ/を伐たんとす。一鼓して抜けば、則ち必ず涎を都爾格/トルコ/に垂れん。朝に墨利伽/アメリカ/を取り、夕に斯把泥/イスハシヤ/を定め、今日佛朗西/フランス/を滅し、明日咭唎/イキリス/を平らぐ。神策を運らし、秘謀を施し、蠶食牛呑、至らざる所無し。而して萬國皆太閤に臣伏す。太閤、萬國をして悉く日本の正朔を奉じ、且つ遍く頂髪を剃り/ハンハツニナル/、且つ廣く以呂波の文字を用ひしめ、而る後に萬國を率いて萬萬歳一統の天子に朝す。(宋の太宗、本邦の年表を見て、歎息して群臣に謂ひて曰く。世祖遐久、其の臣も亦繼襲して絶へず。此蓋し古の道なり。事宋史に見ゆ。山崎闇齋の文會筆録に曰く。我が皇統の窮まり無きが若きは、天の覆ふ所、地の載する所、載籍の傳わる所、寄譯の通ずる所。蓋し未だ曽て有らず。)是實に太閤の宿心本懷、然れども太閤の大膽略有るも、宿禰の高年齡無ければ、則ち此の莫大の珍業を遂げること能はず。故に六十三翁を惜しんで、不幸短命にして死すと爲す。(大窪詩佛の七絶に云はく。
  重ね來て土を巻く勢堂堂
  惜しむ可し中途命の長からざることを
  韓卒明兵 皆辟易
  松葉の如く膽を落とし舜臣は亡ぶ
 樂美の曰く。廿八字、太閤の小傳、詩聖堂集に見ゆ。太閤の論、新井白石の讀史餘論に出づ。)


○萬歳樂

烏帽藍袍唱萬歳  烏帽藍袍 萬歳と唱ふ
陽門鼓舞祝安寧  陽門の鼓舞 安寧を祝す
扶桑天子今如昔  扶桑の天子 今 昔の如し
休比大韶奏舜庭  大韶の舜庭に奏するに比することを//めよ

 萬歳樂は大和州より出づ。毎春元日、來たって紫宸宮外に伏す。紅暾已に升り太陽門/ヒノゴモン/を開くに及んで、乃ち鞠躬して以て入り、萬歳樂を御庭に奏すと云ふ。而して水を下り、大阪に來たり、十萬の人家、皆鼓舞して壽にして寧を祝す。樂を催す者、皆頭に烏帽を蒙り、身に畫鶴の藍袍を穿ち、一人は細腰皷/ツヾミ/を撃ち、餘人は踏舞す。歌唱音節、古朴喜ぶ可し。其の江戸に往く者は、參河州より出づ。(大和萬歳、參河萬歳の稱有り。)樂美、釋日本紀を考ふるに、往古踏歌を呼びて萬年阿良列/マンネンアラレ/と稱す。後世萬歳樂と改むという。近來萬歳樂を詩する者は、詩聖堂集(七言短古)、山陽遺稿(七言絶句)、星巖集(五言絶句)に見ゆ。


○司命索

黄索青松簷下明   黄索青松 簷下に明らかなり
不開正戸客通名   正戸を開かず 客名を通す
鄰家和唱蓬莱曲   鄰家和唱す 蓬莱の曲
姉弄三絃妹弄箏   姉は三絃を弄し 妹は箏を弄す

 荊楚歳時記に曰く。正月、畫鶏を戸上に帖し、葦索を其の上に懸く。又熈朝樂事に曰く。正月朔日に芝麻梗を簷頭に插む。之を節節高と謂ふ。邦俗之を司命索/シメナハ/と謂ふ。歳華紀麗に曰く。元日、松を高戸に標す。注に云はく。董勳の問禮に、俗に歳首、椒酒を酌んで之を飲む者有るは何ぞや。椒の性、芬香、藥に作るに堪ゆるを以てなり。又松枝を戸に插むも此の義を同じくするを以てなり。邦俗、之を門松/カトマツ/と謂ふ。王世懋の閩部疏に曰く。閩俗歳首を重んず。民間正戸を開かず。賀客門に入り/ナフダ/を投じ、名を通づるは、文徴明拜年の詩(詩に云はく。面を見ることを求めず堆く謁を通ず。名紙朝來敝廬に滿つ。我亦人に隨って、數紙を投ず。世情簡を嫌って、虚を嫌はず。)及び随園詩話(清波雜志に載する所の宋の元祐間の事を引く。)に見ゆ。我が邦、新春を呼びて年頭と稱す。是俗語に非ず。樂美、嘗て唐書揚瑒の傳を讀みて之を得たり。(揚瑒の傳に曰く。瑒奏す、有司明經を帖試みるに、大義を質さず。乃ち年頭月尾を取る。)人皆知らず。故に贅して之を表す。蓬莱は曲の名。(瞽師廣岡勾當の製する所。)邦俗、歳首に女兒必ず之を唱して、以て箏及び三絃を弄す。都人、之を初彈/ハツヒキ/と謂ふ。我、//と姉有り妹有り。今や則ち亡し。鄰家連枝和唱の春聲を聞けば、甚だ羨まし。羨みて賦す。樂美、家父五六年前の試筆を記す。今附載す。其の詩に曰く。
  紅旭光を放ちて 研池に浮かぶ
  膝前 墨を磨し箋を展ぶる時
  家兒十歳 平仄を辨じ
  始めて賦す 七言元旦の詩


○七菜粥

俎上鳴刀七菜詞   俎上 刀を鳴らす七菜の詞
燃萁竈下煮芳糜   /マメガラ/を燃やして竈下芳糜を煮る
門前非是祈神事   門前 是神を祈る事に非ず
一曲春駒竹與絲   一曲の春駒 竹と絲と

 熈朝樂事に曰く。立春酒を擧ぐるに、則ち粉皮を縷切し、/まぜ/るに七種の生菜を以てす。荊楚歳時記に曰く。正月七日を人日と爲す。七種の菜を以て羮を/つく/る。又月令廣義及び楊雄の賦に見ゆ。淵鑑類凾に巖渠記を引きて曰く。渠に樂山有り。正月七日、邑人鼓吹酒食して、以て蚕神を祈る。公事根源に曰く。正月上子の日、内藏寮及び内膳司、新菜を進むこと、寛平中より始まる。延喜十一年正月七日、七種の菜を進む。一に曰く、那鎚菜/ナヅナ/(漢名薺)。二に曰く、發谷別良/ハコベラ/(漢名繁縷)。三に曰く、捨黎/セリ/(漢名芹)。四に曰く、青菜/アオナ・カブラナ/(漢名蔓菁)。五に曰く、五行/ゴギヤウ・ハフコクサ/(漢名鼠麹草)。六に曰く、須聚詩路/スズシロ/(漢名蘆菔、俗に大根と稱す。樂美按ずるに、蓋し爾雅郭璞の註に/もとづ/く)。七に曰く、佛坐/ホトケノザ/(又曰く、多婢落谷/タビラコ/或いは瓦器菜/カワラケナ/と名づく。漢名鷄膓草、或いは蓮藕と爲るは謬なり)。この日、羹と爲して食へば、邪氣を辟け、百病を/ノゾ/く。
 花子/コツジキ/、馬頭を弄して轡を鳴らし、後より笛を吹き皷を撃ち、三絃を彈じ、新春を祝して一錢を乞ふ者、都俗春駒と呼ぶ。樂美按ずるに、戴埴の撲に曰く。唐の乗異集に載す蜀中の寺觀、多く女人の馬皮を被るを塑し/ツチニンギヤウ/、馬頭娘と謂ふて以て蚕を祈る。楊升菴の外集に曰く。馬頭神は蚕神なり。廣東新語に曰く。歳、立春に當たり、桑穀生じ、蚕駒初めて出づ。凡そ蚕初めて出るをと曰ふ。而して蚕駒と曰ふは、蚕と馬と神を同じくす。本と龍精にして首馬に類す。故に蚕駒と曰ふと。是春駒の胚胎と爲す。
 茶山の詩に(黄葉夕陽村舎)
  端無く玉暦青春に入る
  宿雪終風未だ新を覚へず
  七種の菜羮 香案に迸る
  /かぞ/へ來れば今日已に人と爲る
 五山の詩に(五山堂詩話)
  薺芹菘菔 繁縷を交へ
  鼠麹鶏膓 緑はじめて蘇す
  七種 //り來る人日の菜
  妨げず 今暁貧厨に入るを
(樂美按ずるに、公事根源、七種菜中の青菜、五山翁、菘と爲るは妄なり。青菜は實に是蔓菁、菘は發多結菜/ハタケナ/と稱する者是也。蔓菁は加蒲落と稱す。蓋し同類別種。四時宜忌に曰く。立春後庚子の日、宜しく蔓菁汁を温め、合家竝びに多少に拘らず服すべし。瘟疫を除く可しと。此の説に據れば、則ち蔓菁を用いるを當と爲す。拾芥抄に菁に作り、須聚菜/スズナ/と訓す。則ち加蒲落菜也。此以て徴を取るに足れり。)
 家父の七律に曰く。(蓋し人日前一日の作。)
  門外の春駒 轡を奮うて回る
  妻は年例に隨ひて蓬莱を製す(自注に云はく。和俗に紅蝦と黄柑と白柿とを槖盤/サンホウ/に盛り、之を蓬莱と稱す)
  群書滿架 神儒佛
  三樹一盆 松竹梅
  老母は消し難し頭上の雪
  穉兒は掌中の/タマ/よりも貴かるべし
  料り知る明日是人日なるを
  多少の村童菜を賣り來る
(樂美按ずるに高士竒の金鰲退食筆記に曰く。向後に草堂有り。松竹梅を上に畫く。歳寒門と曰ふ。又嘗て元の張伯淳、松竹梅の図に題する詩を見る。然らば則ち都俗松竹梅を一盆中に栽し、以て新春を祝するは、蓋し我が邦の舊制に非ざるを知る也。柴碧海の枕上初集に春駒の七絶有り。頼千齡の春風舘詩鈔に人日の七律有り。倶に一誦して可也。)


○十日蛭兒

春輿舁妓疾如飛   春輿 妓を舁して疾きこと飛ぶが如し
醉挈竹枝敲廟扉   醉うて竹枝を//りて廟扉を敲く
賽人數萬非祈福   賽人數萬 福を祈るに非ず
各自嚢錢抛福歸   各自の嚢錢 福を抛ちて歸る

 蛭兒祠は郊南今宮村に在り。(この地、往昔海潮の注ぐ所。即ち所謂那古の浦なる者。公朝の詠歌、夫木集中に見ゆ。)祭會は正月十日に在り。都人、十日蛭兒/トフカエビス/と稱す。此の祭、大繁昌。市中より祠下に至るまで、一道の紅塵春天に漲る。衣香街を薫じ、人影地を填す。紙に封ずる十二錢、各々祠屋上に擲つ。一望白雪の如し。福を祈る千萬客、群がりて廟宇後を叩く。遠眺緑鱗に似たり。肆肆店店、竹枝/ササ/を賣る者、小寶/コタカラ/を售る者、(纖槌、細量/マス/、雛、圓金/コバン/等を合繋して之を售り、大いに叫びて曰く。毎年の小寶、毎年の小寶。賽客買うて竹枝端に挂く。)銀篋錢篋/カネハコゼニハコ/を鬻ぐ者、烏帽緑冠を沽る者、布袋和尚の泥像を賣る者、丈夫の秘器金光を衒る者、(是未だ何の故を知らず。敝俗痛く禁ずべし。)店頭の主は路傍の客を/マネ/き、背上の兒は肆前の僮を呼ぶ。嘈嘈嘩嘩、殆ど天地鼓動、山海翻覆に至る。
 樂美按ずるに、正月十日の市、宛署記に見ゆ。(宛署記に曰く。燕都正月十日より起きて十六日に至りて止む。燈を結ぶ者、各有る所を持ちて、東安門外に貨す。名づけて燈市と曰ふ。燈名一ならず。價千金の者有り。商賈輳集、技藝/ことごと/く陳し、冠蓋相屬し、男婦交錯す。市樓の賃價騰湧。)靈異小録に曰く。足地を//まず浮行すること數十歩なる者有り。是今日の繁昌を言ふ。章臺の蕩子冶郎、千金を撒し、愛妓をして繍轎に乗りて以て賽せしむる者を、都俗、匍怡加護/ホイカゴ/と呼ぶ。轎後、紅帕彩襦/アカイハチマキキレイナジユバン/、手舞ひ足踏み、陪奔追走する者は、是幇間/タイコモチ/
 家父二詩有り。曰く。
  竹枝擔げ得て/ササヲカクゲテ/春心を蕩かす
  酒池に没せざれば肉林に投ず
  識る可し 神に賽して福を致し難きを
  金を祈る歸路却って金を抛つ

  春は紅塵萬丈の邊に在り
  蛭兒の祭日 恰も晴天
  商家福を祈る 真に多事
  朝には今宮に賽し夕には掘川(掘川の蛭廟は天滿の西に在り。この日また祭る。然れども今宮に較れば、繁昌少しく減ず。)


○引繩

午王廟外簇紅燈   午王廟外 紅燈を簇らす
藁索已除門外氷   藁索 已に除く門外の氷
有例年年爆竹夜   例有り 年々爆竹の夜
滿村喧閙競牽繩   滿村喧閙 競って繩を牽く

 難波村は今宮の西北に在り。大阪と犬牙相接す。村に午頭天王の廟有り。(都人難波の祇園と稱す。祇園は實に上古の素盞烏の尊を祭る。緇流燕説を吐き、天竺の牛頭天王と爲す。俗訛って午頭天皇と呼ぶ。)正月十四日、村人東西に分かれ、百丈の大繩を握り、(土人の云はく、長大繩は蓋し素尊の斬る所の 妖巨蛇/ヤツマタノオロチ/に象る。)東に牽かんと欲する者、西に牽かんと欲する者、一喝一牽、(牽きて以て勝てば年有り福を獲ると爲す。)土俗、難波引繩/ナンバノツナヒキ/と稱す。都下此の夜、門松と司命索とを徹し、門外に積みて之を/モヤ/す。燉度/トンド/と呼ぶ。(菅茶山爆竹の詩の注に、舊と除夜に設く。歳暮多事を以て、近ごろ正月十四日に在りて、之を行なふ。)按ずるに爆竹は范石湖の集に見ゆ。(又帝城景物畧に見ゆ。)引繩は五雜爼に見ゆ。


○赤豆粥

三碗春糜赤豆斑   三碗の春糜 赤豆斑なり
錦蠻聲在暁花間   錦蠻の聲は暁花の間に在り
趙三李四東方發   趙三李四 東方に發す
李賽鳩峰趙鷸山   李は鳩峰に賽し 趙は鷸山

 玉燭寳典に曰く。正月十五、膏粥を作りて、以て門戸を祀る。荊楚歳時記に曰く。正月十五日、豆糜を作り、油膏を其の上に加へて、以て門戸を祀る。范石湖集、臘月村田樂府數粥行の叙に曰く。二十五日、赤豆を煮て、糜を作り、暮夜に闔家同餐す。云ふ、能く瘟氣を辟くと。鳩峰は地河内に屬す。即ち 八幡石清水/ヤハタイワシミヅ/、(廟下巖石間、清泉沸す。故に名づく。)貞觀元年、秋九月、清和帝、橘良基に命じて、營む所。(凡そ六宇、蓋し豊前の宇佐廟に準ず。)一名男山、鳩嶺は其の廟後に在り。(山上鳩甚だ多し。蓋し神の使ふ所なりと云ふ。)鷸山は即ち信貴山。(一に志貴に作る。)鷸と信貴と國讀相通ず。故に亦鷸山と稱す。地大和に在り。傳に曰く。毘沙門王、始めて天より降る處。豊聰皇子因って此の山を闢く。日本史、楠木正成の傳に曰く。父正康、(橘氏系圖に一に正遠に作る。又正玄。)信貴山を祷りて正成を生ずと。二山の初祭、倶に上元に在り。厄を禳ふ者は河に走り、(白箭を受けて歸る。)運を祷る者は和に往く。

○茶臼山

神軍殲敵暁天霜   神軍敵を殲す 暁天の霜
一曲凱歌山上揚   一曲の凱歌 山上に揚がる
山上千秋登不許   山上千秋 登るを許さず
三春芳草實甘棠   三春の芳草 實に甘棠

 茶臼山は今宮村の東、一心寺の後に在り。元和元年、東照公、此に軍す。(詳らかに竹山の逸史及び山陽の日本外史に見ゆ。)


○一心寺

法然古跡梵王樓   法然の古跡 梵王の樓
黄鳥紅花暗結愁   黄鳥紅花 暗に愁を結ぶ
中有元和忠士墓   中に元和忠士の墓有り
半瓢春酒酹雲州   半瓢の春酒 雲州を酹す

 一心寺は釋の法然の/はじ/めて營む所。(文治元年に在り。)法然、後白河法皇と相對して歌を咏ず。(夫木集に在り。)寺、南は茶臼山に接し、北は安居天神と門を對す。幽閑静寂の地。堂東に本多出雲守忠朝の墓有り。(逸史に曰く。一人銃を執りて迫り/はな/つ。忠朝、胸に傷つく。遂に馬より下り、刀を引いて之を斬る。//ちて鐵鞭を進む。乃ち左に鞭を揮ひ、右に刀を舞はし、又八人を/たお/す。/ますます/創つき溝中に陥る。敵聚って之を馘す。)


○安居天神

廟南廟北盡梅花   廟南廟北 盡く梅花
憶昔菅公暫駐車   憶ふ 昔菅公暫く車を駐めしことを
今日曽無當日景   今日曽て當日の景無し
酒仙家接梵王家   酒仙の家は梵王の家に接す

 安居天神は傳に曰く。菅右府左遷の時、暫く憩ふ所。故に安居と名づく。後世轉じて安井に作る。(/あるひと/の曰く。是少那彦を祭ると。未だ孰れが是を知らず。)此の地、小岡を成す。故に又天神山と呼ぶ。二月は梅花、三月は櫻花、西に萬頃の碧田を望む。風景甚だ美し。樹下猩氈を//き、金觴を擧ぐ。香風紅雨、醉顔を浴し來たり、綺髻錦袂、嬌歌を唱へ了る。嗚呼、公の目をして汚れしめ、又耳をして濁らしむ。廟北に福屋有り。浮瀬有り。皆一大酒樓。


○清水寺

合法衢邊泉水喧   合法衢邊 泉水喧し
閻王祠畔欲黄昏   閻王祠畔 黄昏ならんと欲す
樹深清水觀音閣   樹は深し 清水の觀音閣
數點靈燈誦普門   數點の靈燈 普門を誦す

 天神山の西、路傍に一小祠有り。石像の閻羅王を//く。(村人疾有れば必ず之を祷る)此を合法衢/ガツホウガツヂ/と名づく。此の間、土を鑿れば、則ち泉水/タチマ/沸す/ワキイヅル/。増井逢阪の諸名泉有り。清水寺は其の北に在り。天神山と相連なる。樓閣巍巍然、樹木欝欝然。毎月十八日、觀音佛の祭會に當たり、癡叟騃婆、相聚りて以て法華經の普門品を誦す。薄暮、合法衢上より一望すれば、乃ち樹際の燈影、星の如く螢の如し。(少将忠直、閻羅祠を飱 す。曰く、我餓鬼道に墮ちずと。事、逸史外史に見ゆ。)


○浮瀬樓

隨例西洋紅髪奴   例に隨ふ 西洋紅髪の奴
荒陵賽路入郇厨   荒陵の賽路 郇厨に入る
巨盃照席金泥畫   巨盃 席を照らす金泥の畫
珍重猩猩醉舞圖   珍重にす 猩々醉舞の圖

 浮瀬樓は清水寺の北門と相望む。門外の石磴/イシダン/一層、一層より高し。磴上を歩して北を眺むれば、其の高樓直ちに眼下に在り。都下の醉客、諸酒樓を品評すれば、先ず指を浮瀬に屈す。福舎、兔角、大津湯、東李庵、西照菴の若きは、皆一籌を遜る。此の樓、數種の奇盃を貯ふ。最も一大酒盃有り。其の大いさ、兩拱ばかり。朱髹金漆、猩猩醉遊の圖を畫く。其の圖、酒盃を持ちて舞ふ者、斜めに鶴頸杓/エナガノシヤク/を挟みて将に舞はんとする者、笛を吹く者、兩手に/ブチ/を執り太皷を撃つ者、細腰皷/ツヾミ/を肩上に跳らし、右手を揚げて之を撃つ者、或いは掌を拍ち、或いは/アフギ/を揮ひ、太皷若しくは細腰皷と相對し相和する者、宛然善く其の状景を寫す。(此の盃を呼びて七人猩猩と稱す。)嘗て新靱街/シンウツボチヨウ/の某、家父及び余を此の樓に餐す。時に年十二。爾来五年、猶盃中の畫を記す。(此の時、行觴娘/シヤクトリヲンナ/家父に語りて曰く。此の樓に上がりて能く一盃を傾け盡くす者は、僅かに二人。盃中酒を盛ること凡そ六升半と云ふ。)
 唐書韋陟の傳に曰く。厨中の飲食、香味錯雜、人或いは其の中に入れば、多く飽飫して歸る。俗語りて曰く。人飯せずして筋骨舒ぶることを欲せば、夤縁して郇公の厨に入る須し。阿蘭陀人の江戸に朝す、大阪を過ぎれば柁木坊銅官邸/カジキマチドウザヤシキ/に舘るを以て例と爲す。天王寺に賽するを以て、又例と爲す。歸路必ず此の樓に登り、大筵を張り、熊掌豹胎/ゴチソウ/の美を啗ふ、是亦例。
 樂美十歳の時、節用集大全を讀むに、云ふ。酒盃大なる者、武藏野と曰ふ。蓋し野曠くして望み盡くす可からざるを以て、盃大にして飮み盡くすこと能はざるに喩ふ。亦是猩舞盃の類。(嘗て聞く、江戸淺草の並木に浮瀬有り。大盃を藏す。亦同一樓。) 古賀穀堂の遺稿鈔に浪華浮瀬樓の詩を載す。曰く、
  浮瀬樓頭 浮瀬の盃
  十分の春夢 掌中に開く
  胸次雲夢を呑むに非ざるよりは
  容易に誰か能く吸ひ盡くし来たらん(是猩舞盃を指して言ふ。)


○庚申堂

庚申卜日拜靈帷   庚申 日を卜して靈帷を拜す
襁負懇祈幾萬兒   襁負して懇ろに祈る 幾萬兒
父母慈恩深似海   父母の慈恩 海よりも深し
猿王廟上抱吾時   猿王廟上 吾を抱く時

 庚申堂は天王寺の南に在り。文武帝、大寶元年正月七日、僧の豪範なる者、夢中に青面金剛王の像を得たり。此の日、即ち庚申。庚申の祭、實に是より/はじ/まる。都人、此の日に至れば、必ず兒を携へて以て平安を祈る。此の日、堂を遶って齊しく昆布/ヒロメ・エヒスメ/肆を開く。賽客皆買ふて歸る。都俗庚申昆布と稱す。何の故を知らず。庚申に先だつこと十日前、賤衲、鑼を撃ち、市上を往來して錢を乞ひ、預め庚申の近くに在るを報ず。家父詩有り曰く。
  冬晴 暖を釀して未だ氷を看ず
  又南窓紙に触るる蠅有り
  指を屈すれば庚申将に近きに在らんとす
  門前時に至る鑼を撃つの僧
 亦是都下の實景。


○天王寺

畫塔丹樓映鳳冠   畫塔丹樓 鳳冠/トリカブト/に映ず
洋洋盈耳藕池寛   洋々 耳に盈ちて藕池寛し
西人不解前朝樂   西人は前朝の樂を解せず
付與海東隨意看   海東に付與して隨意に看しむ

 荒陵山四天王寺は聖徳王の創造する所。是を日本伽藍の最初と稱す。和州法隆寺は之に次ぐ。然れども南北朝の兵燹に罹り、又享和元年の災有り。(天火有り。浮圖に落ち、樓閣延焼す。)惜しむらくは舊觀に非ず。王の忌辰、二月二十二日に在り。此の日、毎歳蓮池の上に於いて、伶人樂を張る。暁より夜に至る。池邊棚塲を開く。東西兩/ブギヨウ/之に臨む。都人縦觀、恰も蟻の羶を慕ひ、蜂の衙に趨るが如し。
 我が邦、古樂を傳ふること、百濟國の味摩師より始まると云ふ。味摩師來たって、之を秦の川勝に傳ふ。川勝、子の川滿に傳ふ。相傳へて絶へず、今日に至る。樂美按ずるに、西土永嘉以後、樂府多く散亡。隋、陳を平ぐるの後、纔に其の一二を得たり。(所謂清商楽、是也。)文帝以て華夏の正聲と爲す。唐の武后の時に至りて、稍之を得たり。(所謂平調清調瑟調、是也。)五代に/およ/びて天下鼎沸瓦解、古樂遂に滅ぶ。宋に至りて始めて朱子の經傳通解に載る所の趙彦粛の十二譜及び張蔚然の三百篇の聲譜に見ゆ。然れども唯理數を以て之を推度して、而して其の古調を得ること能はず。我が邦の傳へる所は、實に古調を失はずと爲す。歌詩、傳を失ふと雖ども、亦以て古樂の正聲を定む可し。嗚呼、屹乎として特に我が邦に存るは、眞に是千古の大快事。
 尾張の秦鼎翁の五律一聯に云はく。大雅今日に興り、昇平この年に値ふ。我、天王寺に於いても亦云ふ。中井竹山の陰畧稿に天王寺の七律を載す。流麗、巧みに其の景を寫すこと、家父に及ばず。家父の七律に曰く。
  毎歳今朝兩府公
  蘋蘩 例に沿ふて豊聰を祭る
  涅槃の像は挂かる猫門の外
  彼岸桜は開く龜井の東
  紅鯉 雌を追ふて緑水に跳り
  玉笙 皷に和して春風に舞ふ
  愧づ 吾が岑參の筆を壓し難きを
  咏ずるに懶し 浮圖の碧空に聳ゆるを
 市河寛齋遺稿の七絶に曰く。
  六代の遺聲 李唐より傳ふ
  龍姿軟舞す 羅陵王
  今を傷み古を懷ふて人の解するなし
  月底花前看ること一塲
(樂美の曰く。樂曲を考ふる者は、宜しく羯皷録、樂府雜録、杜氏の通典、陳氏の樂書、鄭氏の通志、宋史の樂志、及び物翁樂曲考等を讀むべし。)


○巫女街

巫女雛弓叩匣鳴   巫女の雛弓 匣を叩いて鳴らす
空言頻發使人驚   空言 頻りに發して人をして驚かしむ
知侘來覓招魂會   知る 侘の來たって招魂の會を/もと/むるを
笑聽鬼語聲  笑って聽く 鬼語の聲

 天王寺の北、巫女有り。各々門戸を列ぬるを、巫街/ミコマチ/と曰ふ。(もと鱗次櫛比、今や寥寥として兩三家のみ。)新喪の客を待つ。客來れば則ち巫女掌を合わし、/アラハニ・イツハリテ/鬼を迎ふるの儀を爲し、七寸の弓を執り、一小匣を撃ち、瞑目して細語す。殆ど幽鬼の訴ふるに似たり。父を喪ふ者は亡父の情を陳べ、母を喪ふ者は亡母の悲を告ぐ。妻を喪ふ者、兒を喪ふ者、兄弟を喪ふ者、姉妹を喪ふ者、巧みに其の窽に投じ、妙に其の意を鉤せざるは無し。客皆俯して之を聽く。啼く者有り、泣く者有り、嗚咽する者有り、叫號絶倒四鄰を驚かす者有り。其の涙、特に襟を濕し袖を/ぬら/すのみならず、千行萬行、溢れて以て席上に流るるに至る。/あるひと/の云く。小匣は蓋し犬の頭を收むと。樂美按ずるに、搜神記に鄱陽の趙壽、犬蠱有り。風俗通に許季山の言ふ所の老青狗物の類か。蓋し亦怪しむ可き也。虚誕、利を射るの具と雖ども、然れども酷だ鍾情招魂の道に合す。故に豊臣氏禁ぜずして今に至る。


○樂人街

大悲閣北老伶家   大悲閣北 老伶の家
一簇成街甲乙科   一簇街を成す 甲乙科
小院方知調樂律   小院 方に知る樂律を調ふを
龍唫少處鳳音多   龍唫少なき處 鳳音多し

 清水寺の北、伶官の第宅相列なるを樂人街/ガクニンマチ/と曰ふ。伶官、制を仙洞上皇に受く。東西の兩宰、制すること能はず。伶官、笙を善くする者、横笛を善くする者、觱篥を善くする者、上皇各々甲乙を以て其の科を定む。蓋し亦業伎を磨錬するの御制のみ。今は乃ち/しから/ず。
 樂美、樂律を考ふるに、一に曰く一越調、二に曰く斷金調、三に曰く平調、四に曰く勝絶調、五に曰く龍吟調(別名下無/シモム/)、六に曰く雙調、七に曰く鳬鐘調、八に曰く黄鐘調、九に曰く鸞鏡調、十に曰く般渉調、十一に曰く神仙調、十二に曰く鳳音調(別名上無/カミム/)。


○吉祥寺

仰看亡主舊精神   仰ぎ看る 亡主の舊精神
留得萬松山上春   留め得たり 萬松山上の春
墮涙碑前風謖謖   墮涙碑前 風謖謖
長藩四十七忠臣   長く藩す 四十七の忠臣

 萬松山吉祥寺は生玉の南、蛇阪の上に在り。(蛇阪は下寺街遊行寺の北に在り。)是を故の赤穂の城主淺野公の檀越寺と爲す。公、既に餐賓の大命を奉じ、将に東行せんとす。大阪に道して駕を此に抂く。公、書を善くす。特に八法九勢に明らかなり。寺僧拜して公の書を乞ひ、/ひそ/かに小僧を外に走らせて漢帋を買はしむ。公、天資褊急、筆を握り几に/ヨツ/て以て待つ。小僧未だ歸らず。且つ解纜の期已に迫る。公、因って萬松山の三字を几面に題して、遽かに去る。寺僧大いに喜び、几の脚を脱し、字を刻し染むるに藍靛以てし、山門に掲ぐ。(筆力竒逸、今猶門に在り。)公、東に在りて、兵を殿中に弄ぶ。官、命じて自裁せしめ、且つ城邑を没す。社稷の臣、大石良雄、公の弟を立てて、其の祀を存せんことを請ふ。聽かれず。姦讒貪婪の人、晏然片言の責無し。是に於いて良雄已むことを得ず、兒良金及び同藩四十餘士を率い、雪夜仇の第宅を攻め、快く仇の頭を斬り、泉岳寺に聚まり、頭を亡主公の墓前に懸け、遂に冤魂を地下に慰むることを得たり。而して後に身を束ねて戮に就く。(詳らかに赤穂四十七士傳に見ゆ。)安藝侯、公の墳を此に建て、又石を斫って藩を作り、公の墳を環護し、(邦俗の所謂玉垣なる者。)石藩の面に一一義臣の姓名を銘す。千載の下、義臣をして長く亡君の側に侍せしむ。(大石氏父子は別に小碑を建て、公墳の左右に置く。)
 樂美按ずるに、室鳩巣先生、義人録を著す。太宰春臺翁、讀義人録を作りて之を駁す。(春臺文集紫芝園後編に見ゆ。其の冒頭に曰く。義人は誰を謂ふ。故の赤穂侯の孤臣大石良雄等四十六人を謂ふ。/たれ/か之を義人と謂ふ。博士鳩巣先生室君直清也、云云)。我猶童心乳臭、未だ是非を兩大家の間に容るること能はず。然れども嘗て柴栗山の四十六士論評の序を讀む。(栗山文集に見ゆ。赤城義臣傳に曰く。萱野重實、老父の東行を許さざるを以て、自ら刃す。父始めて其の意を解す。因って神主を作り、遥かに良雄に贈る。良雄、神主を懷し仇家を伐つ。官吏、復讐の人數を問ふ時、良雄四十七人を以て之に答ふ。曰く、萱野三平なる者有り。既に鬪死す。今四十六士と稱する者は、此の一人を省くのみ。)又篠崎小竹の義人録の後に書する文を見る。(今世名家文鈔に見ゆ。穀堂遺稿、大石良雄夫妻手簡の後に書す。艮齋文畧續編、忠臣傳後に書する二跋。皆、柴篠二氏と見を同じくす。)竊かに柴篠二氏の辨ずる所を推して、公明正大の評論と爲す。詩篇其の義烈を揚ぐるが若きは、菅茶山黄葉夕陽村舎の詩、(松山荒木某、大石原二子の書を藏す。/このごろ/人を介し寄示して詩を索む。)頼山陽の詩鈔、(其角山人、赤城義士の事を録する手札を觀る引。)に見ゆ。西山拙齋の詩集にも亦四十七士塚の七律を載す。(後聯に衣を撃ち空しく解す晉陽の恨。劍に伏して徒に酬ゆ海島の恩。)春草堂詩鈔にも赤穂義人録を讀む七律有り。(前聯に一撃の短刀、亡國の恨。千磨の長策、復讐の身。)
 樂美再び按ずるに、専諸の呉王を殪す、聶政の韓相を刺す、單身を奮って千戈萬戟中に投ず。實に是天下の大難事。我、宋の胡澹菴、高宗を上ぐる封事を讀み、怪しんで謂へらく。澹菴は蓋し怯弱の一書生也。徒に文墨を弄して以て之を激言するを知るのみ。若し己の心、帝室に急なれば、何ぞ矛戟を揮ふて以て之を激刺することを爲さざる。己能はざれば、専諸聶政の手を假りて可なり。唯饒舌を紙筆の間に逞しふす、吾、其の君に忠する所以の薄きを知る也。我が日本は神國、且つ大いに武を用いるの土也。萬萬世一統の明天子を護し奉ること、此の如く甚だ怯弱ならず。日本人をして澹菴の地に處せしめば、則ち其の神速に秦檜等の頭を斬ること、固より専諸聶政の手に百倍せり。今、國賊邦蠧の頭を斷るに至りて、(國賊邦蠧は秦檜、王倫孫近と竊かに邪謀を運らし、國を賣り、和を/つかさど/るを指す。)果して四十六人の/おお/きを待たざれば、乃ち大石大夫の勝算、/そもそも/下なり。嗚呼、我、大石を九原より起たして、此の事を語り、其の膽を落としめんと欲して、終に得可からず。


