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大阪繁昌詩
金峰先生著 紀律堂藏板
大阪繁昌詩三巻。首に畫圖を載するは、是金峰先生の遺囑なり。此の篇、十六七の兩歳に成る。然れども謙遜して敢へて人に示さず。終に臨みて諸を筺より出す。母夫人、泣きて遺囑を頷す。此題して大阪繁昌詩と曰ふと雖ども、詩話や、隨筆や、異名編や、地理志や、具備せざること無し。間/世教に關する者あり。覧者、尋常の詩編を以て、之を視ること勿れ。然れども、業暇緒餘に出づ。又此を以て金峰先生を概論すべからず。今、上梓するに及びて、華城夫子、省をして覧者に告げしめて曰く。是亡兒の遺稿。童蒙の筆と雖ども、亦心血の注ぐ所。父者、之が爲る、一句を添へ、一字を減ずるに忍びず。唯/舊稿のままを梓して、以て天下諸名家の好雌黄を待つ。
門人 伯耆 原田省 謹識
大阪繁昌詩目次
巻之上
富家銀主
望岳酒/ 附酒異名
豐臣太閤 附武内宿禰
萬歳樂
司命索/
七菜粥 附春駒
十日蛭兒/
引繩/ 附燉度/
赤豆粥 附八幡信貴二廟祭
茶臼山/
一心寺
安居天神
清水寺 附合法衢/ 石像閻王
浮瀬樓 附猩舞大盃
庚申堂
天王寺 附古樂論
巫女街/
樂人街/
吉祥寺 附四十七士論
隆専寺 附彼岸櫻
寺街
開帳
生玉
高津 附豆腐異名
道頓溝
桃谷
産湯/
玉造
上午/春遊 附鴫野/梅花
網島大長寺
片街魚市
櫻祠
鶴滿寺
長柄
天滿菅廟
天滿菜市
八軒屋
懸鐘街
古林見宜宅 附老狸記
高麗橋賣縑戸/
虎屋饅頭肆 附饅頭異名
伏見街蠻器肆
道修街藥舗
鳥屋街 附一奇事
學校 附竹山履軒二翁評
堂島米市
靱街鮑魚/
巻之中
西本願寺
東本願寺
坐摩
順慶坊
心齋橋書林
賣石家 附石屏風
四橋
新町橋
九軒
長掘材木市
沙塲 附白麺/異名
鰹座 附白髪街觀音佛并松魚説
阿彌陀池
松岬/ 附朝鮮人墓
川口
瑞見山
天保山
安治川
玉江橋
雜喉塲
福嶋逆櫓松
寒山寺
金魚戸 附金魚異名
吉介牡丹 附牡丹異名
權現祭
野田藤花
浦江燕子花 附燕子花異名
大仁村 附渡唐天神説
祈晴僧/
梅雨 附蘇葉及梅實異名
茄田 附茄子異名
住吉舞
撃皷童
御靈祭
稲荷祭
天神祭 附菅丞相論
西瓜店 附西瓜異名
浪華橋納涼
角觝塲
心齋橋
浴肆/ 附洗穢論
巻之下
道頓港戯塲
俳優
尤海殢波
法善寺
日本橋
辨天蓮池 附蓮花異名
眞言坂
高津新地百家巷/
賣糕翁
鬻蟲燈
盂蘭盆
中元謁墓
堤望火字
地藏祭 附地獄論
瀬戸物街
施餓鬼
圓頓寺 附胡枝花異名
大阪城更鎮/
木津川釣鯊船/
鐵眼寺 附綿異名
阿福茶店/
豹 附異名
天下茶屋
住吉
阿部野 附楠新田二公論
壽法寺
奢必麼瞢破落飛/
牡蠣船/ 附蠣異名
越後獅子
山鳥舗/
顔觀/
煨藷燈/ 附蕎麥蜜柑薩芋等異名
胡羅蔔/ 附異名
嗟來粥/ 附救荒書目
梅莊 附梅花異名
藏菜/
搗餅
掃煤
除夜
節分
禳厄/
感懷
通計一百三十首
田中右馬三郎傳
予、乏しきを承けて留守職となり、浪華の公邸に居ること十數年。官務の暇、邸中の子弟に教えるに文武の二術を以てす。姪婿小川生、藩命を奉じて醫業を學ぶ。因って來たって邸舎に寓す。生、華城先生の學醫を以て京攝の間に鳴るを聞き、乃ち先生の門に入る。先生は田中氏、名は顯美、字は君業、通稱は内記。華城は其の號。予、生を价して先生と交はることを得たり。毎年、予上元を以て宴を開く。此の日始めて先生を迎ふ。先生、子君安を携へて來る。君安、白皙纖麗、美女子に似たり。蓋し父子聯璧、邸中見る者、兄弟の如しと云ふ。君安、擧止閑雅、深沈言笑寡く、予一見して凡兒に非ざるを知る。先生の予を招く冬至を以てす。年年互いに例と爲し、往來して文字の交を結ぶ。君安、今春以來勞疾に罹り、荏苒愈へず、遂に没す。實に文久二年壬戌六月二十八日なり。年を享/けること僅かに十九。中寺街妙壽寺先塋の側に葬る。諱は樂美、君安は其の字、金峰と號す。通稱は右馬三郎。著す所大阪繁昌詩三巻。雜體詩三巻、文一巻、金字編四巻、金匱要略正義一巻、及び漫録三巻。行/将に皆上梓せんとす。噫/、年少くして此の數部の遺著有るは、天下の希に覯る所なり。且つ平生の行事、大いに傳ふべき者有り。故に予因って之れが傳を立つ。
曰く、君安の先は、本と丹波より出づ。姓は源、六田氏、蓋し八幡公の裔に係る。雙劍一槍、屹として州の豪族たり。六世の祖、莊次郎君なる者、故有って系譜古器を携へて京に入り、田中氏に寓す。遂に之を冒す。小森公の門に入りて、醫を業とす。又仁和王に事/へて、法橋の爵を受け、薙髪して嘉菴と稱す。南遊して川を下り、浪華に來たり、高麗橋第三街に居る。遂に浪華の人と爲る。吉川圓齋の妹を娶り、三男を擧ぐ。皆法橋に立ちて没す。一孫を存す。長ずるに及びて京に往き、神祇殿に謁し、神道を唱ふ。長門介と稱す。諱は顯輝、綺潮と號す。幾/も無くして歸り、樋口亮菴の女を娶り、三男一女を擧ぐ。皆早く没す。次男諱は輝美、玉洲と號す。深江氏を娶りて、一女一男を生す。女は夙く逝く。男は乃ち華城先生なり。母夫人深江氏、最も賢少にして寡。貞烈辛苦して、終に先生をして、藤澤泊園に事へて儒術を学び、又備前難波抱節に從ひて醫業を受けしむ。先生、今日の盛なることあるは、實に深江氏の力なり。嚮/きに先生の備に在るや、皇母樋口氏、猶在り。先生を待つこと、日夜尤も切なり。故に未だ二年ならずして歸り、杉本氏を娶る。母夫人、先生の遠遊して其の志を成すこと能はざるを以て、北辰星に祷り、弘化元年甲辰、君安を北久寶寺坊第三街に生ず。北辰を祷るは必ず午日を用ゆ。君安の生ずる、仲夏既望を以てす。仲夏は午月。既望偶/午日に當たる。且つ其の出誕も亦午時。月日時全く符合す。人皆以て祷る所の驗と爲す。
三四歳に及んで常兒の戯物を弄せず、日/に衣冠を著け、天朝に趨くの嬉遊を爲す。人之を異とす。六歳の時、神武より仁孝に至るまで、歴世の帝王序次を紊さず、悉く之を暗記す。又名相英将の群名、皆之を諳じ、能く其の時世を分かつ。先生、其の虚弱を患へ、未だ句讀を授けざれども、君安几に憑り、巻を披き、字林玉篇を引き、漸く之を讀み、能く其の義を辨ず。人益/之を異とす。
八九歳の時、杉本氏君安を携へて他に適/く。偸兒二人後に在り。陪從の奴婢、未だ之を知らず。君安先ず之を覺り、顧みて叱して曰く。吾謹んで我が母を護す。汝速やかに去らざれば、則ち我が腰下の雙刀、将に光を放たんとす。偸兒驚き逃る。
君安天性仁恕、哀憐の至情、尤も人心を動かす。家に轎奴有り。博飲を好む。人之を戒れば、却て罵ること甚だし。君安、奴の冬日衣無きを見て、懇ろに杉本氏に緼袍襦帯を乞ひ、乃ち之を與へて曰く、汝日/に轎を舁きて大人を護す。勞せりと謂ふべし。若し衣無ければ、吾恐らくは汝の寒疾を患んことを。奴感泣して曰く。郎君、年纔かに十一。其の慈愛此の如し。今我改めざれば、必ず冥罰を受けん。是より終身博飲を絶す。
先生火災に遭ひ、居を備後街に移す。一夜強盗數輩、樹を攀じ、壁を穿ち、樓上に聚り、將に燈を點じて樓を下らんとす。時既に四更、闔家熟睡。深江氏、忽ち樓上の火光人語を訝り、先生を呼びて曰く。内記。内記。先生、聲に應じて起く。乃ち先生に耳語す。先生、衣帯を整へ、兩劍を佩び、長槍を提げ、塾徒を聚め、将に樓に上らんとす。君安亦劍を帯び、徐ろに進み先生の裾を曳きて曰く。盗の欲する所の者は金錢是のみ。乞へば則ち之を與へん。饜/かざれば則ち盡く之を殪さん。大人願はくは盗の樓より降るを待て。盗、君安の言を聞き、膽を落とし垣を踰へ、皆走り去る。樓上の一物を掠めず。時に年十三。
十四の時、既に父に代って、門徒を聚め左傳を講ず。杜注を疑ひて、奇説を發す。藤澤泊園、之を聞き五絶を賦して貽/る。又宅を安土坊に遷すや、先生通策十五篇を著作し、薩摩侯の倉邸に來るを俟ち、邸中の留守職平田某に因って之を獻んとす。侯、國に在りて暑痢に罹り暴/かに薨す。其の志を遂げず。嚮/に通策の成る、竊/かに君安に示す。君安、平日見る所、先生と議論合せず。然れども勉めて其の鋒を避け、歡情を失はず。此の日君安、進んで和戰海防の策を論じ、細かに其の六篇を議す。先生、君安の議に服し、遽/かに其の稿を改む。此の時年十五。先生、未だ教導を加へざれども、自ら勉勵して博く群書に渉る。且つ記性絶倫、一讀忘れず。
乃ち筑前の松崎元眞なる者、歳方/に三十。嚮きに荏都に往き、一齋艮齋の二公に事ふること既に十年。國に歸らんとす。浪華を過ぎ、先生に謁し、弟子の禮を執り、醫術を學ぶ。先生、謂ひて曰く。我、頃/ろ冗務、暫く兒に就いて儒籍を談ぜよ。元眞大いに喜び因って君安に見/ゆ。君安、沈黙恭座、卑謙首を俯す。元眞出でて罵りて曰く。美童子何ぞ字を知らん。是殆ど癡魯人のみ。塾生以て告ぐ。君安微笑す。他日元眞を我が齋中に招き、近作若干を示す。元眞一覧大いに駭/く。詩文皆老手錬。因って漸く問へば、漸く答ふ。君安博覧強記、應答響の如し。談偶/司馬文正公の傳家集に及べば、則ち君安、五規の文を暗誦す。陸象山の集要に及べば、則ち語録中の文を暗記す。元眞愈/駭く。又問うて曰く。本朝近世誰か大家と爲す。君安曰く。吾れ童齡、何をか知らん。然れども吾が見る所を以てするに、太田錦城氏の經に於ける、菅茶山氏の詩に於ける、頼山陽氏の史に於ける、齋藤拙堂氏の文に於ける、我竊かに推して四大家と爲す。人/尸祝して可なり。又問うて曰く。西土近代何をか有用の書と爲/る。君安の曰く。康熈帝の字典、顧寧人の日知録、朱竹坨の經義考、趙雲崧の二十二史の箚記、唯是のみ。元眞退き塾長に謂ひて曰く。博覧強記且つ明識あり。然れども謙虚抑損、字を知らざる人の如し。是尤も大器。得易からざるの才なり。異日才名を天下に振はん者は、必ず此の子ならん。我、惜しむらくは醫業を継ぎて身を終へしむるを、と。
蓋し君安、人に教ふるに丁寧反覆、温和の気、眉宇に溢る。故に人多く之に服す。先生は嚴律方正、人に教ふるに法あり。人皆之を畏る。故に塾中夏日冬日の評あり。一村醫の子、三浦生なる者、塾にあり。本と是無頼の徒。貧を訴へ金三圓/を借りんことを請ふ。君安大いに之を憫み、竊かに我が門生より受くる所の謝金を出して、之に三圓を借す。同塾生之を悟り、痛く虚を吐き金を借り酒を飲み遊を致すの状を責む。金を償はしめんと欲す。生詐りて曰く、我が借る所の者の金三方/のみ。君安之を聞き微笑して塾生に謂ひて曰く、彼は長、我は少、嚮に巧みに我を誑かす。彼乞へば則ち我固より将に之を與えんとす。今圓を轉じて方と爲す。大丈夫の心膓に非ず。亦何ぞ穢濁なる。然れども金銀を以て争辨するは甚だ師弟の誼を失ふ。諸君請ふ、過を戒め舊に依り憐れんで諸/を塾に居けよ。大人をして之を聞かしむること勿れ。塾生、其の臍を噬まざるを惡/み、以て先生に告ぐ。先生曰く、我常に三浦生の人と爲りをにくむ。今果して仁恕の兒を欺く。且つ彼、兒の教育の恩に浴すること淺からず。是恩に報ずるに讎を以てする者。即ち人顔獸心。諸子此の氄毛四蹄と居を同じくすること勿れ。遂に弟子の籍を削る/。人皆嘖嘖として君安の寛假豁大の胸襟を感稱す。
君安十七の時、米價沸踊。一日愀然として先生に請ふて曰く。聞く、間者/米價一時に沸踊、窮して乞子と爲る者多し。些少と雖ども我が藏する所の束修を傾け、米を買ひて之を賑はさん。先生大いに感じ、即日嚢金を出し、君安の意の如くす。遠近聞く者、感動せざる者無し。
先生、一日君安に謂ひて曰く。吾汝の志す所を聞かん。君安の曰く。我弱冠にして東し荏戸に遊び、二十七八にして歸り、門戸を京に張り、我が志を成さんと欲す。先生莞爾として曰く。嘗て汝の三四歳の嬉遊を想ふて、汝の期する所、吾之を知れども、汝は家に在って箕裘を継ぐ者。君安の曰く。若し家に在れば、我将に官府に訴へ、醫學寮を建て、施藥堂を營み、以て群生を教授し、且つ貧民を憐療せんとす。是宿志なり。先生識量の凡ならざるを喜ぶ。
君安多病、死なんと欲する者數/。平生百方之を保攝す。今年復/病牀に臥す。病中猶先生に代わって素問及び論語、八大家讀本を講ず。而して冉冉衰憊、遂に大漸に及ぶ。紙筆を求めて自ら永訣の作二首を書す。今之を録すに曰く。
十九年來草廬に臥す
病中何の暇か佳譽を發せん
今朝父に別れ泉に歸る後
膝下誰かよく著書を校せん
其の二に曰く。
大母慈萱涙痕を拭ひ
枕頭我を撫でて遺言に泣く
宿心未だ遂げざるに身先ず没す
/を含み乳を索むるの恩を那/ともすること無し
書し了わって曰く。吾将に泉に歸らんとす。願はくば大人吾が志を成せよ。乃ち瞑す。盛夏の節、猶衾中に在ること三日。其の面、微笑生くるが如し。蓋し先生の著述、其の校正潤飾、半ばは君安の手に成る。是の故に膝下誰能校著書の結句有り。文を評するは則ち勁秀瑰偉、余以て先生の筆力に減ぜずと爲す。君安の逝きしより、門下の弟子多く散す。嗚呼、君安の逝くは翅/田中氏の不幸のみならず。人人君安の遺著を讀めば、則ち必ず我が傳ふる所の決して濫賞虚褒に非ざるを知らん。