○隆専寺

古刹東風放素葩   古刹の東風 素葩を放つ
枝枝垂地拂庭沙   枝枝 地に垂れて庭沙を拂ふ
櫻祠桃谷春猶未   櫻祠桃谷 春猶未だし
郷導群芳此是花   群芳を郷導するは此是の花

 隆専寺は吉祥寺、生玉祠の間に在り。仲春、庭前の一大樹、素葩を吐き、枝枝地上に垂れ、絲よりも細し。即ち垂絲海棠/イトサクラ/。蓋し此の花を以て春興の第一番と爲す。
 樂美按ずるに、花壇大全に數種を載す。(絲櫻、暁櫻、法輪寺櫻、香櫻、犬櫻、熊谷櫻等。)此の樹、彼岸櫻と同種。地に垂るるを絲櫻と稱し、花枝上に向かふ者を彼岸櫻と稱す。大全に云ふ。彼岸櫻は彼岸の節を過ぎれば、即ち糸櫻と稱するというは非なり。詳らかに貝原先生の花譜、小野蘭山の花彙後編に見ゆ。(貝原先生の云はく。垂絲櫻、彼岸櫻に比すれば開くこと少しく遅し。)
 錦城詩稿、彼岸櫻の詩に曰く。
  誰か赤城數片の霞を以て
  呼びて彼岸となして僧家に稱ふ
  天台山上櫻千樹
  正に是江都第一の花
 盤溪詩鈔に彼岸櫻の七律有り。(同種を以て此に附載す。)


○寺街

寺寺成街上中下   寺寺 街を成す 上中下
堂堂總飾鐵金銀   堂堂 總て飾る 鐵金銀
數盃乗誘小紅友   數盃 小紅友/サケ/に誘はるるに乗じて
一室私祀大黒神   一室 私かに祀る大黒神

 天王寺の北、大阪城の南、其の際、蘭若/テラ/雲集麕聚。上寺街/ウヘテラマチ/なる者有り。南は天王寺に通ず。中寺街/ナカテラマチ/なる者有り。直ちに生玉祠に達す。下寺街/シタテラマチ/なる者有り。遥かに勝曼阪に連なる。(聖徳皇子、勝曼経を誦する處故に名づくと云ふ。清水寺の北に在り。)邦俗、賤女子の寺僧の枕席を奉ずる者を呼びて、大黒と號す。/ああ/、破戒の腥僧。宜しく一掃し去るべし。浮屠氏の龍谷の脉派/シンランノシウシ/を持する者は、皆市中に在り。處處、商家賈廬と門を對し、戸を比す。(樂美按ずるに、物氏の政談に僧、民戸と伍するを禁ず。一讀せざる可けんや。)


○開帳

鶴痩高僧雪作眉   鶴痩の高僧 雪を眉となす
舌頭弄古盡虚辭   舌頭古を弄ぶ 盡く虚辭
白幃秘佛傳何世   白幃の秘佛 何れの世より傳ふ
説是當麻中将姫   説く 是當麻の中将姫

  城南の諸蘭若/てら/、二三月より四五月に至るまで他邦の舊寺名刹を迎へ、錦帳を垂れ、古佛を奉じ、都人をして歴拜群觀せしむる者を、邦俗開帳と曰ふ。蓋し秘帳を開き、拜覧せしむるの意。彼の古佛の若きは恭しく其の傳來を考ふるに、もと骨董舗/フルダウグヤ/在り/イマス/。乃ち破棚塵煤中に久しく隱るる者。今忽ち出現、眞實是竒妙頂禮。
 樂美、顧禄の清嘉録を按ずるに、元妙觀の道侶、道場を彌羅賓閣に設け、願いを酬いる者駢集す。是我が邦の開帳。然れども西土は猶可なり。此の古佛の若きは殆ど乞兒を長街(長街下に見ゆ)より出し、之に錦衣を蒙らして華堂の上に坐しむるに近し。抑亦、圓頂方袍の名刹を餌にし、大利を鉤るの具のみ。


○生玉

昔日繁華生玉祠   昔日繁華 生玉祠
今遊此地却相疑   今此の地に遊びて却って相疑う
雀羅欲設蕭條甚   雀羅 設けんと欲して蕭條甚だし
莫歎人間有盛衰   歎ずること莫かれ 人間盛衰有るを

 生玉祠は高津廟の南に在り。大國玉命/オヽクニタマノミコト/を祭る。祠、もと城邊に在り。織田公本願寺を攻むる時、延焼して灰燼と爲る。豊臣公の大阪城を築くや、片桐且元/イチノカミ/をして祠を此の地に移さしむ。祖母深江氏、嘗て樂美に語って曰く。未亡人、之を汝の曾祖母に聞く。此の祠尤も繁昌、森伯肆/チヤミセ/包子店/マンヂウヤ/養由塲/ユミイルバシヨ/杜康樓/リヨウリヤ/、雜然闐然、山を成し林を成す。賽人の盛んなる、此の祠を以て第一と爲す。往昔乃ち然り。今日唯樹上の寒號鳥を聞く。
 此の神を祭る、夏は六月二十八日に在り。秋は九月九日に在り。三代實録に見ゆ。走馬儀/ケイバ/は五月五日に在り。
 樂美按ずるに、月令廣義に曰く。文昌雜録に五日馬を走らす、之を躤 柳と謂ふ。(按ずるに焦氏類林に躤 は音札。)彭公筆記に曰く。五月五日、文武官に走驃騎を後苑に賜ふ。北京歳華記に曰く。端午、天壇の遊人極めて盛んなり。競って騎射を以て娯と爲す。其の名を走驃騎と曰ふ。


○高津

民家十萬歳逾滋   民家十萬 歳々/いよいよ//しげ/
却怪竈煙當日詞   却って怪しむ 竈煙當日の詞
鳴扇長爐炙雪處   扇を鳴らして長爐雪を炙る處
倒瓢唫面釀紅時   瓢を倒して唫面紅を釀する時

 高津仁徳廟は道頓溝/ドウトンボリ/の東最も高き處に在り。日本蛭兒の諸橋上に在って、(日本橋蛭兒橋、皆道頓溝に架す。)東を望めば則ち廟宇隱然、遥拜すべし。傳へ云ふ。仁徳天皇、登高の御歌を咏じたまふ處と。(御歌に曰く。多可吉耶爾、那保里天覓禮波、計莫利荅追、侘弭農加麻闍麼、爾起外伊尼結/タカキヤニ、ノホリテミレハ、ケムリタツ、タミノカマトモ、ニキハイニケリ/。)
 樂美、舊志に考ふるに、決して此の地に非ず。恐らくは後世御歌を最高の土に託し、附會して以て此の廟を建てしならん。(廟前に梅橋有り。隣刹に梅井有り。亦是好事の徒、後人を欺く。)
 廟下、菽乳店/トウフヤ/有り。醤を投じ、芥粉を和し、淡羮を制す。風味殊に美なり。邦俗之を湯豆腐と稱す。輕刀を鳴らし、寸ばかりに斷じ、味噌を施し、巧みに之を串し/クシニサス/、巧みに之を爐上に炙る。邦俗、之を田樂と稱す。羮や炙や。京師の南禪祇園と其の聲價を争ふ。是故に高津湯豆腐屋の名、尤も四方に噪し。青樓宿酲/フツカヱイ/の客、常に妓を携へ、牽頭子/タイコモチ/を從へ、來たって破卯の飲を催す。
 樂美按ずるに、類書纂要に曰く。淮南王、名は安、始めて豆を磨して、乳脂を爲す。之を名づけて荳腐と曰ふ。錦字箋に曰く。晉人其の名雅ならざるを以て、改めて菽乳と曰ふ。(表異録も亦菽乳と名づく。)天禄識餘に曰く。豆腐は淮南王劉安造る。又黎祁と名づく。(陸放翁の詩に釜を洗ひて黎祁を煮る。注に黎祁は蜀人以て豆腐に名づく。)其の餘に、小宰羊(説畧)、軟玉(蘓長公外集)、素君(鴻苞集)、菽腐(平齋集)、乳腐(清異録)、淮南術(留青新集)、淮南佳品等の異名有り。(事物異名、餘は金字編に見ゆ。)老學菴筆記に曰く。豆腐羮の店を開く。物類相感志に曰く。豆油/シヨウイフ/豆腐を煎る、是所謂湯豆腐。類書纂要に豆炙有り。是所謂田樂。
 葛子琴の御風樓集に豆腐の七律を載す。今之に附す。曰く、
  桂叢 人去りて術逾精し
  修用般般 炙或いは烹
  花裡の旗亭 春二月
  松間の香刹 夜三更
  斑斑たる玳瑁 紅爐の色
  隱隠たる雷霆 鐵鼎の聲
  今日王公澹泊を疎んず
  却って欣ぶ 方璧の連城ならざるを
(詩佛豆腐の七律の後聯に、寒竈、元傳ふ、雪を烹るの術。風爐、重ねて試む、氷を炙るの方。)


○道頓溝

嬌妓洗顔紅粉粧   嬌妓 顔を洗ふ紅粉の粧
蕩子映波龍麝裳   蕩子 波に映ず龍麝の裳
一盃欲解醉中渇   一盃 醉中の渇を解かんと欲して
汲得春流全是香   春流を汲み得れば全く是香

 道頓溝は父老の曰く、安井道頓なる者の鑿つ所也と。豊臣内府/ヒデヨリ/、既に征夷府と相約して郭を墮ち、濠を填るや、獨り外濠/ソトボリ/を存す。即ち今の東溝/ヒガシボリ/。(詳らかに逸史及び日本外史に見ゆ。嘗て慶長の古城郭の圖を見るに、其の南東に當たって豊志谷口、生玉口、天王寺口、真田丸、平野口、志貴野口の六郭門有り。外濠を填るは是也。外史に曰く。晨夜督責して以て明春に至ると。)道頓の鑿つ所は西流して海に入らしむ。南方遂に水運の利を得たり。故に溝の名と爲る。其の子孫今猶存す。儼然として大門戸を張り、日本橋北に在り。日本橋より蛭兒大黒の二橋に至るまで、其の間溝を夾んで青樓酒家多し。
 樂美都下に生じ、首を萬巻書中に埋め、終身足青樓の地を踏まざるを誓ふ。況んや齡猶十六、今此の一詩を賦すれば、頗る韓氏の香奩體を學ぶに似たり。然れども我が本志に非ず。聊か試みに之を賦するのみ。覧者嘲ること勿れ、嗤ふこと勿れ、怪しむこと勿れ、誚むること勿れ。


○桃谷

紅雲十里晝将昏   紅雲十里 晝将に昏れんとす
滿野無人不倒樽   滿野 人の樽を倒さざるは無し
身浴太平遊此境   身は太平に浴して此の境に遊ぶ
何思晉代古桃源   何ぞ思はん 晉代の古桃源

 高津仁徳廟の東、春野十里、南北皆桃花。他樹無し。都人呼びて桃谷と稱す。(蓋し地に高低有り、谷の状を成すを以てか。)花候は年年上巳の前後に在り。我が邦、桃花の美且つ富む、實に比類無し。此の景、月瀬の梅、吉野の櫻と、余竊かに賞して鼎立の花と號す。
 篠崎小竹の桃谷の詩に曰く。
  郭を遶る桃花 十里の春
  花を賞する羅綺 紅塵を起こす
  林深く人少なき處を尋ね得て
  閑眠 秦を避くるの民に擬さんと欲す
 家父の詩に曰く。
  豊氏の遺孤 爪牙を失ひ
  城南の苦戰 亂れて麻の如し
  當時地に塗る 淋漓の血
  剰し染む 桃林十里の花


○産湯

桃花林上錦離披   桃花林上 錦離披
南有群松擁古祠   南に群松の古祠を擁する有り
喚客何尋味原路   客を喚びて何ぞ尋ねん味原の路
紅雲蒸處緑雲垂   紅雲蒸す所 緑雲垂る

 味原は桃谷の南に在り。一簇の古松蓊欝。按ずるに和名類聚に曰く。大己貴命/オヽアナムチノミコト/の子、味耟高彦根命/アジスキタカヒコネノミコト/、天より降る。是味原の名の由りて起こる所。狐王廟有り。清冷泉有り。樂美、神代の巻を考ふるに、大小橋命/オヽヲハセノミコト/の出誕する、此の泉を以て洗ふ。故に土人、今に至るまで産湯清水/ウブユノシミヅ/と呼ぶ。都下の人、此の村を稱して産湯の稲荷/ウブユノイナリ/と爲す。觀桃客、皆此に憩ひて、瓢酒を温め、行厨を開く。花下樹邊、葦箔/スダレ/を下し、菽乳を炙し/トウフノデンガク/、村女田婦、手を揚げ客を招く。客、清泉に漱ぎ了り四望すれば、則ち東西南北、唯一抹の紅霞を湧かすのみ。


○玉造

神皷鼕鼕華表中   神皷鼕鼕たり 華表の中
滿郊春色在城東   滿郊の春色 城東に在り
菜花猫子溝頭水   菜花 猫子溝/ネコマガハ/頭の水
麥葉狐王廟上風   麥葉 狐王廟上の風

 産湯の東北に玉造の稻荷/タマツクリノイナリ/有り。地、城後に接す。按ずるに、日本紀に垂仁帝十八年、始めて下照姫/シタテルヒメ/の命を祭る。後、倉稲魂/クライナタマ/の命を合祭す。後世、稲生五幸/イナリゴコウ/大明神と名づく。二命の事蹟、詳らかに舊事記、古事記等に見ゆ。玉造の稱を考ふるに、玉屋/タマヤ/の命、始めて玉を此の地に作る。(往昔は玉作に作る。後世玉造に改む。)亦舊事記に見ゆ。此の祠も亦天正年の兵火に罹る。慶長八年、豊臣秀頼、片桐且元加藤嘉明をして再び之を營ましむ。
 春日遲遲。稻荷祠に賽し、畫馬榭/ヱマドウ/上より東顧すれば、黄金の世界。碧海の波浪、眼前に滿つ。榭下細流有り。淙淙と南に走る。往年鑿つ所、猫間川/ネコマカハ/と曰ふ。


○上午春遊

無數帋鳶天際開   無數の帋鳶 天際に開く
城南城北漲紅埃   城南城北 紅埃漲る
風流只在袖雲外   風流 只袖雲の外に在り
鷸野橋邊嗅野梅   鷸野橋邊 野梅を嗅ぐ

 上午/ハツムマ/の春遊、城邊最も繁昌。此の日、東西の二府、大門を開き、萬人を/ユル/して之を觀しむ。(帯劍の人、門に入るを禁ず。)城邊處處、野翁一大傘を//て、藁席を舗き、遊客を迎ふ。富兒貧漢を論ずること無く、皆來たりて此の下に坐し、雜沓喧豗、搏飯/ニギリメシ/を喫し、壺漿を燖む/アタヽメル/。都人、傘下/カサノシタ/と稱す。上午、間々、雨師跋扈/アメガフル/すること有り。此の時傘下、誠に五大夫の價有り。
 端門の北、又一大門有り。鐵條門/スジカネモン/と名づく。門内、城濠に傍ひて東す。橋有り、鷸野橋と曰ふ。(此の橋を渡り鷸野村に至る、故に名づく。)上午の時節、橋邊野梅皆開く。清香馥郁、醉客の袂を襲ふ。然れども紅梅多し。玉梅花の潔白に如かず。(梅花の異名、梅莊の條に出づ。)
 六如菴、豊王墩梅を觀る詩有り。今此に附録す。曰く。
  荒丘斷隴 舊金湯
  路 梅花に入りて春渺茫
  齊しく是羅浮林下の夢
  笑ひて一盞を抛ちて猿郎を酹す


○網島大長寺

幾吼華鯨水風   幾吼の華鯨 水の風
福田耕盡網洲東   福田耕し盡くす 網洲/アミジマ/の東
冶郎戰士齊歸土   冶郎戰士 齊しく土に歸す
戀塚忠墳一寺中   戀塚忠墳 一寺の中

 城下の京橋を渡り、右折して北するを網島と曰ふ。江に枕し、京城往來の群船を望む。幽隱邃遁の地。絶へて市上の塵氣無し。故に豪富の別業多し。寺有り、大長寺と曰ふ。華頂の脉派を持す。帋肆次兵、妓小春、夜寺中に情死/シンジユ/す。事、坊間兒女子の口吻に傳ふ。元和戰死の士某、鯉に化し、寺僧の夢中に現す。寺僧之を買ひ、(江魚市中に此の鯉魚を賣る。)厚く之を寺中に葬る。某の生前、巴を/モン/と爲す。今六六の鱗色、一一巴章を印すと云ふ。事頗る虚妄に渉る。然れども南海に平家蟹有れば、則ち是或いは然り。


○片街魚市

鮧鲫 鰍鱺 載一船   鮧鲫鰍鱺/ナマズフナドジヨウウナギ/ 一船に載す
暁天起市石城邊   暁天 市を起こす 石城の邊
籃中應有龍門物   籃中應に龍門の物有るべし
三十六鱗休擲錢   三十六鱗 錢を擲つことを休めよ

 片街は京橋の北に在り。毎朝、江魚の市を起こす。街頭、樓を築き、水邊、船を繋ぎ、方燈/アンド/、萬川魚と題し、飯客酒戸/サケノミ/を待つ者、都下之を生洲/イケス/と稱す。皆、籃魚を此の市より購ひて、以て我が生計を営む。


○櫻祠

香雪飄風撲畫船   香雪風に飄ひて畫船を撲つ
祠前無處不春絃   祠前 處として春絃ならざるは無し
黄昏一掃紅塵氣   黄昏 一掃す紅塵の氣
月照櫻花水帯煙   月は櫻花を照らし水は煙を帯ぶ

 櫻祠/サクラノミヤ/は網島の北に在り。水を夾んで櫻花多し。上巳の後に至れば堤畔の酒樓、江上の妓船、實に雙眼を炫し、兩耳を聵さんと欲す。亦是大繁昌。今其の繁昌の好景を記せずして、家父の七律を以て之に易ふ。曰く。
  栂戰 声喧し兩岸の樓
  葦簾 半ば捲きて醉ふて籌を爭ふ
  艶雲 水を夾んで 水練の如し
  嬌髻 醪を酌みて 醪油に似たり
  碧傘紅裾 芳草の渡
  三絃雙皷 夕陽の舟
  繁華 詫ることを休めよ 荏城の客
  墨陀川上の遊に減ぜず
 秋日閑遊、春景に比すれば尤も俗ならざるを覺ふ。祠南、巖國樓/イハクニヤ/、荷葉飯を製出す。香氣、案に滿つ。風味、甚だ人口に適す。荷葉飯は乃ち古製。已に通鑑梁の敬帝紀及び廣東新語に見ゆ。
 古賀精里の詩に、此の日渇心、何の慰む所ぞ。清風一簟、芰荷香ばしと。亦簟中の荷飯を指して言ふ。(許彦周の詩話に云く。荷葉、花無き時も、亦自ずから香ばし。)


○鶴滿寺

古刹傍江櫻樹濃   古刹 江に傍ひて櫻樹濃やかなり
黄葩藍蕋別姿容   黄葩藍蕋 別姿容
滿林何必黄藍美   滿林 何ぞ必ずしも黄藍の美のみならん
又有風流異國鐘   又風流異國の鐘有り

 櫻祠の堤岸に渡有り。源八の渡/ゲンハチノワタシ/と曰ふ。渡りて西す。古刹有り。鶴滿寺と曰ふ。寺中の櫻花、黄なる者有り。藍なる者有り。花候、櫻祠に比すれば少しく早し。彼は重瓣、此は單瓣。花に遲速有る所以なり。梵鐘有り。古雅殊に喜ぶ可し。傳に曰く。長門侯の遺る所。蓋し昔年萩府、土中より掘り出す所の物。銘に云く。大平十年二月と云々。樂美、梁書を考ふるに、敬帝の末を大平と爲す。是纔かに一年。又宋史を考ふるに、契丹の聖宗、大平十年にして没すと。然れば則ち北虜の鑄る所に係るか。抑亦珍異と謂ふ可し。
 大和本草に、吾が邦、偏に花と唱ふるは即ち梅、今櫻の稱と爲る。(樂美の曰く。八雲御抄に見ゆ。)樂美按ずるに、古今著門集に長元元年十二月廿二日、昭陽舎の櫻を清涼殿に移すと。櫻の我が邦に出ること、已に久し。種類甚だ多し。花壇大全に二十六品を列載す。花譜、櫻品、草木育種等、參觀すべし。ああ、魚にして鯛、花にして櫻。五代洲に無き所也。伏して/おもんみ/るに、皇運萬萬世一統秀靈の氣、豈に蒸して生ずる所の者か。


○長柄

輿梁古跡喚誰聞   輿梁の古跡 誰を喚びて聞かん
那柄渡邊春日曛   那柄渡邊 春日曛る
煙暗源公射鵺塚   煙は暗し 源公鵺を射る塚
梅香長者愛鶯墳   梅は香ばし 長者鶯を愛する墳

 那柄/ナガラ/は鶴滿寺の西に在り。(又名柄に作る。後長柄に改む。)孝徳帝皇居の在る所を豐崎の宮と曰ふ。帝、聰明叡智、始めて君臣の禮を定め、官職の序を設け、冠服の色を制す。(事、日本史及び皇朝史畧に見ゆ。)遂に那柄橋を架す。世遠く年久しと雖ども、處處の田畝中、時に有りて其の橋柱を出す。色、深黒潤澤、漆の如し。按ずるに其の架する一橋に非ず。諸臣豊崎に朝するの路、此に架し、彼に架す。人皆以て長橋虹の如きの類と爲るは、大いに謬れり。其の出す所、彼此一地に非ざるを以て、知る可し。長柄の橋を咏ずるは萬葉、千載、古今、夫木、玉葉等の諸集に見ゆ。
 仁平三年、源頼政、帝の命を奉じ、一怪物を宮前に射る。遂にこれを嚢に盛り、これを江に投ず。流れて此に達す。土人収めて以て之を/うづ/むと云ふ。
 昔、一富門有り。長柄の長者と曰ふ。愛する所の鶯死す。惜しむこと甚だし。爲に其の墳を建つ。墳上古梅樹有り。(花、常瓣と少しく異なる。)元日、一鶯有り。必ず來たって錦蠻を其の枝上に放つ。年年乃ち然り。(樂美の曰く。孝徳の始めて元を建て、戸口を録し、田畝を定むること、詳らかに日本政記に見ゆ。)


○天滿菅廟

石華表外皷音清   石華表外 皷音清し
肅拜人人致至誠   肅拜の人人 至誠を致す
不聽古風絃誦響   古風絃誦の響きを聽かず
廟東今有竹絲聲   廟東 今竹絲の聲有り

 天滿菅右府の廟は、天神橋の北に在り。廟門を距ること百歩外。一大石華表を樹つ。廟宇堂堂、香火奔波。都下に冠たり。黄昏を以て必ず門を銷すの期と爲す。門外、雪冤の郎、祈病の婦、訴聲屐音、暁に達す。毎月二十五日は最繁昌。此の夜は初更に至るまで門を鎖さず。門前夜市、燈光天を燭す。二月は則ち菜花の儀/ナタネノゴクウ/を設く。實に右府の正忌辰と爲す。六月は則ち祭儀太だ盛んなること、天下無雙。(其の状景を寫す詩、巻の下に見ゆ)。九月は則ち躤柳儀を催す。(文昌雜録に神廟馬を馳する、之を躤柳と謂ふ。)
 平生廟後、珍禽を籠にする者有り。怪獸を檻にする者有り。其のほか、爨弄/シバイ/藏檿/テヅマ/會革/カゲエ/演史/グンシヨヨミ/諢囃/カルクチ/縆戲/ツナワタリ/走解/キヨクバ/等、種種有らざるは無し。嘈呶山倒れ、嗤笑海湧く。
 廟東、章臺街有り。都人、靈符と呼ぶ。(霊符祠前に在るを以て之に名づく。)廟を去ること纔かに咫尺。歌笑皷絃、耳底に徹す。真に是殺風景。
 其の北に菅原山天滿寺なる者有り。(天滿寺街に在り。)綱敷天神なる者有り。(北野に在り。)皆頗る古跡。右府左遷の時、是實に憩ふ所の地。
 樂美按ずるに、元の薩天錫集に天滿宮を咏ずる詩を載す。梧溪集に日本國の飛梅に寄題する一絶を載す。(其の引に曰く。國相菅北野なる者、剛正爲すこと有り。庭に紅梅有り。雅と之を好む。一日、誣ひられ宰府に謫す。未だ幾ばくならずして、梅夜飛びて北野に至る。卒に謫所に死す。國人祠を梅の側に立つと云ふ。)西人、其の徳を推稱すること、此の如し。(五山、本集此の詩無きを疑ひて、後人の追録する所と爲す。然れども諸家の集を閲るに、彼に在りて此に無き例、間々之有り。其の説、然らざるに似たり。)如來菅公廟の五絶(紀徳氏の嚶鳴舘集)、頼千齡の菅廟梅花の七絶(春風舘の詩鈔)、皆以て誦すべし。錦城詩稿に、
  寛平の相業 雄才を見る
  晩節の浮雲 何ぞ開くに足らん
  却って神徳をして悠久を照らさしむ
  千樹の長松 一樹の梅
 黄葉夕陽村舎の詩に、
  國を匡す英謀 偉人を待つ
  如何ともする無し 群小の讒臣を黨するを
  相門 權去りて兵塵沸す
  始めて信ず 興衰の一身に繋がるを
 家父も亦七絶有り。(天神祭會の注に見ゆ。)
 樂美按ずるに、公の事蹟詳らかに讀史餘論に見ゆ。


○天滿菜市

諸國群船載萬籃   諸國の群船 萬籃を載す
繁昌本是冠江南   繁昌 もとより是江南に冠たり
肆前客至驚珍異   肆前 客至りて珍異に驚く
冬日蒲萄夏日柑   冬日の蒲萄 夏日の柑

 天滿菜市は菅廟の南に在り。江水に傍ひて各々屋を結ぶ。其の市、暁天より亭午に至りて畢る。買ふ者、鬻ぐ者、喧嘩雜、頭を/ふりうご/かし、手を拍ち、毛末の利を争ふ。滿路填塞、車馬も行くこと能はず。
 家父も亦一詩有り。同工夫。曰く
  天神橋北 市名高し
  薩芋紀柑 船幾艘
  冬日の珍奇 誰か駭かざらん
  碧西瓜は紫葡萄に對す
 嗚呼、文宣聖、戒め有り。曰く、時ならざるを食はず。人々當に拳拳服膺すべし。(魏の何晏の集解、鄭玄の注に、時ならざるは朝夕日中時に非ざるなり。朱注に、時ならざるは五穀成らず、果実未だ熟さざるの類。樂美按ずるに、鄭注非と爲す。仁齋徂徠の二先生、皆朱子に従へば、是なり。然れども時を過ぎて猶在るも、即ち亦時ならざる者。四書標注に、時ならざるは其の時に非ざる者。石崇の冬日の蒸韮の如き、是なり。呉荃の正解の説も亦通ず。拙堂文話に曰く。論語は語簡にして意包む。聖人の文なりと。蓋し信なり。)


○八軒屋

總是輕裝上洛人   總て是輕裝上洛の人
八軒樓下簇江濱   八軒樓下 江濱に簇る
百夫牽索如魚貫   百夫 索を牽きて魚貫の如し
憫箇千辛萬苦身   憫む この千辛萬苦の身

 八軒屋は天神橋の南に在り。家家江水に對して皆逆旅。京都往來の客を聚めて、船を發す。其の初め發するを一番船と曰ふ。次を二番船と曰ふ。又其の次を三番船と曰ふ。其の船を名づけて、三十石と曰ふ。(蓋し船纔かに三十石を載するの稱か。)其の江に遡る、船首數十丈の長索を繋ぎ、群夫索を牽き、堤上を匍匐して行く。舟師六名/ロクニン/、輕棹を/さおさ/し、伏見に達す。(江程十里。)夏の日、冬の夜、牽索夫/ツナヒキオトコ/は赤身、額上萬珠を迸らし、猿列魚貫、其の勞尤も憐れむ可し。ああ、人生吾が業を營むの苦しき、何ぞ此の極に至る。
 梁星巖、縴 夫魚貫の詩、集中に見ゆ。樂美未だ大阪を出でず。嘗て家父に代わりて江舟中の詩を賦して曰く。
  賣餅船/クラハンカフネ/來たりて客夢驚く
  滂沱 枕に響く夜三更
  篷窓 光は射る半輪の月
  始めて識る 波聲の是雨聲なるを


○懸鐘街

隱隱鐘音渡水清   隱隠たる鐘音 水を渡りて清し
上街不是上方聲   上街 是上方/テラ/の聲ならず
誰知刻刻時時動   誰か知らん 刻刻時時に動き
二百餘年報太平   二百餘年太平を報ず

 天神橋上より巽位を望めば、一鐘樓の屋瓦を抽いて空中に聳ゆる者有り。鐘樓の在る所を懸鐘街/ツリカネチヨウ/と曰ふ。(東溝以内、皆上街/ウエマチ/と曰ふ。地少しく溝西より高きを以て也。)寛永年中、大猷公/サンダイシヨウグン/の命を奉じて築く所。僧の龍巖、之に銘す。此の鐘や、ただ時を報ずるのみならず、人家失火有れば、則ち急に頻頻之を撃つ。是を失火を報ずるの節と爲す。是に於いてか、街街の小鐘櫓、一時齊しく之を撃ち、人をして其の變を知らしむ。
 伏して/おもんみ/るに、後水尾天皇の元和元年より今歳己未に至るまで二百四十五年、天下皆皇恩澤に浴す。


○古林見宜宅

老狸抱病化青童   老狸 病を抱きて青童に化し
乞藥蹣跚來此中   藥を乞ひて 蹣跚此の中に來る
起死回生人不見   起死回生の人見へず
口碑存得見宜翁   口碑 存し得たり見宜翁

 古林見宜翁の古宅、懸鐘街の南、善菴條/ゼンナンスジ/に在り。翁の事蹟、詳らかに皇國名醫傳に見ゆ。世人今に至るまで相傳えて言えること有り。曰く、寒夜一童子有り。翁に謁して診を乞ふ。翁の曰く。咄咄、吾之を脉するに、汝人に非ず。何より來るや。童逡巡、頭を叩きて曰く。謝す、我は横巷石橋汚泥の中を居宅と爲す。二三日前、人來たりて敗魚を橋上に棄つ。饑に乗じて夜出でて大いに之を啖ふ。爾来腹痛止まず。苦悩誠に甚だし。敢へて來る所以なり。翁頷す。輒ち之に一竒藥を投ず。童、拜し去る。其の後雨夜、復た門を敲く者有り。翁出でて視る。頭禿し尾垂れ眼光鏡の如く、滿身の亂毛茸茸たり。四蹄地に伏し、庭上を拜舞すること三たび。忽ち見えず。蓋し來たりて疇昔の恩を謝する者に似たり。ああ、翁、扁倉の妙、殆ど老貍をして感動せしむるに至る。
 樂美按ずるに、翁老狸を治する、虞汝明の琴疏の長沙、老猿を診する事と甚だ相類す。恐らくは琴疏に據りて齊野の説を發するならん。(虞氏の古琴疏に曰く。張機、字は仲景、南陽の人。業を張伯祖に受く。治療に精し。一日桐柏に入り、藥草を覓む。一病人診を求むるに遇ふ。仲景の曰く。子の腕に獸脉有るは何ぞや。其の人、實を以て具さに/こた/ふ。乃ち繹山穴中の老猿也。仲景、嚢中の丸藥を出して、之に/あた/ふ。一服して輒ち愈ゆ。明日其の人、一巨木を肩にして至りて曰く、此萬年桐なり。聊か以て相報ず。仲景、/きり/て二琴と爲す。一を古猿と曰ひ、一を萬年と曰ふ。樂美按ずるに、此の事、説郛及び凾史に見ゆ。然れども虚誕に屬す。)
 市川寛齋、張仲景、琴を撫する圖の七絶有り。嘗て翁の集を讀み、今猶忘れず。因って之を附す。詩に曰く。
  長沙の名徳 黄岐に配す
  黠慧の猿公 却って欺かる
  なんぞ料らん 從來國を醫す手
  還って一格を高うして桐絲に付す(寛齋遺稿に出づ。)


○高麗橋賣縑戸

帛帛如山又似林   帛帛山の如く又林に似たり
帛端記價絶貪心   帛端價を記して貪心を絶す
近來何以價騰沸   近來何を以て價騰沸する
不是千金即萬金   是千金ならざれば即ち萬金


 大阪賣縑戸/ゴフクヤ/三井/ミツイ/なる者有り。巖城/イワキ/なる者有り。大丸/ダイマル/なる者有り。小橋/ヲバシヤ/なる者有り。(四大肆と稱す。)井と巖とは高麗橋西に在り。大は島内に在り。小は川塲に在り。然れども繁昌の最なる者は三井に若くは莫し。四大肆、毎絹價を寸帋に/シルシ/して、以て帛端に附す。邦俗、正札附と呼ぶ。五尺の童をして買はしむと雖ども、欺を受けず。蓋し市の價、二にせざるの類か。或るひとの曰く。近來、何人か大いに絹帛を買ひて歸る。或るひとの曰く。間者/コノコロ/何人か大いに蠶糸を購ひて以て還る。絹價の沸騰するは職として之に由る。古來の無き所。(京都西陣の織匠、帛價沸騰、蠶糸匱乏を以て、故に其の業を守ること能はず。多く乞子と爲り、長街に來る。)
 樂美曰く。征夷府、人有り。豈に此の如きの事有らんや。是必ず訛言ならん。


○虎屋饅頭肆

長教清客慕芬芳   長く清客をして芬芳を慕はしむ
高麗橋西譽最揚   高麗橋西 譽れ最も揚がる
肆上何唯春繭美   肆上 何んぞ唯春繭の美のみならん
盛來桐匣太平糖   盛り來る 桐匣/ハコイリ/の太平糖

 虎屋饅頭肆は高麗橋の西第三街に在り。饅頭の美、海内に甲たり。蚊母樹/イスノキ/の薪、之を煮る。嚴寒製の粉/カンセイノコフ/、之を包み、和泉の赤豆/ヒネノヽアヅキ/、之を餡し/アンニスル/、出島の沙糖、之を和す。故に日久しく路遠く、春往き秋來ると雖ども、終に朽腐爛敗に至らずと云ふ。然れども/このごろ/廣瀬淡窓の遠思樓詩鈔を讀むに、虎屋饅頭腐敗の七律有り。(其の題に曰く。虎店の籠餅を寄する者有り。腐敗して食ふ可からず。戯れに題す。其の詩に曰く。
  秋雲を搏し得て輕くして無からんと欲す
  英英晶晶 盤盂に媚ぶ
  殷勤に齎し至る邯鄲の壁
  珍重に披き來る督亢の圖
  萍實 徒に聞く 刮て蜜に似たりと
  蓮心 何ぞ料らん 茶より苦きを
  到頭真餅還って畫と成る
  始めて信ず 糟糠の腐儒に屬するを)
 ああ、今製昨法に如かざるか。其の佗旨糕佳菓、指を/まげ/ることあたはず、乃ち形樣を畫し、二巻と成し、上梓してこれを世に問す。太平糖と稱する者有り。其の形、所謂金米糖に似て、最も大且つ美。(氷糖を用いて之を精製す。)武弁の贈遺、皆此の物を用ゆ。蓋し其の名を嘉するならん。韃船の長崎に舶する、客或いは遥かに買ひて歸るもの有り。
 樂美按ずるに、諸葛武侯の孟獲を征する、三國志に見ゆ。此を饅頭の權輿/ハジメ/と爲す。(事物紀源に小説に云ふ。諸葛武侯の孟獲を征するや、人の曰く。蠻地、邪術多し。須らく神に祷り、陰兵を假て一に以て之を助くべしと。然れども蠻俗必ず人を殺し、其の首を以て之を祭る。神則ち之を//くれば、兵を出すことを爲す也。武侯從はず。因って羊豕の肉を雜用して以て之を包み、麪を以て人頭に/かたど/り、以て祀る。神亦饗く。而して兵を出すを爲す。後人此に由りて饅頭を爲る。)晉の盧諶の祭法に至りて春祀に饅頭を用ゆ。束晢の餅の賦に、(按ずるに束皙も亦晉人。)三春の初、陰陽交際、寒氣既に消じ、温め熱するに至らず。時に于て享宴すれば、則ち饅頭宜しく設くべし。(游官紀聞に黄長叡の曰く。饅頭はの字を用ゆべし。束晢の餅賦に見ゆと。今本を考ふるに、皆饅に作る。集韻に或いはに作る。)同話録に曰く。食品、饅頭もと是蜀饌。(七修類藁に曰く。諸葛の孟獲を征す、命じて麪を以て肉を包み、人頭を爲くりて以て祭る。之を蠻頭と謂ふ。今訛りて饅頭と爲る也。)
 樂美、群籍を蒐獵し、往往饅頭の異名を目撃す。今左に/かか/ぐ。
 饅首(天工開物)、麪繭(歳時雜記)、捲蒸(類書纂要)、玉柱(彙苑詳註)、起溲(名物法言)、灌漿(事物異名)、籠炊(齊東野語)、炊餅(青箱雜記)、籠餅(緗素雜記)、包子(正字通)、仙餌(柬札玄珠)、玉専(疏食譜)、蒸餅(名義考)、荷包(翰墨大全)、麪璽(格致鏡原)。
 樂美、去年文體明辨を讀み、裏麪の字面を見る。亦是饅頭の異名。籠餅、廣韻に餅に作る。或いはに作る。(翰墨大全に曰く。閩人饅頭の別稱也。)明の會典に大饅頭、小饅頭、雙下饅頭有り。其の餘數十種、南宋市肆紀、雲林遺事、陸游の南唐書等に見ゆ。雍州府志に曰く。建仁寺の第二世龍山禪師、宋に入るや、林和靖の裔孫浄因に弟子の禮を執る。林浄因は饅頭を製造するを業とす。元の順宗至正元年(皇朝暦應の四年)、禪師、林浄因を携へて本朝に歸る。浄因、姓を鹽瀬と改む。南都に居て之を製す。其の形、片團。是を奈良饅頭と稱す。此本朝饅頭の始也。


○伏見街蠻器肆

韃盤韓碗又蘭盆   韃盤韓碗 又蘭盆
豪富購來價不論   豪富購ひ來たって價を論ぜず
獨有沈痾待藥草   獨り沈痾の藥草を待つこと有りて
這般珍器那爲尊   這般の珍器 那んぞ尊しと爲さん

 伏見街は(其の西を呉服街と稱す)高麗橋の南に在り。處處蠻國の産する所の物を //る。千品萬種、竒具珍器、雜然として肆上に臚列す。風流好事の客、皆黄白を擲ちて、爭って之を/ツノ/る。近來五蠻互市、目を驚かし心を動かすの異類、益々來る。好事の客、先ず竊かに之を買ひ、大いに人に/ジマン/りて曰く。是佛夷の新に製する所。曰く、是英狄の始めて齎す所。唯吾之を有りと。是人に誇るの器にして、人に益あるの物に非ず。
 樂美、春夜家父に侍し、兼好師の徒然草を讀む。中に言へること有り。曰く、外国の物、皆無用に屬す。我が邦にして足れり。彼の國の草根樹皮、唯此の一種、誠に有用の品と爲るのみと。是先ず吾が心を獲る者。嗚呼、師五百年前、今日の爲に言ふ。
 古賀精里の詩集に華夷互市圖の五律有り。其の一聯に云く。膏腴の竭くるを識らず。唯心目の娯に供す。此の二句、沈痛以て世を醒ます可し。


○道修街藥舗

犀角一角似束薪   犀角一角 束薪に似たり
麝香沈香總浮塵   麝香沈香 總て浮塵
低昂藥價真如瞬   低昂の藥價 真に瞬きの如し
朝搆朱門夕赤貧   朝には朱門を搆へ 夕には赤貧

 道修坊は伏見街の南に在り。戸戸皆藥舗。舗前之を駄し、之を車し、之を擔ひ、之を舟し、東奥に輸し、西薩に運す。春夏秋冬、朝夕晝夜、絶へず輟まず。路上往來の人、藥氣鼻を薫じ、藥埃眼を眯す。
 家父、詩有り、曰く。
  藥價の昂低 亦咄嗟
  道修街上 豪華を鬪はしむ
  何ぞ唯銀鼎丹を錬る術のみならん
  又金籠鶴を養ふの家有り
 父/トモ/小野氏、(道修坊第二街に在り。)嘗て一鶴有り。飛びて庭に集まる。主人以て瑞祥と爲し、官府に請ふて、之を養ふ。(商家は妄りに鶴を畜ふを許さず。)父、主人の需に應じ、鶴の記を作る。(華城文鈔に見ゆ。)鶴の死するやこれを庭に瘞め、又謚を乞ふ。家父謚して千歳明神と曰ふ。(黄澐の錦字箋に千歳の鶴、偃蓋松に棲む。)一小祠を其の上に建て、春秋之を祭る。頼杏坪の春草堂詩鈔に瘞鶴吟の古詩有り。事頗る相似たり。


○鳥屋街

燕都貢獻阿蘭陀   燕都/エト/に貢獻す阿蘭陀
鳥語喧邊駐彩靴   鳥語喧しき邊 彩靴を/とど/
滿目總無郷里物   滿目總て郷里の物無し
覊情枉買狄禽過   覊情 //げて狄禽を買ふて過ぐ

 鳥屋街は界條/サカイスシ/の東に在り。鳩雀鷄鳬を論ずること無く萬籠羅列、人苟も怪禽奇鳥を得んと欲する者は、來たって黄金を投ずれば、嚢中の物を探るが如く、求めて獲ざること無し。阿蘭人、既に銅邸に舘すれば、官府市上の行歩を許す。例必此に來たり、禽肆に入り、籠禽を買ひて邸に歸る。是其の常例。人人見て以て常と爲す。又非常の一奇事有り。今記して以て後世に傳へ、見聞を廣くす。(事、脱稿後に在り。今附載す。)
 五蠻の通商、近來大いに箱舘に横浜に盛んなり。今茲文久元年、辛酉秋九月、米利幹/アメリカ/吉斯/イキリス/の兩船、将に横浜に往かんとす。兵庫浦に舶す。舩を//てて陸す。強いて官府に乞ひ、道を大阪に假る。彩幟を建て、細馬に跨がり、公然として市中を往來す。辮髪の奴/セイチヨウジン/も亦騎して後に陪す。府中の有司、之を護す。官命して兩醜虜を薩摩溝/サツマホリ/願教寺に舘すること數日。虜の酒を佐け/サケノサカナ/飯を下す/メシノサイ/の物、一圓金/コンバンイチリヨウ/を出し、一大猴を買ひ、縛して以て熱湯渦沸中に投じ、而して後皮を剥き、肉を收め、之を屠り、之を烹るに至る。猴の将に大鼎に入れんとするや、人立合掌、哀號して命を乞ふ。都下聞く者、蹙頞酸鼻せざること無し。嗚呼、猴は微物なり、毛蟲なり。然れども頭面四支、尤も人に似るは、唯此の畜、獨り然りと爲す。故に孫供奉の躍りて簒位人を撃つこと有り。(幕府燕間録に、唐の昭宗播遷、随駕の伎藝人、ただ猴を弄する者有り。猴頗る馴れ、能く班に隨ひて起居す。昭宗賜ふに緋袍を以てす。孫供奉と號す。朱梁、主を弑し、位を簒ひ、此の猴を取りて、殿下に起居せしむ。猴、殿階を望み、全忠を見、/ただち/に其の所に趍り、跳躍して奮撃す。遂に之を殺さしむ。唐の臣、此の猴に愧ずる多し。事亦五代史に見ゆ。)赫乎として史筆に載り、衆人爲に憐稱せらる。虜や此の殘忍酷刻の心を以てせば、則ち孰れか忍ぶ可からざらん。街上觀んと欲する者、狂走して曰く。米利幹、今心齋橋を渡る。曰く、吉斯、既に順慶坊に來る。屐聲地を轟かし、人勢煙を捲く。樂美終日戸外を出でず。獨坐して聖賢の書を讀むのみ。(獨坐聖賢書を讀むは、朱子文集に出づ。)


○學校

一自老泉生二子   一たび老泉の二子を生じしより
奮将腕力起斯黌   もって腕力を奮ひこの黌を起こす
城中絃誦終無絶   城中の絃誦 終に絶えること無し
傳得蘓家兄弟名   傳え得たり 蘓家兄弟の名

 學校は今橋の西に在り。竹山履軒二翁の出る所也。二翁、大才偉器と雖ども、各其の識量見解を異にす。竹山は經濟に長ずるを以て自ら處す。履軒は經義を究むるを以て自ら任ず。危言と雕題とを觀て知る可し。匾額の題字、仰ぎて之を視るに、懐徳堂有り、入徳門有り。門庭肅肅、咿唔の聲音、今猶絶へざる者は、實に二翁の餘澤也。
 家父、嘗て樂美に語りて曰く。竹山痛く韓文公、孟東野を送る序一篇を改竄して、餘力を遺さず。(竹山文集に出づ。)是亦鬼の假面/オニノメン/を著けて、群兒を畏れしむる者。具眼の士、誰か欺を受けん。真に一笑にも/あた/らず。履軒、古語を摘采し、文脉を接屬し、相應錯綜して、伯夷傳一篇を著す。(履軒の敝帚中に見ゆ。)好伎倆と稱すべし。老練手に非ざれば、此の傳を作ること能はず。倶に是一時の手に出るも、亦以て兩陸二蘓/チクサンリケン/の人品を鑒評するに足れり。


○堂島米市

舊穀秋升新穀春   舊穀は秋に升り 新穀は春
輸贏一決鐵精神   輸贏一決す 鐵精神
忽逢奇禍轉奇福   忽ち奇禍に逢ふて奇福に轉ず
懸磬室容猗頓人   懸磬の室は猗頓の人を容る

 堂島は大江渡邊兩橋の間に在り。直ちに北里の花街/キタノシンチ/と相望み、纔かに蜆川/シジミガハ/一條の細流を隔つ。此の際/コノトコロ/、日に隱語/カクシコトバ/を吐き、米價の昂低を傳ふ。黠客狡兒、烏合蟻聚、龍斷に立ち、虎穴を窺ひ、以て廢居を決し、大利を網するの奇策妙算を運らす。久しく富みて/にわ/かに貧なる者有り。久しく貧にして暴かに富む者有り。然れども富を得るは、乃ち千萬中の一のみ。/タトヒ/百計して富を求むるも、真にこれ浮雲浮雲。(草茅危言に深く相塲の舊弊を論ず。)
 或るひとの曰く。近來米價沸騰、珠の如く玉の如し。必ず大いに苞米を買ひて歸るもの有るか、また苞米の脚無くして海上に走ること有るか、今都下の窮民、産を破り多く一轉して長坊の客と爲る。(長坊は日本橋の南に在り。乞兒の群聚する所。)菜色骨立、門前に乞ひ、市上に號ぶ。兒を樹蔭に棄つる者有り。身を橋下に投ずる者有り。母已に餓死して、懐中猶乳を索むるの赤子有り。我が子は既に縊死して、佝僂八十、煢煢として依る所無きの老嫗有り。ああ、廟堂人有り。是必ず訛言ならん。(樂美の曰く。救荒活民の書、資治新書、荒政要覧、康濟録等、必讀すべし。)


○靱街鮑魚

萬苞鮑魚來海東   萬苞の鮑魚/ホシカ/ 海東より來る
老農巧播薄田中   老農巧みに播く 薄田の中
治田何必膏腴物   田を治むるは何ぞ膏腴の物を必ずとせん
可見治人敗皷功   見る可し 人を治する敗皷の功を

 靱街/ウツボチヨウ/鮑魚の諸肆は、(伏見街の東に本靱街/モトウツボチヨウ/有り。故に鮑魚肆を新靱街と曰ふ。)堂島の南、西本願寺の西に在り。鮑魚は東海/マツマヘ/の産、最も上品、西海/キウシウ/を中品となす。山陽/ゲイシウ/は下品。善く製し善く曝らし、而して苞し、舟し、以て大阪に達す。其の達する所の水上を名づけて永代浜と曰ふ。小橋を架す。亦永代橋と曰ふ。橋邊一小廟を建つ。住吉明神を祭る。祭、墨浦と同日。(六月晦。)
 樂美按ずるに、鮑魚は家語に見ゆ。其の名甚だ古し。宣聖臭きに喩ふ。此の街/ウツボ/は人鼻を掩ふて過ぐ。未だ西施の不潔を蒙むること何如なるを知らず。敗皷は韓文公の集に見ゆ。(即ち韓文。清人抄して韓文起を著す。)
 家父詩有り、曰く。
  腐魚 苞に盛り積みて林を成す
  有用 誰か知らん 價の深からざるを
  冷笑す 古人無益の甚だしきを
  枉げて駿骨を求めて千金を費やす


大阪繁昌詩巻之上


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大阪繁昌詩巻之中
       田中右馬三郎源樂美君安 著


繁昌引
 西土の作家、竹枝體を賦する者は、劉夢得より/はじま/りて、揚鐵崖に於いて盛なり。猶、我が邦の竹枝、祇南海に興りて、遂に池五山に窮まるがごとし。余が詩は竹枝にして、竹枝體に非ず。竹枝に非ずして、竹枝體なり。王弇洲、嘗て詩を論じて曰く。法、氣に /わづら/はされず、才、法に累はされず。境有れば必ず窮め、證有れば必ず切すと。是吾が詩を賦するの大範と爲す。之を要するに、太平の風、繁昌の景を詩にして止む。蓋し天子は則ち萬萬歳。(明の宋濂の日東の曲に、六十六州、王一姓。千歳猶效ふ漢の衣冠。自注に云く。日本、古より唯一姓。)将軍は則ち千千秋。(日東の第二曲の起承に曰く。藤橘源平旗四家。連城累第豪華を競ふ。第三曲の起承に曰く。絶へて層霄入る富士巖。蟠根直ちに壓す三洲の間。)遍く之を五大洲に求るに、何くに在るや。繁昌の極。佛魯墨の諸虜、来たりて互市を乞ふ。官、新たに其の塲を箱舘横濱の兩地に開く。(嘗て五国條約書なる者を見る。)/あまね/く其の繁昌を求るに、五大洲中何くに在るや。/そもそも/、我が大阪は天下の中に立ちて、實に咽嗌の地と爲す。乃ち海内の萬寶雜貨、誠に大阪に聚まる。大阪の巨商豪賣、手に觸れ、目を注ぎ、其の物を鑒し、其の價を定め、京都、江戸、奥羽の濱、薩隅の陬、以て之を運輸す。且つ夫れ五大洲中尤も繁昌する者は、日本と爲す。日本中尤も繁昌する者は、大阪と爲す。/ああ/、大繁昌の地、眞に繁昌の詩無くんばあらず。弇洲又論じて曰く。老杜、語を成さざる者多し。(弇洲の二論、倶に四部稿中、藝苑危言に見ゆ。)嗚呼、少陵は道風仙骨、千錘百錬。(杜の評は詳らかに鴎北詩話に見ゆ。)古今の諸家、泰斗もて之を視る。蓋し目するに詩中の佛を以てす。猶且つ、弇老の評を受く。(張南湖の曰く。老杜は詩中佛なり。)/いは/んや余のごときは學に志す/ジウゴ/の年、僅かに一を添ふるをや。後の吾が詩を評する者、吾必ず、不成語の句を吟ずること無くして、繁昌を成すの真趣を味はふことを欲す。(揚誠齋の詩論に曰く。天分低拙の人、好んで格調を談じて風趣を味ははず。袁倉山の曰く。趣は其の眞を欲す。又曰く。詩は其の真なり難し。倶に随園詩話に見ゆ。)


○西本願寺

傑閣雙徽桐菊新   傑閣の雙徽/フタツノモン/ 桐菊新たなり
巧彫獅首又龍鱗   巧みに彫す 獅首又龍鱗
不開門外傳珍話   不開門/アカズノモン/外 珍話を傳ふ
猶弔當時高麗人   猶弔す 當時高麗の人

 西本願寺は安土坊/アツチマチ/の西に在り。齊國の牛山、紀州の熊野/オオキナルヨキザイモク/、皆之を結搆す。屹然巍然。大門二つ、皆東に向かふ。小門二つ、一は南に向かひ、一は北に向かふ。艮位、大皷閣を築く。晝夜其の時を報ず。粉壁玲瓏、高く雲を衝く。巽位、鐘樓を置く。暁天之を撃つ。竊かに僣して府と稱する者、士と稱する者、數十家。高堂の側に環列す。高堂は北に對面所なる者に接し、南に二尊堂なる者に通ず。廣さ億萬人を坐しむ可し。彼の彫を觀れば、則ち左甚五、此の畫を覧れば、則ち/ドモ/ノ又平。美を盡くせり、善を盡くせり。
 按ずるに唐の時、蜀に猱村と云う有り。其の民、髪を剔り僧徒のごとき者、妻子を蓄ふ。蓋し西土既に一向宗有り。乃ち猱村、龍谷に先だつこと殆ど四百年。(逸史に曰く、一向其の始祖を親鸞と曰ふ。妻を蓄へ、葷を//ひ、骨肉相續を以て、宗風と爲す。嫡宗を本願寺と爲す。大阪に在り、勢王侯に擬し、支流天下に蔓衍す。)
 文禄元年、寺主光佐没し、子光壽嗣ぐ。(光壽を教如と曰ふ。)季子光昭の母、太閤に媚を容れ、切に光昭を立てんことを請ふ。太閤、光壽を/しりぞ/け、光昭を立つ。(順如と曰ふ。)東照公の天下を定むるに及んで、光壽來たり賀す。公、一寺を本寺の邊に創め、(命じて東本願寺と曰ふ。)天下の寺に命じて分かって之に屬せしむ。東西の宗、乃ち判る。
 往年、朝鮮聘使の大阪を過ぐる。此を以て舘と爲す。嘗て聞く、儀衛最も盛んなり。我が邦の禮待も亦甚だ厚し。(筆談贈答、諸家詩文集、往往之を見る。)近來來朝の儀、故有って暫く絶す。(中井竹山、清道と題する前旂を見て、失敬と爲す。之を建てしめず。是千古の美事。)今來朝の儀有る者は、唯琉球。(物徂徠の琉球聘使記、新井白石の琉人問答等、見る可し。)朝鮮は乃ち對馬侯、其の事機を管す。(今に至るまで吾が命に從ふ者は、豊臣公の威畧に由る。詳らかに懲毖録に見ゆ。明史に曰く。倭酋關白、朝鮮を征して之を陥る。)琉球は乃ち薩摩侯、彼の事務に宰たり。(琉球史畧、中山傳信録等見る可し。)然れども二蠻、韃虜の正朔を受く。是大いに慨す可し。(山陽詩鈔、鎮西八郎の歌に曰く。唯恨む封冊の殊俗に由ると。新居帖、殊俗、韃虜に作る。)
 不開門/アカズノモン/は其の後に在りて、西に向かふ。壁光皎然として人を射る。(朝鮮聘使、此の門より入る。)長く閉ざして開かず。遂に門の名と爲る。西土の不逮門と稱するの類のごとし。譯司鈴木某、朝鮮の使節/ツカイ/を刺す處。


○東本願寺

薩叟奥嫗來去忙   薩叟奥嫗 來去忙し
黄花何壓牡丹香   黄花 何ぞ牡丹の香を壓せん
寺前因果報應事   寺前因果報應の事
知否雙羊殪一狼   知るや否や 雙羊の一狼を殪すを

 東本願寺は其の南に在り。堂宇搆結、西に較ぶれば少し減ず。(西は乃ち往年火災に遇ふ。東は依然たり。)大門二つ東に向かふ。撃皷閣、至って低し。石門、其の後に在り。石を/かさね/て之を造る。邦俗、穴門/アナモン/と稱す。
 兩本願寺の京に在るの主を門跡と曰ふ。(即ち本山。)都人、老主を呼びて略して大門と稱し、新主を新門と稱す。門跡の此の地に來るを下向と稱す。其の下向するや、五畿七道の癡翁騃婆、涙を拭ひ、鞋を踏み、唯恐るらくは及ばざらんことを。彼の大旱の雲霓を望むの渇情に異ならず。本堂、阿房宮に減ぜずと雖も、群聚禮拜、喧鬧熱を蒸す。満盈填塞、堂殆ど崩れんと欲し、覆らんと欲し、裂けんと欲し、飛ばんと欲す。皆、門跡を呼びて生如来と稱す。合掌號泣して曰く、往生安楽往生安楽。男女老少を論ぜず。假に頭を削り僧に化ける/ヲカミソリ/の儀を設く。噫、其の癡、何如ぞや。高く金を贈るの/タテフダ///て、大いに人に誇って曰く。吾、生如来に禮拜して金百兩を獻ず。曰く。我、生彌陀を渇仰して、金千兩を上る。其の愚、何如ぞや。嗚呼、生如来、何ぞ汝の手を開き、握る所の千萬金を散じて、衆生を救わざるや。蓋し四百四病の外、一種治す可からざるの業病有り。鳳脳麟骨だも寸驗無し。此の業病を解脱すれば、是即身成佛。是極樂淨土。今や生如来。固く其の掌を閉じ、敢へて衆生を極樂淨土に度せず。衆生の功力、生如来を即身成佛せしむ。大繁昌の光、金仙の顔より/カヽヤ/く。(草茅危言、佛法の條、痛く一向宗を辨ず。) 安永年、某藩の二子、不共戴天の仇を門前に殪す。(其の記録、今門前南久太郎街に在り。)彼の石門を出れば、一古祠有り。即ち坐摩。(大門の東、俳諧師芭蕉の寓廬、狂歌生貞柳の居宅有り。)
 黄葉夕陽村舎詩、山陽詩鈔に親鸞上人の詩を載す。倶に冷語を吐く。茶山の詩に曰く。
  人は//ふ 君の家もと少恩
  死して墦祭の幽魂を慰する無し
  請ふ看よ 龍谷松楸の裡
  傑閣豊碑 九原を照らす
 山陽の詩に曰く。
  鎌倉は麋鹿に付し
  室府は灰燼に委す
  一姓の優婆塞
  還って傳ふ 五百春


○坐摩

五狄彩帆來海濱   五狄の彩帆 海濱に來る
誰祈古廟裕烝民   誰か古廟を祈りて烝民を裕せん
相傳長有道風筆   相傳えて長く道風の筆有り
謹記異國降伏神   謹んで記す 異國降伏の神

 坐摩は大阪第一の神祠と爲す。祠もと田蓑島/タミノシマ/に在り。(今の八軒屋。)元和の後、始めて之に遷る。神功皇后、三韓を征し、凱して還る。艦、浪華津に達す。后、佩ける所の神璽を奉じて之を祭る。是祠を建つるの始と爲す。
 樂美按ずるに、延喜式に云く。凡そ坐摩/サスリ/の巫、都下/ツゲ/國造氏の童女七歳以上なるを取りて、之に充つ。若し嫁する時に及ばば、充替すと云云。都下は即ち祠官渡邊氏の本姓。家父、渡邊氏と舊相識たり。家父、能く傳來の異話を聞き、又傳來の古器を見ること最も熟す。此の廟を呼びて異國降伏の神と爲す。菅公の筆有り、道風の書有り、大塔王の墨蹟有り。
 此の祠も亦繁昌。木華表/キノトリイ/前、酒肆列す。泥鰌/ドジヤウ/團魚/スツホン/を煮る者有り。家鳬/アヒル/野鷺/ゴイサギ/を割く者有り。中に或いは演劇/シバイ/、或いは儡傫/ニンキヨウツカイ/。柝撃ち、鐘鳴る。然れども黄昏に至れば人影絶へ、數點の神燈、耿耿幢幢、或いは焔を滅し、或いは光を減ずるのみ。


○順慶坊

順慶坊上夜尤明   順慶坊上 夜尤も明らかなり
汗雨袖雲縦又横   汗雨袖雲 縦また横
坐地乞錢誰豫讓   地に座して銭を乞ふ 誰か豫讓
燈點賣卜幾君平   燈を點じて卜を賣る 幾君平

 順慶坊は心齋橋の北に在り。夜市尤も大繁昌の地と爲す。簷前棚を設け、棚上蜀江錦、呉浦綾を列す。路傍、店を張る。店頭、玳瑁櫛、珊瑚簪を鬻ぐ。或いは龍鬚席/コザ/、或いは蛇眼傘/カラカサ/。細舗に至りては、則ち瓦獸/ツチノケダモノ/陶禽/ヤキモノヽトリ/走馬燈/マハリドウロウ/響葫蘆/ポペン/紗嚢丹鳥/シヤノフクロノホタル/筠籠金兒/カゴノスヾムシ/。彼の餌肆/クヒモノミセ/は則ち煠餈/ヤキモチ/不托/マンジウ/粉糖/アメ/菓餡/アンモチ/。是兒餐のみ。落魄の寒士/オチフレタルサムライ/、矮燈に八卦を畫き、客を聚めて低聲にて運命を話す。饑渇の花子/コジキ/、地に伏して一錢を乞ひ、人を望みて大號して屐屨を拜す。是甚だ憫む可し。骨董舗、巧みに贋器/ニセモノ/を製し、善く田舎翁/イナカモノ/を欺き、紙畫/ハンコミセ/、妙に名俳/ハヤリヤクシヤ//エガキ/し、大いに輕佻女/ウワキムスメ/を悦ばしむ。是尤も憎む可し。凶服之燈/ソウレイノチヨウチン/之轎/ヨメイリノカゴ/衝し/ツキヤフ/、相觸れて行く。剪絡之賊/キンチヤクキリ/笨呆之郎/アホウナムスコ//アトツケテクル/し、/タチマ/ち掠めて以て遁げる。吁、四達の衢、厭ふ可く畏る可きこと、其れ此の如し。乃ち是推して大繁昌の地と爲る所以なり。


○心齋橋書林

武編文帙利頻鋤   武編文帙 利頻りに鋤く
戸戸乗晴驅白魚   戸戸 晴に乗じて白魚を驅る
肆上老商私詑我   肆上の老商 私かに我に/ジマンイフ/
今朝交易得珍書   今朝 交易して珍書を得たり

 書肆は皆、心齋橋條/シンサイバシスジ/に在り。肆下、白招牌/シラハリノカンバン///き、牌面に其の名を題す。二酉五車、庫に藏し、汗牛充棟、肆に列す。方伎生/イシヤ/緇流客/ボウズ/、去來頗る織るが如し。屨、常に戸外に満つ。
 家父の七絶、華城詩鈔に見ゆ。