贊に曰く。浪華は豐臣氏の墟なり。元和の役に長門守重成なる者有り。其の才器容貌を論ずれば、君安守重と善く相類す。文武異なると雖ども少年の芳名を千秋に流すに至っては則ち一なり。我謂へらく、君安五過絶有り。孝順婉怡、人に過絶す。仁恕哀憐、人に過絶す。博覧強記、人に過絶す。沈黙遜退、人に過絶す。容顔麗美、人に過絶す。其の沈黙遜退に至っては、是尤も難き所なり。此の如きの子にして、齡長からざる。噫/、天道は是か非か、信に然り。我又之を聞く。志摩の伊藤雲龍なる者、歴史を好み、善く人を鑒す。君安を哭して曰く。此の人や、其の姓源家の出と雖ども、其の才望器量の若/きは、則ち平内府の流亞なり。乃ち痛く惜しんで小重盛と稱すと云ふ。
吉田藩 兵頭清生 撰
大阪繁昌詩巻之上
田中右馬三郎源樂美君安 著
繁昌引
余や今年十六。繁昌の土に生じ、繁昌の景を觀、輒/ち繁昌の詩を賦す。一詩に一記を添へ、頗る積みて巻を成し、遂に臘末に賈浪仙の家法を学ぶに至る。句必ずしも縟麗を帯びず。必ずしも新奇を吐かず。結搆必ずしも空に架し虚に馭せず/。格調必ずしも晩唐と宋風とを辨ぜず。實事實景、之を眞詩と謂ふ。徐而菴の詩論に曰く。先ず法從/り入り、法從り出づ。能く無法を以て有法と爲すと。果して是眞詩を得るの道。嗚呼、余無法を以て繁昌の詩を賦す。太平の恩に報いるに足らずと雖ども、聊か亦太平の祥を鳴らすに足る。然れども眞に口頭の囈語/、一覧の客、宜しく開口捧腹の具と爲すべし。
○富家銀主
豊公巨膽壓支那 豊公の巨膽 支那を壓す
貔虎投鞭鴨緑波 貔虎 鞭を投ず 鴨緑の波
長有餘威歸富戸 長へに餘威の富戸に歸する有りて
諸侯齎幣借金多 諸侯 幣を齎して金を借りるもの多し
五大洲中、人品都雅、萬物富饒なる者は、日本を以て第一と爲す。(歐陽永叔の日本刀の歌に云はく。土壌沃饒、風俗好し。)而して黄金山の如く、白銀海の如くなる者は、我が大阪を以て無雙と爲す。(穀堂遺稿に浪華の殷富、寰區に甲たり。素封の君、數を知らず。)諸侯の王事に勤め、幕府に聘し、國用足らざる者は皆使いを遣はし幣を厚くし大阪に來たり以て之を借る。(邦俗、金を借す家を呼んで銀主と稱す。)樂美、始皇紀を考ふるに、豪富を咸陽に徒すこと、實に故有り。今日金銀諸侯に供するは、則ち固より天下有用の財と稱するに足る。且つ吾之を聞くことあり。豊臣氏の天下を治むる、金銀勝/て用ゆべからず。是を以て大阪城に金井有り。(黄金數百枚を泉底に埋む。都人黄金水と呼ぶ。)銀井有り。(亦白銀數百兩を泉底に埋む。白銀水と呼ぶ。)元和元年。兩將軍城内の燼餘を收め、猶金二萬八千枚、銀二十四萬兩有るを見る。(事、日本外史に見ゆ。)海外同穴の狐狸、吾が金銀に首を翹/げ、尾を揺らすこと久し。(草茅危言、外舶互市の條、金銀の論、決して用ゆべからず。)願はくは彼の狐狸をして山の如きの黄金、海の如きの白銀を吮/い盡さしむること莫れ。
○望岳酒
木罌幾萬浪華津 木罌幾萬か 浪華の津
縲縲如岡堆水濱 縲縲 岡の如く水濱に堆し
此是伊丹第一酒 此は是 伊丹第一の酒
将輸八百八街人 将に八百八街の人に輸/んとす
粟米の甘美なる者は、日本五大洲に冠たり。其の粟米を以て酒を釀し、芳烈にして且つ旨き者は城北伊丹の製する所、六十餘州に甲たり。(樂美按ずるに西土の美酒、獨り姑蘇州を推す。明一統志を閲るに、實に是古の蘭陵郡、本邦の専ら伊丹の釀製を貴ぶが猶/し。)儀狄之を製し、夏禹之を味はふは、抑/邈たり。得て稽/ふべからず。近く賈思勰の齊民要術、竇苹の酒譜等の書を考ふるに、製法大いに異なり。宜なり其の芳烈にして且つ旨きこと、木罌/に盛り、藁苞/に裹/み、江戸に輸し、偶/鬻ぐに及ばずして還る者有り。都人、望岳酒/と稱す。其の味更に美、其の價益/貴し。
樂美、群書に渉り、酒の異名を見ること左の如し。
黄矯 紅友 歡伯 醇儒 掃愁箒 釣詩鉤 百藥長 十旬郎 玄水 瑞露 麹君 蘭生 楚瀝 呉醴 杜康 陸諝 頓遜樹 般若湯 春潮紅 秋露白 富水 狂藥 海老 桑郎 平原督郵 青州從事 上天美禄 洞庭春色
兩兩相對し、其の義を比す。(異名至って多し。餘は余が輯むる所の金字編に出づ。)
家父、酒を咏ずる七律の前聯に云ふ。
祛愁の使者 吾が命に奔り
破悶將軍 汝の威を振るう
(樂美の曰く。祛愁使者、破悶將軍も亦異名。倶に事物異名に見ゆ。)王勣、杜康を祭る文有り。(陳繼儒の古品外録に見ゆ。)
○豐臣太閤
太閤宿禰兵有神 太閤宿禰 兵に神有り
堅艦發個浪華津 堅艦 この浪華津を發す
若教太閤年三百 若し太閤をして年三百ならしめば
亞魯佛英皆吾臣 亞魯佛英 皆吾が臣
武内宿禰、神功皇后に從って三韓を討す。豊臣太閤、朝鮮を抜き、朱明を伐つ。此の二將は大いに皇威を海外に耀かす。實に天下萬世の大忠臣たり。宿禰薨ずる時、年三百。(水府公の大日本史宿禰の傳に曰く。景行、成務、仲哀、應神、仁徳の五朝に歴仕し、官に在ること二百四十四年。年壽は傳の註の諸説に見ゆ。)太閤は乃ち六十三。頼山陽の日本外史に之を論じて曰く。太閤をして女直靺鞨の間に生ぜしめ、而して之に假すに年を以てせば、則ち必ず朱明の國を滅ぼす者は、覺囉氏/を待たざるを知らん。樂美竊かに謂はく。太閤の大業を遂げざること、實に惜しむべし。嚮きに沈生の三寸の舌に欺かれず、疾く之を伐たば、太閤必ず彼の八百餘州を掌底に握り、甘心して以て瞑す/。故に吾甚だ太閤の擧ぐる所を惜しんで曰く。是不幸短命にして死すと。外史又論じて曰く。蓋し其の人と爲り、酷/秦皇漢武帝に肖たり。而も雄才大畧は遠く其の右に出づ。嗚呼、其の右に出るは、則ち固より然り。然れども太閤豈に秦皇漢武の匹敵ならんや。吾、明史を閲するに、朱室の中葉、醜虜に澳門に居るを許す。韃清、之に代れども猶其の制を革めず。又清の會典を閲するに、帝嘆じて群臣に謂ひて曰く。千百世の後、中國の患を遺す者は、必ず西洋ならん。其の言果して驗あり。帝、其の禍を洞察すれども、之を防ぐの長策を貽さず。天下を馭するに於いて、亦左せり。若し太閤をして明に代らしめば、則ち必ず唾し且つ之を逐はん。ただ唾し且つ逐ふのみならず、饒/髀肉未だ生ぜざれども、又将に北のかた鄂羅斯/を伐たんとす。一鼓して抜けば、則ち必ず涎を都爾格/に垂れん。朝に墨利伽/を取り、夕に斯把泥/を定め、今日佛朗西/を滅し、明日咭唎/を平らぐ。神策を運らし、秘謀を施し、蠶食牛呑、至らざる所無し。而して萬國皆太閤に臣伏す。太閤、萬國をして悉く日本の正朔を奉じ、且つ遍く頂髪を剃り/、且つ廣く以呂波の文字を用ひしめ、而る後に萬國を率いて萬萬歳一統の天子に朝す。(宋の太宗、本邦の年表を見て、歎息して群臣に謂ひて曰く。世祖遐久、其の臣も亦繼襲して絶へず。此蓋し古の道なり。事宋史に見ゆ。山崎闇齋の文會筆録に曰く。我が皇統の窮まり無きが若きは、天の覆ふ所、地の載する所、載籍の傳わる所、寄譯の通ずる所。蓋し未だ曽て有らず。)是實に太閤の宿心本懷、然れども太閤の大膽略有るも、宿禰の高年齡無ければ、則ち此の莫大の珍業を遂げること能はず。故に六十三翁を惜しんで、不幸短命にして死すと爲す。(大窪詩佛の七絶に云はく。
重ね來て土を巻く勢堂堂
惜しむ可し中途命の長からざることを
韓卒明兵 皆辟易
松葉の如く膽を落とし舜臣は亡ぶ
樂美の曰く。廿八字、太閤の小傳、詩聖堂集に見ゆ。太閤の論、新井白石の讀史餘論に出づ。)
○萬歳樂
烏帽藍袍唱萬歳 烏帽藍袍 萬歳と唱ふ
陽門鼓舞祝安寧 陽門の鼓舞 安寧を祝す
扶桑天子今如昔 扶桑の天子 今 昔の如し
休比大韶奏舜庭 大韶の舜庭に奏するに比することを休/めよ
萬歳樂は大和州より出づ。毎春元日、來たって紫宸宮外に伏す。紅暾已に升り太陽門/を開くに及んで、乃ち鞠躬して以て入り、萬歳樂を御庭に奏すと云ふ。而して水を下り、大阪に來たり、十萬の人家、皆鼓舞して壽にして寧を祝す。樂を催す者、皆頭に烏帽を蒙り、身に畫鶴の藍袍を穿ち、一人は細腰皷/を撃ち、餘人は踏舞す。歌唱音節、古朴喜ぶ可し。其の江戸に往く者は、參河州より出づ。(大和萬歳、參河萬歳の稱有り。)樂美、釋日本紀を考ふるに、往古踏歌を呼びて萬年阿良列/と稱す。後世萬歳樂と改むという。近來萬歳樂を詩する者は、詩聖堂集(七言短古)、山陽遺稿(七言絶句)、星巖集(五言絶句)に見ゆ。
○司命索
黄索青松簷下明 黄索青松 簷下に明らかなり
不開正戸客通名 正戸を開かず 客名を通す
鄰家和唱蓬莱曲 鄰家和唱す 蓬莱の曲
姉弄三絃妹弄箏 姉は三絃を弄し 妹は箏を弄す
荊楚歳時記に曰く。正月、畫鶏を戸上に帖し、葦索を其の上に懸く。又熈朝樂事に曰く。正月朔日に芝麻梗を簷頭に插む。之を節節高と謂ふ。邦俗之を司命索/と謂ふ。歳華紀麗に曰く。元日、松を高戸に標す。注に云はく。董勳の問禮に、俗に歳首、椒酒を酌んで之を飲む者有るは何ぞや。椒の性、芬香、藥に作るに堪ゆるを以てなり。又松枝を戸に插むも此の義を同じくするを以てなり。邦俗、之を門松/と謂ふ。王世懋の閩部疏に曰く。閩俗歳首を重んず。民間正戸を開かず。賀客門に入り刺/を投じ、名を通づるは、文徴明拜年の詩(詩に云はく。面を見ることを求めず堆く謁を通ず。名紙朝來敝廬に滿つ。我亦人に隨って、數紙を投ず。世情簡を嫌って、虚を嫌はず。)及び随園詩話(清波雜志に載する所の宋の元祐間の事を引く。)に見ゆ。我が邦、新春を呼びて年頭と稱す。是俗語に非ず。樂美、嘗て唐書揚瑒の傳を讀みて之を得たり。(揚瑒の傳に曰く。瑒奏す、有司明經を帖試みるに、大義を質さず。乃ち年頭月尾を取る。)人皆知らず。故に贅して之を表す。蓬莱は曲の名。(瞽師廣岡勾當の製する所。)邦俗、歳首に女兒必ず之を唱して、以て箏及び三絃を弄す。都人、之を初彈/と謂ふ。我、故/と姉有り妹有り。今や則ち亡し。鄰家連枝和唱の春聲を聞けば、甚だ羨まし。羨みて賦す。樂美、家父五六年前の試筆を記す。今附載す。其の詩に曰く。
紅旭光を放ちて 研池に浮かぶ
膝前 墨を磨し箋を展ぶる時
家兒十歳 平仄を辨じ
始めて賦す 七言元旦の詩
○七菜粥
俎上鳴刀七菜詞 俎上 刀を鳴らす七菜の詞
燃萁竈下煮芳糜 萁/を燃やして竈下芳糜を煮る
門前非是祈神事 門前 是神を祈る事に非ず
一曲春駒竹與絲 一曲の春駒 竹と絲と
熈朝樂事に曰く。立春酒を擧ぐるに、則ち粉皮を縷切し、雜/るに七種の生菜を以てす。荊楚歳時記に曰く。正月七日を人日と爲す。七種の菜を以て羮を爲/る。又月令廣義及び楊雄の賦に見ゆ。淵鑑類凾に巖渠記を引きて曰く。渠に樂山有り。正月七日、邑人鼓吹酒食して、以て蚕神を祈る。公事根源に曰く。正月上子の日、内藏寮及び内膳司、新菜を進むこと、寛平中より始まる。延喜十一年正月七日、七種の菜を進む。一に曰く、那鎚菜/(漢名薺)。二に曰く、發谷別良/(漢名繁縷)。三に曰く、捨黎/(漢名芹)。四に曰く、青菜/(漢名蔓菁)。五に曰く、五行/(漢名鼠麹草)。六に曰く、須聚詩路/(漢名蘆菔、俗に大根と稱す。樂美按ずるに、蓋し爾雅郭璞の註に本/く)。七に曰く、佛坐/(又曰く、多婢落谷/或いは瓦器菜/と名づく。漢名鷄膓草、或いは蓮藕と爲るは謬なり)。この日、羹と爲して食へば、邪氣を辟け、百病を蠲/く。
花子/、馬頭を弄して轡を鳴らし、後より笛を吹き皷を撃ち、三絃を彈じ、新春を祝して一錢を乞ふ者、都俗春駒と呼ぶ。樂美按ずるに、戴埴の撲に曰く。唐の乗異集に載す蜀中の寺觀、多く女人の馬皮を被るを塑し/、馬頭娘と謂ふて以て蚕を祈る。楊升菴の外集に曰く。馬頭神は蚕神なり。廣東新語に曰く。歳、立春に當たり、桑穀生じ、蚕駒初めて出づ。凡そ蚕初めて出るをと曰ふ。而して蚕駒と曰ふは、蚕と馬と神を同じくす。本と龍精にして首馬に類す。故に蚕駒と曰ふと。是春駒の胚胎と爲す。
茶山の詩に(黄葉夕陽村舎)
端無く玉暦青春に入る
宿雪終風未だ新を覚へず
七種の菜羮 香案に迸る
計/へ來れば今日已に人と爲る
五山の詩に(五山堂詩話)
薺芹菘菔 繁縷を交へ
鼠麹鶏膓 緑はじめて蘇す
七種 挑/り來る人日の菜
妨げず 今暁貧厨に入るを
(樂美按ずるに、公事根源、七種菜中の青菜、五山翁、菘と爲るは妄なり。青菜は實に是蔓菁、菘は發多結菜/と稱する者是也。蔓菁は加蒲落と稱す。蓋し同類別種。四時宜忌に曰く。立春後庚子の日、宜しく蔓菁汁を温め、合家竝びに多少に拘らず服すべし。瘟疫を除く可しと。此の説に據れば、則ち蔓菁を用いるを當と爲す。拾芥抄に菁に作り、須聚菜/と訓す。則ち加蒲落菜也。此以て徴を取るに足れり。)
家父の七律に曰く。(蓋し人日前一日の作。)
門外の春駒 轡を奮うて回る
妻は年例に隨ひて蓬莱を製す(自注に云はく。和俗に紅蝦と黄柑と白柿とを槖盤/に盛り、之を蓬莱と稱す)
群書滿架 神儒佛
三樹一盆 松竹梅
老母は消し難し頭上の雪
穉兒は掌中の瑰/よりも貴かるべし
料り知る明日是人日なるを
多少の村童菜を賣り來る
(樂美按ずるに高士竒の金鰲退食筆記に曰く。向後に草堂有り。松竹梅を上に畫く。歳寒門と曰ふ。又嘗て元の張伯淳、松竹梅の図に題する詩を見る。然らば則ち都俗松竹梅を一盆中に栽し、以て新春を祝するは、蓋し我が邦の舊制に非ざるを知る也。柴碧海の枕上初集に春駒の七絶有り。頼千齡の春風舘詩鈔に人日の七律有り。倶に一誦して可也。)