○賣石家 附石屏風

危巖怪石聳山中   危巖怪石 山中に聳ゆ
海舶巧輸市井東   海舶 巧みに輸す 市井の東
別有舊家藏一物   別に舊家の一物を藏すること有り
珍奇驚見石屏風   珍奇 驚き見る石屏風

 賣石家/イシヤ/は心齋橋の南に在り。幽巖を售り、怪石を鬻ぐ。(又、石燈を沽る。俗有り、雅有り、新有り、古有り。)其の大いさ山の如き者、其の長さ人立の如き者、皆水濱に羅列す。江戸屋と稱する者有り。石製の屏風を藏す。好事者流、陸續として來たって一覧を乞ふ。
 樂美、歴史綱鑑を讀むに、五胡の時、肉屏風なる者有り。驕奢亦甚だしからずや。今、石屏風有り。是實に天下の奇物。


○四橋

碧水分流十字中   碧水分かち流る 十字の中
東西南北四橋通   東西南北 四橋通ず
家家列肆沽煙管   家家 肆を列ねて煙管/キセル/を沽る
常喚往來田舎翁   常に喚ぶ 往來の田舎翁

 四橋は心齋橋の西に在り。西溝水/ニシヨコボリ/は南流して道頓渠/ダウトンボリ/に入り、東溝水/ヒガシヨコボリ/は長掘より西折分流して大江/ヲヽカハ/に入る。此の處、南流西折、縦横相合して十字樣を爲し、各々一橋を架す。(東架する者を炭屋橋と曰ひ、西架する者を吉野屋橋と曰ひ、北架する者を上繋橋/カミツナギバシ/と曰ひ、南架する者を下繋橋/シモツナギバシ/と曰ふ。)橋上橋下、東西南北、舟車の便を通ず。太閤の時、其の繁昌、想ふ可し。此の橋、防の錦帯、甲の獮猴等と其の名を爭ふ。橋南、煙管を賣る。然れども競ひ買ふ者は都人士に非ず。特に村漢野主/イナカモノ/のみ。一肆の招牌、清人程赤城の筆有り。(此の煙管肆、橋北に在り。)
 劉元高の静文舘詩集、四橋の五律の前後二聯に云ふ。
  橋影 回字を成し
  川流 十文を學ぶ
  虹交して首尾無し
  龍鬪ひて煙雲を吐く(暗に煙管を指す)
 棲碧の百絶、四橋の納涼の轉結に云ふ。
  浪速の長橋 一百八
  涼風は只四橋の頭に在り
 家父、備遊中にも此の詩有り。(轉結に云ふ。春去り夏來たって郷夢切なり。九軒の夜月、四橋の風。)


○新町橋

煠蟮 樓頭帘影斜   煠蟮樓/ウナギノカバヤキヤ/頭 帘影斜めなり
春江一脈賣矯花   春江一脈 矯花を賣る
阿儂懶歩橋西道   阿儂 橋西の道を歩むに懶し
多有巫山雲雨家   多くは巫山雲雨の家有り

 新町橋(一名瓢箪橋)は順慶坊の西、四橋の北に在り。橋上、白醪/シロサケ/黄兒/キナコモチ/苞蘆/スシ/礱飯/コハメシ/の諸店、燈火、橋下の水を射て、水光、錦を織るが如く然り。別に一店有り。黒方燈/クロアンド/白文字/シロイモジ/。題して長命丸と曰ふ。噫、淺學の十六童、未だ何の病に用いるを知らず。(此の薬、害有って功無ければ、則ち短命丸。尤も宜しく之を禁ずべし。)橋西に門有り。都人、之を新町の大門口と稱す。門内に煙華の山有り。絲肉の海有り。凡そ父母に事ふる者は、此の山に登りて迷ふこと莫れ。此の海に泛んで溺るること莫れ。


○九軒

眞個章臺第一春   眞個の章臺 第一の春
櫻花爛漫滿樓新   櫻花爛漫として滿樓新なり
蕩郎漫散千金去   蕩郎漫りに千金を散じ去る
不憫窶人憫麗人   窶人を憫れまず麗人を憫れむ

 九軒は大門の西に在り。(もと九樓に有り。今、過半零落すと云ふ。)三月、櫻花甚だ盛んなり。夜は則ち畫幔を垂れ、紅氈を鋪く。千燈を燃やし、萬客を娯しましむ。都人、夜櫻と稱す。蓋し京の島原、武の吉原と三大青樓と呼ぶ。富家の子弟、此の樓に登れば、則ち我が嚢中の金、沙礫もて之を視る。噫、貧窶無衣の客を憐れむことを知らず、徒に嬌媚無尾の狐を愛す。嫖婦の高傘を張り、高屐を鳴らし、八文字の歩を成す者を、大夫と稱す。(一等下り、高傘を張らざる者、之を指して天神と呼ぶ。)昔、夕霧大夫なる者有り。名、一時に高し。吉田屋なる者、今猶其の筆研衣裳を秘藏すと云ふ。
 柴の碧海枕上初集、狐、美人に現する七律の轉結に云く。
  粉魑黛魅 多少是なり
  假粧 原と自ら君を/とが/めず(樂美の曰く。粉魑黛魅、まさに地を換ふべし。碧翁たまたま之を失ふ。)
 寓意、甚だ深し。
 家父、二詩有り、曰く。
  半輪の媚月 櫻林を照らす
  絲竹音無く香霧深し
  樓上の春燈 紅影細く
  鴛鴦 夢熟して夜沈沈

  屐音 踏み破る八文字
  傘影 傾き來る九大家
  樓下の春櫻 樓上の妓
  無情の花は有情の花に對す
(竹山の奠陰累稿、觀妓の詩に曰く。粧罷んで仙娥、院を出で來る。腰支は柳の如く、靨は梅の如し。高く涼傘を張る、章臺の道。寳屐、聲軽くして八字開く。)


○長掘材木市

尾州信國出山來   尾州信國 山を出でて來る
多在長溝碧水隈   多くは長溝/ナガホリ/碧水の隈に在り
深戒終身爲散木   深く戒む 終身散木と爲るを
人人應學棟梁才   人人 まさに棟梁の才を學ぶべし

 材木肆は新町の南、四橋の西に在り。千萬の材木、水濱に堆し。暁に市を起こす。買ふ者、賣る者、各々隱語を用ゆ。何の言なるかを知らず。巨材の/たやす/く移す可からざる者は、倉脚夫/ナカシ/十四五名有り。皆、鳶喙鏢/トビクチニテカケ/を揮ひ、邪許/エイヤラサ/して、以て之を牽く。一望、蜉蝣の大樹を繞るが如し。
 鄒孟氏の曰く。斧斤、時を以て山林に入れば、材木勝て用ゆ可からず。吁、亞聖の言、今日果して驗ありや。


○沙塲 附白麺/ウドン/異名

人言兩肆建招旌   人は言ふ 兩肆招旌/アキナイノシルシ/を建つと
古宅無蹤歳月更   古宅/あと/無く 歳月/あらた/まる
獨有履軒中叟筆   獨り履軒中叟の筆有り
沙塲白麺永傳名   沙塲の白麺/スナバノウドン/ 永く名を傳ふ

 沙塲は新町の西に在り。昔年、北肆南肆、白麺を温め、河漏/ソバ/を蒸し、朝夕群客を招き、相倶に盛んなり。我が大叔父宇山公、(諱は美殷、婚官を肯ぜず、三十一にして卒す。)兩肆の西に別居す。故に家父幼なる時、往來最も頻りなり。今猶髣髴として其の繁昌を記すと云ふ。
 樂美、履軒翁の弊帚を讀むに、南肆、北肆に錢を遺り、竊かに相救ふ事を記す。其の事甚だ奇。其の文も亦奇。好文の士、一讀して可。
 栢如亭、晩晴堂集に七言古の蕎麥歌を載す。(五山堂詩話に見ゆ。)
 樂美曰く。白麺、一名温陶、蘇東坡、温陶君の傳有り。(傳に曰く。石中美、字は信美、中牟の人也。本姓は麥氏、母羅氏、其の夫を去りて石に適くに隨ひて、因って其の姓を冒す。幼にして輕躁疎散、物と合せず。其の郷人儲子の意を得て、因って滏水湯先生に從ひて遊ばしむ。既に熟し遂に陶して之を成す。人と爲り白哲にして長。温厚柔忍、諸石中に在って最も名有り。)妙戯筆。黄山谷の詩に、湯餅一杯、銀線亂れ。蔞蒿數筋、玉簪横たわる。巧聯句。按ずるに温陶、種種の異名有り。
 索餅(事物紀原) 餺飥(歸田録) 温麪(濳確類書) 飥(燕談録) 湯玉(清異録) 湯餅(束哲賦) 熱湯餅(語林) 温陶(正字通) 避惡餅(荊楚歳時記) 不托(猗覺寮雜記)
 樂美按ずるに、白麺の製法、韋巨源の食譜、賈思勰の齋民要術に見ゆ。釋名に曰く。蒸餅、湯餅、蝎餅、髓餅、金餅、索餅の屬。皆、形に隨って之に名づく也。(異名、又金字編に見ゆ。蕎麥の異名、巻の下に見ゆ。)


○鰹座 附白髪街觀音佛并松魚説

腥風滿路暫難除   腥風 路に滿ちて暫くも除き難し
土佐輸來幾萬車   土佐 輸し來る 幾萬車
大士有靈當掩鼻   大士 靈有ればまさに鼻を掩ふべし
觀音堂上曝松魚   觀音堂上 松魚/カツヲ/を曝す

 白髪街/シラガマチ/の觀音堂は砂塲の西、白髪橋の北に在り。(橋、長掘に架す。)此の地、戸戸、木魚/カツヲ/を賣る。故に鰹座/カツヲザ/と稱す。(蓋し坐して之を沽るの稱。他種も亦此の稱有り。)木魚の上品は土佐を推す。勢志の二州、之に次ぐ。薩摩は又其の次なり。(形、至って大なる者。)街上に薦席/ムシロ/を舗き、幾億萬の木魚、晴天に曝す。(朽黴/カビ/を除く也。)
 樂美、舊地圖を考ふるに、此の地、古、白洲嵜/シラスガサキ/と稱す。僧西行、白洲の崎を咏ずる、山家集に見ゆ。後世轉じて白髪街と爲る。(一説に白髪山の木、觀音佛に化けるを以て、之を祭る。故に街に名づくと。)
 又、和名抄を考ふるに、鰹は加豆乎/カツヲ/、嘗て紫式部の文を見るに、堅魚の二字を用ゆ。即ち大鮦也。大を鮦と曰ひ、小を鮵 と曰ふ。鮦は蠡魚也。群書を閲るに、此の魚、外夷に之無し。中山傳信録に佳蘓魚/カツヲ/と稱する者、蓋し誤って佗魚に名づくるに此の稱を以てするならん。按ずるに年中行司秘録に曰く。景行天皇、五十三年八月、伊勢に幸す。十月、安房の浮島に至る。臣、磐鹿六雁命/イワカムツカリノミコト/角弭弓/ツノハズユミ/を以て群魚を捕らふ。此の魚、頑魚/カタクナウヲ/と名づくと。即ち是堅魚也。蓋し乾製して堅實と成すこと、樂美、嘗て延喜式に於いて、始めて之を見る。柏如亭の詩本草に曰く。松魚、二有り。一は葛貲屋を指す。一は趿 結を指す。葛貲屋は即ち魚也。琉球呼びて佳蘓と爲す。(樂美按ずるに、如亭、未だ其の謬を知らず。)其の松魚に作る者は、此の方俗間の文字。然れども沿襲も亦舊し。以ての字に比すれば、則ち其の稍雅なるを覺ふ。是互いに用ひて害あらざるに似たり。
 小竹齋詩鈔に松魚七律を載す。後聯に云ふ。
  削る處 龍鱗雪片を飄へし
  叩く時 牛角歌聲に入る(古賀侗菴の評に曰く。體物玄妙。)
 樂美按ずるに、山木、觀音に化す。此の説、頗る怪しむ可し。然れども陳繼儒の古文品外録に晁補之の猪齒、佛に化する贊を載す。海外も同一奇事。蓋し天地の廣き、其の理、固より思議す可からざる者有るか。


○阿彌陀池

佛旆揺揺映綺羅   佛旆 揺揺として綺羅に映ず
彌陀池上屐音多   彌陀池上 屐音多し
盆花盎草人争買   盆花盎草 人争って買う
誰是當時郭橐駝   誰か是 當時の郭橐駝

 阿彌陀池/アミダガイケ/は白髪橋の南に在り。蓮池山和光寺と曰ふ。寺の傳記に曰く。日本紀に物部の守屋、佛像を難波の掘江に棄つ。(詳らかに日本史物部守屋の傳に見ゆ。)後信州の本多善光/ヨシミツ/なる者、之を過ぐ。佛、池中に在りて、其の名を呼ぶ。善光、池を探りて得たり。負ひて以て帰り、一刹を建てて、之を//く。後世、遂に善光寺と名づく。元禄十一年、僧智善なる者、古跡を按じて池を鑿り、佛を祭り、寺を営む。(傳に曰く。此の佛、善光寺と同木同製。未だ其の實を知らず。樂美按ずるに、日本紀に稱する所の掘江は、桓武帝の時に鑿つ所。舊地圖を考ふるに、城東に在り。今の掘江と大いに異なる。山本北山の孝經樓漫筆に、和州飛鳥川と爲るも、亦謬。)二月望、本堂に釈迦佛の涅槃圖を挂く。(煕朝樂事に寺院、涅槃會を啓き、孔雀經を談ず。)四月初八、其の出誕の畫を挂く。(宋書劉敬宣の傳。四月八日を灌佛の辰と爲す。又、佛運統志、武林舊事等に見ゆ。)兩日倶に聖徳守屋合戰の畫幅を副え挂く。都人賽聚、亦繁昌の叢を成す。掘江菜市/アヲモノイチ/より寺門の前に至るまで、兩傍の簷下、皆簾を懸け、棚を設け、栽種戸/ウエキヤ/、萬種の草花樹木を列す。夜以て日に繼ぐ。買ふ者、肩相摩撃し、足相蹂躪す。
 按ずるに涅槃出誕、其の月日を論ずる、諸説紛紛、歸一の論無し。詳らかに翻譯名義集に見ゆ。郭橐駝、柳文に見ゆ。(即ち柳子厚の文集。郭橐駝の傳。)


松岬/マツノハナ/ 附朝鮮人墓

老樹垂枝波上松   老樹 枝を垂る 波上の松
恰如飲水一蒼龍   恰も一蒼龍の水を飲まんとするが如し
竹林寺裡蠻人墓   竹林寺裡 蠻人の墓
題識朝鮮金漢重   題識す 朝鮮金漢重

 阿彌陀池の西北、大江/ヲヽカハ/の邊、一古松の長枝を垂れて水上に臨む者有り。都人、名づけて松岬/マツノハナ/と稱す。(往年、雷有り。其の樹梢を折り、大いに風致を減ず。)渡有り、松岬渡/マツノハナノワタシ/と曰ふ。渡西、刹有り、竹林寺と曰ふ。寺に大樟樹/クスノキ/有り。高く碧空を凌ぐ。(此の樹、頗る喬木。稍高き處に在りて望めば、則ち見へざる所無し。然れども今、枝葉衰落す。)樟樹下、韓人を葬る處有り。其の碑、蓋し彼の國中の制を用ゆ。碑面に題して朝鮮金漢重の墓と曰ふ。)


○川口

山澤難量群國舟   山澤 量り難し群國の舟
時看醉妓嘯舵樓   時に見る 醉妓の舵樓に嘯くを
西京東武真堪壓   西京東武 真に壓するに堪へたり
有此萬檣林影不   此の萬檣林影 有るやいなや

 川口/カハクチ/は松岬の西に在り。六十餘州、各々巨船を艤し、其の地の産する所の諸品群物を載せ、水上に聚まり、以て價の低昂/サガルアガル/を謀り、時の廢居/ウルモツ/を察す。故に春風の暁、秋月の夕、千萬の危檣、布帆を收めて鄧林の如しと云ふ。蓋し此の繁昌や京都江戸の無き所。


○瑞見山

海門良策奈波瀾   海門の良策 波瀾をいかんせん
虎尾覆來肝膽寒   虎尾 覆し來たって肝膽寒し
欲見當時治水跡   當時水を治る跡を見んと欲せば
鰺江一簣瑞賢山   鰺江/アジカハ/一簣の瑞賢山

 瑞賢山は川口の西、安治川の南に在り。河村瑞賢の事蹟、頗る人口に膾炙す。然れども末年の建業、大いに漢の鼂錯に似たり。抑、水土を平らぐるの事業、至って難し。其の神禹の如き人に非ざれば、則ち誰か其れ之を能くせん。山陽頼翁、通議を著し、水利を論ず。然れども筆して以て之を記し、舌して以て之を傳へるは、固より易易たるのみ。吾未だ馬服君の子と相距つること何如なるを知らず。


○天保山

遠峰恰似在陶盤   遠峰 恰も似たり 陶盤/ヤキモノヽハチ/に在るに
長帯廻風枕海端   長く廻風を帯びて海端に枕す
樹木是苔人是蟻   樹木は是苔 人は是蟻
何人不做假山看   何人か假山/ハチヤマ/の看を做さざらん

天保山は瑞山の西に在り。天保二年、大いに大阪の諸川を/サラ/へ、土沙を此に運ぶ。以て山を作る故に名づく。春日には妓を載する船、絃歌沸起、綺服/キレイナヲビ/、芳草に坐し、以て銀觴を洗ひ、赤鬣/タイ/を膾にす。日脚の却って短きを恨み、魯氏/ロヨウコウ//ホコ/平家/キヨモリ//アフギ/を假りて、曛影を虞淵に/サシマネ/かんと欲す。秋日には/ハゼ/を釣る船、醉客喧嘈、餌を投じ綸を垂れ、一釣一盃、夕陽既に没し、海風面を吹く。彼の澪標/ミヲツクシ/を指し、(澪標は巻の下木津川の條に見ゆ。)明月に棹して歸る。
 樂美、幼より好んで海内諸大家の詩文集を讀む。今、同風景の詩を録す。
 山本北山の詩集に、
  宣尼は水を稱し孟は瀾を觀る
  我も亦苔磯渺漫に對す
  眼界更に清くして心洗ふに似たり
  從前悔やむらくは等閑の看を作すを
 古賀精里初集に
  千翼の船は鳬の泛泛に同じ
  片帆時に順風を得て舒ぶ
 樂美、地理を按ずるに、東南は則ち泉紀阿淡の諸巒、翠を送りて目前に來たり。河ノ二子/カワチノフタコヤマ/和之十三/ヤマトノジウサントウゲ/、呼べば輒ち應へんと欲す。西北は則ち摩耶鐵拐の峰影、雲間に峙す。一谷鵯越/ヒヨトリコヘ/の險を望んで、大いに源九郎の秘略、鄧艾と相似たるを感ず。(鄧艾、劉禪を襲ふは詳らかに蜀志に見ゆ。)抑、九郎、艾と大勲力を外に建て、旗皷未だ收めざるに箝械後に在り。人皆、長く其の冤を悲しむ。然れども艾、九郎と此の禍を招くの由無きに非ず。(我、嘗て鄧艾論を作る。)千載の後、建策立功の徒、鑑せざる可けんや。噫。


○安治川

鷁首映波曦影紅   鷁首 波に映じて曦影紅なり
安治橋下碧江中   安治橋下 碧江の中
新公端坐顔如玉   新公端坐 顔 玉の如し
鼉皷聲高紫幔風   鼉皷 聲は高し 紫幔の風

 安治川/アジカハ/土佐溝/トサボリ/の西に在り。天保山に遊ぶの經歴/トフル/する所也。貞享中、河村瑞見、始めて之を鑿つ。(河村翁、名安治/ヤスハル/、因って川に名づく。瑞見は其の通稱也。)橋有り、架す。安治川橋と曰ふ。橋北もと戯塲有り。今廢す。(都人傳へ云ふ。此の戯塲、五偸児/ゴニンオトコ/、一士を殺すの事有り。)此の間も亦檣影林立。且つ四國九州の諸藩公、述職往來の/カハ/也。世子新たに立ち、初めて江戸に朝するを、邦俗稱して乘出/ノリダシ/と曰ひ、又初登/ハツノボリ/と曰ふ。都下の諸商家、或いは藥草、或いは絹帛、若しくは木綿、若しくは陶器、紙や鍋や傘や屐や、凡百の雜貨、此より以て海内に運せざるは無し。其の大繁昌、實に天下長へに安く、國家久しく治まるに由る也。川の名、尤も虚ならず。
 五山堂の詩話に長門侯の竹枝を録す。(侯、諱は元義、字は萬年、蘭齋と號す。もと十首。)曰く。
  南去北來 船叢を作す
  津樓 架し得て曲げて弓の如し
  濕雲半ば破れて天雨を收む
  各自の蓬窓 便風を祈る
 家父、安治川の詩に曰く。
  纜を繋ぐ 諸邦運米の船
  遥かに聞く 大皷の中流に響くを
  九星一轡 /モン/辨じ難し
  是肥侯ならざれば定めて薩侯


○玉江橋

雨霽玉江橋上風   雨は霽る 玉江橋上の風
侯家粉壁水西東   侯家の粉壁 水の西東
南方直望荒陵塔   南方直ちに望む荒陵の塔
長在頼翁詩句中   長く頼翁詩句中に在り

 玉江橋は安治川の東に在り。橋、土佐溝に架す。大阪に在りては乾位と爲す。荒陵は巽位に在り。理、南望す可からず。然れども橋上に在りて望めば、乃ち荒陵の塔尖、午方に位す。真に是異景。樂美、細かに地理を考ふるに、溝、實に艮位より起こり、一派の清流、迤邐蜿蜒、斜めに坤位に入る。橋も亦斜めに架して、巽位に對す。是自然の地勢、人、斜の又斜なるを覺へざるのみ。
 頼春水遺稿、玉江橋の春望七律の二聯に曰く。
  侯邸の古松 濤陣陣
  市樓の春柳 翠重重
  雲邊の塔影 天王寺
  海上の嵐光 佛母峰


○雜喉塲

活溌紅鬃籃聲有   活溌たる紅鬃 籃に聲有り
雜喉塲上買相争   雜喉塲上買ひて相争う
異鱗別有尺餘物   異鱗 別に尺餘の物有り
欲起瀕湖問此名   瀕湖を起こして此の名を問はんと欲す

 雜喉塲は玉江橋の西南に在り。舊名鷺嶋、後、雜魚を鬻ぐの市塲を開く。因って轉じて雜喉塲と呼ぶ。(魚は呉音古。)今、雜喉塲に作るは謬なり。樂美、古記録を按ずるに、承應中、鬻魚の本肆、我が安土坊/アツチマチ/の東に在り。(余の家、安土坊第三街に在り。)即ち上魚屋街/カミウヲヤマチ/是也。(古名今猶存す。)別に子肆/デミセ/を鷺嶋に築く。朝に子肆に往き、暮れに本肆に還る。牙儈/トイヤノアルジ/、常に東走西奔、多事冗務を厭ひ、延寶中、遂に本肆を撤し/トリハライ/、子肆に遷ると云ふ。
 此の市、曉天より起こる。一商豎、高搨に屹立し、大號して以て群魚の價を傳ふ。萬人、環匝して、手を揚げ指を揺らかし、其の價の廉を欲すること、蝉の如く鴉の如し。嘈熱、人を醉はしむ。緩歩矚目すれば、則ち紅魚/タイ/青魚/サバ/、籃中に躍り、烏魚/イカ/及び章魚/タコ/、石上を歩す。沙狗/カニ/、腕を奮ひ、海蝦/イセエビ/、髯を怒らす。/キスコ/、牛尾/コチ/、貂皮/アカエイ/、烏頬/チヌタイ/の諸魚、夫れ委して塵より輕く、其の棄つること芥より甚だし。大や/クシラ/、小や/イワシ/。左大沖をして一見せしむるも、復た賦す可き無し。
 家父の詩に曰く。
  環立喧豗して隠語傳ふ
  爭ひ沽ふ 溌剌滿籃の鮮
  近來風惡くして漁船/マレナリ/
  數尺の紅魚 價萬錢
 李時珍、瀕湖と號す。樂美一日、佐藤一齋翁の愛日樓詩集を讀み、翁媼對食の圖に題する詩を見る。今、附載して肉食殞命の徒を戒む。曰く
  錦綺膏粱 身を損じ易し
  竟來富貴 貧を知らず
  千金 買ひ難し雙眉の壽
  多くは鶉衣藿食の人に在り
(樂美の曰く、二十八字の養生訓。又曰く、貝原先生、養生訓を著す、時に年八十四。今、一齋翁にして此の壽有り。此の壽有って、此の詩有り。蓋し先輩諸公、みずからこれを身に驗し、而して後、筆を下す。讀者、草草に看過すること勿れ。)


○福嶋逆櫓松

白髪老翁漫論兵   白髪の老翁 漫りに兵を論ず
逆艩 被笑一軍營   逆艩/サカロ/ 一軍營に笑はる
黄昏樹下風尤激   黄昏樹下 風尤も激す
猶作源郎大喝聲   なお源郎大喝の聲を作す

 福島逆櫓松は玉江橋の北に在り。(源義經、柁原景時と樹下に坐し、逆櫓の議を論ず。後人因って此の樹を指し逆櫓の松と名づく事、平家物語に見ゆ。)日本外史に曰く。二月京師を發す。(元暦二年。)渡部に艤す。東兵、水戰に習はず。人人自ら危ぶむ。柁原景時の曰く。請ふ、逆櫓を爲せよ。義經の曰く。何をか逆櫓と謂ふ。曰く、舳艪に皆櫓を設け、進むに舳を以てし、退くに艫を以てす。義經の曰く。進を求めて退くは兵の通患。乃ち退くことを求めんと欲するか。曰く、宜しく進むべくして進み、宜しく退くべくして退くは、良将也。進むこと有って退くこと無きは、野猪にして介する者のみ。義經、色を變じて曰く。猪か鹿か、吾自ら知らず。吾唯進みて敵を勦/き/るを快と爲すを知るのみ。公、若し大将と爲らば、逆櫓千百、公の爲す所に聽/マカ/す。義經のごときは則ち欲せず。衆、景時を目笑す。(黄門公の大日本史、中井履軒の通語、青山拙齋の皇朝史畧、巖垣東園の國史畧等、此の事を載す。今、日本外史を采る。)


○寒山寺

夜半烏啼月落後   夜半 烏啼き 月落つる後
閑牀美睡夢将回   閑牀の美睡 夢将に回らんとす
吾儂不是楓橋客   吾儂 是楓橋の客ならず
何厭鐘聲枕底來   何ぞ厭はん 鐘聲の枕底に來るを

 寒山寺は福島の東北に在り。禪宗、即ち臨濟派と云ふ。梵鐘古雅、其の音、斷金調に當たる。撃てば乃ち其の鳴るや、幽遠。四方に聞こゆ。北風急なる時、樓上に在れば、則ち隱隱として水を渡り、耳底に響く。蓋し姑蘓城外の寺名を用ゆるは、古鐘有るを以て也。


○金魚戸 附金魚異名

滿園紅雪落花初   滿園の紅雪 落花の初め
又恨今年春色虚   又恨む 今年春色の虚しきを
一樹南風吹不起   一樹の南風 吹き起こらざるに
街頭早已賣金魚   街頭 早く已に金魚を賣る

 大阪郊外に金魚戸/キンギヨヤ/なる者有り。數小池を鑿ち、幾敗箔を掩ひ、種種の珍鱗を生じ出して、以て市の利を網す。日に菅笠を戴き、矮桶を擔ひ、市上を往來して、曰く、金魚金魚。
 樂美按ずるに、述異記に晉の桓中、廬山に遊ぶ、湖中に赤鱗魚有るを見る。是を始と爲す。宋に至りて、始めて缸を以て之を畜ふ者有り。花鏡に曰く。魚、土に近くば、則ち色紅鮮ならず。必ず須らく缸にて畜ふべし。缸は宜しく底尖り口大なる者を良と爲すべし。本草綱目に曰く。今は則ち處處の人家に養玩す。春末、子を草上に生じ、好んで自ら呑啗す。亦、化生し易し。初め出るとき黒色、久しくして乃ち紅に變ず。(我が邦、元和中、始めて異域より來る。詳らかに貝原翁の大和本草に見ゆ。)
 樂美、諸書を歴讀し、異名を記すること左の如し。
 朱魚(閩書南産志) 盆魚(福州府志) 手巾魚(正字通) 玳瑁魚(群芳譜) 火魚(山堂肆考) 金鱗(事物異名)
 一種、金鼈/ランチウ/なる者、頗る畜ひ難し。(此金魚と異なり。其の品類甚だ多し。)
 大窪詩佛詩聖堂詩集に(巻七)、金魚の七律を載す。其の一聯に云ふ。
  楓葉 紅衰へて水の冷たきを愁へ
  桃花 浪暖かにして春の喧しきを喜ぶ


○吉介牡丹 附牡丹異名

誰玩沈香亭北花   誰か沈香亭北の花を玩んで
移栽道頓港東家   移し栽ゆ 道頓港東の家
春林有箇孟之反   春林 この孟の反有り
獨殿無雙富貴葩   獨り殿す 無雙富貴の葩

 道頓溝の東、栽種戸/ウエキヤ/有り。園中年年牡丹盛んに開く。(都下稱して吉介の牡丹と曰ふ。)觀客、雲の如し。脂粉の香、花氣と競鬪し、嬙施の容、花色と映發す。美人、牡丹に似るか、牡丹、美人に似るか。蓋し聞く、和州長谷寺/ハセテラ/、姚黄魏紫、名を海内に/ほしいまま/にす。觀音佛殿に禮し、廻廊を/めぐ/れば、則ち實に是富貴花中の真富貴と云ふ。我、大いに馬に/むちう/ち、殿を探るに意有り。然れども固く文宣聖の教えを守り、遠く遊ばず。
 樂美按ずるに、歐陽永叔、洛陽牡丹記を著し、四十餘種を辨ず。秘傳花鏡に百三十一種を載す。群芳譜に百八十三種を集む。最も品類を分かつは、花壇大全に詳らかなり。
 神農本經に云はく。牡丹は上古より之有り。唐に盛んなり。(花の淵源。)張元素の曰く。牡丹は乃ち天地の精。群花の首たり。(花の美稱。)蘇東坡の曰く。牡丹を觀るは午前に宜し。午後に宜しからず。花譜に曰く。牡丹を觀るは巳刻を好しと爲す。花鏡に曰く。午後は花の精神衰ふ。(觀花の期。)今又異名を挈て、讀者に便にし、兩兩相ひ比す。
 花后(花史左編) 姑(盛京通志) 一捻紅(花壇大全) 百兩金(王氏彙編) 花王(山堂肆考) 賞客(花木雑考) 鸚鵡白(牡丹史) 鶴翎紅(歐陽公の牡丹記) 天香(尺牘雙魚) 京花(種樹書) 第一香(皮日休の詩) 富貴花(周濂溪の愛蓮説)(餘は金字編に見ゆ。)
 春水遺稿、牡丹の詩に、
  錦幄彫欄 豪貴の家
  李唐當日 紛華を競ふ
  東方 別に櫻華の在る有り
  未だ許さず 渠儂/カレ/の百花に王たるを
 茶山、黄葉村舎の詩に、
  李溪桃塢 已に塵と成る
  何處の風光か 人を慰藉せん
  獨り牡丹花の尤も事を解する有って
  艶粧緩緩 殘春に向かふ
 米庵百絶に(六言絶句)、
  園裏 花を種ゆる/セバ/しと雖も
  幾番の紅紫 看るに堪えたり
  此の心自ら笑ふ 飽くこと無きを
  鄰舎只羨む 牡丹
 又(七言絶句)、
  細繪 剪り出して紅霞を簇らす
  千瓣重臺 艶更に加ふ
  至竟 金錢籬落の物
  繁華 何ぞ洛陽の花に//かん
  (王敬美の曰く。夜落金錢鳳仙の類は、籬落間の物。)
 盤溪詩鈔に、
  飛花 亂れ撲つ 半扉の柴
  東風を愛惜して小齋に坐す
  三尺の藥欄 春未だ老ひず
  園丁 已に挂く牡丹の牌

  滿郊の芳樹 已に離披
  復た香輪の草を/キシリ/て馳する無し
  自ら是閑人落後を甘んじ
  花を看て亦牡丹の時を//

  ただ魏紫と姚黄のみならず
  幾種の奇葩 靚粧を鬪はす
  笑殺す 阿瞞の寒乞相
  一枝の穠艶 僅かに香を凝らす

  翠幕紅欄 幾處にか開く
  清茶一椀 亭臺に倚る
  高風ただまさに襟を正ふを見るべし
  肯へて許さんや 醉人の狂躁し來るを
  (自注に園中飲を禁ず、故に云ふ。)
 山陽遺稿、牡丹を栽ゆる詩に、
  田圃 寧んぞ富貴の花無からんや
  一稜の金粉 桑麻に映ず
  人世真の黄紫を看ることを要せば
  洛陽姚魏の家に在らず
 詩聖堂集、牡丹雨に値ふを傷む詩。山陽詩鈔、畫牡丹に題する詩。家父、墨牡丹に題する詩。今、附載す。
 詩佛の詩に曰く。
  一枝濃艶 露華多し
  笑を帯びて看る時 醉を帯びて哦す
  當日誰か知らん 今日有るを
  滿天の風雨 馬嵬坡
 山陽の詩に曰く。
  京洛の春風 常に關を掩ふ
  姚魏に從ひて彫欄に醉はず
  秋燈半壁 蕭蕭の夜
  /カヘツ/て霜縑に向かって牡丹を看る
 家父の詩に曰く。
  花王群立して御庭馨し
  是明皇の寵靈を降すに因る
  月落ちて白紅誰か辨ずることを得ん
  沈香亭北 夜冥冥


○權現祭

真主揮戈天下平   真主 戈を揮ふて天下平らかなり
諸侯建廟采蘋清   諸侯 廟を建てて采蘋清し
長将靈皷神鈴響   長へに靈皷神鈴の響きをもって
換得千軍萬馬聲   換へ得たり 千軍萬馬の聲

 四月十七日、都下十萬戸、一籠燈/チヨウチン/を掲げ、東照宮を祭り、以て太平の恩澤に答ふ。(ただ都下然りと爲すのみならず、凡そ諸藩の封地、悉く之を祭る。)一天下、權現祭/ゴンゲンマツリ/と稱す。(逸史に曰く。十七日、太大君薨す。壽七十有五。遺命して久能山に窆す。天使、弔を致し、卹典、隆を極む。駿河參議頼宜、就きて廟を建つ。日本外史に曰く。僧天海、廟を大權現と號することを請ふ。三年将軍、遺命を以て下野の日光山に改葬し、新廟を建つ。天王、廷臣三輩を遣はし、命を宣して正一位を贈り、號を賜りて東照と曰ふ。是の日将軍、江戸より來たり、次日祀る。柁井親王尊純、禮を掌る。後三十年、詔して大權現を改めて、宮と曰ふ。)此の日都人、其の業を執らず。沐浴して服を更め、天滿橋/テンマハシ/北の權現廟に賽す。廟門の前、露肆/ダシミセ/地を/ウツ/む。士女絡繹、忽ち今日の繁昌を見て、當時の戰亂を思ふ。銀鍪金甲の叢、轉じて繍帯錦衿の林と成り、白刃素鋩の霜、消へて瑚簪玳櫛の雲を生じ、三軍連營の鼙、歇んで衆屐群屨の雷を起こし、陣糧兵糒/ヒヨウロウ/の山、崩れて賣餻賈餈の海を湧かし、烽臺狼煙の火、滅へて千店萬肆の燭を放つ。ただ其れ然り。是以て太平繁昌の兆しを卜す可し。又、以て太平繁昌の澤を拜す可し。廟前は乃ち肅然、天下の侯伯、皆石燈/イシトウロウ/を獻ず。(凡そ諸侯の大阪城に鎮たる者、各々石燈を廟前に建つ。謹んで其の官位姓名を題す。)廟西の巫、金鈴を鳴らし、祝ひて畫皷を撃ち、終日其の舞樂を獻ず。
 樂美竊かに謂へらく。偏に權現と稱すれば皆東照宮と爲し、太閤と呼べば悉く豊臣氏と爲し、天神と唱へば便ち菅原公と爲し、大師と/となへ/れば概して空海僧と爲す。嗚呼、人斯の世に生まれて此の如くなれば、則ち足れり。(物徂徠の文集に曰く。古者、廷臣の外州に血食する。皆天神を以て稱す。而して土官は國神/クニツカミ/と號して以て之を別つ。)
 大田錦城詩集に、四月十七日の二詩有り。曰く、
  薫風和氣 山川に滿つ
  四海昇平二百年
  東照の神恩 蓋載に同じ
  農は田畝に安んじ 賈はに安んず

  二百年來 太平を歌ふ
  四民老死して兵を知らず
  唐虞の徳化 相ひ遠きに非ず
  生まれて此の時に遇ふは何の幸榮ぞ
 松陰餘事に七言古詩を載す。(其の題に曰く。東照公の廟に謁す。四月十七日也。)第三四に云ふ。百折、撓まず漢の隆準。一戰して覇たり、晉の駢脅。(實に妙對。)


○野田藤花

紫浪漲空神廟前   紫浪 空に漲る 神廟の前
将軍憩處已爲田   将軍 憩う處 已に田と爲る
猶留半杓當時水   なお半杓當時の水を留め
片石長標舊玉川   片石 長く標す 舊玉川

 野田は權現廟の西、福島の北に在り。國風を按ずるに、六玉川の一。四月、藤花盛んに開く。花、他の老樹を絡ひ、開きて空中より垂る。古雅、尤も賞す可し。傍らに滿架の花有り。是人作りしのみ。空中の花に如かず。都人、酒瓢を腰にし、行厨を提げ、古廟の下に遊ぶ。(廟は春日明神を祭る。)貞治三年、足利二世将軍寳篋公(名は義詮/ヨシノリ/)、墨江に賽し、遂に此の地に來たり、花を賞し歌を咏ず。(事、住吉參詣記に見ゆ。)蓋し玉川は世遠く年古く、鞠して一小池と爲る。今傍らに片石を建て、公の歌を刻し、不朽に垂る。(其の歌に曰く。以仁志恵廼、由加里遠、伊満茂牟羅佐起農、不爾那美加加留、乃多能太磨嘉和。)中将公廣、藤花を咏ずる。新類題に見ゆ。
 皆川淇園詩集(初編巻の二)、藤花を觀る五律。後聯に云ふ。緑香、夕雨に宜しく。紫潤、春風に媚ぶ。(十字、藤花を寫し盡くす。)
 家父の詩に曰く。
  桃谷櫻祠 緑天を染む
  人は傳ふ 城外紫の娟娟たるを
  郊南郊北 花何れか好き
  刈田/カツタ/に到る可きや 野田に到るべきや
 (刈田村は住吉の東に在り。其の架二。花開きて殆ど地を拂ふ。美なること甚だし。然れども是亦人作。)


○浦江燕子花 附燕子花異名

東帝已辭花是塵   東帝已に辭して花は是塵
北郊野廟滿池新   北郊の野廟 滿池新たなり
紫藤架上雖凋落   紫藤架上 凋落すと雖も
杜若橋邊別有春   杜若橋邊 別に春有り

 浦江歡喜祠/ウラエノシヨウデン/は野田の東に在り。五月、燕子花/カキツバタ/、碧水と相映發す。八板橋/ヤツハシ/上を徘徊すれば、則ち滿池の紫氣、掬す可し。此は是、近來實に之を鑿ち之を//ゆ。故に在中郎の遺愛(参河鳳來寺に在り。)、淺澤池の餘興(攝津住吉祠に在り。)、蓋し同年の談に非ず。やや東して玉藤の酒樓有り。(此の樓、麥飯を製し出す。)樓上、北野曠濶、能勢妙見の碧嶺、中山觀音の紫巒、指點目撃の際に在り。此の樓、昔は混沌社中の會集する所なりと云ふ。且つ頼春水、安藝に定省/ヲヤヲミマイニユク/し、大阪に還るの日、(此の時春水江戸濠に寓す。事、春水遺稿、山陽遺稿中の行状文に見ゆ。)筱葛の諸公、つねに必ず一筵を開き、春水を待つ處。(事、春水遺稿附録在津紀事に出づ。)
 樂美按ずるに、杜若、燕子花、同種に非ず。杜若は和名也婦免烏革/ヤフメウカ/、多く竹木林下に生ず。(中山傳信録も亦之を失す。然れども姑く我が邦の傳稱する所に從ふ。辨、小野蘭山本草啓蒙に見ゆ。)燕子花は始めて漳州府志に見ゆ。藏玉集に貌吉草/カホヨクサ/と稱す。紫燕花、紫冠、紫君子等の異名有り。
 頼仙齢、春風舘詩鈔八橋の詩に曰く。
  滿池の紫燕 人に背きて飛ぶ
  惜しむこと莫れ 殘香の我が衣を/つまばさ/むを
  今年花落ちて 明年發す
  王孫の去りて歸らざるに似ず


○大仁村 附渡唐天神説

傳得此花兼此文   傳へ得たり 此の花此の文を兼ぬと
千秋不朽兩芳芬   千秋朽ちず 兩つながら芳芬
誰呼培塿一杯土   誰か培塿一杯の土を呼んで
漫道王仁博士墳   漫りにいう 王仁博士の墳と

 大仁村/ダイニムラ/は浦江の東に在り。村人、一塊の土を指して王博士を葬る處と爲す。蓋し、大、王と、我が邦音讀相同じ。故に無文の野老、遂に大仁を謂ひて王仁と爲す。(或るひとの曰く。大は王に作るべし。字形相似たるを以て誤る。是儒臭、取る可からず。)近來、此の墓を祭り、大仁天皇と呼ぶ。(應仁天皇より謬り來る。)殊に笑ふ可し。樂美因って細かに舊志を考ふるに、王氏の墓は實に河内交野/カタノ/郡に在り。このごろ頼杏坪春草堂の詩鈔、王博士墓の七律を見るに、自注に云ふ所、我が考ふる所と暗合す。嗚呼、堂堂たる天朝の儒職、豈死して一培塿と化するの理有らんや。嘗て之を聞く、交野の墓、阜を成し、岡を成す。樹木蓊鬱、空を掩ふ。乃ち塊土に非ずと。(世に渡唐天神の畫幅を傳ふ。其の像、漢土の衣冠、端立して一朶の梅花を持す。衆人、謬って菅丞相と爲す。是大いに然らず。渡唐天神は必ず王仁の形貌を寫すは、蓋し唐土より渡り來たり、死して天神と號するならん。今、丞相と爲るは山陽遺稿、歌聖堂の記に言ふ所の人丸の木像を謬って蛭子三郎と呼ぶの類。)
 家父、土人の稱する所に從ひて一詩を賦す。曰く、
  平堤 水を隔てて一燈紅なり
  人語梭聲 深樹の中
  行く行く識る 王仁荒墓の近きを
  暗香袂を襲ふ 野梅の風


祈晴僧/ヒヨリボウズ/

點滴沈沈撲戸頻   點滴沈沈 戸を撲つこと頻りなり
青青染砌草如茵   青青 砌を染めて 草 茵の如し
連朝霖雨懇祈霽   連朝の霖雨 懇ろに霽を祈る
屋下斜懸帋偶人   屋下斜めに懸く 帋偶人

 大阪の俗、連日霖雨止まざれば、則ち女兒紙を剪り、偶人を製し、屋下に繋ぎ、之をして霽を祷らしむ。名づけて祈晴僧/ヒヨリボウズ/と曰ふ。是即ち故事。樂美按ずるに、帝京景物略に曰く。凡そ雨久しければ、白紙を以て婦人の首を作り、紅緑紙を之に//せ、苕箒苗を以て小帚を縛して之を携へしめ、竿にて檐際に懸くるを、掃晴娘と曰ふ。近來又故實を用ゆる詩を見る。錢謙益の列朝詩に出づ。(蜀の成王の宮詞に曰く。君王、翌日長春に宴す。霖雨迷漫、濘土の塵。特に満官をして來たって壓止せしむ。一時懸挂す掃晴人。王次回の上元の竹枝に曰く。風雨元宵、意ますます傷む。畫檐低拜す、掃晴娘。若し天邊の雨を掃ひ得せしむるなれば、爲に掃へ、生離の泪兩行。)柏如亭吉原詞に、掃晴娘を用ゆること、五山堂詩話に出づ。余、未だ其の詩を見ず。聞く、五山堂詩話に掃晴娘七律有りと。


○梅雨 附蘇葉及梅實異名

五月冷風吹透膚   五月冷風 吹きて膚に透る
頑雲磨墨逐風驅   頑雲 墨を磨して風を逐ふて驅ける
方知雨足林園熟   まさに知る 雨足りて林園の熟するを
賣出黄梅與紫蘓   賣り出す 黄梅と紫蘓と

 梅雨の時節至れば、則ち村夫、蘓葉を荷なふ者有り。梅實を擔なふ者有り。街上門前、荷擔を弛るめて、以て之を賣る。
 蘓葉は和漢通じて紫蘓/チリメンクサ/と曰ふ。城州及び紀州の産する所を上品と爲す。即ち面背皆紫なる者、和名唐紫蘓と曰ふ。(一名高麗紫蘓、又朝鮮紫蘓、又阿蘭陀紫蘓。)村夫、兩面紫蘓と稱して之を賣る。(多く城紀二州の物に非ず。是片面紫蘓。下品と爲す。集解に言ふ所の葉下紫色なる者也。)兩面紫蘓は(下品の者は面紫にして背青。)皺多く鋸齒深し。集解に稱する所の花紫蘓、回回蘓、即ち是也。本草彙言に鷄蘓と稱す。又水状元(輟耕録)、桂荏(清異録)、香蘓等の異名有り。(群芳譜)梅蘓と稱する者有り。(汝南圃史に見ゆ。紫蘓を梅醤中より出し、曝乾して砂糖を和する者。)紫蘓包と名づくる者有り。(藥性纂要に見ゆ。蘓葉の搗汁、梅子と同じく糖に和し、葉をもって包みて毬と成す。)
 梅實は攝西岡本村に出るを上品と爲す。城の伏見を(市商、城州と稱す。)中品と爲す。佗産を下品と爲す。和州月瀬の梅實は、得可からず。(梅實の小なる者、甲州梅と稱す。もと其の地に出づ、故に名づく。)樂美按ずるに、晉の陸機の詩疏に曰く。其の實は酢、曝乾して脯と爲し、臛虀中に入る。陶隱居の曰く。五月、實を采り、火乾す。譚氏化書に曰く。青き者、鹽淹曝乾したるを白梅と爲す。(按ずるに梅實の熟して自ら落つる者も、白梅と名づく。銀海精微に見ゆ。蓋し同名異義。)熟する者、汁を笮し晒し收むるを梅醤と爲す。(本邦梅酢と稱す。)
 梅實の早く熟する者を早梅と稱す(群芳譜)。花蒂中、三四實を結ぶ者を品字梅と稱し(泉南雜志)、又三品梅と名づく(葯圃同春)。霜梅/ムメボシ/を染むるに紫蘓葉、或いは牽牛花を以てし、赤色を發する者を、紅梅と名づく(北戸録)。梅を銅盆水中に置き、取り出し蜜に漬すを青梅と曰ふ(汀州府志)。甘艸に漬すを甘梅と爲す(上に同じ)。梅の青き者、糖を以て之を和するを脆梅と呼ぶ(邵武志)。蜜を以て之を煎るを緑梅と呼ぶ(上に同じ)。
 梅實の異名。青子(梅譜)、雪華(行厨録)、曹公(夢溪筆談)、含酸(清異録)、柟(埤雅)、柟 果(典籍便覧)、和鼎實(山谷詩集)、嘉實(書言故事)、蝋果(事物紺珠)。
 乾梅/ムメボシ/の異名。乾(名物法言)、乾腊(山海經)、酸公(四朝見聞録)。
 五山堂詩話に一絶を載す。曰く、
  城中昨日輕雷を送る
  日氣紅を烘して暑驟かに回まる
  已に一年鹽漬の計を作し
  家家の蘆箔 黄梅を曝す(是五山の詩)


○茄田 附茄子異名

正是黄雲刈盡時   正に是黄雲刈り盡くすの時
嫩苗遍種碧雲滋   嫩苗遍く種へて碧雲滋し
崑崙花發未多日   崑崙花 發して未だ多日ならざるに
已有田田紫玉垂   已に田田 紫玉の垂るる有り

 南北の二郊、麥秋の後、盛んに茄苗を種ゆ。其の長ずるや頗る早く、其の實を結ぶや、最も速やかなり。實の大いさ彈丸の如くなれば、乃ち市井に出す。南郊北郊、皆競って之を賣る。然れども城北鳥飼村の産する所を上品と爲す。(膨脝 皮薄し。)土人、鳥飼茄子/トリカイナスビ/と稱す。姦農有り、此の稱を假り、他實を賣る。ああ、誰か烏の雌雄を知らん。真に欺くに其の方を以てす可き者。樂美按ずるに、南北二郊の産は是尋常の茄、廣東新語の稱する所の荷包茄なる者。鳥飼の産は臨桂雜識にいわゆる/さしわた/り五寸なる者は、合包茄と名づくるの類。
 都下の俗、頭番/ハツモノ/の茄子を取り、紺皮を剥き、半身を/クシニサス/し、之を煠し、之を煠し、又重ねて之を煠し、施すに味噌を以てするを(處處之を賣る、一大方燈を掲げ、茄子田樂の四字を題す。)、晩飯を下すの物と爲す。余が家、薄暮に至れば、奴僕庭樹に灌ぎ、葉葉露滴り、涼風席を吹く。新に浴する後、祖母に侍食す。阿母、必ず之を膝下に獻ず。是毎夕の例。(東巷一肆の製する所、美風味、阿母毎に之を購めしむ。)蓋し此の物、其の之を煠ること熟せざれば、則ち索然として蝋を嚼むが如し。熟すれば則ち必ずしも錬珍堂上の品を羨まず。(錬珍堂、清異録に見ゆ。)嘗て南史に記す/オボヘテイル/。呉興の太守、紫茄を種へて常餌と爲す。詔して其の清を褒むと。今日の製法を用いれば、帝、太守を褒せず。故に柏如亭詩有り。曰く、
  異味を調成するは庖人に在り
  何ぞ必ずしも盤盤八珍を覓めん
  烹煮一たび汝の手を經しより
  尋常の菜把も亦皆新なり
 茄子の異名、左に附載す。
 矮瓜(廣東新語)、落蘓(清異録)、若伽(事物異名)、小菰(群芳譜)、崑味(典籍便覧)、紫膨脝(上に同じ)、草鼈甲(芝田録)、落蘓事(酉陽雜爼)、崑崙紫瓜(清異録)。
 又、白茄(一名銀茄)、黄茄(肇慶府志に白色の熟する者。)、黄老茄子、反老黄茄(本草附方)、水茄/ナカナスビ/等(羣芳譜に云はく。一種水茄、形やや長きも亦、紫青白の三色有り。)有り。
 五山堂詩話に宋人茄を咏ずる詩を載す。(詩に曰く。青紫の皮膚、宰官に類す。光圓頭腦、僧と作して看る。如何ぞ、緇俗偏に同じく嗜む。口に入れば元來總て一般。)又、本邦の人咏ずる詩を載す。(詩に曰く。紫茄、味美にして、梁肉に勝れり。九夏三秋、日に餐を佐く。他、老成に到りて人益々賞す。兀頭、恰も耆儒と作して看る。)星巖集に茄子を咏ずる七律も亦巧手。


○住吉舞

菅笠絳巾揮白扇   菅笠絳巾 白扇を揮ひ
齊歌古岸老松詞   齊しく歌ふ 古岸老松の詞/キシノヒメマツメテタサヨ/
傘下數僧環舞了   傘下の數僧 環舞し了る
墨祠祭會欲催時   墨祠の祭會 催さんと欲する時

 住吉舞/スヨヨシオトリ/は是神宮寺の僧徒と爲す。呼びて青錢十二穴を投げれば、門前に立ち、其の伎を奏す。僧凡そ四五人、皆菅笠を戴き、笠檐尺餘の縫巾を垂れ、白衣を著け、白扇/シロイウチハ/を揮ふ。一老僧、大傘を拏て、竹片を執りて、傘柄を叩き、唱和して以て節を按ず。三四僧、手を揚げて、身を躍らし、傘下に環舞す。其の歌曲、何の語爲るを知ること能はず。ただ岸の姫松の詞を記する/シレル/也。毎年市上に出ること、上巳に始まり、六月晦に終わる。晦を墨浦の大祭日と爲す。
 舘柳灣の漁唱二集に住吉舞の詩有り。曰く、
  街上に現し來たって花身と叫ぶ
  是西天の古應真なること莫らんや
  阿難は唱歌し迦葉は舞ふ
  今に瞞殺す滿城の人


○撃皷童

處處神祠祭會催   處處の神祠 祭會を催す
門前赤日暑如煨   門前の赤目 暑 /やく/が如し
萬夫舁閣塵如霧   萬夫 閣を舁ぎて塵霧の如し
童戴紅巾撃皷來   童は紅巾を戴いて皷を撃ち來る

 六月、諸神廟の祭儀は愛染祠を其の始めと爲し、墨浦廟を其の終りと爲す。蓋し、難波祇園(十四日)、三津八幡(十五日。祠、西溝、木綿屋橋の東に在り。)、毘沙門(十六日。祠、勝鬘阪に在り。)、御靈(十七日)、高津仁徳(十八日)、博勞街稲生(二十一日)、坐摩(二十二日)、天滿天神(二十五日)、生玉(二十八日)、玉造(二十九日。小盡くれば乃ち墨浦と同日。)、住吉(下に見ゆ)。諸祭は其の中間に在り。各々其の儀を盛んにす。六月中、數十萬人、日に彩衵衣/キレイナジユバン/を著け、雕小閣を舁いで、以て行く。其の制、上に閣し、五疊の寶繪を蒙らしめ、閣中大皷を安し、侲童四に坐し、各々長紅巾を戴き、彩縐絹/チリメン/を服し、兩手巨撥を執り、頭を擧げ、節に按じて、之を撃つ。巾端垂れて檻外に在って、紫陌の紅塵を拂ふ。
 樂美按ずるに、通鑑唐肅宗紀に云く、山車陸船を以て樂を戴きて往來す。胡三省の註に山車は車上に棚閣を施し、加ふるに綵繪を以て、山林の状を爲す。陸船は、竹木を縛りて、船形を爲し、飾るに綵繪を以て中に列し、之を舁ぎて以て行く。廣東新語に曰く。元夕、陸龍船を爲り、長き者十餘丈。輪を以て旋轉し、人皆錦袍倭帽、旗を掲げ、皷を弄し、對舞して寶鐙を其の上に設くと。按ずるに、都下の俗、皷閣を舁ひ、棚車を牽く者は、蓋し此の類也。


○御靈祭

蘭蓀橋畔赤旗揚   蘭蓀橋/アヤメハシ/畔 赤旗揚がる
祭得鎌倉權五郎   祭り得たり 鎌倉の權五郎
滿路人聲如大吶   滿路の人聲 大吶/トキノコエ/の如し
錦袍緋鎧作戎行   錦袍緋鎧 戎行を作す

 御靈祠は平野坊の西、龜井街に在り。傳に曰く。平景政の靈を祭ると。祭儀を催すに、十五六より二十四五に至るまでの男子、鍪を戴き、甲を擐し、劍を佩び、旌を建て、意氣揚揚、隊を結びて歩す。江橋/ヨドヤハシ/下より舟に乗りて江を下る。篝燈萬點、緑波を射て、白日の如し。


○稲荷祭

狐王廟上彩燈明   狐王廟上 彩燈明らかなり
鷦帝祠前神皷鳴   鷦帝祠前 神皷鳴る
百獸逡巡膓欲裂   百獸逡巡 膓裂けんと欲す
一雙獅子奮頭行   一雙の獅子 頭を奮ふて行く

 稲生/イナリ/祠は順慶坊の北、博勞街の西に在り。本祠は仁徳帝を祭る。枝祠は狐王を祭る。然れども今、枝祠を以て世に聞こゆ。(博勞街の稲生と稱す。)ああ、物皆運數に有る哉。是所謂室を假して、遂に堂を奪はれる者。


○天神祭 附菅丞相論

數萬紅燈映水新   數萬の紅燈 水に映じて新たなり
梅徽畫得是天神   梅徽/ムメバチノモン/畫き得たり 是天神
長江不見寸分地   長江 寸分の地を見ず
船壓船邊人醉人   船 船を壓する邊 人 人に醉ふ

 天滿天神の祭會は其の盛んなること實に舌す可からず、筆す可からず。之に比敵する者は、特に京都の祇園祭と爲す(六月十三日)。然れども是水上の夜景無し。乃ち一箸を輸るを覺ふ。皷閣幾番、棚車幾番、神輿に先んじて行く。神輿、浪華橋北に至り、始めて舟に乗す。神輿二つ、數十萬の紅燈、之を護す。(皷閣棚車、舟せず。陸行す。)後、一船有り。陪して以て繼ぐ。滿船皆衣冠、簾を垂れ、樂を奏す。俗中雅有り。尤も風致佳趣を帯ぶ。岸上の人家、槍櫐/ヤライ/を設け、葦箔を下し、紅鍮/モウセン/を鋪き、金屏風/キンビヨウブ/を列し、酒を酌み、客を娯しましむ。江上の遊船無數、清流を填め、水色を見ず。真に天上の群星、盡く落ちて水上に漂ふかと疑ふ。
 竹山の奠陰畧稿に二詩有り、(季夏菅廟の祀日、舟中に題す。)曰く。
  羽衛 神を迎へて水涯に下る
  侲童 皷を撃ちて縫巾垂る
  畫船綵舫 觀るもの堵の如し
  西溟竄逐の時に似ず

  江上の船は岸上の樓に連なる
  絃歌 夜に接して中流に咽ぶ
  華燈百萬 天晝のごとし
  豪舉 まさに六十州を凌ぐべし
 樂美、謹んで按ずるに、菅公の宰府に廟食し、北野に追祀して、而後、天下其の祠有らざること無し。人家、其の像を藏せざること無し。三歳の孺子と雖も、なお肅拜香火するを知る。是の故に年年繁昌の地にして、其の祭の繁昌なること、此の如し。嗚呼、公の徳、偉なり。蓋し天滿大自在威徳天神と曰ふは、誠に誣ひざる也。西土、公に比する者は、特に唐の韓退之、然りと爲す。(家父、公の肖像に題する詩に曰く。生まれては儒宗と作り、死しては神と作る。謫居、廟を建てて忠臣を表はす。試みに西土を尋ねて知己を求むれば、唐に潮州巖譴の人有り。)然れども文を以て論ずれば、則ち公、退之に及ばず。退之の筆力は大自在。百代の文宗となる。文聖と稱すと雖も可也。徳を以て之を論ずれば、退之、公に及ばざること萬萬。退之は唯、潮州の一廟有るのみ。なんぞ国々其の祠を建て、家々其の像を藏するの盛んなること有らんや。東坡廟碑、溢美濫稱の處有り。人或いは之を議す。(晦庵鹿門の二評。)東坡をして宰府の碑文を作らしめば、仙才と雖も(樂美嘗て家父に侍して物翁の四家雋の凡例を讀む。云ふ、東坡は實に仙才、筆、意に随って至る。)恐らくは一一天滿大自在の威徳を贊述すること能はず。日本外史に曰く。菅公の賢を以てすら、なお權を戀ふるの意無きこと能はず。日本政記に曰く。菅公の貶めらるは、多くは之を致す也。而れども公も亦、以て自ら之を取ること有り。山陽詩鈔の自注に云はく。三善清行、公に退くことを乞ふを勤む。公、納れず。遂に禍に及ぶ。(巻の三、西遊稿、菅右府の祠廟に謁する七言古。)樂美の曰く。公、寛平の時に當たって、風雲の會に遇ひ、皇威を張って外戚藤原氏の權を傾けんと欲す。公の明、何ぞ預じめ之を知らざらん。ただ君に忠、民に仁、此の時、實に騎虎の勢を成す、故に然り。(拙堂文話に云く。光孝以来、藤氏の權、日に盛ん。既に菅公の賢を嫉みて、之を貶し、また皇親の賢者に及ぶ。拙堂また菅右府の傳を讀む一篇有り。載して今世名家文鈔に在り。山陽と其の見を異にす。)頼翁、賈陸の氣象を負ひ、班馬の筆才を抱き、巧みに文墨を/ほしいままにす/るも、未だ公の徳を/わずら/はすに足らず。公、果して識者の諫を顧みず、専ら權柄を戀ふは、則ち一介の小人。乃ち 賈似道と相距つること一髪を容れず。/なん/ぞ人人其の徳を仰ぎ、其の像を拜し、千載祀典の繁昌、此の如きに至ることを有らんや。(遠思樓詩鈔、菅公廟の七律の後聯に云く。祀は關帝と同じく朝野に施く。名は宣尼に並び古今を照らす。また星巖集、菅公像に題する七絶、一唫すべし。)端木氏の曰く。/あば/いて以て直と爲る者を惡む。ああ翁や、圓珠經を忘れたるか。


○西瓜店 附西瓜異名

涼風不起暑氛凝   涼風起こらず 暑氛凝る
司馬長卿渇日増   司馬長卿 渇 日に増す
盛夏應消三伏熱   盛夏 まさに三伏の熱を消すべし
紅燈光下割紅水   紅燈光下 紅水を割く

 六月朔を愛染王の祭日と爲す。(愛染王の廟、勝曼阪に在り。)此の日より市中始めて紅燈を掲げ、涼榻を列し、銀刀を揮ひ、西瓜を割き、避暑の客を迎ふ。(多雨なれば則ち西瓜の出るや、やや遲緩。)樂美按ずるに、西瓜の古書に見るや遠し。家語に所謂萍實なる者。人或いは之を知らざるのみ。五雜爼に曰く。元の世祖皇帝、西域を征するの後、此の種中華に入る。(本艸細目に胡嶠陥盧記に言ふ。嶠、回紇を征し、此の種を得て歸る。名づけて西瓜と曰ふ。則ち西瓜は五代より始めて中國に入る。)瑯瑘 代醉に曰く。五代史に契丹、回紇を破り、因って西瓜を得たり。中國の冬瓜の如くにして味甘し。(陶隱居の曰く。蓋し五代の先、瓜種已に浙東に入る。但し西瓜の名無し。未だ中國に遍からざるのみ。)丹鉛餘録に云く。此の西瓜は五代の時、始めて中國に入ると謂ふに據る。故に本草載せず。(樂美の曰く。既に本草綱目に見ゆ。)水東日記に云く。西瓜は元の太祖西域を征し始めて得たり。(其の餘、諸書に散在す。)
 西瓜の異名、夏瓜(清異録)、天生白虎湯(發明)、天暑白虎湯(本草蒙筌)、白虎湯(遵生八牋)、寒瓜(本草綱目)、水晶(行厨集)、蒼玉瓶(真珠船)、青登瓜(汝南圃史)。
 新井筑州、西瓜の五言排律、白石餘稿に見ゆ。(聯句に云く。實大いにして金斗の如く、形圓にして翠毬に似たり。また云く。齧りて蘓卿の雪と作り、漱ぎて孫楚の流れと成る。)
 茶山の詩、夕陽村舎の後編に見ゆ。
 廣瀬淡窓、西瓜を食ふの七律、遠思樓詩鈔初篇に見ゆ。(後聯に云く。藍田、録は綴る、雙雙の玉。暘谷、紅は分かる、片片の霞。)
 家父もまた西瓜の七律有り。(前聯に云く。巨珠碧は濕ふ、蒼龍の卵。片血紅は凝る、白虎の肝。自注に白虎は西瓜の一名。)


○浪華橋納涼

絲竹聲交波浪聲   絲竹の聲は交はる 波浪の聲に
猪牙艇走影縦横   猪牙艇/チヨキフネ/は走る 影縦横
殘宵月落明如晝   殘宵月落ちて 明晝の如し
赤柳白珠次第生   赤柳白珠 次第に生ず