○十日蛭兒
春輿舁妓疾如飛 春輿 妓を舁して疾きこと飛ぶが如し
醉挈竹枝敲廟扉 醉うて竹枝を挈/りて廟扉を敲く
賽人數萬非祈福 賽人數萬 福を祈るに非ず
各自嚢錢抛福歸 各自の嚢錢 福を抛ちて歸る
蛭兒祠は郊南今宮村に在り。(この地、往昔海潮の注ぐ所。即ち所謂那古の浦なる者。公朝の詠歌、夫木集中に見ゆ。)祭會は正月十日に在り。都人、十日蛭兒/と稱す。此の祭、大繁昌。市中より祠下に至るまで、一道の紅塵春天に漲る。衣香街を薫じ、人影地を填す。紙に封ずる十二錢、各々祠屋上に擲つ。一望白雪の如し。福を祈る千萬客、群がりて廟宇後を叩く。遠眺緑鱗に似たり。肆肆店店、竹枝/を賣る者、小寶/を售る者、(纖槌、細量/、雛、圓金/等を合繋して之を售り、大いに叫びて曰く。毎年の小寶、毎年の小寶。賽客買うて竹枝端に挂く。)銀篋錢篋/を鬻ぐ者、烏帽緑冠を沽る者、布袋和尚の泥像を賣る者、丈夫の秘器金光を衒る者、(是未だ何の故を知らず。敝俗痛く禁ずべし。)店頭の主は路傍の客を摩/き、背上の兒は肆前の僮を呼ぶ。嘈嘈嘩嘩、殆ど天地鼓動、山海翻覆に至る。
樂美按ずるに、正月十日の市、宛署記に見ゆ。(宛署記に曰く。燕都正月十日より起きて十六日に至りて止む。燈を結ぶ者、各有る所を持ちて、東安門外に貨す。名づけて燈市と曰ふ。燈名一ならず。價千金の者有り。商賈輳集、技藝畢/く陳し、冠蓋相屬し、男婦交錯す。市樓の賃價騰湧。)靈異小録に曰く。足地を躡/まず浮行すること數十歩なる者有り。是今日の繁昌を言ふ。章臺の蕩子冶郎、千金を撒し、愛妓をして繍轎に乗りて以て賽せしむる者を、都俗、匍怡加護/と呼ぶ。轎後、紅帕彩襦/、手舞ひ足踏み、陪奔追走する者は、是幇間/。
家父二詩有り。曰く。
竹枝擔げ得て/春心を蕩かす
酒池に没せざれば肉林に投ず
識る可し 神に賽して福を致し難きを
金を祈る歸路却って金を抛つ
春は紅塵萬丈の邊に在り
蛭兒の祭日 恰も晴天
商家福を祈る 真に多事
朝には今宮に賽し夕には掘川(掘川の蛭廟は天滿の西に在り。この日また祭る。然れども今宮に較れば、繁昌少しく減ず。)
○引繩
午王廟外簇紅燈 午王廟外 紅燈を簇らす
藁索已除門外氷 藁索 已に除く門外の氷
有例年年爆竹夜 例有り 年々爆竹の夜
滿村喧閙競牽繩 滿村喧閙 競って繩を牽く
難波村は今宮の西北に在り。大阪と犬牙相接す。村に午頭天王の廟有り。(都人難波の祇園と稱す。祇園は實に上古の素盞烏の尊を祭る。緇流燕説を吐き、天竺の牛頭天王と爲す。俗訛って午頭天皇と呼ぶ。)正月十四日、村人東西に分かれ、百丈の大繩を握り、(土人の云はく、長大繩は蓋し素尊の斬る所の 妖巨蛇/に象る。)東に牽かんと欲する者、西に牽かんと欲する者、一喝一牽、(牽きて以て勝てば年有り福を獲ると爲す。)土俗、難波引繩/と稱す。都下此の夜、門松と司命索とを徹し、門外に積みて之を燎/す。燉度/と呼ぶ。(菅茶山爆竹の詩の注に、舊と除夜に設く。歳暮多事を以て、近ごろ正月十四日に在りて、之を行なふ。)按ずるに爆竹は范石湖の集に見ゆ。(又帝城景物畧に見ゆ。)引繩は五雜爼に見ゆ。
○赤豆粥
三碗春糜赤豆斑 三碗の春糜 赤豆斑なり
錦蠻聲在暁花間 錦蠻の聲は暁花の間に在り
趙三李四東方發 趙三李四 東方に發す
李賽鳩峰趙鷸山 李は鳩峰に賽し 趙は鷸山
玉燭寳典に曰く。正月十五、膏粥を作りて、以て門戸を祀る。荊楚歳時記に曰く。正月十五日、豆糜を作り、油膏を其の上に加へて、以て門戸を祀る。范石湖集、臘月村田樂府數粥行の叙に曰く。二十五日、赤豆を煮て、糜を作り、暮夜に闔家同餐す。云ふ、能く瘟氣を辟くと。鳩峰は地河内に屬す。即ち 八幡石清水/、(廟下巖石間、清泉沸す。故に名づく。)貞觀元年、秋九月、清和帝、橘良基に命じて、營む所。(凡そ六宇、蓋し豊前の宇佐廟に準ず。)一名男山、鳩嶺は其の廟後に在り。(山上鳩甚だ多し。蓋し神の使ふ所なりと云ふ。)鷸山は即ち信貴山。(一に志貴に作る。)鷸と信貴と國讀相通ず。故に亦鷸山と稱す。地大和に在り。傳に曰く。毘沙門王、始めて天より降る處。豊聰皇子因って此の山を闢く。日本史、楠木正成の傳に曰く。父正康、(橘氏系圖に一に正遠に作る。又正玄。)信貴山を祷りて正成を生ずと。二山の初祭、倶に上元に在り。厄を禳ふ者は河に走り、(白箭を受けて歸る。)運を祷る者は和に往く。
○茶臼山
神軍殲敵暁天霜 神軍敵を殲す 暁天の霜
一曲凱歌山上揚 一曲の凱歌 山上に揚がる
山上千秋登不許 山上千秋 登るを許さず
三春芳草實甘棠 三春の芳草 實に甘棠
茶臼山は今宮村の東、一心寺の後に在り。元和元年、東照公、此に軍す。(詳らかに竹山の逸史及び山陽の日本外史に見ゆ。)
○一心寺
法然古跡梵王樓 法然の古跡 梵王の樓
黄鳥紅花暗結愁 黄鳥紅花 暗に愁を結ぶ
中有元和忠士墓 中に元和忠士の墓有り
半瓢春酒酹雲州 半瓢の春酒 雲州を酹す
一心寺は釋の法然の剏/めて營む所。(文治元年に在り。)法然、後白河法皇と相對して歌を咏ず。(夫木集に在り。)寺、南は茶臼山に接し、北は安居天神と門を對す。幽閑静寂の地。堂東に本多出雲守忠朝の墓有り。(逸史に曰く。一人銃を執りて迫り發/つ。忠朝、胸に傷つく。遂に馬より下り、刀を引いて之を斬る。豎/ちて鐵鞭を進む。乃ち左に鞭を揮ひ、右に刀を舞はし、又八人を殪/す。益/創つき溝中に陥る。敵聚って之を馘す。)
○安居天神
廟南廟北盡梅花 廟南廟北 盡く梅花
憶昔菅公暫駐車 憶ふ 昔菅公暫く車を駐めしことを
今日曽無當日景 今日曽て當日の景無し
酒仙家接梵王家 酒仙の家は梵王の家に接す
安居天神は傳に曰く。菅右府左遷の時、暫く憩ふ所。故に安居と名づく。後世轉じて安井に作る。(或/の曰く。是少那彦を祭ると。未だ孰れが是を知らず。)此の地、小岡を成す。故に又天神山と呼ぶ。二月は梅花、三月は櫻花、西に萬頃の碧田を望む。風景甚だ美し。樹下猩氈を鋪/き、金觴を擧ぐ。香風紅雨、醉顔を浴し來たり、綺髻錦袂、嬌歌を唱へ了る。嗚呼、公の目をして汚れしめ、又耳をして濁らしむ。廟北に福屋有り。浮瀬有り。皆一大酒樓。
○清水寺
合法衢邊泉水喧 合法衢邊 泉水喧し
閻王祠畔欲黄昏 閻王祠畔 黄昏ならんと欲す
樹深清水觀音閣 樹は深し 清水の觀音閣
數點靈燈誦普門 數點の靈燈 普門を誦す
天神山の西、路傍に一小祠有り。石像の閻羅王を安/く。(村人疾有れば必ず之を祷る)此を合法衢/と名づく。此の間、土を鑿れば、則ち泉水輒/ち沸す/。増井逢阪の諸名泉有り。清水寺は其の北に在り。天神山と相連なる。樓閣巍巍然、樹木欝欝然。毎月十八日、觀音佛の祭會に當たり、癡叟騃婆、相聚りて以て法華經の普門品を誦す。薄暮、合法衢上より一望すれば、乃ち樹際の燈影、星の如く螢の如し。(少将忠直、閻羅祠を飱 す。曰く、我餓鬼道に墮ちずと。事、逸史外史に見ゆ。)
○浮瀬樓
隨例西洋紅髪奴 例に隨ふ 西洋紅髪の奴
荒陵賽路入郇厨 荒陵の賽路 郇厨に入る
巨盃照席金泥畫 巨盃 席を照らす金泥の畫
珍重猩猩醉舞圖 珍重にす 猩々醉舞の圖
浮瀬樓は清水寺の北門と相望む。門外の石磴/一層、一層より高し。磴上を歩して北を眺むれば、其の高樓直ちに眼下に在り。都下の醉客、諸酒樓を品評すれば、先ず指を浮瀬に屈す。福舎、兔角、大津湯、東李庵、西照菴の若きは、皆一籌を遜る。此の樓、數種の奇盃を貯ふ。最も一大酒盃有り。其の大いさ、兩拱ばかり。朱髹金漆、猩猩醉遊の圖を畫く。其の圖、酒盃を持ちて舞ふ者、斜めに鶴頸杓/を挟みて将に舞はんとする者、笛を吹く者、兩手に檛/を執り太皷を撃つ者、細腰皷/を肩上に跳らし、右手を揚げて之を撃つ者、或いは掌を拍ち、或いは箑/を揮ひ、太皷若しくは細腰皷と相對し相和する者、宛然善く其の状景を寫す。(此の盃を呼びて七人猩猩と稱す。)嘗て新靱街/の某、家父及び余を此の樓に餐す。時に年十二。爾来五年、猶盃中の畫を記す。(此の時、行觴娘/家父に語りて曰く。此の樓に上がりて能く一盃を傾け盡くす者は、僅かに二人。盃中酒を盛ること凡そ六升半と云ふ。)
唐書韋陟の傳に曰く。厨中の飲食、香味錯雜、人或いは其の中に入れば、多く飽飫して歸る。俗語りて曰く。人飯せずして筋骨舒ぶることを欲せば、夤縁して郇公の厨に入る須し。阿蘭陀人の江戸に朝す、大阪を過ぎれば柁木坊銅官邸/に舘るを以て例と爲す。天王寺に賽するを以て、又例と爲す。歸路必ず此の樓に登り、大筵を張り、熊掌豹胎/の美を啗ふ、是亦例。
樂美十歳の時、節用集大全を讀むに、云ふ。酒盃大なる者、武藏野と曰ふ。蓋し野曠くして望み盡くす可からざるを以て、盃大にして飮み盡くすこと能はざるに喩ふ。亦是猩舞盃の類。(嘗て聞く、江戸淺草の並木に浮瀬有り。大盃を藏す。亦同一樓。) 古賀穀堂の遺稿鈔に浪華浮瀬樓の詩を載す。曰く、
浮瀬樓頭 浮瀬の盃
十分の春夢 掌中に開く
胸次雲夢を呑むに非ざるよりは
容易に誰か能く吸ひ盡くし来たらん(是猩舞盃を指して言ふ。)
○庚申堂
庚申卜日拜靈帷 庚申 日を卜して靈帷を拜す
襁負懇祈幾萬兒 襁負して懇ろに祈る 幾萬兒
父母慈恩深似海 父母の慈恩 海よりも深し
猿王廟上抱吾時 猿王廟上 吾を抱く時
庚申堂は天王寺の南に在り。文武帝、大寶元年正月七日、僧の豪範なる者、夢中に青面金剛王の像を得たり。此の日、即ち庚申。庚申の祭、實に是より昉/まる。都人、此の日に至れば、必ず兒を携へて以て平安を祈る。此の日、堂を遶って齊しく昆布/肆を開く。賽客皆買ふて歸る。都俗庚申昆布と稱す。何の故を知らず。庚申に先だつこと十日前、賤衲、鑼を撃ち、市上を往來して錢を乞ひ、預め庚申の近くに在るを報ず。家父詩有り曰く。
冬晴 暖を釀して未だ氷を看ず
又南窓紙に触るる蠅有り
指を屈すれば庚申将に近きに在らんとす
門前時に至る鑼を撃つの僧
亦是都下の實景。
○天王寺
畫塔丹樓映鳳冠 畫塔丹樓 鳳冠/に映ず
洋洋盈耳藕池寛 洋々 耳に盈ちて藕池寛し
西人不解前朝樂 西人は前朝の樂を解せず
付與海東隨意看 海東に付與して隨意に看しむ
荒陵山四天王寺は聖徳王の創造する所。是を日本伽藍の最初と稱す。和州法隆寺は之に次ぐ。然れども南北朝の兵燹に罹り、又享和元年の災有り。(天火有り。浮圖に落ち、樓閣延焼す。)惜しむらくは舊觀に非ず。王の忌辰、二月二十二日に在り。此の日、毎歳蓮池の上に於いて、伶人樂を張る。暁より夜に至る。池邊棚塲を開く。東西兩宰/之に臨む。都人縦觀、恰も蟻の羶を慕ひ、蜂の衙に趨るが如し。
我が邦、古樂を傳ふること、百濟國の味摩師より始まると云ふ。味摩師來たって、之を秦の川勝に傳ふ。川勝、子の川滿に傳ふ。相傳へて絶へず、今日に至る。樂美按ずるに、西土永嘉以後、樂府多く散亡。隋、陳を平ぐるの後、纔に其の一二を得たり。(所謂清商楽、是也。)文帝以て華夏の正聲と爲す。唐の武后の時に至りて、稍之を得たり。(所謂平調清調瑟調、是也。)五代に迄/びて天下鼎沸瓦解、古樂遂に滅ぶ。宋に至りて始めて朱子の經傳通解に載る所の趙彦粛の十二譜及び張蔚然の三百篇の聲譜に見ゆ。然れども唯理數を以て之を推度して、而して其の古調を得ること能はず。我が邦の傳へる所は、實に古調を失はずと爲す。歌詩、傳を失ふと雖ども、亦以て古樂の正聲を定む可し。嗚呼、屹乎として特に我が邦に存るは、眞に是千古の大快事。
尾張の秦鼎翁の五律一聯に云はく。大雅今日に興り、昇平この年に値ふ。我、天王寺に於いても亦云ふ。中井竹山の陰畧稿に天王寺の七律を載す。流麗、巧みに其の景を寫すこと、家父に及ばず。家父の七律に曰く。
毎歳今朝兩府公
蘋蘩 例に沿ふて豊聰を祭る
涅槃の像は挂かる猫門の外
彼岸桜は開く龜井の東
紅鯉 雌を追ふて緑水に跳り
玉笙 皷に和して春風に舞ふ
愧づ 吾が岑參の筆を壓し難きを
咏ずるに懶し 浮圖の碧空に聳ゆるを
市河寛齋遺稿の七絶に曰く。
六代の遺聲 李唐より傳ふ
龍姿軟舞す 羅陵王
今を傷み古を懷ふて人の解するなし
月底花前看ること一塲
(樂美の曰く。樂曲を考ふる者は、宜しく羯皷録、樂府雜録、杜氏の通典、陳氏の樂書、鄭氏の通志、宋史の樂志、及び物翁樂曲考等を讀むべし。)
○巫女街
巫女雛弓叩匣鳴 巫女の雛弓 匣を叩いて鳴らす
空言頻發使人驚 空言 頻りに發して人をして驚かしむ
知侘來覓招魂會 知る 侘の來たって招魂の會を覓/むるを
笑聽鬼語聲 笑って聽く 鬼語の聲
天王寺の北、巫女有り。各々門戸を列ぬるを、巫街/と曰ふ。(もと鱗次櫛比、今や寥寥として兩三家のみ。)新喪の客を待つ。客來れば則ち巫女掌を合わし、陽/鬼を迎ふるの儀を爲し、七寸の弓を執り、一小匣を撃ち、瞑目して細語す。殆ど幽鬼の訴ふるに似たり。父を喪ふ者は亡父の情を陳べ、母を喪ふ者は亡母の悲を告ぐ。妻を喪ふ者、兒を喪ふ者、兄弟を喪ふ者、姉妹を喪ふ者、巧みに其の窽に投じ、妙に其の意を鉤せざるは無し。客皆俯して之を聽く。啼く者有り、泣く者有り、嗚咽する者有り、叫號絶倒四鄰を驚かす者有り。其の涙、特に襟を濕し袖を裛/すのみならず、千行萬行、溢れて以て席上に流るるに至る。或/の云く。小匣は蓋し犬の頭を收むと。樂美按ずるに、搜神記に鄱陽の趙壽、犬蠱有り。風俗通に許季山の言ふ所の老青狗物の類か。蓋し亦怪しむ可き也。虚誕、利を射るの具と雖ども、然れども酷だ鍾情招魂の道に合す。故に豊臣氏禁ぜずして今に至る。