 浪華橋の納涼、夜肆を列ぬること六朔より八朔に至るを期と爲す。蓋し其の盛んなること、京都の四條、江戸の兩國と三納涼と呼ぶ。橋上の畫燈、枇葉湯を煎する者有り、砂糖水を沽る者有り。水濱の遊客、西瓜を齧む者有り、柳蔭を飲む者有り。(夏日の名酒。)妓船、三絃を彈じ、兩皷を撃つの音有り。醉艇、拇戰戯を起こし、浄瑠璃を唱ふるの聲有り。世界忽ちに變じ、晝か夜か、朝か晩か、能く其の時を辨ず可からず。心魂、俄に飛び、夢の如く、醒むるが如く、癡の如く、狂の如し。/みずか/ら我が躬を護す可からず。都下、産を破り家を覆すの速やかなること一瞬より甚だしきこと、また何ぞ怪しむに足らん。
 赤柳白珠は煙火戯の名。
 樂美按ずるに、呉禄の清嘉録に曰く。按ずるに唐の高承の事物紀原に云く。火藥の雜戯は隨の煬帝に始まる。孟襄陽の謂く。即ち火樹也。瞿宗吉の煙火戯の詩に、天花、無数、月中に開く。五色の祥雲、縫臺を繞る。沈榜の宛署雜記に云く。花兒、百餘種と名づく。統べて名づけて煙火と曰ふ。
 趙甌北、煙火を觀る七律の聯句に云く。九邊、鹿は静かなり、平安の火。上宛、春は催す、頃刻の花。(甌北詩話に見ゆ。)
 竹山の奠陰畧稿、煙火の五絶に曰く。花烽、畫舟を迸らしめ、闇水、餘葩燿く。公子、金錢を擲ち、争ふて哲婦の笑に供す。
 山陽遺稿、浪華橋納涼の詩に曰く。
  萬人聲裡 夜如何
  月は天心に到りて露氣多し
  豪竹哀絲 船櫛比す
  一江 處として金波を著くる無し
 家父、詩有り。(是少年の作と云ふ。)曰く、
  妓船 曲を鬪はして橋東に/イソガハ/
  水上の衣香 荳蔲の風(荳蔲また龍麝に作る。)
  火氣 天に朝ること箭よりも疾やし
  一星砕けて萬星と作りて紅なり
 また七律有り。納涼の繁昌を寫し盡くして妙。華城詩鈔に見ゆ。
 菅茶山、四條の納涼を咏ずる二首、夕陽村舎詩に見ゆ。(前編巻ノ五。)島梅外、兩國の納涼を賦する、五山堂詩話に載す(巻一)。竹山山陽の二翁及び家父の詩と、合誦すれば乃ち是初學家、納涼を吟ずるの模範。


○角觝塲

揚箑表名西與東   /アフギ/を揚げて名を表はす 西と東
晴天十日簇群雄   晴天十日 群雄を簇らす
人磨才力當如此   人々 才力を磨することまさに此の如くす
看取龍跳虎倒中   看取せよ 龍跳虎倒の中

 角觝塲は浪華橋の北、砂原に在り。東山帝元禄五年、大阪の袋屋某、官府に請ふて始めて角觝塲を高臺橋/タカキヤバシ/の南、橘花條/タチバナドフリ/に開く。(高臺橋は掘江川に架す。)此の時、大屋を搆へ、四門を開き、且つ觀客往來の爲に別に一橋を高臺隆平二橋の間に架す。賑江橋/シンエハシ/と曰ふ。(我が邦、繁昌群聚するを謂ひて賑と曰ふ。)其の繁昌、知る可し。享保八年、再び之を催す。益々繁昌、地狭隘にして便ならざるを以て、文化中、遂に塲を難波新地に遷す。弘化中、御池橋/ミイケバシ/の西に移す。(橋は西横/ホリ/に架し、四橋の南に在り。)今また此に轉ずと云ふ。三都、皆勸進相撲と稱す。(京都は後光明帝、正保二年に始まり、江戸は後水尾帝、寛永元年に始まる。)角觝の伎、實に垂仁朝、野見/ノミノスクネ/、當麻/タイマノケハヤ/の二力士に萠し、文徳の朝、皇嗣を/カケドク/するに/あら/はれ、遂に鎌倉氏に盛んにして、一派の藝術と爲る。樂美按ずるに、大日本史、野見の宿禰の傳に曰く。帝、角力を命ず。野見、足にて蹶速/ケハヤ/の脇腰を蹈む。骨折れて斃る。是既に萠する時と爲す。皇朝史略に曰く。後白河天皇、保元三年、相撲を觀る。保安以来、相撲の節、廢して行わず。是に至りて之を復す。是遂に盛んなるの漸と爲す。蓋し其の塲を張るや、多く六七月に在り。(往古、六月に在り。改めて七月に定むる。皇朝史畧に見ゆ。)晴天十日を以て期と爲す。(江戸、伎を始むるの時、晴天六日と定む。)門上に危樓を築き、紫幔を垂る。(五條公の賜ふ所と云ふ。)帋を剪り大毬を製し、竹枝頭に植え、高く樓の左右に建つ。(梵天と稱す。日月の二光に象る。)樓上、暁に一小皷を鳴らす。其の撃つや急、其の音や羽。(是客を迎えるの約と爲す。)其の塲、土壇を設け、四隅各々一大柱を//て、(四天王に擬す。)柱を掩ふに猩氈を以てし、且つ斜めに巻くに霜絹を以てす。(今改めて素木綿/シロモメン/を用ゆ。)紅白互いに露はる。(其の色、陰陽を表はすと云ふ。)柱下東西、水桶を置き、添ふに數張の白帋を以てす。四柱内、遍く清砂を播き、砂端三十二の土豚/ドヒヨウ/之を環す。(土豚の數の義、相撲節會傳に見ゆ。)力士、東西に分かち、輸贏を決す。其の技、四十八術に定む。(江戸繁昌記に四十技、八十術と爲るは謬れり。)龍躍嬌嬌の夫は東よりし、虎視眈眈の漢は西よりす。赤身錦褌、(褌邊、金絲を織り、其の號を題す。按ずるに昔在るは皆赤身に非ず。赤身の事、榮花物語根合の巻に見ゆ。)各々其の壇に上り、徐く柱下に至り、水を以て其の口を漱ぎ、帋を以て其の唇を拭ひ、相背いて佝僂し、手を揮ふて兩膝頭を撃ち、専ら力を試むるの状を爲す。而して後、相蹲し相對す。此の時一少年、白箑を揚げ、高聲を吐きて、曰く東方は某、曰く西方は某。蓋し其の號を表す也。是を名乗と稱す。名乗乃ち退く。また一人有りて出づ。肩襳/カミ/を蒙り、下裳を掲げ、(江家次第に狩衣差紐を着く。古今著聞集に烏帽子袴。相撲銘傳に云く。昔は、緑帽を戴き、軍襖/ジンハオリ/を穿ち、茶筅髻/チヤセンマケ/。享保年中、今の服に改む。)漢扇/トウチワ/を握り、擧止便捷なる者を行司と曰ふ。(肥後熊本城、吉田追風なる者、行司の鼻祖。古漢扇を藏す。獅子王と名づく。垂仁帝、其の上祖に賜ふ所の物也。今世の行司、吉田氏の命を受けざれば、則ち之を持すること能はず。)行司、扇を龍虎睥睨の際に插み、注目することやや久し。一喝、扇を揮へば、龍虎哮起、格格鬪鬪、彼大鼎を/あげ/れば、此猛獸を//つ。此車蓋を投げれば、彼鐵索を伸ばす。左突右搤、前撃後擣、行司扇を提げ、兩頭四脚の間を盤桓周旋して、六八術/シジウハチテ/に合するや否やを洞視す。一瞬一息、二足天に朝るに非ざれば、則ち雙腕地に埋む。其の雄雌を決すること能はざるを取分と稱す。雄雌決すれば、乃ち扇を雄に揚げ、雄者は兩手を伸ばして壇を下る。此の時、滿塲の恒河沙、我が頭を揺がして、人臀を戴き、人の口をして我の足を舐らしむ。其の繁昌群聚、一時忽ち大鬨聲を發す。閻羅も笏を失ひ、不動も劍を脱し、富樓那も言ふこと能はず。韋駄天も歩すること能はず。其の未だ決せざるや、四座群客、寵を施す所の龍を望めば、輒ち勝んことを欲し、款を通ぜざる所の虎を見れば、輒ち敗れることを欲す。憤慨窮まりて殆ど掌裡膏を湧かし、腋下珠を迸らすに至る。敗れんことを欲するの虎、勝てば則ち嗚咽流涕、首を低れ地に俯す。否れば頻りに大酒盃を傾け、狂號亂語、百方其の勝たざる所以の者を回護す。勝つことを欲するの龍勝てば、則ち雀躍烏舞、帯を解き衣を脱し、煙袋/タバコイレ/を投じ、帋嚢/カミイレ/を撒し、七尺著くる所の物、總て纏頭と作し、裸身にして止む。技畢り客散ずるや、樓上また鳴皷の聲を發す。其の節、暁天と同じ。
 我が邦角觝の人物、肥大多力、大千世界、實に之に過ぐる者無し。一人嚇怒、空拳を奮へば蠻國の數千奴を撃殺す。樂美、坤輿圖識なる者を讀むに、言へること有り、曰く。咭唎國/イキリス/囒噸/ロンドン/(英國都府の名。)、兵威赫大、百事備具、全世界に冠たりと。然れども今、/シント/耶黙斯/ヤメス/の城主をして(聖耶黙斯は城の名。英國王の居る所。府の西に在り。)我が角觝塲の繁昌を觀せしめば、則ち豺眼忽ち眩じ、象鼻忽ち低く、狼心忽ち亂れ、牛身忽ち/きわ/まり、寒慄振戰、忽ち息すること能はずして、倒死するは必せり。
 月令廣義に七月相撲の節有り。江家次第及び公事根源に、倶に七月廿六日、上、仁壽殿に御し、相撲を觀るを載す。萬葉集に部領使/コトリツカヒ/有り。或いは相撲使に作る。(此、穀菟嚟朮加伊/コトリツカイ/を云ふ。)左右の近衛府に隷す。諸國の有力の士を召募るを掌る。(樂美按ずるに、東坡雜纂に曰く、怕れ得ざるは相撲漢の拳踼。また曰く、説き得ざるは善相撲の偶輸。三才圖會に曰く。角抵は今の相撲也。唐の慧琳の藏經音義に相に作る。曰く、考聲に云ふ、撲は手搏して地に投げるを謂ふ也。按ずるには撲と音通。集韻に撲或いはに作る。)
 樂美、西土の歴史を考ふるに、始めて史記李斯の傳に見ゆ。(二世、甘泉に在って觳牴優俳の觀を作す。注に云く、觳牴は即ち角抵。)また前漢書武帝紀(元封三年春、角抵戯を作す。三百里内、皆來觀す。)、及び哀帝紀の贊(雅と性、聲色を好まず。時に抃射武戯を覧る。注に蘓林の曰く、手搏を卞と爲し、角力を武戯と爲す。)、北史柳或の傳(都邑の百姓、正月十五日に至る毎に角抵を作す。)、南薺書の樂志(角抵像形の雜伎は歴代相承けて有り。)、唐書穆宗紀(元和十五年二月、左神策軍に幸し、角抵倡戯を觀る。)、五代史(後唐の莊宗、存賢と手搏す。莊宗の曰く、能く我に勝たば必ずまさに汝に大鎮を授くべし。存賢、上を仆す。輙ち幽州を鎮せしむ。)、元史蓋苗の傳(順帝の時、中書參知政事と爲る。帝、鈔萬貫を以て角觝者に與えんと欲す。苗の曰く。力戯何の功あって此の重賞を獲る。)に出づ。また藝流供奉志を考ふるに、角觝の王僥大、張關索、撞倒山、周黒大、曹鐵拳、韓銅柱、武當山、王急快等有り。皆、勉めて一時勇力の名を取るを喜ぶ。我が邦の九文龍、大童山、鐵嶽、黒巖、雷電、雲龍、亂獅子、猪王山の輩有るがごとし。(樂美按ずるに、白樂天の六帖に曰く、角觝は漢武始めて作すとは頗る鹵莽。)
 家父の詩に曰く。
  皷聲 暮に動く 梵天樓 (梵天は上に解す。)
  虎仆れ龍跳びて喝采收まる
  角觝塲中 人未だ散ぜざるに
  輸羸已に梓して街頭に賣る (日に勝負優劣を梓し、市中を走りて之を鬻ぎ、叫びて曰く、勝負附け、勝負附け。古人、月旦評有り。即ち是日旦評。大關と云ひ、關脇と云ひ、小結と云ひ、前頭と云ふ。前頭以て其の下を貫く。三代實録、靱物語に并に云ふ。相撲の最手、是今所謂大關也。西宮記、相撲の條に云く。最手の額田成連と脇の宇治部利里と勝負を決す。脇は即ち關脇也。小右記に云く。常時は腋也。是即ち小結。西宮記、江家次第に助手是即ち今の前頭。古名此の如し。余、嘗て江戸寛永元年の日旦評を見るに、大關関脇、小結、皆二人を擧ぐ。今と異なり。其の時の評、華城漫筆に出づ。)樂美、十二三より好んで海内諸名家の詩集を歴誦す。因って胸臆に存すること有り。大窪詩佛、角抵戯を觀る引を賦す。(詩聖堂集二編巻の二に見ゆ。)菅耻菴、觳抵行を作る。(名は晉寳、茶山の弟、黄葉夕陽村舎詩の附録に見ゆ。)各々才力を/きそ/ひ、筆勢を/いたし/て、勝負を決すること能はず。因ってこれを家父に質す。家父の曰く。東方の強か、西方の強か、行司扇を揚げ難し。是所謂取り分け。(家父、皮裡の陽秋、無きにしも非ず。)


○心齋橋

柳間罩月半輪氷   柳間 月を罩す 半輪の氷
飽占清涼最大乗   飽くまで占す 清涼の最大乗
數點紅燈知那處   數點の紅燈 知んぬいずれの處かを
心齋橋上賣茶燈   心齋橋上 賣茶の燈

 心齋橋は長掘川に架す。(四橋の東に在り。)南、道頓溝を控へ、北、順慶街に接す。大阪に在っては繁昌の塲、要衝の地なり。人語車音、屐響馬聲、晝夜絶へず。夏夜尤も佳なり。橋上數榻を列し、數燈を照らして、淡醴を銀鐺に温めて赤兒を慰め、煨豆を碗茶に投じて青僮に供す。榻上の王七張八/タロベイゴンベイ/、且つ踞し且つ話す。楚音/ミナミノイナカコトバ/を執る者有り、燕語/キタノイナカコトバ/を吐く者有り。


浴肆/フロヤ/ 附洗穢論

衆歌疑是樹間烏   衆歌疑ふ 是樹間の烏かと
群浴看如水上鳧   群浴みるみる水上の鳧の如し
萬客須清心底垢   萬客 須らく心底の垢を清むべし
何愁汚濁滿肌膚   何ぞ愁いん 汚濁の肌膚に滿つるを

 心齋橋は船塲島内の分界なり。橋南に浴肆甚だ多し。浴肆また混堂と名づく。都俗、之を風爐屋と稱す。其の門を開くや、卯なり。其の之を閉ずるや、戌なり。門外紅燈を掲げ、題するに號を以てす。號、之を屨するに皆湯の字を以てす。(櫻湯、扇湯、布袋湯、時雨湯の類。)肆主、高壇に坐して浴錢を收む。(孔方八穴、嚴寒に至れば必ず一を増す。)浴門を過ぎれば雜客の歌唱、路上に響く。蓋し衣を箱内に納め、且つ物を失ふ者、和漢同風同弊。
 七修類稿に曰く。混堂は天下之有り。杭最も下なり。呉の俗、大石を甃して池を爲り、穹幕して以て磚し、後、巨釜を爲り池と通ぜしめて轆轤水を引き、壁に穴して貯ふ。一人専ら爨を執り、池水相呑みて遂に沸湯を成す。名づけて混堂と曰ふ。其の門に榜して則ち香水と曰ふ。(櫻湯と號するの類。)不潔を被る者、膚の垢膩の者、負販屠沽の者、瘍者、疕者、一錢を主人に納むれば皆入りて澡するを得。(其の價、甚だ廉。)旦より暮に及ぶまで祖裼裸裎して來る者、/あげ/て計ふ可からず。/モシ/之を蹴れば、其の泥滓掬す可し。其の體を臭して穢氣聞く可からず。士なる者、いずくんぞ亦之に浴せん。また傳家寳に曰く。浴池混堂の内、賢愚の人衆、多く銀錢を帯ぶ可からず。もし久しく浴するなれば、池を出て衣箱をもって看過し再び浴すべし。(また曰く。もし浴完って衣を穿つ時、衣箱を背着す可からず。須らく箱前に緊靠して勤勤照看すべし。衣服を穿完して身を起こす時、須らく箱内をもって各處手を用いて一摸すべし。恐らくは零星遺忘の物有らん。大抵日間洗浴、物を失う者少なし。而して黒晩多く事を誤つことを致す。また曰く。要するに日間初めて池を開く時、進浴すれば人既に稀少。水また潔浄。もし黒晩に至れば人多く水汚し。衣物を失落す。尚是、小事。人衆混雜、多く梅瘡結毒疥癩の類有り。もし身に傳染すれば害を流して已むこと無し。)按ずるに、浴肆の事實状態、西土と頗る相似たること此の如し。
 樂美の曰く。萬乗の主は一天下の汚垢を洗ふ者也。諸侯は一國の汚垢を洗ふ者也。大夫は一家の汚垢を洗ふ者也。士庶人は一身の汚垢を洗ふ者也。ただ然り。以て天下國家身を安んず可し。往昔を/かんがえ/るに、大汚垢の忽ち我が邦に生ずるの事有り。田村将軍の馬を清見が關に鞭つ、是東膚の大穢垢を一洗する者也。(阪上の田村麻呂、東夷を平ぐること、日本史及び日本政記に見ゆ。)相摸太郎の筑紫の海に刃に血ぬる、是元寇の大穢垢を一洗する者也。(北條時宗、元兵を鏖する、日本史及び日本外史に見ゆ。)今日既に海濱に大穢垢を生ずること有れば、乃ち斷じて一洗の術を起こせば、そもそも亦まさに田村相摸の兩将の膽略に愧じざるべし。


大阪繁昌詩巻之中


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大阪繁昌詩巻之下
       田中右馬三郎源樂美君安 著


繁盛引

 池五山翁、嘗て曰く。人に都鄙の分有り。詩にも都鄙の分有り。此れまことに大家の論也。我、既に都人なり。年少と雖もやや騒壇に登り、唫毫を呵す。何ぞ都詩無かるべきや。ちかごろ清の陳資齋の海國聞見録を出してこれを讀むに、中に日本を稱して言えることあり。曰く、官皆、世官世禄、漢制に遵って刺史千石を以て名と為す。禄厚くして以て廉を養ふに足れり。故に法を犯すこと少なし。男女の眉目肌理、諸蠻の能く比擬する所に非ず。實に東方精華の氣の/あつ/まる所、と。ああ、我が邦、海外これを羨む。獨り此に至る。我、幸いに海外に生ぜずして、海内に生ず。伏して萬萬歳一統の明天子の民と為り、尤も大平の時に逢ひ、尤も繁昌の市に居る。邵康節氏の樂、我、實にこれをもつ。(生身の五樂、邵雍尭夫の言ふ所、一に曰く。中國に生ずることを樂しむ。二に曰く。男子と為ることを樂しむ。三に曰く。士人と為ることを樂しむ。四に曰く。太平を見ることを樂しむ。五に曰く。道義を聞くことを樂しむ。)大幸感喜の極まり。一百三十餘首の都詩を吐く。然れども、我が才はなはだ薄劣。故に専ら陸放翁の詩論を學んで、鍜錬せず。また斲削せず。(陸務觀の曰く、鍜錬の久しき、乃ち本指を失う。斲削の甚だしき、反って元気を/やぶ/る。)後世、我が詩を讀む者、千錘百錬の奇句警語無きを見て(甌北詩話に曰く。詩家好んで奇句警語を作すは、必ず千錘百錬の後に能く成る。)、黄口兒の乳臭を帯びるを笑はん。そもそも元史に揚載の曰く。詩はまさに材を漢魏に取るべし。(揚載の傳に見ゆ。)及び王阮亭の言ふ所の、唐詩は情を主として蘊籍を多し。宋詩は及ばずと云うは(帯經堂詩話に見ゆ。)、此れ庶幾する所に非ざる也。我、竊かに嘗て姜水心の家言を取ることを有り。水心の云く。文、世道に/アヅ/からざれば工と雖も益無しと。詩も亦然り。


〇道頓港戯塲

殘月照欄光似霜   殘月欄を照らして 光霜に似たり
江南喚客皷聲忙   江南 客を喚ぶに皷聲忙し
橋頭厭見惡風俗   橋頭 見るを厭ふ 惡風俗
母拉女兒奔戯塲   母は子を拉って戯塲に奔る

 蛭兒橋/エビスバシ/は道頓溝に架す。北は心齋橋と遥かに相通ず。およそ戯塲を觀るの客、多くは此の橋を渡る。橋上より南望すれば、則ち所謂梵天、樓上に挿み、暁皆、皷聲を起こす。是れを伎を始むるの報と為す。(其の樓、角觝塲と相同じ。ただ彼は則ち櫓樓の垂幔、紫縐絹/ムサラキチリメン/を用ゆ。此れは則ち茶褐色/コゲチャイロ/の粗布を用ゆ。)戯塲五屋(廃する者有り。今、其の五を存すと。)、大西と曰ひ(是れ最西に在り。故に一名筑後と名づく。)、中と曰ひ(西と角との中に在り。故に名づく。)、角と曰ひ(是れ其の角に在る故に名づく。)、若太夫と曰ひ(竹本若太夫なる者、浄琉璃を始むる處故に名づく。)、竹田と曰ふ(竹田近江なる者、始めて傀儡の伎を為す。故に名づく。)。中及び角を上頭と為す。(蓋し之を聞く、昔は賤俳璃寛なる者、中に居り、芝翫なる者、角に居り、各々技を闘はし一機軸を出す。今に至るまで人口に膾炙す。芝翫、老年梅玉と號す。)大西は乃ち中頭と為す。若及び竹を下頭と為す。此の賤技、慶長に始まると云ふ。太閤の桃山指月亭に在るや、俳兒名古屋山三、技を席上に奏す。(是れに由って花兒籍を脱す。)爾後、弊風絶へず。按ずるに劇塲は邦俗に芝居と稱す。(我が邦、細草を芝と呼ぶ。)蓋し草上に坐し、技を試み、錢を乞ふの意。是れ亦、花子/コジキ/なるのみ。豈、市上の人家と屋を比すべけんや。(物氏の政談、之を辨ず。)太閤の此の技を觀しより、幸いに草間を離る。(江戸繁昌記に平城帝大同中の事を引いて、芝居の義を辨ずるは、頗る附會に屬す。是れ蓋し賤俳、已の技を高妙にするのみ。)明主は一嚬一笑を/いつくし/む。實に然り。(此の語、韓非子に見ゆ。)此の技や、平維盛ににして鮓肆に寓し(千本櫻の曲)、柁原景季にして花街に遊び(盛衰記の曲)、藤原不比/フヒト//タンカイコフ/を以て制冠郎と為し(妹脊山の曲)、平山季重を以て好色人と為す(嫩軍記の曲)。是れ皆、正史を紊して淫奔を導き、實事を蔽ふて佻蕩を勸め、後世をして長く桑中の樂、牆外の窺ひを有らしむ。昔、京寓の一老儒有り。馬遷を以て自ら處し、文客を鞭撻して、以て一世を雄視す。蓋し其の忠を賞し、姦を誅するの筆を揮って、七言二絶句を書し、懇ろに彼の粉を傳け墨を抹するの叟に贈る。其の二絶(二首倶に新身人の三韻を押す。)、載せて俳叟餘響中に在り。(餘響は書の名。上木して坊間に流傳す。)嗚呼、腐鼠を屠るに、焉んぞ正宗の劍を用ひん。太史公の再來、猶且つ然り。況んや無知の兒女史、頻りに纏頭/ハナ/を下す。何ぞ咎むるに足らんや。また何ぞ嗤ふに足らんや。
 近世、西土の老儒先生、俳優の傳を作る者、之有り。また太史公の再來と同一醜疵。殆んど莫耶を磨いて蚯蚓を割くに類す。(竹山の草茅危言に戯塲の一條有り。有志の士、宜しく眼を此の條に曝らすべし。春臺の徑濟録もまた之を論ず。)
 輟耕録にあるひとの曰く。宋の徽宗、爨國の人來朝し、衣装、鞵履、巾褁、粉墨を傳け、舉動此の如きを見て、優人をして之に//きて以て戯を為さしむ。(是れ俳優、粉墨を傳くるの濫觴と為す。)
 全淛兵制日本風土記に曰く。優戯に登塲扮唱戯文の子弟有り。故事もまた張良韓信諸家の套曲詞説白有り。皆、本國の郷音に係る。唄を嘔打と曰ひ、戯を奴と曰ふ。
 家父、蛭子橋の詩に曰く。
  水を隔てて郷を同じうす 死と生と
  章臺 近くは北邙の塋に接す
  橋姫は客を送り 僧は柩を迎ふ
  橋上無情また有情
 余、今年十七。未だ此の妙境に到ること能はず。


〇俳優

老漢扮來為美姫   老漢 扮し來たって美姫と為り
巨身巧化是幼兒   巨身 巧みに化す 是れ幼兒
黄昏客散皷聲絶   黄昏 客散じて皷聲絶ゆ
匹似人生一夢時   あたかも似たり 人生一夢の時

 家語に曰く。俳優侏儒、前に戯むると。ああ、賤技の淵源する所、已に遠し。按ずるに、輟耕録に曰く。唐に傳奇有り。宋に戯曲唱諢詞説有り。金に院本雜劇諸公調有り。皆是れ、賤丈夫の粉墨を傳けて伎を奏する者。
 槁簡贅筆に曰く。俳優を河市樂と言ふ。河中在る處、河に臨む者、皆、河市と曰ふ。今の藝人、市肆に於いて塲を作るを之を打野泊と謂ふが如し。皆、所を著けざるを謂ふ。今、之を打野呵と謂ふ。(今、戯塲を呼びて芝居と曰ひ、俳優を呼びて河原乞兒と曰ふの類。)
 周密、雜劇叚數有り。(今、芝居に所謂番附の類)乾淳教坊樂部に曰く。雜劇四甲、劉景長一甲八人、戯頭は李泉現、引戯は呉興佑、次浄は茅山重、侯諒、周泰、副末は王喜。装且は呉子貴。(芝居に所謂役割なる者。即ち立役嵐某、市川某、女形中村某、實惡片岡某の類。)
 袾宏の竹窓随筆に曰く。吾が梨園の子や、戯塲中に於いて或いは君と為り、或いは臣と為り、或いは男と為り、或いは女と為り、或いは善人と為り、或いは惡人と為る。(明代、役割を設け、立役、女形、實惡有ること、以て知るべき也。)
 穀堂に戯塲の詩有り。(遺稿抄に見ゆ。)竹山戯塲の詩に曰く。
  妖童歌哭の態
  脂粉女粧、真なり
  鄴宮の騎に關るに非ず
  多くは/しりぞ/く 紫綸巾
 家父も亦詩有り。曰く、   皷聲 初めて放って劇塲開く
  辛苦 真を寫す 誰か哀れまざらん
  魁梧の忠臣 腹を刳く者
  咄嗟に變じて美人と作り/ハヤカワリ/來る
(華城詩鈔に見ゆ)  余、一生足俳塲の地/シバイノバシヨ/を踏まざるを誓ふ。唯、人々の話する所を聽き、摸捉して之を賦す。故に父の詩の如く巧みに真景を畫くこと能はず。


〇尤海殢波

梨園弟子美名隆   梨園の弟子 美名隆なり
妙伎分明姦又忠   妙伎 分明なり 姦又忠
深惜千金豪冨女   深く惜しむ 千金豪冨の女
没身尤海殢波中   身を没す 尤海殢波の中

 市中の女子、戯塲に趨き、俳兒を慕ひ、竊かに情を通じ書を投ずる者有り。金を遣り、帛を贈る者有り。靦たる面目、醜聲を愧じず。そもそも亦閨門の一弊事。嗚呼、凡そ夢蛇弄瓦の家、まさに朝夕に女大學一巻を誦せしむべし。(貝原翁の著す所。國字もて女兒に便にす。漢の馬融、貞經を著すも、和漢同一深切。)  東藍田(名は龜年)、七絶有り。轉結に曰く。
  深宮の粉黛 燈光の下
  侍講 同じく聞かしむ 女孝經(弊を矯げるの意趣、真に句外に溢る。)
 家父の詩に曰く。千金に贖はれて、小妻/テカケ/と作るも、春心別に雙棲を約すること有り。妾の身、縦ひ籠中の鳥に似るも、時に梨園に入りて、随意に啼く。(柳巷中の醜態を寫す。)

〇法善寺

一吼華鯨一曲歌   一吼の華鯨 一曲の歌
梵王宮外漲秋波   梵王宮外 秋波漲る
眼前未至意中客   眼前 未だ至らず 意中の客
香火私祈金毘羅   香火 ひそかに祈る金毘羅

 法善寺は中角兩戯塲の南に在り。東門、直ちに阪街の青樓と相接す。寺中に象頭山神の廟有り。毎月十日、夜肆賽客、廟前に滿つ。喧埃、はなはだ揚がり、閙熱、最も蒸す。十月は乃ち祭儀甚だ盛んなり。門外、小木罌/チイサイタル/を賣る。(諺に云く。木罌に酒を盛り、江に投ずれば、必ず讃州象頭山に達す。然れども是れ、實に水濱の乞子をして、醉郷に入らしむ。)壇下群祷するもの填滿。/マケ/を剪る者有り、麯生/サケ/を謝する者有り、 袁彦道/バクエキ/を絶する者有り、裸身に水を灌ぎ、狂走する者有り。
 家父、法善寺の詩に曰く。   句欄 人散じて/シバイガハテタ/袖雲紅
  法善寺中 晩風吟ず
  冶客は顔を掩ひ 娼は頂を掩ふ
  知る 佗の老衲 姣童を拉するを
  (我が父、少年の作。蓋し之を聞く。阪街に龍陽の徒有り。
   皆、十五六齡。善く苾蒭の歡情を奉すと。今日これ
   を人に問えば無しと云ふ。)


〇日本橋

日本橋邉庋舎旂    日本橋邉 庋舎の旗/ハタコヤノシルシ/
黄頭赤脚喚征衣   黄頭赤脚 征衣を喚ぶ
南方遠接墨祠路   南方 遠く接す 墨祠の路
賽客多携竹馬歸   賽客 多くは竹馬を携えて歸える

 日本橋(道頓溝に架す)は蛭子橋の東に在り。(日本蛭子兩橋の間、太左衛門橋有り。相合橋有り。)是れ紀泉往返の官途。橋の南北、逆旅多し。懸燈を列ね/カケアンドナラベル//ノフレン/を比す。凡そ四方より來って大阪に遊ぶ者、必ず先ず此に笠を免ぎ、鞋を脱す。水濱、洛に上る三十石の船を繋ぐ。是れ尤も南方大繁昌の地と為す。
 頼山陽、承弼(篠崎小竹)に別るる詩に曰く。
  轎を聨ねて閑行し 榻を對して眠る
  河泉の驛路 共に周旋
  歸來 興盡きてまた手を分かち
  日本橋邉 夜 舩に上る
 家父、日本橋の詩に曰く。   橋邉の車馬 水邉の樓
  仁徳の祠は道頓溝に臨む
  番卒今朝 行客を戒め
  家家 拜して待つ 紀州侯(華城詩鈔に見ゆ)


〇辨天蓮池

天女祠前暁氣清   天女祠前 暁氣清し
滿池花映碧波生   滿池の花は碧波に映じて生ず
愛看水上微風度   愛し看る 水上微風のわたるを
露瀉紅蓮滴有聲   露は紅蓮に/そそ/ぎて滴って聲有り

 生玉廟の前に辨財天女の祠有り。祠前の碧池、藕花盛んに開く。季夏の暁、翰人墨客、詩を賦し、筆を揮ふ。是れ清涼の香世界と為す。今日、濂溪周夫子をして群君子に對せしめば、則ち又筆研を呼びて之が説を作らんとすべし。
 樂美按ずるに、爾雅釋草に曰く。荷は芙蕖(按ずるに、黄澐の錦字箋に曰く。荷の未だ發せざる、 菡蓞と為し、已に發するを芙蕖と為す。)注に云く。別名芙蓉。江南の人、荷と呼ぶ。詩の鄭風に隰に荷華有り。毛萇の傳に云く。荷華は扶渠也。(樂美按ずるに、扶渠芙蕖、蓋し音通。)陳風に蒲と荷と有り。鄭玄の箋に云く。芙渠の莖也。(樂美按ずるに、鄭玄、莖と為るは古義を失ふ。)屈原の離騷經に芙蓉を集めて以て裳と為すと。注に云く、芙蓉は蓮華也。爾雅の疏に、北人は蓮を以て荷と為也。樂美按ずるに、蓮と荷同義。説文に芙蕖の實と為し、釋草の注に蓮を房と為するは、倶に古義に非ず。從ふ可からず。藕は其の根。(爾雅に見ゆ)今、花葉を通して之を言ふ。  明の劉伯温の詩に、色有り、香有り、/マタ/實有り。百花すべて蓮花に似ず。清の史震の詩に、班を序れば宜しく牡丹の先に在るべし。蘂綻んで華峰、錦年を鬪はしむ。(隨園詩話中に見ゆ。)其の西人に稱せ見らるること此の如し。
 按ずるに、花に白蓮、紅絲蓮、朝日蓮、牡丹蓮有り。(花壇大全に見ゆ。)又卄二種有り。(花鏡に見ゆ。)紅白黄數種有り。(清嘉録に見ゆ。)栽蓮の法、詳らかに群芳譜に見ゆ。(又花譜に出づ。)
 樂美、異名を歴記すること左の如し。
 水芝(秘傳花鏡)、玉環(三餘帖)、藕船(韓退之の詩)、水華(古今注)、嬌語(李太白の詩)、天女(蘇子瞻の詩)、雙影(杜公瞻の詩)、浄友(山堂肆考)、朱華(曹植の詩)、水芸(廣事類賦)、氷雪姿(胡致隆の賦)、凌波女(秋蓮の詞)、君子花(愛蓮の説)、凌波仙(張文潜の詩)(餘は金字編に出づ。)
 頼春水觀荷記、遺稿に見ゆ。
 寛齋遺稿、蓮池の詩に、
  荷花荷葉 一齊に平なり
  清池鏡様の明を見ず
  恰も似たり 原頭青十里
  春風競ひ發す 紫雲英/ゲンゲバナ/
 如亭晩晴堂集、蓮の詩に
  清香愧ず 粗香と宜しきを
  別に占む 凄涼水石の閑なるを
  午に當りて自ら能く碧傘を傾く
  知らず 炎熱の人間に滿つるを
 池五山、蓮の詩に
  涼は蓮腮を沁して風露新たなり
  池樓 客を會して清晨を趂ふ
  常時人は賞す 花君子
  今日花は看る 君子人
  (五山堂詩話に見ゆ。此の時五山、一時の名碩を不忍池上に會す。)
 家父、七言古有り。(華城詩鈔に見ゆ。)


〇眞言坂

一匕春生頭上霜   一匕 春は生ず 頭上の霜
真言阪下賣奇方   真言阪下 奇方を賣る
誰知蘆屋山人宅   誰か知らん 蘆屋山人の宅
遺著千秋如髪長   遺著千秋 髪の如く長し

 真言阪は生玉祠の北に在り。祠下より直ちに道頓溝に達するの便路也。阪下の西傍/ニシカハ/に金魚藥と稱するの家有り。即ち生髪の妙方、頭禿する者は之を塗ること一匕にして必ず生ずと云ふ。簷前石盤中、金魚數尾を養ふ。其の先世蘆屋山人(竹山翁の弟子)、和漢年契を著す。長く後世不朽の物、天下有用の書と為る。ああ、賣藥翁すら猶、書を著し名を傳ふることを得たり。乃ち方技士、逢掖家、鑑戒せざるべけんや。樂美按ずるに、この書實に彼の和漢合運を以て根脚と為す。人或いは之を知らず。故に今之を表す。


〇高津新地百家巷/ヒヤクケンナガヤ/

數日難揚竈下煙   數日揚げ難し 竈下の煙
赤繩枉結惡因縁   赤繩 枉げて結ぶ 惡因縁
一生生計真堪憫   一生の生計 真に憫れむに堪えたり
婦是夜鷹夫晝鳶   婦は是れ夜鷹 夫は晝鳶

 高津新地の百家巷/ヒヤクケンナガヤ/は真言阪の西に在り。此の巷は窶漢雜居。爛帋を買ふ/カミクズカヒ/者有り。敗鍋を錮する/ナベカマイカケ/者有り。煙管を修むる/ラオノシカヘ/者有り。屐歯を補ふ/ゲタノハイレ/者有り。日に市上に出で、己の業を叫び、吾が口を糊す。皆、窮人の歸する所無き者。獨り、賭房主/バクチウチ/に至っては、蓬髪箕踞、牛飲馬食、衣を典し、財を賣る。ますます窮すれば乃ち濫りに白日掠奪の亂を為す。(都下、白日掠奪する者を呼んで晝鳶と曰ふ。)且つ其の婦を/むちう/ち、月下に立ち春情を賣らしむ。(夜中水濱に立ち、行客の袂を曳き、媚を衒る者を、總嫁と稱す。江戸の俗、呼びて夜鷹と稱す。)嗚呼、窮人を救はざらんばある可からず。賭主を糾さざらんばある可からず。竹山の草茅危言、窮民の一條を載す。有志の士、これを必読せよ。
 家父、某氏小集、題を分かちて路妓/ソフカ/を得たり。首を掻き、已むことを得ず、席上筆を走らせて七絶を賦す。其の詩に曰く。
  垂楊樹下 夜 年の如し
  客を喚ぶ 橋邉又水邉
  敗席を衾と為し 草を枕と為す
  春を賣る 三十二の青錢
 今、悽然。録して以て之を附す。


〇賣糕翁

老翁弛擔賣花糕   老翁 擔を弛めて花糕を賣る
蠻笛巧吹喇叭嘈   蠻笛 巧みに吹く 喇叭嘈
路上群兒聚如堵   路上の群兒 聚まるもの堵の如し
一歌狂舞奮紅袍   一歌狂舞 紅袍を奮ふ

 此の翁も亦百家巷に居る。是れ所謂老ひて子無き者。ああ、何ぞこの煢獨を憐れまざる。


〇鬻蟲燈

槿花籬上月如弓   槿花籬上 月 弓の如し
蘆箔風涼閑臥中   蘆箔 風は涼し 閑臥の中
轡響鈴音生枕底   轡響鈴音 枕底に生ず
知吾門外賣籠蟲   知る 吾が門外 籠蟲を賣るを

 大阪市中、まさに秋氣來らんとすれば、夜紅燈を點じ、數種の鳴蟲を擔ひ、街坊を往來して之を賣る。買ふ者、筠籠に養ひ、簷際に挂け、清亮の韵/チンチロリン/を聞く。
 樂美按ずるに、天寳遺事に官女、金鈴兒を籠にして枕上に置きて、之を聞く事を載す。蓋し漢土も亦然り。
 詩佛、蛩を聞く七絶四首。又蟲聲の七言律甚だ巧みなり。倶に詩聖堂集に見ゆ。
 朝川善菴、雨夜蟲を聞く七絶。是れ絶塵の作。
 家父も七律有り。詩を學ぶの人、唫誦して可なり。


〇盂蘭盆

女兒魚貫彩燈鮮   女兒 魚貫して 彩燈鮮やか
枯草煙中迎祖先   枯草煙中 祖先を迎ふ
家廟何煩繙佛典   家廟 何ぞ煩わん 佛典を繙くことを
古筐捧出誦遺編   古筐 捧げ出して遺編を誦す

 盂蘭盆の節、都下の女兒、華笠を戴き、彩絺を蒙り、前後相列し、恰も貫珠に似たり。且つ歩し且つ歌ふ者、呼んで遠牟古具/オンゴク/と稱す。樂美按ずるに、是れ清嘉録に言ふ所の走月亮の類。(清嘉録に婦女、盛粧し袂を聯ね、出遊し互いに相往還するを、之の走月亮と謂ふ。)
 苧幹/オガラ/一束、之を門前に燎き、燎後水を灌げば、則ち祖先歴世の神靈、皆降り臨むと云ふ。(神を迎ふの儀、法華宗は十二日の晩に在り。真言、浄土及び禪の諸宗は、十三日に在り。神を送るは總て中元の夕に在り。一向宗は絶えて此の儀無し。菅茶山、鸞公を嘲る詩。實に的當。既に本願寺の條に見ゆ。)  樂美竊かに按ずるに、此の儀、蔬笋臭/マツコクサイ/と雖も、實に周代の遺制に似たり。謹んで古禮を考ふるに、欝鬯を酌んで神を降ろすの儀有り。(朱注に云く。祭の始に/あたっ/て、欝鬯の酒を用いて、地に灌ぎて以て神を降ろす也。)嗚呼、徒に天竺の古先生を尊ぶことを知って、西土古先生の禮なお存するを知らず。
 我が邦、中元に人家、籠燈を挂くること、寛喜中より始まる。按ずるに、江家次第、公事根源、日本紀略に言ふ所、各々同じからず。漢土、燈を張るは上元に屬す。其の中元に於いてするは、宋より始まる。按ずるに、通鑑、宋の太宗紀に曰く。太平興國三年、七月中元、燈を張る云々。又、山堂肆考及び洪邁の俗考に見ゆ。
 此の日、糯米を蒸し、荷葉にて之を/ツツ/み、祖先に獻ず。邦俗、荷白蒸/ハスノシラムシ/と呼ぶ。即ち是れ彼の土の荷包白飯也。東京夢華録に出づ。
 中島棕隱の金箒集に、中元前夕の七絶に曰く。
  老衲 經を携へて熱埃を衝き
  于蘭の噠嚫/ホドコシ/亦何ぞ才ある
  憐れむ可し 陋巷家家の例
  窮鬼 未だ驅らざるに 冥鬼來る
 茶山、黄葉村舎の遺稿に曰く。
  盆を營むは兒女 香闉に賽す
  路上の狂嬉皷笛新たなり
  藩朝 政を為すの美を識んと欲せば
  山村随處 紅塵有り
 淡窓の遠思樓詩鈔に中元の二詩に曰く。
  女は男粧を學び男は女粧
  少年の遊戯 一に何ぞ狂なる
  紅袍翠袖 風に翻り去り
  三日街頭 蘭麝香し

  戸戸の懸燈 未だ夜ならずして開く
  衣香人影 亂れて徘徊
  誰か知らん 市上婆娑の者
  曽て是れ今朝墓に哭し來る
 家父、七律有り。(都俗中元の夜、七墓を歴拜/ナヽハカメグリ/するを賦す。其の詩に曰く。   涼月 まさに傾かんとして 暈未だ開かず
  東西南北 香埃漲る
  越絺/エチゴノカタビラ/筑帯/チクゼンハナダ/ 肩を比べ去り
  京妓荏俳/エドノヤクシヤ/ 手を携へて回る
  石佛立つ邉 蟲露に咽び
  木魚鳴る處 骨灰と為る
  樹梢一點 燈火を/ささ/
  夜半幢幢 鬼來るに似たり)


〇中元謁墓

吾佩雙刀僕拏槍   吾は雙刀を//び 僕は槍を//
采蘋暁獻露珠香   采蘋 暁に獻ず 露珠の香
墓前拜祷安全事   墓前に拜して祷る安全の事
祖母七旬長在堂   祖母七旬 長へに堂に在んことを

 中元後一日、都人擅寺に往き、古碑に禮す。樂美、十五の時より家父に代わり、傔僕數輩を從ひ、一行整然、先墳を拜すること、今既に三年。たまたま甌北詩話を讀むに、陸放翁の年譜を載す。曰く、紹興庚申辛酉の間、予、年十六七、陳公實及び予の從兄伯山、仲高、葉晦叔、范元卿と皆、塲屋を同じうす。(放翁、范元卿の書後に跋する文に見ゆ。)今年は則ち庚申。余の歳は則ち十七。然れども井蛙土蚓為り。/もと/より雕龍繍虎に非ず。故に塲屋に登るの才藻無し。冷風、膚に徹るの暁、墳前に忸怩の熱汗を發す。(朱子の語類に曰く。元晦深く感動、天氣微冷なるに汗出で扇を揮ふ。)


堤望火字

月湧江江色長   月湧いて江 江色長し
微凉漸在緑蘋塘   微凉 漸く緑蘋の塘に在り
遥知直北皇城近   遥かに知る 直北皇城の近きを
大字山頭洩火光   大字山頭 火光を洩らす

 七月既望、薄暮堤に到りて北望すれば、如意峰の大の字、纔かに半點の火氣を露す。今秋、余、家父に松本氏の別業に侍して、始めて之を觀る。然れども髣髴たる一星火のみ。
 樂美按ずるに、隋唐二代に寳炬火山有り。即ち此の類。宋朝に至って、三元皆之を用ゆ。
 洛北如意嶽火字の事、詳らかに鴨東四時雜詞に見ゆ。(畫餅居士の著す所。)詩有り曰く。
  士女蘭盆 鬼を送る時
  相携えて薄夜 前涯に傍ふ
  且つ觀よ 如意峰頭の火
  大字 雲を/わか/って焔を收むること遲し
 家父、松本氏の席上にて七言律を賦す。華城詩鈔に見ゆ。


〇地藏祭

 七月二十四日、都下地藏佛を祭る。去年、佛典の本願經を讀むに、曰く、地藏王、願を發して言ふ。我、今未來の際、是の罪苦ある六道の衆生を/おさ/むるに、廣く方便を設け、盡く解脱せしむ。我が分身する所は、遍く百千萬億の恒河沙世界に滿たんと。宜なり、世俗の拜するに、地藏尊と稱して以て冥福を祈ること。大阪の俗、街街一小廟を建つ。尺大の地藏尊の石像を//き、毎に香火を供す。此の日、錦帳を垂れ、畫燈を掲ぐ。人人の供する所の西瓜南瓜/ナンキン/、積みて山を成し、青芋/コイモ/紫芋/トウノイモ/、堆くして雲の如し。薄暮、一老衲、佛前に禮するとき、群兒、丈許の大念珠を持し、環坐して南無陀/ナンマイダ/を唱ふ。都人、百萬遍と稱す。  北京歳華記に曰く。七月晦日を地藏佛の誕と為し、香燭を地に供す。此の風、下も亦、之を行ふ。崑新合志に曰く。七月抄を相傳て地藏王の誕と為す。夜、燭を庭階に照らすを幽明燈と曰ふ。常昭合志に曰く。三十日を地藏王の生日と為す。證度菴の士女、香を進むる者、極めて盛んなり。清嘉録に曰く。七月晦日を地藏王の生日と為す。開元寺の殿に駢集し、願を酬し、香を焼く。昏時比戸、燭を庭階に點ずを、之を地藏燈と謂ふ。(蒋元熙の地藏燈の詩に曰く。
  金仙 轉劫して東瀛に降る
  教主 偏に晦日より生ず
  一點の禪燈 寳炬を分かち
  頓に黒地をして盡く光明ならしむ
)又曰く。瓦を以て疊して七級の浮屠と成し、中に地藏王の像を供す。四圍、燈を燃やすを、之を塔燈と謂ふ。(太白も地藏菩薩の讃有り。)
 樂美按ずるに、地獄は何の方に在るを知らず。其の圖を觀るに、閻羅王なる者有り。峩冠渥丹、殿上に端坐す。十王冥官、踧踖如たり。獄卒、階下に伏す。兩首を置き/ミルメカグハナ/、其の姦を//、其の黠を嗅ぐ。琉璃の大鏡を掲げ、人の陰賊を照らす。大鼎中、熱湯沸す。之を捕らへ、之を撻ち、之を投じ、之を烹る。刀鋸刳割、峻刑極まる。桀紂と雖も寒心する所。(王及び臣下、皆、漢の衣冠。罪人は皆、頂上の髪を削る。是れ尤も怪しむ可し。)且つ河濱藍面の婆、人を叱して衣を脱ししめ、鼎下赭身の鬼、人を驅って刑に陥らしむ。王は乃ち事の大小と無く自ら用ひ、衡石を以て書を量り、八萬四千の衆生を戮するに至る。多事、孰れか其れ此れより甚だしからん。
 我、謂へらく、地藏佛は六道能化、慈悲廣大、其の徳や尭舜のごとし。(郭麐の地藏王の古詩に、
  四輪 世を持す 地何ぞ藏す
  地藏の亦稱して王と為す
  憐れむ可し 閻摩 威福を擅にし
  時にまた鐵汁其の膓を鎔すと 云々)
 今、尭舜の徳を以て、桀紂も寒心する所の者を伐ち、未来をして永く此の虐刑の苦しみ有ることを無からしめば、亦大功徳ならずや。
 清人魏叔子の文集、地獄論四篇を載す。議論、意表に出づ。兄、魏善伯の評甚だ美なり。(樂美嘗て正法念經を讀むに、言へること有り。閻羅獄卒、實に状有る非ず。衆生妄業力を以ての故に之を見ると。此の説く所、稍可也。)
 先哲叢談に梁蛻巖、神儒佛三道を合して一體と為る者は、吾は信ぜず。(叢談に曰く。蛻巖、既に伊洛の學を為し、又此の邦の神道を信じ、又博く釋典を讀む。恒言に云く。宣聖の學、東方の道、乾毒の教、鼎足して相部/もと/らず。)
 日本文鈔に某先生、醫の冥府に遊ぶを記する文一篇を載す。題名甚だ奇なり。文園の徒、宜しく一讀一笑すべし。


〇瀬戸物街

塵漲西溝碧水隈   塵は漲る 西溝碧水の隈
地藏會日客如歸   地藏の會日 客 歸するが如し
偶人巧製陶街夕   偶人 巧みに製す 陶街の夕
白壜為顔碟作衣   白壜/シロイトクリ/を顔と為し /テシホサラ/を衣と作す

 西溝の陶肆櫛比する處を瀬戸物町と曰ふ。足利氏の時に當って、瀬戸の四郎なるもの有り。埏埴の工に巧みなり。四郎の製し出す所の物、最も佳なり。遂に陶器を呼びて、總て瀬戸物と稱す。地藏の會日、廬を水濱に結び、萬種の瀬戸物を以て巧みに偶人を製す。都人、各々麗服を競ひ、絡繹、路に填ち、街に溢る。畫は則ち緑傘錦襟、目を炫まし、夜は則ち龍芬麝芳、鼻を薫ず。亦、盂蘭盆後の一繁昌。其の製巧にして且つ美なり。江戸も及ばざる所也と云ふ。
 家父嘗て一詩を賦すること有り。曰く。
  瓷碟装し成して偶人を製す
  古來の英武 一時に新たなり
  猪に跨がる仁氏 橋北に奔り
  鵺を射る源公 水濱に立つ
 大氐 製し出す所の人物は、乃ち家父の詩を誦して知る可し。


〇施餓鬼

蔬飯投波焉得仁   蔬飯波に投ず 焉んぞ仁を得ん
法船禮佛暮江濱   法船佛に禮す 暮江の濱
徒施死者何無益   徒に死者に施す 何ぞ無益なる
忍看饑衰鬼面人   看るに忍びんや 饑衰鬼面の人

 此の月や、某の橋畔、某の江濱、一街人相謀り、寺僧を延く。僧、大船を艤し來る。船頭に素旙を竪て、旙に南無の名號を題す。或いは無縁法界の四字を書す。(樂美按ずるに、瑯揶代醉に云く。釋氏、佛菩薩を稱して、皆冠するに南無の二字を以てすと。悲華經に云く。諸佛世尊の名號を決定する、音聲也。又按ずるに、南無は蓋し梵語、今翻譯すれば即ち歸命と曰ふがごとし。)銅鈸を鳴らし貝葉を翻し、飯及び蔬を水中に投ず。所謂施餓鬼なる者。
 樂美按ずるに、五雜俎に曰く。閩人最も中元の節を重んず。是の月の夜、家家、齋を具し餛飩楮餞もて巫を市上に延き、祀して之を散じ、以て無祀の鬼神に施す。之を施食と謂ふ。
 清嘉録に曰く。中元を七月半と俗に稱す。官府も亦、群厲を祭る壇を設く。遊人、山塘に集まり、無祀の會を看る。
 菅茶山、施餓鬼の七律、夕陽村舎詩の後編に見ゆ。


〇圓頓寺

僧汲清泉懇煮茶   僧 清泉を汲みて懇ろに茶を煮る
枝枝戰處冷風斜   枝枝戰く處 冷風斜めなり
秋寒薄暮蟲啼月   秋寒くして薄暮 虫月に啼き
露滴滿庭天竺花   露は滴る 滿庭の天竺花

 圓頓寺は北野に在り。此の際勝景、春を賞せずして最も秋を賞す。西風起こる時、都人多く郊外に遊ぶ。況んや寺中、紫雲地に垂れ、白露珠を綴り、群蟲聲を弄すること、訴えるが如く哀しむが如し。彼岸の節、(彼岸は貝原氏の歳時記に之を辨ず。)風趣殊に好し。やや北すれば三番/サンバ/村有り。花頗る盛んなり。是れ撃鮮家/リヨウリヤ/の庭園。北地の遊妓/キタノシンチノゲイコ/客を誘ひ來る。甚だ俗なり。
 樂美按ずるに、此の花は我が邦和歌者流、多く之を咏ず。藻鹽草に月見草と稱し、掘川院の異名に玉見草、奥州宮城野の花は天下に稱せらる。實方公の咏歌も亦詞林に賞せらる。(公の歌に曰く。左磨左磨仁喖古呂蘓篤麻留彌耶基耨濃半那咿路以嚕武志吶加須加須/サマサマニココロノトマルミヤキノノハナノイロイロムシノカスカス/。)寺花、蓋し宮城野と同種と云ふ。(主僧席上に家父に語る。)大和本草を閲るに、鹿鳴草を波起と訓み、又萩を波起と訓み、(和名抄及び漢語抄)牙子を波起と訓み、又榛を波起と訓す。一種其の莖、冬猶枯れず。春に至りて葉を生ずる者を眞芽子/マハキ/と訓す。(皆、萬葉集に見ゆ。)漢土の載籍を閲るに、此の花を胡枝花と呼び、胡枝子と稱し、天竺花と號し、觀音菊と名づけ、隨軍茶と唱へ、紫雲花と曰ふ。
 先輩諸公、胡枝を咏ずる諸作、圓頓寺中の花に非ずと雖も、今同種を以ての故に、胸臆に記する所の三首を附録す。
 皆川淇園、高臺寺に隨軍茶花を觀る詩に、
  滿寺の叢花 小紅を結ぶ
  初來晩景 雨と風と
  牀に倚って更に玩ぶ青山の色
  秋は煙雲蕭寂の中に在り (淇園詩集)
 頼春水、胡枝花の七律の兩聨に、
  埜卉 猶能く宸詠に入る
  佳名 茶經に列すべきに堪えたり
  千條の玉露 仙佩を揺るがし
  一架の金風 鳳翎を梳る (春水遺稿)
 大槻磐溪、萩の七律の後聨に云く。
  珠水 波は揺らぐ 澄月の影
  宮城 露は咽ぶ 暗蟲の聲 (寧静閣詩集)
 梁星巖、貫名海屋と高臺寺に胡枝花を看る詩に、
  あえて尋常の花草と比べんや
  蘂雲簇る處 紫 庭に盈つ
  微香妙色 心に記するが如し
  曽て誦す 西天の瓔珞經 (星巖集、もと三首、今其の一を記す。)


大阪城更鎮/カハリバンシヨ/

棨戟如霜映暁輝   棨戟 霜の如く暁輝を映ず
城樓日出影巍巍   城樓 日出でて影巍巍たり
秋風八月年年例   秋風八月 年年の例
新鎮來時舊鎮歸   新鎮來る時 舊鎮歸る

 大阪城は乃ち天下の要領、關西の咽吭なり。元和偃武以來、主無し。故に其の城を鎮する、最も其の人を擇ぶ。大鎮を城代と曰ひ、(瑞門を護する者、王造門を護する者、京橋門を護する者、之を三城代と稱す。瑞門、最も大任と為す。)小鎮、之に屬する者を、大番頭と曰ひ、(大番頭二人、諸侯及び羽林郎/ハタモト/倶に百騎衆を管す。)其の次なる者を、加番と曰ふ。(四諸侯、一加番と曰ひ、二加番と曰ひ、三加番と曰ひ、四加番と曰ふ。)蓋し大鎮の城に在るや、二三年なる者有り、五六年なる者有り、十年若しくは二十年なる者有り。征夷府命降れば、則ち先ず歸期を市中に發し、而して後東に發す。大番頭及び加番は毎年命を受け來って、城中の舊職と相代わる。其の代わる、必ず八月の中に在り。都人、代わり番所と曰ふ。暁天、瑞門開けば、舊鎮出でて輙ち新鎮入る。城門の外にて互いに相揖す。都人、蓐食して以て往きて之を觀る。曠野渺茫、遠く望めば一隊の人影、蟻の如く、馬影豆の如しと云ふ。
 樂美按ずるに、逸史に曰く。大阪を陞し鎮府と為して以て畿西の諸國を管轄すと云ふ。日本外史に曰く。大阪を以て鎮府と為し、勲舊の一將を遣して之を守らしむ。稱して城代と為す。六年、京橋玉造の兩戍を置き、大番頭を遣して部衆を率いてこもごも/まも/らしむ。(部衆は是れ即ち百騎衆也。こもごも戍るは所謂代わり番所也。)二條城と同じ。
 竹山の奠陰畧稿に、
  金城 臨眺の日
  勝國 事哀れむに堪えたり
  隆準もと天授
  孤兒豈覇才ならんや
  櫺に當って群嶂出で
  堞に接して大江廻る
  形勝依然として在り
  千秋重鎮開く
  (豊臣氏亡び、松平忠明を大阪に封ず。後封を郡山に徒し、大阪を鎮府と為す。其の封を徒す、八月に在り。故に之を用ゆ。二條城は四月を用ゆ。)


〇木津川釣鯊船/ハゼツリフネ/

競垂芳餌誘游鱗   競って芳餌を垂れて游鱗を誘ふ
正是海門紅葉春   正に是れ海門紅葉の春
莫笑喧嘩握竿客   喧嘩して竿を握るの客を笑ふこと莫れ
舟中亦有釣詩人   舟中も亦詩を釣る人有り

 木津川、鯊魚/ハゼ/を釣るは八月に始まり、九月十日の交に極まる。其の巧手のごときは、一日一竿、四五百尾を得ると云ふ。(最も妙手なの者は、三四竿を垂る。)子釣すれども網せずと。家父と樂美とは釣りも亦欲せざる所也。家父の遊や、水底の物に在らず。時に水上の景に在り。清波茫茫、蒹葭蒼蒼、風景の美言ふ可からず。歸路、兩岸の黄櫨/ハゼノキ/、淡霜に醉ふを觀る。樊川氏の所謂霜葉は二月の花よりも紅なる者。
 河海の界、澪標/ミヲツクシ/を建つ。其の之を建つること、已に久し。樂美按ずるに、類聚國史、延喜式に見ゆ。之を咏めるは又萬葉、拾遺、後撰及び土佐日記に見ゆ。
 今、先輩の水上の景を賦する詩句を附載す。
 古賀精里の七律の一聨に云く。
  二州の山嶺 波間に淡く
  一色の水天 窓裡に寛し
 又、七絶轉結に云く。
  千翼の舩は鳬の泛泛に同じく
  片帆 時に順風を得て//
 山本北山の詩に云く。
  宣尼は水を稱し孟は瀾を觀る
  我も亦苔磯渺漫に對す
  眼界更に清くして心洗ふに似たり
  從前悔やむらくは等閑の看を作すを
 父の/トモ/、某先生は巧手。是れ一竿四五百を釣るの徒。父、先生を訪ふ詩に曰く。
  晴秋半日 君の廬を訪ふ
  窓下讀み殘す狼藉の書
  童は報ず 先生艇に乗し去り
  木津川口 鯊魚を釣る
  (春草堂詩鈔に舟木津に泊する古詩有り。)


○鐵眼寺

繞樹晩雲歸樹禽   樹を繞る晩雲 樹に歸る禽
摘綿歌斷夕陽沈   摘綿歌 斷えて夕陽沈む
鐘聲漸動瑞龍寺   鐘聲漸く動く瑞龍寺
佛閣糢糊秋霧深   仏閣糢糊として秋霧深し

 慈雲山瑞龍寺は難波村に在り。延寳四年、禪僧鐡元和尚の/はじ/めて建てる所。(元、一に眼に作る。)和尚は大知識、緇流の景仰する所。行状詳らかに碑文中に在り。必ずしも喋々として之を傳へず。世人、瑞龍寺と稱せずして、専ら鐡眼寺と稱す。樂美謂へらく、是れ五代史の鐡槍寺と稱するの類のごとし。是れ其の大徳、以て知る可し。寺邉秋末には田樹白實を吐く。野姑村婦、摘綿の歌、西風と相和す。亦是れ別種の好景。
 樂美按ずるに、續日本紀に神護景雲三年三月、始めて太宰府に勅して歳歳棉を貢がしむ。(本邦棉有る、未だ始まる所を知らず。古者之を筑紫棉/ツクシワタ/と謂ふ。筑紫棉は萬葉集、沙門滿誓の棉を咏する和歌に見ゆ。)類聚國史に延暦十三年七月、蠻舶有り、漂流して參河に至る。其の人、布を以て背を覆ひ、左肩紺布を挂く。状、袈裟に似たり。言語は通ぜず。唐人をして之を見せしむるに曰く。崑崙の人也と。其の資物/サンブツ/棉種有り。十九年四月庚辰、紀伊、淡路、讃岐、伊豫、土佐及び太宰府の諸州に頒って播種せしむ。中世久しく絶へて之を知る者有ること無し。永禄天正の間、再び西域より來る。(白河燕談に野語述説を引いて曰く。永禄天正の間、始めて棉種を傳ふ。今に至って僅かに百有餘年。祖母嘗て語って曰く。十五六歳の時、美濃の岐阜に在りて始めて木綿衣を著く。當時人、之を珍とす。綺綾の如きは爾後所在多く之を植ゆ。然れども未だ紡織の法を悉さず。今日の精緻の如きに非ず。)續和漢名數に曰く。本邦の人、古昔帛を衣ること能はず。皆、枲麻を服と為す。寒月には袷衣を重襲す。近古、棉布は外國より來りと雖も之を服する者/すくな/し。文禄中、始めて其の種を傳へ徧く天下に布く。
 再び按ずるに、棉は草木の二種有り。木棉/パンヤ/、一名は扳枝花(類書纂要)、迦婆羅(正字通)、攀桂花(明一統志)、瓊枝(群芳譜)、緜樹(潜確類要)
 草棉/キワタ/、一名は無縫綿(河間府志)、棉(群芳譜)、家貝(通雅)、木綿草(書隠叢説)、吉貝花(東西洋考)。
 二種の義、典籍便覧、廣東新語に見ゆ。


阿福茶店/ヲフクチヤヤ/

葦箔沈沈暮色多   葦箔沈沈 暮色多し
瑞龍寺畔是難波   瑞龍寺畔 是れ難波
毎年有例陪慈父   毎年例有り慈父に陪し
阿福店中携酒過   阿福店中 酒を携えて過ぐ

 阿福茶店/オタフクチヤヤ/は難波新地、叶橋/ドバシ/の西に在り。(大黒住吉二橋の間に南へ鑿つ者を極貧溝と曰ふ。溝は官の倉厰/コメクラ/に至って窮まる。叶橋は第三に架す。)店頭に一醜女の鏡を照らして粉を傳くるの埿像を坐せしむ。邦俗、昂頬低鼻の婦女を呼んで阿多福と稱す。店主、埿像に名づく。遂に店の名と成る。埿像は鼻低と雖も、店の名は則ち都下に高し。春日に在りては花を觀るに宜しく、夏夜は乃ち凉を納るるに宜しく、秋時に於いては蟲を聞くに宜しく、冬天は則ち雪を望むに宜し。是の故に都人四時に此に聚まる。小亭に坐し、緑水を隔てて東瞻れば、荒陵清水の樹影參差として酒盃中に入る。又、呑刀走索の諸塲の皷鑼聲、近く宴席間に聞こゆ。
 樂美一兩年前、御馬術/ウマニノルホウ/を故の福山侯の臣中、井筒翁に學ぶ。調馬埒は水東諸塲の邉に在り。今、因って家父の一詩を附録す。曰く、
  兎角は郎を送り 松尾は迎ふ
  繁華 酒樓を望み盡して行く
  忽ち知る 兒の已に吾に先んじて至るを
  樹を隔てて隆隆馬を/むちう/つ聲
  (兎角樓、松尾亭は酒樓の名。諸塲の間に在り。松尾亭は廢す。)