○樂人街
大悲閣北老伶家 大悲閣北 老伶の家
一簇成街甲乙科 一簇街を成す 甲乙科
小院方知調樂律 小院 方に知る樂律を調ふを
龍唫少處鳳音多 龍唫少なき處 鳳音多し
清水寺の北、伶官の第宅相列なるを樂人街/と曰ふ。伶官、制を仙洞上皇に受く。東西の兩宰、制すること能はず。伶官、笙を善くする者、横笛を善くする者、觱篥を善くする者、上皇各々甲乙を以て其の科を定む。蓋し亦業伎を磨錬するの御制のみ。今は乃ち否/ず。
樂美、樂律を考ふるに、一に曰く一越調、二に曰く斷金調、三に曰く平調、四に曰く勝絶調、五に曰く龍吟調(別名下無/)、六に曰く雙調、七に曰く鳬鐘調、八に曰く黄鐘調、九に曰く鸞鏡調、十に曰く般渉調、十一に曰く神仙調、十二に曰く鳳音調(別名上無/)。
○吉祥寺
仰看亡主舊精神 仰ぎ看る 亡主の舊精神
留得萬松山上春 留め得たり 萬松山上の春
墮涙碑前風謖謖 墮涙碑前 風謖謖
長藩四十七忠臣 長く藩す 四十七の忠臣
萬松山吉祥寺は生玉の南、蛇阪の上に在り。(蛇阪は下寺街遊行寺の北に在り。)是を故の赤穂の城主淺野公の檀越寺と爲す。公、既に餐賓の大命を奉じ、将に東行せんとす。大阪に道して駕を此に抂く。公、書を善くす。特に八法九勢に明らかなり。寺僧拜して公の書を乞ひ、私/かに小僧を外に走らせて漢帋を買はしむ。公、天資褊急、筆を握り几に隱/て以て待つ。小僧未だ歸らず。且つ解纜の期已に迫る。公、因って萬松山の三字を几面に題して、遽かに去る。寺僧大いに喜び、几の脚を脱し、字を刻し染むるに藍靛以てし、山門に掲ぐ。(筆力竒逸、今猶門に在り。)公、東に在りて、兵を殿中に弄ぶ。官、命じて自裁せしめ、且つ城邑を没す。社稷の臣、大石良雄、公の弟を立てて、其の祀を存せんことを請ふ。聽かれず。姦讒貪婪の人、晏然片言の責無し。是に於いて良雄已むことを得ず、兒良金及び同藩四十餘士を率い、雪夜仇の第宅を攻め、快く仇の頭を斬り、泉岳寺に聚まり、頭を亡主公の墓前に懸け、遂に冤魂を地下に慰むることを得たり。而して後に身を束ねて戮に就く。(詳らかに赤穂四十七士傳に見ゆ。)安藝侯、公の墳を此に建て、又石を斫って藩を作り、公の墳を環護し、(邦俗の所謂玉垣なる者。)石藩の面に一一義臣の姓名を銘す。千載の下、義臣をして長く亡君の側に侍せしむ。(大石氏父子は別に小碑を建て、公墳の左右に置く。)
樂美按ずるに、室鳩巣先生、義人録を著す。太宰春臺翁、讀義人録を作りて之を駁す。(春臺文集紫芝園後編に見ゆ。其の冒頭に曰く。義人は誰を謂ふ。故の赤穂侯の孤臣大石良雄等四十六人を謂ふ。孰/か之を義人と謂ふ。博士鳩巣先生室君直清也、云云)。我猶童心乳臭、未だ是非を兩大家の間に容るること能はず。然れども嘗て柴栗山の四十六士論評の序を讀む。(栗山文集に見ゆ。赤城義臣傳に曰く。萱野重實、老父の東行を許さざるを以て、自ら刃す。父始めて其の意を解す。因って神主を作り、遥かに良雄に贈る。良雄、神主を懷し仇家を伐つ。官吏、復讐の人數を問ふ時、良雄四十七人を以て之に答ふ。曰く、萱野三平なる者有り。既に鬪死す。今四十六士と稱する者は、此の一人を省くのみ。)又篠崎小竹の義人録の後に書する文を見る。(今世名家文鈔に見ゆ。穀堂遺稿、大石良雄夫妻手簡の後に書す。艮齋文畧續編、忠臣傳後に書する二跋。皆、柴篠二氏と見を同じくす。)竊かに柴篠二氏の辨ずる所を推して、公明正大の評論と爲す。詩篇其の義烈を揚ぐるが若きは、菅茶山黄葉夕陽村舎の詩、(松山荒木某、大石原二子の書を藏す。頃/人を介し寄示して詩を索む。)頼山陽の詩鈔、(其角山人、赤城義士の事を録する手札を觀る引。)に見ゆ。西山拙齋の詩集にも亦四十七士塚の七律を載す。(後聯に衣を撃ち空しく解す晉陽の恨。劍に伏して徒に酬ゆ海島の恩。)春草堂詩鈔にも赤穂義人録を讀む七律有り。(前聯に一撃の短刀、亡國の恨。千磨の長策、復讐の身。)
樂美再び按ずるに、専諸の呉王を殪す、聶政の韓相を刺す、單身を奮って千戈萬戟中に投ず。實に是天下の大難事。我、宋の胡澹菴、高宗を上ぐる封事を讀み、怪しんで謂へらく。澹菴は蓋し怯弱の一書生也。徒に文墨を弄して以て之を激言するを知るのみ。若し己の心、帝室に急なれば、何ぞ矛戟を揮ふて以て之を激刺することを爲さざる。己能はざれば、専諸聶政の手を假りて可なり。唯饒舌を紙筆の間に逞しふす、吾、其の君に忠する所以の薄きを知る也。我が日本は神國、且つ大いに武を用いるの土也。萬萬世一統の明天子を護し奉ること、此の如く甚だ怯弱ならず。日本人をして澹菴の地に處せしめば、則ち其の神速に秦檜等の頭を斬ること、固より専諸聶政の手に百倍せり。今、國賊邦蠧の頭を斷るに至りて、(國賊邦蠧は秦檜、王倫孫近と竊かに邪謀を運らし、國を賣り、和を主/るを指す。)果して四十六人の衆/きを待たざれば、乃ち大石大夫の勝算、抑/下なり。嗚呼、我、大石を九原より起たして、此の事を語り、其の膽を落としめんと欲して、終に得可からず。
○隆専寺
古刹東風放素葩 古刹の東風 素葩を放つ
枝枝垂地拂庭沙 枝枝 地に垂れて庭沙を拂ふ
櫻祠桃谷春猶未 櫻祠桃谷 春猶未だし
郷導群芳此是花 群芳を郷導するは此是の花
隆専寺は吉祥寺、生玉祠の間に在り。仲春、庭前の一大樹、素葩を吐き、枝枝地上に垂れ、絲よりも細し。即ち垂絲海棠/。蓋し此の花を以て春興の第一番と爲す。
樂美按ずるに、花壇大全に數種を載す。(絲櫻、暁櫻、法輪寺櫻、香櫻、犬櫻、熊谷櫻等。)此の樹、彼岸櫻と同種。地に垂るるを絲櫻と稱し、花枝上に向かふ者を彼岸櫻と稱す。大全に云ふ。彼岸櫻は彼岸の節を過ぎれば、即ち糸櫻と稱するというは非なり。詳らかに貝原先生の花譜、小野蘭山の花彙後編に見ゆ。(貝原先生の云はく。垂絲櫻、彼岸櫻に比すれば開くこと少しく遅し。)
錦城詩稿、彼岸櫻の詩に曰く。
誰か赤城數片の霞を以て
呼びて彼岸となして僧家に稱ふ
天台山上櫻千樹
正に是江都第一の花
盤溪詩鈔に彼岸櫻の七律有り。(同種を以て此に附載す。)
○寺街
寺寺成街上中下 寺寺 街を成す 上中下
堂堂總飾鐵金銀 堂堂 總て飾る 鐵金銀
數盃乗誘小紅友 數盃 小紅友/に誘はるるに乗じて
一室私祀大黒神 一室 私かに祀る大黒神
天王寺の北、大阪城の南、其の際、蘭若/雲集麕聚。上寺街/なる者有り。南は天王寺に通ず。中寺街/なる者有り。直ちに生玉祠に達す。下寺街/なる者有り。遥かに勝曼阪に連なる。(聖徳皇子、勝曼経を誦する處故に名づくと云ふ。清水寺の北に在り。)邦俗、賤女子の寺僧の枕席を奉ずる者を呼びて、大黒と號す。噫/、破戒の腥僧。宜しく一掃し去るべし。浮屠氏の龍谷の脉派/を持する者は、皆市中に在り。處處、商家賈廬と門を對し、戸を比す。(樂美按ずるに、物氏の政談に僧、民戸と伍するを禁ず。一讀せざる可けんや。)
○開帳
鶴痩高僧雪作眉 鶴痩の高僧 雪を眉となす
舌頭弄古盡虚辭 舌頭古を弄ぶ 盡く虚辭
白幃秘佛傳何世 白幃の秘佛 何れの世より傳ふ
説是當麻中将姫 説く 是當麻の中将姫
城南の諸蘭若/、二三月より四五月に至るまで他邦の舊寺名刹を迎へ、錦帳を垂れ、古佛を奉じ、都人をして歴拜群觀せしむる者を、邦俗開帳と曰ふ。蓋し秘帳を開き、拜覧せしむるの意。彼の古佛の若きは恭しく其の傳來を考ふるに、もと骨董舗/に在り/。乃ち破棚塵煤中に久しく隱るる者。今忽ち出現、眞實是竒妙頂禮。
樂美、顧禄の清嘉録を按ずるに、元妙觀の道侶、道場を彌羅賓閣に設け、願いを酬いる者駢集す。是我が邦の開帳。然れども西土は猶可なり。此の古佛の若きは殆ど乞兒を長街(長街下に見ゆ)より出し、之に錦衣を蒙らして華堂の上に坐しむるに近し。抑亦、圓頂方袍の名刹を餌にし、大利を鉤るの具のみ。
○生玉
昔日繁華生玉祠 昔日繁華 生玉祠
今遊此地却相疑 今此の地に遊びて却って相疑う
雀羅欲設蕭條甚 雀羅 設けんと欲して蕭條甚だし
莫歎人間有盛衰 歎ずること莫かれ 人間盛衰有るを
生玉祠は高津廟の南に在り。大國玉命/を祭る。祠、もと城邊に在り。織田公本願寺を攻むる時、延焼して灰燼と爲る。豊臣公の大阪城を築くや、片桐且元/をして祠を此の地に移さしむ。祖母深江氏、嘗て樂美に語って曰く。未亡人、之を汝の曾祖母に聞く。此の祠尤も繁昌、森伯肆/、包子店/、養由塲/、杜康樓/、雜然闐然、山を成し林を成す。賽人の盛んなる、此の祠を以て第一と爲す。往昔乃ち然り。今日唯樹上の寒號鳥を聞く。
此の神を祭る、夏は六月二十八日に在り。秋は九月九日に在り。三代實録に見ゆ。走馬儀/は五月五日に在り。
樂美按ずるに、月令廣義に曰く。文昌雜録に五日馬を走らす、之を躤 柳と謂ふ。(按ずるに焦氏類林に躤 は音札。)彭公筆記に曰く。五月五日、文武官に走驃騎を後苑に賜ふ。北京歳華記に曰く。端午、天壇の遊人極めて盛んなり。競って騎射を以て娯と爲す。其の名を走驃騎と曰ふ。
○高津
民家十萬歳逾滋 民家十萬 歳々逾/滋/し
却怪竈煙當日詞 却って怪しむ 竈煙當日の詞
鳴扇長爐炙雪處 扇を鳴らして長爐雪を炙る處
倒瓢唫面釀紅時 瓢を倒して唫面紅を釀する時
高津仁徳廟は道頓溝/の東最も高き處に在り。日本蛭兒の諸橋上に在って、(日本橋蛭兒橋、皆道頓溝に架す。)東を望めば則ち廟宇隱然、遥拜すべし。傳へ云ふ。仁徳天皇、登高の御歌を咏じたまふ處と。(御歌に曰く。多可吉耶爾、那保里天覓禮波、計莫利荅追、侘弭農加麻闍麼、爾起外伊尼結/。)
樂美、舊志に考ふるに、決して此の地に非ず。恐らくは後世御歌を最高の土に託し、附會して以て此の廟を建てしならん。(廟前に梅橋有り。隣刹に梅井有り。亦是好事の徒、後人を欺く。)
廟下、菽乳店/有り。醤を投じ、芥粉を和し、淡羮を制す。風味殊に美なり。邦俗之を湯豆腐と稱す。輕刀を鳴らし、寸ばかりに斷じ、味噌を施し、巧みに之を串し/、巧みに之を爐上に炙る。邦俗、之を田樂と稱す。羮や炙や。京師の南禪祇園と其の聲價を争ふ。是故に高津湯豆腐屋の名、尤も四方に噪し。青樓宿酲/の客、常に妓を携へ、牽頭子/を從へ、來たって破卯の飲を催す。
樂美按ずるに、類書纂要に曰く。淮南王、名は安、始めて豆を磨して、乳脂を爲す。之を名づけて荳腐と曰ふ。錦字箋に曰く。晉人其の名雅ならざるを以て、改めて菽乳と曰ふ。(表異録も亦菽乳と名づく。)天禄識餘に曰く。豆腐は淮南王劉安造る。又黎祁と名づく。(陸放翁の詩に釜を洗ひて黎祁を煮る。注に黎祁は蜀人以て豆腐に名づく。)其の餘に、小宰羊(説畧)、軟玉(蘓長公外集)、素君(鴻苞集)、菽腐(平齋集)、乳腐(清異録)、淮南術(留青新集)、淮南佳品等の異名有り。(事物異名、餘は金字編に見ゆ。)老學菴筆記に曰く。豆腐羮の店を開く。物類相感志に曰く。豆油/豆腐を煎る、是所謂湯豆腐。類書纂要に豆炙有り。是所謂田樂。
葛子琴の御風樓集に豆腐の七律を載す。今之に附す。曰く、
桂叢 人去りて術逾精し
修用般般 炙或いは烹
花裡の旗亭 春二月
松間の香刹 夜三更
斑斑たる玳瑁 紅爐の色
隱隠たる雷霆 鐵鼎の聲
今日王公澹泊を疎んず
却って欣ぶ 方璧の連城ならざるを
(詩佛豆腐の七律の後聯に、寒竈、元傳ふ、雪を烹るの術。風爐、重ねて試む、氷を炙るの方。)
○道頓溝
嬌妓洗顔紅粉粧 嬌妓 顔を洗ふ紅粉の粧
蕩子映波龍麝裳 蕩子 波に映ず龍麝の裳
一盃欲解醉中渇 一盃 醉中の渇を解かんと欲して
汲得春流全是香 春流を汲み得れば全く是香
道頓溝は父老の曰く、安井道頓なる者の鑿つ所也と。豊臣内府/、既に征夷府と相約して郭を墮ち、濠を填るや、獨り外濠/を存す。即ち今の東溝/。(詳らかに逸史及び日本外史に見ゆ。嘗て慶長の古城郭の圖を見るに、其の南東に當たって豊志谷口、生玉口、天王寺口、真田丸、平野口、志貴野口の六郭門有り。外濠を填るは是也。外史に曰く。晨夜督責して以て明春に至ると。)道頓の鑿つ所は西流して海に入らしむ。南方遂に水運の利を得たり。故に溝の名と爲る。其の子孫今猶存す。儼然として大門戸を張り、日本橋北に在り。日本橋より蛭兒大黒の二橋に至るまで、其の間溝を夾んで青樓酒家多し。
樂美都下に生じ、首を萬巻書中に埋め、終身足青樓の地を踏まざるを誓ふ。況んや齡猶十六、今此の一詩を賦すれば、頗る韓氏の香奩體を學ぶに似たり。然れども我が本志に非ず。聊か試みに之を賦するのみ。覧者嘲ること勿れ、嗤ふこと勿れ、怪しむこと勿れ、誚むること勿れ。
○桃谷
紅雲十里晝将昏 紅雲十里 晝将に昏れんとす
滿野無人不倒樽 滿野 人の樽を倒さざるは無し
身浴太平遊此境 身は太平に浴して此の境に遊ぶ
何思晉代古桃源 何ぞ思はん 晉代の古桃源
高津仁徳廟の東、春野十里、南北皆桃花。他樹無し。都人呼びて桃谷と稱す。(蓋し地に高低有り、谷の状を成すを以てか。)花候は年年上巳の前後に在り。我が邦、桃花の美且つ富む、實に比類無し。此の景、月瀬の梅、吉野の櫻と、余竊かに賞して鼎立の花と號す。