〇豹

黒點如錢毛色黄   黒點は錢の如く毛色は黄
群禽欲摶尤騰趠   群禽/はばた/かんと欲して尤も騰趠
郊南珍獸時時來   郊南珍獸 時時來る
昔日駱駝今日豹   昔日は駱駝 今日は豹

 叶橋を渡って東すれば(叶橋は一名圯橋/ドバシ/)紅塵野に漲り、雷皷地を動かす。即ち呑力走繩の諸塲と為す。今茲文久二年壬戍の春、夷虜の齎す所の豹を檻にし、野遊の一興に供す。余、もと沈痾を抱く。家君、常に之を患ふ。今春復た萠す。家君、筆研書籍を高閣に束ねしむ。且つ逍遥散歩を命ず。三月某の日、行厨を辨し、塾中の諸生及び家奴を携へて、之を觀る。其の大いさ、犬に類す。空に/おど/り樹に攀じること、/サル/の如く、/リス/の如し。其の面、猫に類す。兩眼、電の如し。鷄若しくは鳩を縛して之を空中に棲しむれば、騰躍して之を攫む。按ずるに本艸に寇宗奭の曰く。豹の毛は赤黄。其の文は黒くして錢の如く、而して中ち空。比比相次ぐ。今、之を觀るに、其の文、黒兒/アンモチ/の如くにして、中を空にせず。諸書を考ふるに、豹の種類多し。赤豹、白豹及び玄豹、土豹等有り。今、齎し來る所の獸は、是れ其の別種なるも未だ知る可からず。蓋し李時珍の綱目に載する所は甚だ粗漏。詳らかに陸疏、廣要等に見ゆ。宜しく細讀すべし。
 源順の和名抄に奈革鎚俺弭/ナカツカミ/と訓ず。異名を閲るに、列子に程、夢溪筆談に失刺孫。(秦人、豹を謂って程と為し、東胡、之を失刺孫と謂ふ。)訓蒙字會に金絲豹、事物紺珠に廉將軍。淵鑑類凾に五豹將軍。
(繁昌詩三巻、脱稿既に庚申の仲冬に在り。今春、海外の猛獸を檻にして來る、亦是れ實に太平繁昌の兆し、一詩一記無くんばある可からず。因って又之に添載し、後世をして長く此の珍觀有るを知らしむ。)
 梁星巖の西征集に駱駝歎の七言古詩有り。(引に云く。梁子、家を/ひっさげ/て西遊。路を浪華に取る。駱駝を欄にして皷を撾ち、塲を開く者有るを見る。之に感じて作る。)一韻を押し、一篇を貫く。老手段と謂ふ可し。(其の始に云く。
  月皷を//ち斗鑼を鳴らす
  何人か塲を開いて駱駝を看しむ
  紫毛茸茸 衣に織る可し
  肉鞍高く聳ゆ 金盤陀
 其の終に云く。
  我も亦室を挈げて天涯に走る
  一事を成さず 鬢皤んと欲す
  今日 汝の塗旅に老ゆるを見る
  乃ち知る 世も亦同科有るを
  風を知り水を識る 徒に為すのみ
  ああ 駱や駝や汝をいかんせん)
 小竹齋の詩鈔に駱駝の五律有り。
 仙臺藩の一書生、來って束修を執り、家君に謁して我が塾舎に入る。生、るか嚮//きに江戸に遊び、學を大槻氏に受け、頗る詩を賦し文を屬す。東遊中、觀豹行の七古長篇を作る。家君、批を加え大いに妙と稱す。余、未だ之を見ず。(余、これを家父に聞く。駱駝の來る、文政中に在りと。家父、南郊感を書する詩の轉結に曰く。   昔遊 夢の如く 垂髫の日
  亡爺に抱かれ 駱駝を觀る


〇天下茶屋

是齋制藥響如雷   是齋 藥を制して響き雷の如し
又見樹梢燈火臺   又見る 樹梢の燈火臺/タカトウロウ/
迎客乾娘紅蔽膝   客を迎える乾娘/ナカイ/ 紅蔽膝/アカマヘタレ/
三文亭上舉金盃   三文亭/サンモンジヤ/上 金盃を舉ぐ

 難波新地は墨祀に賽するの便途と為す。蛭兒廟を過ぎ、やや南すれば一大藥舗有り。慶長中、秀吉公大駕の駐する所。(蓋し賽路駕を枉ぐ。當時住吉御社參と稱す。)故に人皆天下茶屋と稱す。(もと殿下に作る。後天下に改む。殿下の義、尾藤二洲の稱謂私言に見ゆ。)寛永間、始めて藥肆を開く。其の藥を和中散と曰ふ。舗主、是齋老人、賣藥の祖と為す。故に人、天下茶屋是齋と呼ぶ。(夏日村夫藥を擔ひ市に出て天下茶屋是齋と呼びて以て之を賣る。)乃ち是齋、日夜其の藥を粉にするに六車を以てす。響き殷殷然、殆ど是れ晴天の雷。紀泉往來の客、墨祀賽詣の徒、列榻に據り、一碗を喫す。片山北海翁、嘗て壺天閣の記を作る。(翁の文集に見ゆ。是齋築く所の樓を壺天閣と曰ふ。)篠崎小竹、天下茶屋の四字を大書して之を匾す。
 三文字伊丹の二屋、相對して倶に祀北に在り。行觴娘/ナカイ/紅拖襴/アカマヘダシ/を著け、戸外に群立して賽客を呼び、嬌笑して曰く。請ふ入れ請ふ入れ/オハイリオハイリ/。我が賽するに祖母に陪し、老婢と轎卒とを拉すれば、例として必ず三文亭に登る。又家父に陪し、塾生と輿丁とを拉すれば、必ず伊丹亭に遊ぶ。(此の二つの者は皆大酒樓。吾が黨、新名を加えて鴛鴦軒と曰ふ。其の餘は觀るに足らざるのみ。
 家父郊南の即事の詩に
  木津川遠くして布帆收まる
  蛭廟鳶田 老樹稠なり
  知る是れ賽人の墨浦より歸るを
  彩輪 風急にして肩頭舞ふ
  (彩輪は是れ兒戯の物。墨吉祀前之を沽る。)


〇住吉

四廟森森松樹中   四廟森森たり 松樹の中
老巫肅舞是遺風   老巫の肅舞 是れ遺風
海濱近日胡氛惡   海濱近日胡氛惡し
私羨三韓征伐功   ひそかに羨む 三韓征伐の功

 住吉の四廟、第一は底筒男命/ソコツヽオノミコト/を祭る。第二は中筒男命/ナカツヽオノミコト/を祭る。第三は表筒男命/ウハツヽオノミコト/を祭る。第四は神功皇后を祭る。詳らかに日本紀(伊弉諾尊/イザナギノミコト/、凡そ九神を生ず。其の底筒男命、中筒男命、表筒男命、是れ即ち住吉大神なりと。)、古事紀(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱神/ミハシラノカミ/は、墨江之三前大神/ミサキノオンカミ/也と。)、古神祇(神功皇后、其の御杖を以て新羅國主の門に衝立して、即ち墨江大神の荒御魂/アラミタマ/を以て國守神と為し、而して祭鎮還渡/シヅメマツリテカヘリワタス/也と云云。)に見ゆ。
 樂美按ずるに、帝王編年集成に曰く。神功皇后十一年、辛卯四月卅三日、此の廟を建つと。(蓋し三韓を討ちし凱還の時に在り。)今、卯を以て祭日と為るは、此より始まる。(毎年卯月上卯月、祭儀有り。)又按ずるに、神代の巻に鹽土老翁/シホツヽノオキナ/彦炎出見尊/ヒコホヽデミノミコト/に教へて海神官/ワダツカミノミヤ/に至らしむ。(國史略に曰く。尊自ら山幸有り。兄の火闌降命/ホスソリノミコト/、海幸有り。二人、相謂ふ、試みに之を相易へんと。乃ち互いに弓箭と釣鉤とを換ふ。闌降、山に入りて獵す。獲る所無し。乃ち弓箭を還す。尊、既に鉤を海に失ひ、新たに償ふ。闌降、受け弗す。急に原鉤を責む。尊、大いに憂悶し海畔に行吟す。鹽土老翁に遇ふ。告ぐるに事情を以てす。翁、為に無目籠/マナジカタマ/を造り、尊を盛り、これを溟中に沈め、海神官に至らしむ。)鹽土老翁は即ち廟神の叟に化して出る也。此れ司海之神たること最も明らかなり。
 崇神天皇、靈詔を氣長足姫尊/イキナガタラシヒメノミコト/(神功皇后)に降して曰く。朕の神靈、住吉の松樹に降る。既に三百十七年の星霜を歴る。斯れ真住吉國/マスミヨシノクニ/也と。住吉の稱有ること、此れより始まる。日本紀の神功皇后紀に三神の曰く。(底筒男、中筒男、表筒男。)吾が和魂/ニギミタマ/大津渟中倉之長岟/ヲヽツヌナカクラノナガヲ/に居り。(蓋し渺茫大海中を謂ふ也。)便ち往來の船を護し、且つ軍陣の勝利を得せしむ。(大日本史、神功皇后の本紀に曰く。時に神有り、/おし/へて曰く。和魂は玉體に従って以て壽を護し、荒魂は先鋒と為って舟師を導く。又曰く。荒魂をして先鋒と為らしむ。和魂を請ふて以て舩を鎮めしむ。)ゆえに神功皇后、此の廟宇を營む也。
 住吉傳記に曰く。今、四神の廟を望むに三宇、進みて前に列す。(第二、第三、第四。)是れ魚鱗の備えに比し、一宇(第一)退きて後ろに在り。是れ鶴翼の圍に擬す。(八陣の目を用ゆ。)匠人、之を住吉築/スミヨシツクリ/と謂ふ。佗祠と大いに異なり。蓋し廟神は軍旅を司る。故に此の築法を用ゆと云ふ。四門、扉扇/トビラ/を設けず。各々大石華表を樹つ。廟、皆西に向かふ。第一廟は金獅牝牡、靈壇を護す。(三廟皆同じ。)左に神厩有り。白馬を繋ぐ。(潔白雪の如し。時時奔逸して之く所を知らず。必ず海濱に立つ。牽きて以て歸る。神の乗る所也と云ふ。)
 巫樂は則ち地上に龍鬚席/ゴザ/を鋪き、巫四人(巫女は天庭に所謂天上眉なる物を點ず。佗巫は之を畫くこと能はず。)祝吏一人は笛を弄し、一人は腰皷/ツヽミ/を撃ち、沈肅静雅、絶えて雷皷耳を聵にするの俗無し。其の佗の三廟、搆築第一と同じ。皆廟右の一室に祝聚まる。
 枝祠/マツシヤ/三十餘、祝家三百餘、一年七十五の祭有り。大祭を六月晦と為す。之に次る者は五月二十八日(土人、御田/オンタ/と稱す。界浦の妓數人、花笠を戴き、錦衫を穿ち、群れて田に往き、挿秧の儀を催す。)、又次なる者は九月十三日(土人、寳の市と稱す。破器を售り、爛衣を鬻ぐ。此の日、/マス/を賣る。土人又、/マスノイチ/と稱す。芭蕉の句に云く。句買ふ//、分別//////、月見////。)上巳を退潮辰/シホヒ/と稱す。(元の任士林の海扇の詩の自注に、海中、甲物有り。扇の如く、文、瓦屋の如し。三月三日、潮盡くれば乃ち出づ。)海畔燈火臺の以西、蒼波退きて平地と為る。都下の士女、各々爭って美服を著け、來って花蛤を拾ふ。掲厲を煩はさず。遠人は蟻の羶を慕ふが如く、近人は鶴の啄まんと欲するに似たり。午牌少差/ヒルスコシスギ/、碧海渺渺漫漫、殆ど天を呑まんと欲す。燈火臺に登れば、播備阿淡の諸峰、雙眸中に聚まる。下りて東に來れば、則ち穹窿橋/ソレハシ/有り。口を漱ぎ、掌を拍ち、四壇を拜し、且つ古跡を尋ねて、淺澤の池に臨み(咏歌、萬葉、續拾遺、續千載等に見ゆ。)、便宜水/ヨルベノミヅ/を汲み(清輔の歌、夫木集に見ゆ。)、返車櫻/クルマカヘシノサクラ/を賞し(後醍醐帝、此の祠に幸す。時に櫻花盛んに開き甚だ美なり。帝、大いに之を賞し、まさに去らんとして猶花に戀し、 鑾輅を回して再び之を望む。)、誕生石を訪ひ(鎌倉公の妾、丹後局、忠久を此の石上に生ず。是れ嶌津氏の始祖。薩侯、長へに之を祭り、祝に命じて禮を掌らしむ。轡の/モン/儼然。都下の婦、娠むこと有れば、必ず安産を祈る。)、古岸松/キシノヒメマツ/を望み(僧恵慶の歌、拾遺に見ゆ。)、忘却貝/ワスレカイ/を買ふ(平薩州/タヾノリ/の二歌、萬葉及び新勅撰に載す。今、貝を染めて赤白黄に分かち、售って以て兒戯に供す。)。一雙の石燈/ツイノイシトウロウ/、羅列萬數、松間の路を夾む。(海艚の群商、競って此の物を獻し、舟路の順風穏波を祈る。)廟北の諸店、雷響鬆糕/ゴロ/\センベイ/を沽り、白泥の竹馬を衒り、五彩の帋輪を賈る。凡そ六十餘州の大阪に遊ぶ者、身を浴し、鞋を踏み、必ず先づ此に賽す。
 神廟を領掌する者二人。祠官/カンヌシ/を津守氏と為す。(正印殿と號し、又常勅使と稱す。)浮屠を神宮寺と曰ふ。(舊名新羅寺。天台宗。東叡山に屬す。)皇家、事有れば、奉幣使いを發し、此の神を禱る。故に人尊んで攝津の國第一祠/イチノミヤ/と曰ふ。
 樂美、新後撰に載する所の太上天皇の歌を拜誦して、(嘉美譽加密/カミヨカミ/奈於須密與志土/ナオスミヨシト/覓楚那和勢/ミソナワセ/倭可與仁多津留/ワカヨニタツル/鼻也波志良奈里/ミヤハシラナリ/。)/みだ/りに大いに感ずる所有り。其の寛仁、民を憐れむの/オンコヽロ/、句外に溢る。真に住吉を咏ずるの千首萬篇を壓す。そもそも、此の神、軍旅を司り、海波を/つかさど/れば、則ち我が竊かに禱らんと欲する所の者有り。神風を起こし、五蠻の船を覆し、神徳を//いて、五蠻の奴を/みなごろし/にし、神威を振るって、神功の夷虜を伏するが如くし、神績を/あらは/すこと、上皇の宸襟を示すが如くせんことを禱る。我が天子は乃ち萬萬歳。將軍諸侯、之を奉ること、日月の如し。故に萬民の居住をして長く安く且つ吉きを致さしむ。ああ住吉、實に住吉。人人、上皇の歌を書し、鎮宅符/ヲマムリフダ/と為し、之を戸上に貼して可なり。
 竹山の奠陰畧稿、墨江に遊ぶ七律の二聯に云く。
  潮痕 的歴として文貝を敷く
  橋勢 穹窿として怒虯を起こす
  岸上 萱肥えて紅袖摘み
  松間 波霽れて紫韁留まる
 劉元高の静文舘集、墨江神祠を拜する詩に曰く。
  松際 玲瓏たり 古殿扉
  相携へて兩兩神に賽して歸る
  素裳 雪の如く靈巫舞ひ
  皷を撃ち簫を吹きて晩暉を送る
 淡窓の遠思樓詩鈔に曰く。
  女主英雄 真の丈夫
  三韓 蒲伏して 皇圖を仰ぐ
  西人 何ぞ識らん 神靈の徳を
  鬼道 謬り傳ふ 卑彌呼
  (自注に、後漢書に倭の女主卑彌呼、鬼道を以て衆を惑はす。)
 小竹齋詩鈔に神功皇后歌の七古長篇を載す。
 家父華城詩鈔に南遊六言絶句を得たり。曰く。
  墨浦 晴れて界浦に連なり
  泉塘 低れて攝塘に接す
  祠官津守三位
  鍜匠 文殊 四郎


〇阿部野

野蟲呑露泣尤繁   野蟲 露を呑んで泣くこともっとも繁し
蕎麦花寒秋日昏   蕎麦花寒くして秋日昏し
古樹方尋安史廟   古樹 まさに尋ぬ 安史の廟
曠原難弔北公墳   曠原 弔ひ難し 北公の墳

 阿倍野は住吉の北に在り。往昔、墨祠に賽するの官途、(今、往來する所の路は近世之を闢く。)野北、蕎麦を植ゆ。秋日花發して、滿地白雪の如し。村中、大樟樹有り。樹下、一小祠を建つ。傳へ言ふ、此の處、安部の清明の生ずる所。故に之を祭ると。(祝史の家。靈狐葛葉の書を蔵す。聞く、葛葉の書する所。亦、泉州信田の村祠にも在り。)蕎麦田中に北畠將軍の墓有り。(土人、大名塚/タイミヤウツカ/と稱す。又其の餘、荒墳有り。)樂美、家父に陪し墨祠に賽し、歸路を此に取り、將軍の墓を弔はんと欲す。落日惨憺、枯草茫茫、/まつ/る能はず遂に歸る。
 延元三年、夏五月、將軍敗兵を收めて此に軍す。高師直、來り襲ふ。將軍、二十餘騎と圍を衝いて死す。(時に年二十一。)詳らかに大日本史、源顕家列傳及び論賛中に見ゆ。(亦、皇朝史略、日本外史、通語にも見ゆ。)樂美按ずるに、日本政記に曰く、參議源顯家を以て陸奥守と為し、鎮府將軍を兼ぬ。上野介結城宗廣を副と為す。(詔して曰く、古くは皇子若しくは大臣、皆親しく戒に臨む。方今、王政これ新たなり。文武を分かちて二途と為すべからず。親しく旗の銘を書し、衣馬を賜ひ、陛辭。)顯家は親房の長子。評定所、引付衆を置くこと、鎌倉の故事の如くすと。ああ、將軍の齡、新樟の二公に較ぶれば、最も少なし。然れども擢用せらるること、此に至る。是れを以て始終正統の天子を奉し、彼の豺狼蝎虺の寇賊を防ぐ。設令/タトヒ/肝惱、地に塗るも、其の大節赫然。もとより日月と倶に懸るに足る。新田氏の如きは、實に其の支流の在る有り。必ずしも之を論ぜず。(日本外史に義貞の忠烈を論ずるに、東照公を舉げて以て其の事を驗す。)樟氏の如きは、水戸黄門光國公、石を湊川に建て、手づから題して、嗚呼忠臣樟子之墓と曰ふ。明人朱舜水、之に銘す。(先哲叢談に云く。朱之瑜、字魯璵、舜水と號し、文恭と謚す。明國浙江餘姚の人。亂を避けて歸化し、水府に客たり。)是れ以て其の精忠、日を貫くの功を償す可し。獨り將軍の墓、荒蕪草莽の間に在り、我これを土人に問ふに、或いは之を知らず。將軍にして知ること有れば、其の情如何ぞや。然れども、異日其の墓を修するも未だ遲しと為さず。蓋し後世、其の人出ること有らんとす。
 小竹齋の詩鈔に阿部野の懐古の五言古詩の長篇を載す。
 艮齋詩畧、安部野の詩、轉結二句に云く。
  空しく古墓を餘して人の祭る無し
  野老 田を犂いて折刀を得たり


〇壽法寺

一夜新寒霜欲媒   一夜新寒 霜媒せんと欲し
滿林染盡梵王臺   滿林 染め盡くす 梵王の臺
雛僧薄暮持椶箒   雛僧 薄暮に椶箒を持ち
掃得千紅萬錦來   千紅萬錦を掃き得て來る

 壽法寺は阿部野の北、天王寺の東に在り。寺中、楓葉頗る多し。新霜既に降れば、樹樹皆醉ふ。遊客、賞伴。肩を比し踵を接す。盃を舉る者、楓葉と其の面を同じうす。南鄰に一別莊有り。此の寺に較ぶれば、其の樹頗る富む。林間、酒を温むるの客も亦夥し。吾、猶井蛙。京の高雄、泉の牛瀑/ウシタキ/、未だ其の勝景を探ること能はず。
 樂美按ずるに、清嘉録に天平山は楓林最も勝る處と為す。即ち是れ西土の名區。高雄牛瀑の二景に當つべきか。然れども楓は本邦の所謂紅葉/モミチ/なる者に非ず。和名抄に楓は乎加豆良/ヲカヅラ/。一名攝。爾雅に云く。脂有って香ばしきを之を楓と謂ふ。(同種に非ざることを知る可し。)國史略に曰く。宮に楓樹有り。注に云く。本邦、楓を産せず。此れ蛙手/カイテ/と謂ふと。即ち是紅葉。西土の諸書を考ふるに、此の字面を見ず。蓋し和歌者流の用ゆる所。(西土に紅葉の種類無し。)詩家、姑く楓の字を假りて、以て用ゆるのみ。紅葉は藏玉集に色見草/イロミクサ/と名づく。二百餘品有り。救荒本草に槭樹なる者有り。今、其の圖を觀るに、やや相似たり。(救荒本草に曰く。槭樹は釣州風谷の頂き、山谷の間に生ず。木の高さ一二丈。其の葉のかたち、野葡萄の葉に類す。五花尖、亦綿花の葉に似て薄小。又絲瓜の葉に似て却って甚だ小にして淡黄緑色。白花を開く。葉の味甘し。)然れども是を以て同品類と為るは亦謬なり。(家父、嘗て樂美に語って曰く。本邦に紅葉に換へるに楓の字を以てするは、未だ始まる所を詳らかにせず。槭の字を用いれば、義相近し。蓋し槭は風谷に生ず。故に風の字に木を加えて楓に作るか。詳らかに華城随筆に見ゆ。)
 春水遺稿、楓の五律の兩聨に曰く。
  日照らして猩血を凝らし
  雨餘 燕脂を滴らす
  園林白丁の酒
  慶賀紫姫の詞
 山陽詩鈔に高雄と通天橋との七言絶句二首有り。
 小竹齋詩鈔に牛瀑楓を觀る五古七古の二篇有り。初學詩に入るの徒、宜しく典刑と作すべし。
 (家父の轉結に
  新霜一様に猶染め難し
  半は是紅雲 半は緑雲)


奢必麼瞢破落飛/セヒモンハラヒ/

十月郊南蛭祠賽   十月郊南 蛭祠に賽す
蕭條不似首春儀   蕭條として首春の儀に似ず
喧豗佐野橋邉路   喧豗す 佐野橋邉の路
蜀錦呉綾喚女兒   蜀錦呉綾 女兒を喚ぶ

 孟冬念日、今宮村、再び蛭兒神を祭る。祠門寥寥、寒風林に鳴り、諸肆開かず。賽客亦も稀なり。獨り佐野橋/サノヤハシ/南北、(長掘に架す。心齋橋と四橋との間に在り。)甚だ繁昌す。 蓋し橋の南北、鄽を列し、屋を比し、宿衣故帯を鬻ぐ者。(是皆大商に非ず。其の之が魁為る者、皆本街/ホンマチ/に聚る。)此の日、滿庫の萬品を探り出し、一時に售り盡くす。都下、奢必麼麼瞢破落飛/セヒモンハラヒ/と稱す。素光綢/ハブタヘ/紅縐絹/ヒヂリメン/雲鵞絨/ビロド/哆囉嗹/ラシヤ/、悉く地に垂れ、屋を覆ふ。街上、金を懐にし錦を買ふの人、麕簇雲屯す。然れども是、腰下劍を佩くるの光を見ず。ただ頭上釵を挿むの影を望むのみ。


〇牡蠣船

橋下繋船筵日開   橋下船を繋びて筵日に開く
初番蠣飯味佳哉   初番/ハツモノ/の蠣 味佳なる哉
寒風一夕驚奇事   寒風一夕 奇事に驚く
群屐響從頭上來   群屐の響きは頭上より來る

 牡蠣は藝州を上番と為す。州民多く大阪に來り、橋橋の下、皆海船を繋ぎ、篷窓底、各筵を設く。蠣を剖き、米に和し、新たに炊きて以て客を待つ。客來れば、則ち其の數に從ひ、席上滿/カマ/の新炊飯を出す。客、手づから鐺蓋/カマノフタ/を徹し、飯鍬/シヤクシ/を執って椀に盛り、飯上に紫苔/アサクサノリ/葱白/子ブカノシロ子/蔊菜/ワサビ/の三味を加へ、且つ木魚漿/カツオノタシ/を下し、箸を舉げて之を和し、熱を吹いて之を餐す。客、ただ唇を烙し、舌を爛んことを恐る。是、飯客/メシクヒキヤク/のみ。
 酒戸/サケノミ/は則ち之に異なり。其の出すや、或いは酢にて之を漬し/スカキ/、或いは豆豉を加へて之を煮/ミソタキ/、或いは鷄卵豆油/タマゴトヂ/を合わせて之を羹し、或いは其の殻を脱せず/ヤキカキ/火上に/ムシヤキ/、割いて以て漿を下す。總て是酒中の好下物。一品變じて百種の味と為る。ただ割烹家の活法に在るのみ。其の船來って纜を繋ぐは十月を以てし、其の解くや二月を以てす。
 樂美按ずるに、蠣は説文に蠇に作る。義同じ。類篇に雕は百歳になれば化して蠇と為ると。廣韻に牡蠣也。酉陽雜俎に曰く。牡蠣を牡と言ふは、雄を謂ふに非ず。介蟲中、ただ牡蠣は是鹹水の結び成れば也。南越志に曰く。蠣の形、馬蹄の如しと。樂美謂らく。安藝州の廣嶋に、牡蠣田有り。(春草堂詩鈔に見ゆ。)此れ廣東新語の種蠔(又人蠔と名づく。)、閩書南産志の蟶田(又蟶捏と名づく。)、物理小識の蚶田(又云く嶺南に乳田有り。)、事大いに相似たり。又廣東新語に曰く。生食を蠔白と曰ひ、之を 醃にするを蠣黄と曰ふ。皆美なり。(今世、肉を喫するは此の法より來る。樂美嘗て韓昌黎の詩を讀むに、云く。蠔相黏りて山を為し、百千各自生すと。按ずるに蠔山は古賀翁の侗庵筆記巻ノ下に見ゆ。)
 按ずるに和名鈔に牡蠣を南瀰沉發/ナミカシハ/と稱し、古歌に須磨浹溼翻/スマカシハ/と稱す。又異名を考ふるに、
 蠣蛤(神農本經)、牡蛤(陶隠居の別録)、大屈乙冑介(郷藥本草)、古賁(異物志)、蠔(篇海)、房叔化(水族加恩簿)、蠣房(韓昌黎詩の自注)。
 星巖集に牡蠣の詩を載す。其の小引に曰く。廣島城の南、凡そ三十餘里、皆鹹地と為す。遍く刺竹を挿む。之を望むに水柵のごとく然り。即ち牡蠣田也。土人云く。おおむね五六月を以て種を下せば、則ち翌年八九月に苗生ず。之を他州の産する所に較ぶるに、更に肥美、輙ち一絶句を賦す。曰く。
 地を/めぐ/る笆犂 潮を/さえぎ/らず
 時に清くして斥鹵また豊饒
 淘淘たる三萬六千頃
 一夜の寒風 蠣苗を長ず


〇越後獅子

越州獅子舞相臨   越州の獅子 舞うて相臨む
一皷真成座右箴   一皷 真成/マコト/に座右の箴
注目不爲容易戯   目を注いで容易の戯を爲さず
可知巖下放兒心   知る可し 巖下兒を放つの心

 獅子舞は北越より來る。故に都下越後獅子と呼ぶ。蓋し越後は大雪。積むこと屋上より高し。(北條子讓の霞亭渉筆に云く。北越の地、雪多きこと天下たぐひ無し。雪ひとたび下動 れば輙ち三四尺より一二丈に至る。大氐十月の交より三四月に至るまで堆積して消えず。)冬日、貧窶子、閑居して其の口を糊すること能はず。雪の未だ滿たざるに先だって、預して郷里を辭し大阪に來る。其の辛苦、甚だ哀れむ可し。我嘗て鎌倉長吏定書なる者を見ること有り。(治承四年、庚子の九月、鎌倉公、長吏彈左衛門に賜ふ所の書なりと云ふ。國史を按ずるに公、兵を舉ぐる今年十月に在り。此の書怪しむ可し。)源大將軍、長吏に命じて、賤伎二十八家を總管せしむ。獅子舞は二十五番に/つい/づ。其の伎を傳ふる亦久しい哉。其の伎、老漢大皷を撃ち、曲節を按ず。兩三の兒輩、獅頭を戴き、小皷を胸襟間に繋ぎ、兩手に檛を執り、相撃ち相舞ふ。老夫の唱ふ所と其の節を合はす。曲中、其の檛を擲ち、其の身を翻折して、兩掌地に貼する者有り。兩脚天に朝し、雙掌を以て地上を歩する者有り。
 按ずるに、東京夢華録中に倒立折腰の諸伎を載す。即ち此の類。誠齋雜記に曰く。梁の羊侃の妾、孫荊王、能く腰を反らし地に貼して席上の珍を/ふく/む。之を弓腰と謂ふ。文獻通考に曰く。拗腰の伎、蓋し其の身を翻折して、手足皆地に至り、口を以て器を銜へて、また立つ也。
 /シシ/の兒を谷際に墜すこと、群談採餘等に見ゆ。
 寛齋遺稿、獅子舞を觀るの詩、是越猊狻と異なり。(獅子の異名、金字編に見ゆ。)


〇山鳥舗

滿地北風刲面寒   滿地の北風 面を/サク/て寒し
欲呼鼎肉煖心肝   鼎肉を呼んで心肝を煖めんと欲す
懸燈照夜屠猪鹿   懸燈夜を照らして猪鹿を屠り
畫得青楓又牡丹   畫き得たり青楓また牡丹

 冬日に至れば寒風凛凛、人の膚を刺す。處處、一燈を挂け、猪鹿を屠り、之を煮て之を賣る。(蓋し血肉を益し、肌膚を温むと云ふ。)都下の俗、猪肉を牡丹と曰ひ、鹿肉を丹楓と曰ふ。乃ち隠語。燈面皆、此の富貴花と醉霜葉とを畫く。亦不言の標識。燈面に花葉を畫かず山鳥の二字を題する者有り。(江戸の俗、山鯨と稱す。)仄かに聞く、牛を屠ること、牛足らざれば則ち狗を屠り、偽って客に啗わしむと。席上に臨む所の諸君子は、斜髻文身、無頼の博徒、鼎を抱き箸を舉げ、亂坐狂談するのみ、牛飲馬食するのみ。余が生、家鷄猶且つ食はず。況んや山鳥をや。人、片臠をも食はざるを以て余を嘲る。余、甘んじて其の嘲を受く。嗚呼、彦道袁先生に非ざれば則ち舞陽侯の堂に升ること能はず。(琉球國彘肉は蓋し牡丹丹楓の類に非ず。甚だ佳品と云ふ。薩州藩士の大阪の倉邸に來る、皆此の肉を藏す。藩士樺山氏、肉を烹て家父を邀ふ。家父席上の詩に曰く。
 君是薩州謀策の臣
 邸中我を迎へて嘉賔と稱す
 一盤の彘肉 蠻語を傳ふ
 髣髴たり琉球國裡の人


顔觀/カホミセ/

數點紅燈趨戯塲   數點の紅燈 戯塲に趨り
錦衣繍帯贈俳郎   錦衣繍帯 俳郎に贈る
世人飽使俳郎煖   世人飽くまで俳郎をして煖ならしめ
不憫乞兒啼夜霜   乞兒の夜霜に啼くを憫れまず

 道頓港の戯塲、技了り夜至れば、賤俳列坐して、滿塲の千萬客を拜す。都下、顔觀/カホミセ/と稱す。富門の子、各々百燭籠を照らし、纏頭を齎し、喧走嘈奔して之を投ず。(顔觀は毎年十一月に在り。)亦寒夜中の一繁昌。(吾、之を見ず。ただ舊話を聞くのみ。)


〇 入力:西岡 勝彦 w-hill@nifty.com