篠崎小竹の桃谷の詩に曰く。
郭を遶る桃花 十里の春
花を賞する羅綺 紅塵を起こす
林深く人少なき處を尋ね得て
閑眠 秦を避くるの民に擬さんと欲す
家父の詩に曰く。
豊氏の遺孤 爪牙を失ひ
城南の苦戰 亂れて麻の如し
當時地に塗る 淋漓の血
剰し染む 桃林十里の花
○産湯
桃花林上錦離披 桃花林上 錦離披
南有群松擁古祠 南に群松の古祠を擁する有り
喚客何尋味原路 客を喚びて何ぞ尋ねん味原の路
紅雲蒸處緑雲垂 紅雲蒸す所 緑雲垂る
味原は桃谷の南に在り。一簇の古松蓊欝。按ずるに和名類聚に曰く。大己貴命/の子、味耟高彦根命/、天より降る。是味原の名の由りて起こる所。狐王廟有り。清冷泉有り。樂美、神代の巻を考ふるに、大小橋命/の出誕する、此の泉を以て洗ふ。故に土人、今に至るまで産湯清水/と呼ぶ。都下の人、此の村を稱して産湯の稲荷/と爲す。觀桃客、皆此に憩ひて、瓢酒を温め、行厨を開く。花下樹邊、葦箔/を下し、菽乳を炙し/、村女田婦、手を揚げ客を招く。客、清泉に漱ぎ了り四望すれば、則ち東西南北、唯一抹の紅霞を湧かすのみ。
○玉造
神皷鼕鼕華表中 神皷鼕鼕たり 華表の中
滿郊春色在城東 滿郊の春色 城東に在り
菜花猫子溝頭水 菜花 猫子溝/頭の水
麥葉狐王廟上風 麥葉 狐王廟上の風
産湯の東北に玉造の稻荷/有り。地、城後に接す。按ずるに、日本紀に垂仁帝十八年、始めて下照姫/の命を祭る。後、倉稲魂/の命を合祭す。後世、稲生五幸/大明神と名づく。二命の事蹟、詳らかに舊事記、古事記等に見ゆ。玉造の稱を考ふるに、玉屋/の命、始めて玉を此の地に作る。(往昔は玉作に作る。後世玉造に改む。)亦舊事記に見ゆ。此の祠も亦天正年の兵火に罹る。慶長八年、豊臣秀頼、片桐且元加藤嘉明をして再び之を營ましむ。
春日遲遲。稻荷祠に賽し、畫馬榭/上より東顧すれば、黄金の世界。碧海の波浪、眼前に滿つ。榭下細流有り。淙淙と南に走る。往年鑿つ所、猫間川/と曰ふ。
○上午春遊
無數帋鳶天際開 無數の帋鳶 天際に開く
城南城北漲紅埃 城南城北 紅埃漲る
風流只在袖雲外 風流 只袖雲の外に在り
鷸野橋邊嗅野梅 鷸野橋邊 野梅を嗅ぐ
上午/の春遊、城邊最も繁昌。此の日、東西の二府、大門を開き、萬人を縱/して之を觀しむ。(帯劍の人、門に入るを禁ず。)城邊處處、野翁一大傘を樹/て、藁席を舗き、遊客を迎ふ。富兒貧漢を論ずること無く、皆來たりて此の下に坐し、雜沓喧豗、搏飯/を喫し、壺漿を燖む/。都人、傘下/と稱す。上午、間々、雨師跋扈/すること有り。此の時傘下、誠に五大夫の價有り。
端門の北、又一大門有り。鐵條門/と名づく。門内、城濠に傍ひて東す。橋有り、鷸野橋と曰ふ。(此の橋を渡り鷸野村に至る、故に名づく。)上午の時節、橋邊野梅皆開く。清香馥郁、醉客の袂を襲ふ。然れども紅梅多し。玉梅花の潔白に如かず。(梅花の異名、梅莊の條に出づ。)
六如菴、豊王墩梅を觀る詩有り。今此に附録す。曰く。
荒丘斷隴 舊金湯
路 梅花に入りて春渺茫
齊しく是羅浮林下の夢
笑ひて一盞を抛ちて猿郎を酹す
○網島大長寺
幾吼華鯨水風 幾吼の華鯨 水の風
福田耕盡網洲東 福田耕し盡くす 網洲/の東
冶郎戰士齊歸土 冶郎戰士 齊しく土に歸す
戀塚忠墳一寺中 戀塚忠墳 一寺の中
城下の京橋を渡り、右折して北するを網島と曰ふ。江に枕し、京城往來の群船を望む。幽隱邃遁の地。絶へて市上の塵氣無し。故に豪富の別業多し。寺有り、大長寺と曰ふ。華頂の脉派を持す。帋肆次兵、妓小春、夜寺中に情死/す。事、坊間兒女子の口吻に傳ふ。元和戰死の士某、鯉に化し、寺僧の夢中に現す。寺僧之を買ひ、(江魚市中に此の鯉魚を賣る。)厚く之を寺中に葬る。某の生前、巴を章/と爲す。今六六の鱗色、一一巴章を印すと云ふ。事頗る虚妄に渉る。然れども南海に平家蟹有れば、則ち是或いは然り。
○片街魚市
鮧鲫 鰍鱺 載一船 鮧鲫鰍鱺/ 一船に載す
暁天起市石城邊 暁天 市を起こす 石城の邊
籃中應有龍門物 籃中應に龍門の物有るべし
三十六鱗休擲錢 三十六鱗 錢を擲つことを休めよ
片街は京橋の北に在り。毎朝、江魚の市を起こす。街頭、樓を築き、水邊、船を繋ぎ、方燈/、萬川魚と題し、飯客酒戸/を待つ者、都下之を生洲/と稱す。皆、籃魚を此の市より購ひて、以て我が生計を営む。
○櫻祠
香雪飄風撲畫船 香雪風に飄ひて畫船を撲つ
祠前無處不春絃 祠前 處として春絃ならざるは無し
黄昏一掃紅塵氣 黄昏 一掃す紅塵の氣
月照櫻花水帯煙 月は櫻花を照らし水は煙を帯ぶ
櫻祠/は網島の北に在り。水を夾んで櫻花多し。上巳の後に至れば堤畔の酒樓、江上の妓船、實に雙眼を炫し、兩耳を聵さんと欲す。亦是大繁昌。今其の繁昌の好景を記せずして、家父の七律を以て之に易ふ。曰く。
栂戰 声喧し兩岸の樓
葦簾 半ば捲きて醉ふて籌を爭ふ
艶雲 水を夾んで 水練の如し
嬌髻 醪を酌みて 醪油に似たり
碧傘紅裾 芳草の渡
三絃雙皷 夕陽の舟
繁華 詫ることを休めよ 荏城の客
墨陀川上の遊に減ぜず
秋日閑遊、春景に比すれば尤も俗ならざるを覺ふ。祠南、巖國樓/、荷葉飯を製出す。香氣、案に滿つ。風味、甚だ人口に適す。荷葉飯は乃ち古製。已に通鑑梁の敬帝紀及び廣東新語に見ゆ。
古賀精里の詩に、此の日渇心、何の慰む所ぞ。清風一簟、芰荷香ばしと。亦簟中の荷飯を指して言ふ。(許彦周の詩話に云く。荷葉、花無き時も、亦自ずから香ばし。)
○鶴滿寺
古刹傍江櫻樹濃 古刹 江に傍ひて櫻樹濃やかなり
黄葩藍蕋別姿容 黄葩藍蕋 別姿容
滿林何必黄藍美 滿林 何ぞ必ずしも黄藍の美のみならん
又有風流異國鐘 又風流異國の鐘有り
櫻祠の堤岸に渡有り。源八の渡/と曰ふ。渡りて西す。古刹有り。鶴滿寺と曰ふ。寺中の櫻花、黄なる者有り。藍なる者有り。花候、櫻祠に比すれば少しく早し。彼は重瓣、此は單瓣。花に遲速有る所以なり。梵鐘有り。古雅殊に喜ぶ可し。傳に曰く。長門侯の遺る所。蓋し昔年萩府、土中より掘り出す所の物。銘に云く。大平十年二月と云々。樂美、梁書を考ふるに、敬帝の末を大平と爲す。是纔かに一年。又宋史を考ふるに、契丹の聖宗、大平十年にして没すと。然れば則ち北虜の鑄る所に係るか。抑亦珍異と謂ふ可し。
大和本草に、吾が邦、偏に花と唱ふるは即ち梅、今櫻の稱と爲る。(樂美の曰く。八雲御抄に見ゆ。)樂美按ずるに、古今著門集に長元元年十二月廿二日、昭陽舎の櫻を清涼殿に移すと。櫻の我が邦に出ること、已に久し。種類甚だ多し。花壇大全に二十六品を列載す。花譜、櫻品、草木育種等、參觀すべし。ああ、魚にして鯛、花にして櫻。五代洲に無き所也。伏して惟/るに、皇運萬萬世一統秀靈の氣、豈に蒸して生ずる所の者か。
○長柄
輿梁古跡喚誰聞 輿梁の古跡 誰を喚びて聞かん
那柄渡邊春日曛 那柄渡邊 春日曛る
煙暗源公射鵺塚 煙は暗し 源公鵺を射る塚
梅香長者愛鶯墳 梅は香ばし 長者鶯を愛する墳
那柄/は鶴滿寺の西に在り。(又名柄に作る。後長柄に改む。)孝徳帝皇居の在る所を豐崎の宮と曰ふ。帝、聰明叡智、始めて君臣の禮を定め、官職の序を設け、冠服の色を制す。(事、日本史及び皇朝史畧に見ゆ。)遂に那柄橋を架す。世遠く年久しと雖ども、處處の田畝中、時に有りて其の橋柱を出す。色、深黒潤澤、漆の如し。按ずるに其の架する一橋に非ず。諸臣豊崎に朝するの路、此に架し、彼に架す。人皆以て長橋虹の如きの類と爲るは、大いに謬れり。其の出す所、彼此一地に非ざるを以て、知る可し。長柄の橋を咏ずるは萬葉、千載、古今、夫木、玉葉等の諸集に見ゆ。
仁平三年、源頼政、帝の命を奉じ、一怪物を宮前に射る。遂にこれを嚢に盛り、これを江に投ず。流れて此に達す。土人収めて以て之を瘞/むと云ふ。
昔、一富門有り。長柄の長者と曰ふ。愛する所の鶯死す。惜しむこと甚だし。爲に其の墳を建つ。墳上古梅樹有り。(花、常瓣と少しく異なる。)元日、一鶯有り。必ず來たって錦蠻を其の枝上に放つ。年年乃ち然り。(樂美の曰く。孝徳の始めて元を建て、戸口を録し、田畝を定むること、詳らかに日本政記に見ゆ。)
○天滿菅廟
石華表外皷音清 石華表外 皷音清し
肅拜人人致至誠 肅拜の人人 至誠を致す
不聽古風絃誦響 古風絃誦の響きを聽かず
廟東今有竹絲聲 廟東 今竹絲の聲有り
天滿菅右府の廟は、天神橋の北に在り。廟門を距ること百歩外。一大石華表を樹つ。廟宇堂堂、香火奔波。都下に冠たり。黄昏を以て必ず門を銷すの期と爲す。門外、雪冤の郎、祈病の婦、訴聲屐音、暁に達す。毎月二十五日は最繁昌。此の夜は初更に至るまで門を鎖さず。門前夜市、燈光天を燭す。二月は則ち菜花の儀/を設く。實に右府の正忌辰と爲す。六月は則ち祭儀太だ盛んなること、天下無雙。(其の状景を寫す詩、巻の下に見ゆ)。九月は則ち躤柳儀を催す。(文昌雜録に神廟馬を馳する、之を躤柳と謂ふ。)
平生廟後、珍禽を籠にする者有り。怪獸を檻にする者有り。其のほか、爨弄/、藏檿/、會革/、演史/、諢囃/、縆戲/、走解/等、種種有らざるは無し。嘈呶山倒れ、嗤笑海湧く。
廟東、章臺街有り。都人、靈符と呼ぶ。(霊符祠前に在るを以て之に名づく。)廟を去ること纔かに咫尺。歌笑皷絃、耳底に徹す。真に是殺風景。
其の北に菅原山天滿寺なる者有り。(天滿寺街に在り。)綱敷天神なる者有り。(北野に在り。)皆頗る古跡。右府左遷の時、是實に憩ふ所の地。
樂美按ずるに、元の薩天錫集に天滿宮を咏ずる詩を載す。梧溪集に日本國の飛梅に寄題する一絶を載す。(其の引に曰く。國相菅北野なる者、剛正爲すこと有り。庭に紅梅有り。雅と之を好む。一日、誣ひられ宰府に謫す。未だ幾ばくならずして、梅夜飛びて北野に至る。卒に謫所に死す。國人祠を梅の側に立つと云ふ。)西人、其の徳を推稱すること、此の如し。(五山、本集此の詩無きを疑ひて、後人の追録する所と爲す。然れども諸家の集を閲るに、彼に在りて此に無き例、間々之有り。其の説、然らざるに似たり。)如來菅公廟の五絶(紀徳氏の嚶鳴舘集)、頼千齡の菅廟梅花の七絶(春風舘の詩鈔)、皆以て誦すべし。錦城詩稿に、
寛平の相業 雄才を見る
晩節の浮雲 何ぞ開くに足らん
却って神徳をして悠久を照らさしむ
千樹の長松 一樹の梅
黄葉夕陽村舎の詩に、
國を匡す英謀 偉人を待つ
如何ともする無し 群小の讒臣を黨するを
相門 權去りて兵塵沸す
始めて信ず 興衰の一身に繋がるを
家父も亦七絶有り。(天神祭會の注に見ゆ。)
樂美按ずるに、公の事蹟詳らかに讀史餘論に見ゆ。
○天滿菜市
諸國群船載萬籃 諸國の群船 萬籃を載す
繁昌本是冠江南 繁昌 もとより是江南に冠たり
肆前客至驚珍異 肆前 客至りて珍異に驚く
冬日蒲萄夏日柑 冬日の蒲萄 夏日の柑
天滿菜市は菅廟の南に在り。江水に傍ひて各々屋を結ぶ。其の市、暁天より亭午に至りて畢る。買ふ者、鬻ぐ者、喧嘩雜、頭を掉/かし、手を拍ち、毛末の利を争ふ。滿路填塞、車馬も行くこと能はず。
家父も亦一詩有り。同工夫。曰く
天神橋北 市名高し
薩芋紀柑 船幾艘
冬日の珍奇 誰か駭かざらん
碧西瓜は紫葡萄に對す
嗚呼、文宣聖、戒め有り。曰く、時ならざるを食はず。人々當に拳拳服膺すべし。(魏の何晏の集解、鄭玄の注に、時ならざるは朝夕日中時に非ざるなり。朱注に、時ならざるは五穀成らず、果実未だ熟さざるの類。樂美按ずるに、鄭注非と爲す。仁齋徂徠の二先生、皆朱子に従へば、是なり。然れども時を過ぎて猶在るも、即ち亦時ならざる者。四書標注に、時ならざるは其の時に非ざる者。石崇の冬日の蒸韮の如き、是なり。呉荃の正解の説も亦通ず。拙堂文話に曰く。論語は語簡にして意包む。聖人の文なりと。蓋し信なり。)
○八軒屋
總是輕裝上洛人 總て是輕裝上洛の人
八軒樓下簇江濱 八軒樓下 江濱に簇る
百夫牽索如魚貫 百夫 索を牽きて魚貫の如し
憫箇千辛萬苦身 憫む この千辛萬苦の身
八軒屋は天神橋の南に在り。家家江水に對して皆逆旅。京都往來の客を聚めて、船を發す。其の初め發するを一番船と曰ふ。次を二番船と曰ふ。又其の次を三番船と曰ふ。其の船を名づけて、三十石と曰ふ。(蓋し船纔かに三十石を載するの稱か。)其の江に遡る、船首數十丈の長索を繋ぎ、群夫索を牽き、堤上を匍匐して行く。舟師六名/、輕棹を划/し、伏見に達す。(江程十里。)夏の日、冬の夜、牽索夫/は赤身、額上萬珠を迸らし、猿列魚貫、其の勞尤も憐れむ可し。ああ、人生吾が業を營むの苦しき、何ぞ此の極に至る。
梁星巖、縴 夫魚貫の詩、集中に見ゆ。樂美未だ大阪を出でず。嘗て家父に代わりて江舟中の詩を賦して曰く。
賣餅船/來たりて客夢驚く
滂沱 枕に響く夜三更
篷窓 光は射る半輪の月
始めて識る 波聲の是雨聲なるを
○懸鐘街
隱隱鐘音渡水清 隱隠たる鐘音 水を渡りて清し
上街不是上方聲 上街 是上方/の聲ならず
誰知刻刻時時動 誰か知らん 刻刻時時に動き
二百餘年報太平 二百餘年太平を報ず
天神橋上より巽位を望めば、一鐘樓の屋瓦を抽いて空中に聳ゆる者有り。鐘樓の在る所を懸鐘街/と曰ふ。(東溝以内、皆上街/と曰ふ。地少しく溝西より高きを以て也。)寛永年中、大猷公/の命を奉じて築く所。僧の龍巖、之に銘す。此の鐘や、ただ時を報ずるのみならず、人家失火有れば、則ち急に頻頻之を撃つ。是を失火を報ずるの節と爲す。是に於いてか、街街の小鐘櫓、一時齊しく之を撃ち、人をして其の變を知らしむ。
伏して惟/るに、後水尾天皇の元和元年より今歳己未に至るまで二百四十五年、天下皆皇恩澤に浴す。
○古林見宜宅
老狸抱病化青童 老狸 病を抱きて青童に化し
乞藥蹣跚來此中 藥を乞ひて 蹣跚此の中に來る
起死回生人不見 起死回生の人見へず
口碑存得見宜翁 口碑 存し得たり見宜翁
古林見宜翁の古宅、懸鐘街の南、善菴條/に在り。翁の事蹟、詳らかに皇國名醫傳に見ゆ。世人今に至るまで相傳えて言えること有り。曰く、寒夜一童子有り。翁に謁して診を乞ふ。翁の曰く。咄咄、吾之を脉するに、汝人に非ず。何より來るや。童逡巡、頭を叩きて曰く。謝す、我は横巷石橋汚泥の中を居宅と爲す。二三日前、人來たりて敗魚を橋上に棄つ。饑に乗じて夜出でて大いに之を啖ふ。爾来腹痛止まず。苦悩誠に甚だし。敢へて來る所以なり。翁頷す。輒ち之に一竒藥を投ず。童、拜し去る。其の後雨夜、復た門を敲く者有り。翁出でて視る。頭禿し尾垂れ眼光鏡の如く、滿身の亂毛茸茸たり。四蹄地に伏し、庭上を拜舞すること三たび。忽ち見えず。蓋し來たりて疇昔の恩を謝する者に似たり。ああ、翁、扁倉の妙、殆ど老貍をして感動せしむるに至る。
樂美按ずるに、翁老狸を治する、虞汝明の琴疏の長沙、老猿を診する事と甚だ相類す。恐らくは琴疏に據りて齊野の説を發するならん。(虞氏の古琴疏に曰く。張機、字は仲景、南陽の人。業を張伯祖に受く。治療に精し。一日桐柏に入り、藥草を覓む。一病人診を求むるに遇ふ。仲景の曰く。子の腕に獸脉有るは何ぞや。其の人、實を以て具さに對/ふ。乃ち繹山穴中の老猿也。仲景、嚢中の丸藥を出して、之に畀/ふ。一服して輒ち愈ゆ。明日其の人、一巨木を肩にして至りて曰く、此萬年桐なり。聊か以て相報ず。仲景、斵/て二琴と爲す。一を古猿と曰ひ、一を萬年と曰ふ。樂美按ずるに、此の事、説郛及び凾史に見ゆ。然れども虚誕に屬す。)
市川寛齋、張仲景、琴を撫する圖の七絶有り。嘗て翁の集を讀み、今猶忘れず。因って之を附す。詩に曰く。
長沙の名徳 黄岐に配す
黠慧の猿公 却って欺かる
なんぞ料らん 從來國を醫す手
還って一格を高うして桐絲に付す(寛齋遺稿に出づ。)
○高麗橋賣縑戸
帛帛如山又似林 帛帛山の如く又林に似たり
帛端記價絶貪心 帛端價を記して貪心を絶す
近來何以價騰沸 近來何を以て價騰沸する
不是千金即萬金 是千金ならざれば即ち萬金
大阪賣縑戸/、三井/なる者有り。巖城/なる者有り。大丸/なる者有り。小橋/なる者有り。(四大肆と稱す。)井と巖とは高麗橋西に在り。大は島内に在り。小は川塲に在り。然れども繁昌の最なる者は三井に若くは莫し。四大肆、毎絹價を寸帋に記/して、以て帛端に附す。邦俗、正札附と呼ぶ。五尺の童をして買はしむと雖ども、欺を受けず。蓋し市の價、二にせざるの類か。或るひとの曰く。近來、何人か大いに絹帛を買ひて歸る。或るひとの曰く。間者/何人か大いに蠶糸を購ひて以て還る。絹價の沸騰するは職として之に由る。古來の無き所。(京都西陣の織匠、帛價沸騰、蠶糸匱乏を以て、故に其の業を守ること能はず。多く乞子と爲り、長街に來る。)
樂美曰く。征夷府、人有り。豈に此の如きの事有らんや。是必ず訛言ならん。
○虎屋饅頭肆
長教清客慕芬芳 長く清客をして芬芳を慕はしむ
高麗橋西譽最揚 高麗橋西 譽れ最も揚がる
肆上何唯春繭美 肆上 何んぞ唯春繭の美のみならん
盛來桐匣太平糖 盛り來る 桐匣/の太平糖
虎屋饅頭肆は高麗橋の西第三街に在り。饅頭の美、海内に甲たり。蚊母樹/の薪、之を煮る。嚴寒製の粉/、之を包み、和泉の赤豆/、之を餡し/、出島の沙糖、之を和す。故に日久しく路遠く、春往き秋來ると雖ども、終に朽腐爛敗に至らずと云ふ。然れども頃/廣瀬淡窓の遠思樓詩鈔を讀むに、虎屋饅頭腐敗の七律有り。(其の題に曰く。虎店の籠餅を寄する者有り。腐敗して食ふ可からず。戯れに題す。其の詩に曰く。
秋雲を搏し得て輕くして無からんと欲す
英英晶晶 盤盂に媚ぶ
殷勤に齎し至る邯鄲の壁
珍重に披き來る督亢の圖
萍實 徒に聞く 刮て蜜に似たりと
蓮心 何ぞ料らん 茶より苦きを
到頭真餅還って畫と成る
始めて信ず 糟糠の腐儒に屬するを)
ああ、今製昨法に如かざるか。其の佗旨糕佳菓、指を僂/ることあたはず、乃ち形樣を畫し、二巻と成し、上梓してこれを世に問す。太平糖と稱する者有り。其の形、所謂金米糖に似て、最も大且つ美。(氷糖を用いて之を精製す。)武弁の贈遺、皆此の物を用ゆ。蓋し其の名を嘉するならん。韃船の長崎に舶する、客或いは遥かに買ひて歸るもの有り。
樂美按ずるに、諸葛武侯の孟獲を征する、三國志に見ゆ。此を饅頭の權輿/と爲す。(事物紀源に小説に云ふ。諸葛武侯の孟獲を征するや、人の曰く。蠻地、邪術多し。須らく神に祷り、陰兵を假て一に以て之を助くべしと。然れども蠻俗必ず人を殺し、其の首を以て之を祭る。神則ち之を饗/くれば、兵を出すことを爲す也。武侯從はず。因って羊豕の肉を雜用して以て之を包み、麪を以て人頭に像/り、以て祀る。神亦饗く。而して兵を出すを爲す。後人此に由りて饅頭を爲る。)晉の盧諶の祭法に至りて春祀に饅頭を用ゆ。束晢の餅の賦に、(按ずるに束皙も亦晉人。)三春の初、陰陽交際、寒氣既に消じ、温め熱するに至らず。時に于て享宴すれば、則ち饅頭宜しく設くべし。(游官紀聞に黄長叡の曰く。饅頭はの字を用ゆべし。束晢の餅賦に見ゆと。今本を考ふるに、皆饅に作る。集韻に或いはに作る。)同話録に曰く。食品、饅頭もと是蜀饌。(七修類藁に曰く。諸葛の孟獲を征す、命じて麪を以て肉を包み、人頭を爲くりて以て祭る。之を蠻頭と謂ふ。今訛りて饅頭と爲る也。)
樂美、群籍を蒐獵し、往往饅頭の異名を目撃す。今左に挈/ぐ。
饅首(天工開物)、麪繭(歳時雜記)、捲蒸(類書纂要)、玉柱(彙苑詳註)、起溲(名物法言)、灌漿(事物異名)、籠炊(齊東野語)、炊餅(青箱雜記)、籠餅(緗素雜記)、包子(正字通)、仙餌(柬札玄珠)、玉専(疏食譜)、蒸餅(名義考)、荷包(翰墨大全)、麪璽(格致鏡原)。
樂美、去年文體明辨を讀み、裏麪の字面を見る。亦是饅頭の異名。籠餅、廣韻に餅に作る。或いはに作る。(翰墨大全に曰く。閩人饅頭の別稱也。)明の會典に大饅頭、小饅頭、雙下饅頭有り。其の餘數十種、南宋市肆紀、雲林遺事、陸游の南唐書等に見ゆ。雍州府志に曰く。建仁寺の第二世龍山禪師、宋に入るや、林和靖の裔孫浄因に弟子の禮を執る。林浄因は饅頭を製造するを業とす。元の順宗至正元年(皇朝暦應の四年)、禪師、林浄因を携へて本朝に歸る。浄因、姓を鹽瀬と改む。南都に居て之を製す。其の形、片團。是を奈良饅頭と稱す。此本朝饅頭の始也。
○伏見街蠻器肆
韃盤韓碗又蘭盆 韃盤韓碗 又蘭盆
豪富購來價不論 豪富購ひ來たって價を論ぜず
獨有沈痾待藥草 獨り沈痾の藥草を待つこと有りて
這般珍器那爲尊 這般の珍器 那んぞ尊しと爲さん
伏見街は(其の西を呉服街と稱す)高麗橋の南に在り。處處蠻國の産する所の物を 售/る。千品萬種、竒具珍器、雜然として肆上に臚列す。風流好事の客、皆黄白を擲ちて、爭って之を購/る。近來五蠻互市、目を驚かし心を動かすの異類、益々來る。好事の客、先ず竊かに之を買ひ、大いに人に詑/りて曰く。是佛夷の新に製する所。曰く、是英狄の始めて齎す所。唯吾之を有りと。是人に誇るの器にして、人に益あるの物に非ず。
樂美、春夜家父に侍し、兼好師の徒然草を讀む。中に言へること有り。曰く、外国の物、皆無用に屬す。我が邦にして足れり。彼の國の草根樹皮、唯此の一種、誠に有用の品と爲るのみと。是先ず吾が心を獲る者。嗚呼、師五百年前、今日の爲に言ふ。
古賀精里の詩集に華夷互市圖の五律有り。其の一聯に云く。膏腴の竭くるを識らず。唯心目の娯に供す。此の二句、沈痛以て世を醒ます可し。
○道修街藥舗
犀角一角似束薪 犀角一角 束薪に似たり
麝香沈香總浮塵 麝香沈香 總て浮塵
低昂藥價真如瞬 低昂の藥價 真に瞬きの如し
朝搆朱門夕赤貧 朝には朱門を搆へ 夕には赤貧
道修坊は伏見街の南に在り。戸戸皆藥舗。舗前之を駄し、之を車し、之を擔ひ、之を舟し、東奥に輸し、西薩に運す。春夏秋冬、朝夕晝夜、絶へず輟まず。路上往來の人、藥氣鼻を薫じ、藥埃眼を眯す。
家父、詩有り、曰く。
藥價の昂低 亦咄嗟
道修街上 豪華を鬪はしむ
何ぞ唯銀鼎丹を錬る術のみならん
又金籠鶴を養ふの家有り
父執/小野氏、(道修坊第二街に在り。)嘗て一鶴有り。飛びて庭に集まる。主人以て瑞祥と爲し、官府に請ふて、之を養ふ。(商家は妄りに鶴を畜ふを許さず。)父、主人の需に應じ、鶴の記を作る。(華城文鈔に見ゆ。)鶴の死するやこれを庭に瘞め、又謚を乞ふ。家父謚して千歳明神と曰ふ。(黄澐の錦字箋に千歳の鶴、偃蓋松に棲む。)一小祠を其の上に建て、春秋之を祭る。頼杏坪の春草堂詩鈔に瘞鶴吟の古詩有り。事頗る相似たり。
○鳥屋街
燕都貢獻阿蘭陀 燕都/に貢獻す阿蘭陀
鳥語喧邊駐彩靴 鳥語喧しき邊 彩靴を駐/む
滿目總無郷里物 滿目總て郷里の物無し
覊情枉買狄禽過 覊情 枉/げて狄禽を買ふて過ぐ
鳥屋街は界條/の東に在り。鳩雀鷄鳬を論ずること無く萬籠羅列、人苟も怪禽奇鳥を得んと欲する者は、來たって黄金を投ずれば、嚢中の物を探るが如く、求めて獲ざること無し。阿蘭人、既に銅邸に舘すれば、官府市上の行歩を許す。例必此に來たり、禽肆に入り、籠禽を買ひて邸に歸る。是其の常例。人人見て以て常と爲す。又非常の一奇事有り。今記して以て後世に傳へ、見聞を廣くす。(事、脱稿後に在り。今附載す。)
五蠻の通商、近來大いに箱舘に横浜に盛んなり。今茲文久元年、辛酉秋九月、米利幹/吉斯/の兩船、将に横浜に往かんとす。兵庫浦に舶す。舩を釋/てて陸す。強いて官府に乞ひ、道を大阪に假る。彩幟を建て、細馬に跨がり、公然として市中を往來す。辮髪の奴/も亦騎して後に陪す。府中の有司、之を護す。官命して兩醜虜を薩摩溝/願教寺に舘すること數日。虜の酒を佐け/、飯を下す/の物、一圓金/を出し、一大猴を買ひ、縛して以て熱湯渦沸中に投じ、而して後皮を剥き、肉を收め、之を屠り、之を烹るに至る。猴の将に大鼎に入れんとするや、人立合掌、哀號して命を乞ふ。都下聞く者、蹙頞酸鼻せざること無し。嗚呼、猴は微物なり、毛蟲なり。然れども頭面四支、尤も人に似るは、唯此の畜、獨り然りと爲す。故に孫供奉の躍りて簒位人を撃つこと有り。(幕府燕間録に、唐の昭宗播遷、随駕の伎藝人、ただ猴を弄する者有り。猴頗る馴れ、能く班に隨ひて起居す。昭宗賜ふに緋袍を以てす。孫供奉と號す。朱梁、主を弑し、位を簒ひ、此の猴を取りて、殿下に起居せしむ。猴、殿階を望み、全忠を見、經/に其の所に趍り、跳躍して奮撃す。遂に之を殺さしむ。唐の臣、此の猴に愧ずる多し。事亦五代史に見ゆ。)赫乎として史筆に載り、衆人爲に憐稱せらる。虜や此の殘忍酷刻の心を以てせば、則ち孰れか忍ぶ可からざらん。街上觀んと欲する者、狂走して曰く。米利幹、今心齋橋を渡る。曰く、吉斯、既に順慶坊に來る。屐聲地を轟かし、人勢煙を捲く。樂美終日戸外を出でず。獨坐して聖賢の書を讀むのみ。(獨坐聖賢書を讀むは、朱子文集に出づ。)
○學校
一自老泉生二子 一たび老泉の二子を生じしより
奮将腕力起斯黌 もって腕力を奮ひこの黌を起こす
城中絃誦終無絶 城中の絃誦 終に絶えること無し
傳得蘓家兄弟名 傳え得たり 蘓家兄弟の名
學校は今橋の西に在り。竹山履軒二翁の出る所也。二翁、大才偉器と雖ども、各其の識量見解を異にす。竹山は經濟に長ずるを以て自ら處す。履軒は經義を究むるを以て自ら任ず。危言と雕題とを觀て知る可し。匾額の題字、仰ぎて之を視るに、懐徳堂有り、入徳門有り。門庭肅肅、咿唔の聲音、今猶絶へざる者は、實に二翁の餘澤也。
家父、嘗て樂美に語りて曰く。竹山痛く韓文公、孟東野を送る序一篇を改竄して、餘力を遺さず。(竹山文集に出づ。)是亦鬼の假面/を著けて、群兒を畏れしむる者。具眼の士、誰か欺を受けん。真に一笑にも直/らず。履軒、古語を摘采し、文脉を接屬し、相應錯綜して、伯夷傳一篇を著す。(履軒の敝帚中に見ゆ。)好伎倆と稱すべし。老練手に非ざれば、此の傳を作ること能はず。倶に是一時の手に出るも、亦以て兩陸二蘓/の人品を鑒評するに足れり。
○堂島米市
舊穀秋升新穀春 舊穀は秋に升り 新穀は春
輸贏一決鐵精神 輸贏一決す 鐵精神
忽逢奇禍轉奇福 忽ち奇禍に逢ふて奇福に轉ず
懸磬室容猗頓人 懸磬の室は猗頓の人を容る
堂島は大江渡邊兩橋の間に在り。直ちに北里の花街/と相望み、纔かに蜆川/一條の細流を隔つ。此の際/、日に隱語/を吐き、米價の昂低を傳ふ。黠客狡兒、烏合蟻聚、龍斷に立ち、虎穴を窺ひ、以て廢居を決し、大利を網するの奇策妙算を運らす。久しく富みて暴/かに貧なる者有り。久しく貧にして暴かに富む者有り。然れども富を得るは、乃ち千萬中の一のみ。設/百計して富を求むるも、真にこれ浮雲浮雲。(草茅危言に深く相塲の舊弊を論ず。)
或るひとの曰く。近來米價沸騰、珠の如く玉の如し。必ず大いに苞米を買ひて歸るもの有るか、また苞米の脚無くして海上に走ること有るか、今都下の窮民、産を破り多く一轉して長坊の客と爲る。(長坊は日本橋の南に在り。乞兒の群聚する所。)菜色骨立、門前に乞ひ、市上に號ぶ。兒を樹蔭に棄つる者有り。身を橋下に投ずる者有り。母已に餓死して、懐中猶乳を索むるの赤子有り。我が子は既に縊死して、佝僂八十、煢煢として依る所無きの老嫗有り。ああ、廟堂人有り。是必ず訛言ならん。(樂美の曰く。救荒活民の書、資治新書、荒政要覧、康濟録等、必讀すべし。)
○靱街鮑魚
萬苞鮑魚來海東 萬苞の鮑魚/ 海東より來る
老農巧播薄田中 老農巧みに播く 薄田の中
治田何必膏腴物 田を治むるは何ぞ膏腴の物を必ずとせん
可見治人敗皷功 見る可し 人を治する敗皷の功を
靱街/鮑魚の諸肆は、(伏見街の東に本靱街/有り。故に鮑魚肆を新靱街と曰ふ。)堂島の南、西本願寺の西に在り。鮑魚は東海/の産、最も上品、西海/を中品となす。山陽/は下品。善く製し善く曝らし、而して苞し、舟し、以て大阪に達す。其の達する所の水上を名づけて永代浜と曰ふ。小橋を架す。亦永代橋と曰ふ。橋邊一小廟を建つ。住吉明神を祭る。祭、墨浦と同日。(六月晦。)
樂美按ずるに、鮑魚は家語に見ゆ。其の名甚だ古し。宣聖臭きに喩ふ。此の街/は人鼻を掩ふて過ぐ。未だ西施の不潔を蒙むること何如なるを知らず。敗皷は韓文公の集に見ゆ。(即ち韓文。清人抄して韓文起を著す。)
家父詩有り、曰く。
腐魚 苞に盛り積みて林を成す
有用 誰か知らん 價の深からざるを
冷笑す 古人無益の甚だしきを
枉げて駿骨を求めて千金を費やす
大阪繁昌詩巻之上
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大阪繁昌詩巻之中
田中右馬三郎源樂美君安 著
繁昌引
西土の作家、竹枝體を賦する者は、劉夢得より昉/りて、揚鐵崖に於いて盛なり。猶、我が邦の竹枝、祇南海に興りて、遂に池五山に窮まるがごとし。余が詩は竹枝にして、竹枝體に非ず。竹枝に非ずして、竹枝體なり。王弇洲、嘗て詩を論じて曰く。法、氣に 累/はされず、才、法に累はされず。境有れば必ず窮め、證有れば必ず切すと。是吾が詩を賦するの大範と爲す。之を要するに、太平の風、繁昌の景を詩にして止む。蓋し天子は則ち萬萬歳。(明の宋濂の日東の曲に、六十六州、王一姓。千歳猶效ふ漢の衣冠。自注に云く。日本、古より唯一姓。)将軍は則ち千千秋。(日東の第二曲の起承に曰く。藤橘源平旗四家。連城累第豪華を競ふ。第三曲の起承に曰く。絶へて層霄入る富士巖。蟠根直ちに壓す三洲の間。)遍く之を五大洲に求るに、何くに在るや。繁昌の極。佛魯墨の諸虜、来たりて互市を乞ふ。官、新たに其の塲を箱舘横濱の兩地に開く。(嘗て五国條約書なる者を見る。)普/く其の繁昌を求るに、五大洲中何くに在るや。抑/、我が大阪は天下の中に立ちて、實に咽嗌の地と爲す。乃ち海内の萬寶雜貨、誠に大阪に聚まる。大阪の巨商豪賣、手に觸れ、目を注ぎ、其の物を鑒し、其の價を定め、京都、江戸、奥羽の濱、薩隅の陬、以て之を運輸す。且つ夫れ五大洲中尤も繁昌する者は、日本と爲す。日本中尤も繁昌する者は、大阪と爲す。嘻/、大繁昌の地、眞に繁昌の詩無くんばあらず。弇洲又論じて曰く。老杜、語を成さざる者多し。(弇洲の二論、倶に四部稿中、藝苑危言に見ゆ。)嗚呼、少陵は道風仙骨、千錘百錬。(杜の評は詳らかに鴎北詩話に見ゆ。)古今の諸家、泰斗もて之を視る。蓋し目するに詩中の佛を以てす。猶且つ、弇老の評を受く。(張南湖の曰く。老杜は詩中佛なり。)矧/んや余のごときは學に志す/の年、僅かに一を添ふるをや。後の吾が詩を評する者、吾必ず、不成語の句を吟ずること無くして、繁昌を成すの真趣を味はふことを欲す。(揚誠齋の詩論に曰く。天分低拙の人、好んで格調を談じて風趣を味ははず。袁倉山の曰く。趣は其の眞を欲す。又曰く。詩は其の真なり難し。倶に随園詩話に見ゆ。)
○西本願寺
傑閣雙徽桐菊新 傑閣の雙徽/ 桐菊新たなり
巧彫獅首又龍鱗 巧みに彫す 獅首又龍鱗
不開門外傳珍話 不開門/外 珍話を傳ふ
猶弔當時高麗人 猶弔す 當時高麗の人
西本願寺は安土坊/の西に在り。齊國の牛山、紀州の熊野/、皆之を結搆す。屹然巍然。大門二つ、皆東に向かふ。小門二つ、一は南に向かひ、一は北に向かふ。艮位、大皷閣を築く。晝夜其の時を報ず。粉壁玲瓏、高く雲を衝く。巽位、鐘樓を置く。暁天之を撃つ。竊かに僣して府と稱する者、士と稱する者、數十家。高堂の側に環列す。高堂は北に對面所なる者に接し、南に二尊堂なる者に通ず。廣さ億萬人を坐しむ可し。彼の彫を觀れば、則ち左甚五、此の畫を覧れば、則ち吃/ノ又平。美を盡くせり、善を盡くせり。
按ずるに唐の時、蜀に猱村と云う有り。其の民、髪を剔り僧徒のごとき者、妻子を蓄ふ。蓋し西土既に一向宗有り。乃ち猱村、龍谷に先だつこと殆ど四百年。(逸史に曰く、一向其の始祖を親鸞と曰ふ。妻を蓄へ、葷を茹/ひ、骨肉相續を以て、宗風と爲す。嫡宗を本願寺と爲す。大阪に在り、勢王侯に擬し、支流天下に蔓衍す。)
文禄元年、寺主光佐没し、子光壽嗣ぐ。(光壽を教如と曰ふ。)季子光昭の母、太閤に媚を容れ、切に光昭を立てんことを請ふ。太閤、光壽を黜/け、光昭を立つ。(順如と曰ふ。)東照公の天下を定むるに及んで、光壽來たり賀す。公、一寺を本寺の邊に創め、(命じて東本願寺と曰ふ。)天下の寺に命じて分かって之に屬せしむ。東西の宗、乃ち判る。
往年、朝鮮聘使の大阪を過ぐる。此を以て舘と爲す。嘗て聞く、儀衛最も盛んなり。我が邦の禮待も亦甚だ厚し。(筆談贈答、諸家詩文集、往往之を見る。)近來來朝の儀、故有って暫く絶す。(中井竹山、清道と題する前旂を見て、失敬と爲す。之を建てしめず。是千古の美事。)今來朝の儀有る者は、唯琉球。(物徂徠の琉球聘使記、新井白石の琉人問答等、見る可し。)朝鮮は乃ち對馬侯、其の事機を管す。(今に至るまで吾が命に從ふ者は、豊臣公の威畧に由る。詳らかに懲毖録に見ゆ。明史に曰く。倭酋關白、朝鮮を征して之を陥る。)琉球は乃ち薩摩侯、彼の事務に宰たり。(琉球史畧、中山傳信録等見る可し。)然れども二蠻、韃虜の正朔を受く。是大いに慨す可し。(山陽詩鈔、鎮西八郎の歌に曰く。唯恨む封冊の殊俗に由ると。新居帖、殊俗、韃虜に作る。)
不開門/は其の後に在りて、西に向かふ。壁光皎然として人を射る。(朝鮮聘使、此の門より入る。)長く閉ざして開かず。遂に門の名と爲る。西土の不逮門と稱するの類のごとし。譯司鈴木某、朝鮮の使節/を刺す處。
○東本願寺
薩叟奥嫗來去忙 薩叟奥嫗 來去忙し
黄花何壓牡丹香 黄花 何ぞ牡丹の香を壓せん
寺前因果報應事 寺前因果報應の事
知否雙羊殪一狼 知るや否や 雙羊の一狼を殪すを
東本願寺は其の南に在り。堂宇搆結、西に較ぶれば少し減ず。(西は乃ち往年火災に遇ふ。東は依然たり。)大門二つ東に向かふ。撃皷閣、至って低し。石門、其の後に在り。石を壘/て之を造る。邦俗、穴門/と稱す。
兩本願寺の京に在るの主を門跡と曰ふ。(即ち本山。)都人、老主を呼びて略して大門と稱し、新主を新門と稱す。門跡の此の地に來るを下向と稱す。其の下向するや、五畿七道の癡翁騃婆、涙を拭ひ、鞋を踏み、唯恐るらくは及ばざらんことを。彼の大旱の雲霓を望むの渇情に異ならず。本堂、阿房宮に減ぜずと雖も、群聚禮拜、喧鬧熱を蒸す。満盈填塞、堂殆ど崩れんと欲し、覆らんと欲し、裂けんと欲し、飛ばんと欲す。皆、門跡を呼びて生如来と稱す。合掌號泣して曰く、往生安楽往生安楽。男女老少を論ぜず。假に頭を削り僧に化ける/の儀を設く。噫、其の癡、何如ぞや。高く金を贈るの榜/を樹/て、大いに人に誇って曰く。吾、生如来に禮拜して金百兩を獻ず。曰く。我、生彌陀を渇仰して、金千兩を上る。其の愚、何如ぞや。嗚呼、生如来、何ぞ汝の手を開き、握る所の千萬金を散じて、衆生を救わざるや。蓋し四百四病の外、一種治す可からざるの業病有り。鳳脳麟骨だも寸驗無し。此の業病を解脱すれば、是即身成佛。是極樂淨土。今や生如来。固く其の掌を閉じ、敢へて衆生を極樂淨土に度せず。衆生の功力、生如来を即身成佛せしむ。大繁昌の光、金仙の顔より輝/く。(草茅危言、佛法の條、痛く一向宗を辨ず。) 安永年、某藩の二子、不共戴天の仇を門前に殪す。(其の記録、今門前南久太郎街に在り。)彼の石門を出れば、一古祠有り。即ち坐摩。(大門の東、俳諧師芭蕉の寓廬、狂歌生貞柳の居宅有り。)
黄葉夕陽村舎詩、山陽詩鈔に親鸞上人の詩を載す。倶に冷語を吐く。茶山の詩に曰く。
人は道/ふ 君の家もと少恩
死して墦祭の幽魂を慰する無し
請ふ看よ 龍谷松楸の裡
傑閣豊碑 九原を照らす
山陽の詩に曰く。
鎌倉は麋鹿に付し
室府は灰燼に委す
一姓の優婆塞
還って傳ふ 五百春
○坐摩
五狄彩帆來海濱 五狄の彩帆 海濱に來る
誰祈古廟裕烝民 誰か古廟を祈りて烝民を裕せん
相傳長有道風筆 相傳えて長く道風の筆有り
謹記異國降伏神 謹んで記す 異國降伏の神
坐摩は大阪第一の神祠と爲す。祠もと田蓑島/に在り。(今の八軒屋。)元和の後、始めて之に遷る。神功皇后、三韓を征し、凱して還る。艦、浪華津に達す。后、佩ける所の神璽を奉じて之を祭る。是祠を建つるの始と爲す。
樂美按ずるに、延喜式に云く。凡そ坐摩/の巫、都下/國造氏の童女七歳以上なるを取りて、之に充つ。若し嫁する時に及ばば、充替すと云云。都下は即ち祠官渡邊氏の本姓。家父、渡邊氏と舊相識たり。家父、能く傳來の異話を聞き、又傳來の古器を見ること最も熟す。此の廟を呼びて異國降伏の神と爲す。菅公の筆有り、道風の書有り、大塔王の墨蹟有り。
此の祠も亦繁昌。木華表/前、酒肆列す。泥鰌/團魚/を煮る者有り。家鳬/野鷺/を割く者有り。中に或いは演劇/、或いは儡傫/。柝撃ち、鐘鳴る。然れども黄昏に至れば人影絶へ、數點の神燈、耿耿幢幢、或いは焔を滅し、或いは光を減ずるのみ。
○順慶坊
順慶坊上夜尤明 順慶坊上 夜尤も明らかなり
汗雨袖雲縦又横 汗雨袖雲 縦また横
坐地乞錢誰豫讓 地に座して銭を乞ふ 誰か豫讓
燈點賣卜幾君平 燈を點じて卜を賣る 幾君平
順慶坊は心齋橋の北に在り。夜市尤も大繁昌の地と爲す。簷前棚を設け、棚上蜀江錦、呉浦綾を列す。路傍、店を張る。店頭、玳瑁櫛、珊瑚簪を鬻ぐ。或いは龍鬚席/、或いは蛇眼傘/。細舗に至りては、則ち瓦獸/、陶禽/、走馬燈/、響葫蘆/、紗嚢丹鳥/、筠籠金兒/。彼の餌肆/は則ち煠餈/、不托/、粉糖/、菓餡/。是兒餐のみ。落魄の寒士/、矮燈に八卦を畫き、客を聚めて低聲にて運命を話す。饑渇の花子/、地に伏して一錢を乞ひ、人を望みて大號して屐屨を拜す。是甚だ憫む可し。骨董舗、巧みに贋器/を製し、善く田舎翁/を欺き、紙畫/、妙に名俳/を描/し、大いに輕佻女/を悦ばしむ。是尤も憎む可し。凶服之燈/、合之轎/に衝し/、相觸れて行く。剪絡之賊/、笨呆之郎/を尾/し、驀/ち掠めて以て遁げる。吁、四達の衢、厭ふ可く畏る可きこと、其れ此の如し。乃ち是推して大繁昌の地と爲る所以なり。
○心齋橋書林
武編文帙利頻鋤 武編文帙 利頻りに鋤く
戸戸乗晴驅白魚 戸戸 晴に乗じて白魚を驅る
肆上老商私詑我 肆上の老商 私かに我に詑/す
今朝交易得珍書 今朝 交易して珍書を得たり
書肆は皆、心齋橋條/に在り。肆下、白招牌/を安/き、牌面に其の名を題す。二酉五車、庫に藏し、汗牛充棟、肆に列す。方伎生/、緇流客/、去來頗る織るが如し。屨、常に戸外に満つ。
家父の七絶、華城詩鈔に見ゆ。
○賣石家 附石屏風
危巖怪石聳山中 危巖怪石 山中に聳ゆ
海舶巧輸市井東 海舶 巧みに輸す 市井の東
別有舊家藏一物 別に舊家の一物を藏すること有り
珍奇驚見石屏風 珍奇 驚き見る石屏風
賣石家/は心齋橋の南に在り。幽巖を售り、怪石を鬻ぐ。(又、石燈を沽る。俗有り、雅有り、新有り、古有り。)其の大いさ山の如き者、其の長さ人立の如き者、皆水濱に羅列す。江戸屋と稱する者有り。石製の屏風を藏す。好事者流、陸續として來たって一覧を乞ふ。
樂美、歴史綱鑑を讀むに、五胡の時、肉屏風なる者有り。驕奢亦甚だしからずや。今、石屏風有り。是實に天下の奇物。
○四橋
碧水分流十字中 碧水分かち流る 十字の中
東西南北四橋通 東西南北 四橋通ず
家家列肆沽煙管 家家 肆を列ねて煙管/を沽る
常喚往來田舎翁 常に喚ぶ 往來の田舎翁
四橋は心齋橋の西に在り。西溝水/は南流して道頓渠/に入り、東溝水/は長掘より西折分流して大江/に入る。此の處、南流西折、縦横相合して十字樣を爲し、各々一橋を架す。(東架する者を炭屋橋と曰ひ、西架する者を吉野屋橋と曰ひ、北架する者を上繋橋/と曰ひ、南架する者を下繋橋/と曰ふ。)橋上橋下、東西南北、舟車の便を通ず。太閤の時、其の繁昌、想ふ可し。此の橋、防の錦帯、甲の獮猴等と其の名を爭ふ。橋南、煙管を賣る。然れども競ひ買ふ者は都人士に非ず。特に村漢野主/のみ。一肆の招牌、清人程赤城の筆有り。(此の煙管肆、橋北に在り。)
劉元高の静文舘詩集、四橋の五律の前後二聯に云ふ。
橋影 回字を成し
川流 十文を學ぶ
虹交して首尾無し
龍鬪ひて煙雲を吐く(暗に煙管を指す)
棲碧の百絶、四橋の納涼の轉結に云ふ。
浪速の長橋 一百八
涼風は只四橋の頭に在り
家父、備遊中にも此の詩有り。(轉結に云ふ。春去り夏來たって郷夢切なり。九軒の夜月、四橋の風。)
○新町橋
煠蟮 樓頭帘影斜 煠蟮樓/頭 帘影斜めなり
春江一脈賣矯花 春江一脈 矯花を賣る
阿儂懶歩橋西道 阿儂 橋西の道を歩むに懶し
多有巫山雲雨家 多くは巫山雲雨の家有り
新町橋(一名瓢箪橋)は順慶坊の西、四橋の北に在り。橋上、白醪/、黄兒/、苞蘆/、礱飯/の諸店、燈火、橋下の水を射て、水光、錦を織るが如く然り。別に一店有り。黒方燈/、白文字/。題して長命丸と曰ふ。噫、淺學の十六童、未だ何の病に用いるを知らず。(此の薬、害有って功無ければ、則ち短命丸。尤も宜しく之を禁ずべし。)橋西に門有り。都人、之を新町の大門口と稱す。門内に煙華の山有り。絲肉の海有り。凡そ父母に事ふる者は、此の山に登りて迷ふこと莫れ。此の海に泛んで溺るること莫れ。
○九軒
眞個章臺第一春 眞個の章臺 第一の春
櫻花爛漫滿樓新 櫻花爛漫として滿樓新なり
蕩郎漫散千金去 蕩郎漫りに千金を散じ去る
不憫窶人憫麗人 窶人を憫れまず麗人を憫れむ
九軒は大門の西に在り。(もと九樓に有り。今、過半零落すと云ふ。)三月、櫻花甚だ盛んなり。夜は則ち畫幔を垂れ、紅氈を鋪く。千燈を燃やし、萬客を娯しましむ。都人、夜櫻と稱す。蓋し京の島原、武の吉原と三大青樓と呼ぶ。富家の子弟、此の樓に登れば、則ち我が嚢中の金、沙礫もて之を視る。噫、貧窶無衣の客を憐れむことを知らず、徒に嬌媚無尾の狐を愛す。嫖婦の高傘を張り、高屐を鳴らし、八文字の歩を成す者を、大夫と稱す。(一等下り、高傘を張らざる者、之を指して天神と呼ぶ。)昔、夕霧大夫なる者有り。名、一時に高し。吉田屋なる者、今猶其の筆研衣裳を秘藏すと云ふ。
柴の碧海枕上初集、狐、美人に現する七律の轉結に云く。
粉魑黛魅 多少是なり
假粧 原と自ら君を尤/めず(樂美の曰く。粉魑黛魅、まさに地を換ふべし。碧翁たまたま之を失ふ。)
寓意、甚だ深し。
家父、二詩有り、曰く。
半輪の媚月 櫻林を照らす
絲竹音無く香霧深し
樓上の春燈 紅影細く
鴛鴦 夢熟して夜沈沈
屐音 踏み破る八文字
傘影 傾き來る九大家
樓下の春櫻 樓上の妓
無情の花は有情の花に對す
(竹山の奠陰累稿、觀妓の詩に曰く。粧罷んで仙娥、院を出で來る。腰支は柳の如く、靨は梅の如し。高く涼傘を張る、章臺の道。寳屐、聲軽くして八字開く。)
○長掘材木市
尾州信國出山來 尾州信國 山を出でて來る
多在長溝碧水隈 多くは長溝/碧水の隈に在り
深戒終身爲散木 深く戒む 終身散木と爲るを
人人應學棟梁才 人人 まさに棟梁の才を學ぶべし
材木肆は新町の南、四橋の西に在り。千萬の材木、水濱に堆し。暁に市を起こす。買ふ者、賣る者、各々隱語を用ゆ。何の言なるかを知らず。巨材の輒/く移す可からざる者は、倉脚夫/十四五名有り。皆、鳶喙鏢/を揮ひ、邪許/して、以て之を牽く。一望、蜉蝣の大樹を繞るが如し。
鄒孟氏の曰く。斧斤、時を以て山林に入れば、材木勝て用ゆ可からず。吁、亞聖の言、今日果して驗ありや。
○沙塲 附白麺/異名
人言兩肆建招旌 人は言ふ 兩肆招旌/を建つと
古宅無蹤歳月更 古宅蹤/無く 歳月更/まる
獨有履軒中叟筆 獨り履軒中叟の筆有り
沙塲白麺永傳名 沙塲の白麺/ 永く名を傳ふ
沙塲は新町の西に在り。昔年、北肆南肆、白麺を温め、河漏/を蒸し、朝夕群客を招き、相倶に盛んなり。我が大叔父宇山公、(諱は美殷、婚官を肯ぜず、三十一にして卒す。)兩肆の西に別居す。故に家父幼なる時、往來最も頻りなり。今猶髣髴として其の繁昌を記すと云ふ。
樂美、履軒翁の弊帚を讀むに、南肆、北肆に錢を遺り、竊かに相救ふ事を記す。其の事甚だ奇。其の文も亦奇。好文の士、一讀して可。
栢如亭、晩晴堂集に七言古の蕎麥歌を載す。(五山堂詩話に見ゆ。)
樂美曰く。白麺、一名温陶、蘇東坡、温陶君の傳有り。(傳に曰く。石中美、字は信美、中牟の人也。本姓は麥氏、母羅氏、其の夫を去りて石に適くに隨ひて、因って其の姓を冒す。幼にして輕躁疎散、物と合せず。其の郷人儲子の意を得て、因って滏水湯先生に從ひて遊ばしむ。既に熟し遂に陶して之を成す。人と爲り白哲にして長。温厚柔忍、諸石中に在って最も名有り。)妙戯筆。黄山谷の詩に、湯餅一杯、銀線亂れ。蔞蒿數筋、玉簪横たわる。巧聯句。按ずるに温陶、種種の異名有り。
索餅(事物紀原) 餺飥(歸田録) 温麪(濳確類書) 飥(燕談録) 湯玉(清異録) 湯餅(束哲賦) 熱湯餅(語林) 温陶(正字通) 避惡餅(荊楚歳時記) 不托(猗覺寮雜記)
樂美按ずるに、白麺の製法、韋巨源の食譜、賈思勰の齋民要術に見ゆ。釋名に曰く。蒸餅、湯餅、蝎餅、髓餅、金餅、索餅の屬。皆、形に隨って之に名づく也。(異名、又金字編に見ゆ。蕎麥の異名、巻の下に見ゆ。)
○鰹座 附白髪街觀音佛并松魚説
腥風滿路暫難除 腥風 路に滿ちて暫くも除き難し
土佐輸來幾萬車 土佐 輸し來る 幾萬車
大士有靈當掩鼻 大士 靈有ればまさに鼻を掩ふべし
觀音堂上曝松魚 觀音堂上 松魚/を曝す
白髪街/の觀音堂は砂塲の西、白髪橋の北に在り。(橋、長掘に架す。)此の地、戸戸、木魚/を賣る。故に鰹座/と稱す。(蓋し坐して之を沽るの稱。他種も亦此の稱有り。)木魚の上品は土佐を推す。勢志の二州、之に次ぐ。薩摩は又其の次なり。(形、至って大なる者。)街上に薦席/を舗き、幾億萬の木魚、晴天に曝す。(朽黴/を除く也。)
樂美、舊地圖を考ふるに、此の地、古、白洲嵜/と稱す。僧西行、白洲の崎を咏ずる、山家集に見ゆ。後世轉じて白髪街と爲る。(一説に白髪山の木、觀音佛に化けるを以て、之を祭る。故に街に名づくと。)
又、和名抄を考ふるに、鰹は加豆乎/、嘗て紫式部の文を見るに、堅魚の二字を用ゆ。即ち大鮦也。大を鮦と曰ひ、小を鮵 と曰ふ。鮦は蠡魚也。群書を閲るに、此の魚、外夷に之無し。中山傳信録に佳蘓魚/と稱する者、蓋し誤って佗魚に名づくるに此の稱を以てするならん。按ずるに年中行司秘録に曰く。景行天皇、五十三年八月、伊勢に幸す。十月、安房の浮島に至る。臣、磐鹿六雁命/、角弭弓/を以て群魚を捕らふ。此の魚、頑魚/と名づくと。即ち是堅魚也。蓋し乾製して堅實と成すこと、樂美、嘗て延喜式に於いて、始めて之を見る。柏如亭の詩本草に曰く。松魚、二有り。一は葛貲屋を指す。一は趿 結を指す。葛貲屋は即ち魚也。琉球呼びて佳蘓と爲す。(樂美按ずるに、如亭、未だ其の謬を知らず。)其の松魚に作る者は、此の方俗間の文字。然れども沿襲も亦舊し。以ての字に比すれば、則ち其の稍雅なるを覺ふ。是互いに用ひて害あらざるに似たり。
小竹齋詩鈔に松魚七律を載す。後聯に云ふ。
削る處 龍鱗雪片を飄へし
叩く時 牛角歌聲に入る(古賀侗菴の評に曰く。體物玄妙。)
樂美按ずるに、山木、觀音に化す。此の説、頗る怪しむ可し。然れども陳繼儒の古文品外録に晁補之の猪齒、佛に化する贊を載す。海外も同一奇事。蓋し天地の廣き、其の理、固より思議す可からざる者有るか。
○阿彌陀池
佛旆揺揺映綺羅 佛旆 揺揺として綺羅に映ず
彌陀池上屐音多 彌陀池上 屐音多し
盆花盎草人争買 盆花盎草 人争って買う
誰是當時郭橐駝 誰か是 當時の郭橐駝
阿彌陀池/は白髪橋の南に在り。蓮池山和光寺と曰ふ。寺の傳記に曰く。日本紀に物部の守屋、佛像を難波の掘江に棄つ。(詳らかに日本史物部守屋の傳に見ゆ。)後信州の本多善光/なる者、之を過ぐ。佛、池中に在りて、其の名を呼ぶ。善光、池を探りて得たり。負ひて以て帰り、一刹を建てて、之を安/く。後世、遂に善光寺と名づく。元禄十一年、僧智善なる者、古跡を按じて池を鑿り、佛を祭り、寺を営む。(傳に曰く。此の佛、善光寺と同木同製。未だ其の實を知らず。樂美按ずるに、日本紀に稱する所の掘江は、桓武帝の時に鑿つ所。舊地圖を考ふるに、城東に在り。今の掘江と大いに異なる。山本北山の孝經樓漫筆に、和州飛鳥川と爲るも、亦謬。)二月望、本堂に釈迦佛の涅槃圖を挂く。(煕朝樂事に寺院、涅槃會を啓き、孔雀經を談ず。)四月初八、其の出誕の畫を挂く。(宋書劉敬宣の傳。四月八日を灌佛の辰と爲す。又、佛運統志、武林舊事等に見ゆ。)兩日倶に聖徳守屋合戰の畫幅を副え挂く。都人賽聚、亦繁昌の叢を成す。掘江菜市/より寺門の前に至るまで、兩傍の簷下、皆簾を懸け、棚を設け、栽種戸/、萬種の草花樹木を列す。夜以て日に繼ぐ。買ふ者、肩相摩撃し、足相蹂躪す。
按ずるに涅槃出誕、其の月日を論ずる、諸説紛紛、歸一の論無し。詳らかに翻譯名義集に見ゆ。郭橐駝、柳文に見ゆ。(即ち柳子厚の文集。郭橐駝の傳。)
○松岬/ 附朝鮮人墓
老樹垂枝波上松 老樹 枝を垂る 波上の松
恰如飲水一蒼龍 恰も一蒼龍の水を飲まんとするが如し
竹林寺裡蠻人墓 竹林寺裡 蠻人の墓
題識朝鮮金漢重 題識す 朝鮮金漢重
阿彌陀池の西北、大江/の邊、一古松の長枝を垂れて水上に臨む者有り。都人、名づけて松岬/と稱す。(往年、雷有り。其の樹梢を折り、大いに風致を減ず。)渡有り、松岬渡/と曰ふ。渡西、刹有り、竹林寺と曰ふ。寺に大樟樹/有り。高く碧空を凌ぐ。(此の樹、頗る喬木。稍高き處に在りて望めば、則ち見へざる所無し。然れども今、枝葉衰落す。)樟樹下、韓人を葬る處有り。其の碑、蓋し彼の國中の制を用ゆ。碑面に題して朝鮮金漢重の墓と曰ふ。)
○川口
山澤難量群國舟 山澤 量り難し群國の舟
時看醉妓嘯舵樓 時に見る 醉妓の舵樓に嘯くを
西京東武真堪壓 西京東武 真に壓するに堪へたり
有此萬檣林影不 此の萬檣林影 有るやいなや
川口/は松岬の西に在り。六十餘州、各々巨船を艤し、其の地の産する所の諸品群物を載せ、水上に聚まり、以て價の低昂/を謀り、時の廢居/を察す。故に春風の暁、秋月の夕、千萬の危檣、布帆を收めて鄧林の如しと云ふ。蓋し此の繁昌や京都江戸の無き所。
○瑞見山
海門良策奈波瀾 海門の良策 波瀾をいかんせん
虎尾覆來肝膽寒 虎尾 覆し來たって肝膽寒し
欲見當時治水跡 當時水を治る跡を見んと欲せば
鰺江一簣瑞賢山 鰺江/一簣の瑞賢山
瑞賢山は川口の西、安治川の南に在り。河村瑞賢の事蹟、頗る人口に膾炙す。然れども末年の建業、大いに漢の鼂錯に似たり。抑、水土を平らぐるの事業、至って難し。其の神禹の如き人に非ざれば、則ち誰か其れ之を能くせん。山陽頼翁、通議を著し、水利を論ず。然れども筆して以て之を記し、舌して以て之を傳へるは、固より易易たるのみ。吾未だ馬服君の子と相距つること何如なるを知らず。
○天保山
遠峰恰似在陶盤 遠峰 恰も似たり 陶盤/に在るに
長帯廻風枕海端 長く廻風を帯びて海端に枕す
樹木是苔人是蟻 樹木は是苔 人は是蟻
何人不做假山看 何人か假山/の看を做さざらん
天保山は瑞山の西に在り。天保二年、大いに大阪の諸川を浚/へ、土沙を此に運ぶ。以て山を作る故に名づく。春日には妓を載する船、絃歌沸起、綺服錦/、芳草に坐し、以て銀觴を洗ひ、赤鬣/を膾にす。日脚の却って短きを恨み、魯氏/の戈/、平家/の箑/を假りて、曛影を虞淵に麾/かんと欲す。秋日には鯊/を釣る船、醉客喧嘈、餌を投じ綸を垂れ、一釣一盃、夕陽既に没し、海風面を吹く。彼の澪標/を指し、(澪標は巻の下木津川の條に見ゆ。)明月に棹して歸る。
樂美、幼より好んで海内諸大家の詩文集を讀む。今、同風景の詩を録す。
山本北山の詩集に、
宣尼は水を稱し孟は瀾を觀る
我も亦苔磯渺漫に對す
眼界更に清くして心洗ふに似たり
從前悔やむらくは等閑の看を作すを
古賀精里初集に
千翼の船は鳬の泛泛に同じ
片帆時に順風を得て舒ぶ
樂美、地理を按ずるに、東南は則ち泉紀阿淡の諸巒、翠を送りて目前に來たり。河ノ二子/、和之十三/、呼べば輒ち應へんと欲す。西北は則ち摩耶鐵拐の峰影、雲間に峙す。一谷鵯越/の險を望んで、大いに源九郎の秘略、鄧艾と相似たるを感ず。(鄧艾、劉禪を襲ふは詳らかに蜀志に見ゆ。)抑、九郎、艾と大勲力を外に建て、旗皷未だ收めざるに箝械後に在り。人皆、長く其の冤を悲しむ。然れども艾、九郎と此の禍を招くの由無きに非ず。(我、嘗て鄧艾論を作る。)千載の後、建策立功の徒、鑑せざる可けんや。噫。
○安治川
鷁首映波曦影紅 鷁首 波に映じて曦影紅なり
安治橋下碧江中 安治橋下 碧江の中
新公端坐顔如玉 新公端坐 顔 玉の如し
鼉皷聲高紫幔風 鼉皷 聲は高し 紫幔の風
安治川/は土佐溝/の西に在り。天保山に遊ぶの經歴/する所也。貞享中、河村瑞見、始めて之を鑿つ。(河村翁、名安治/、因って川に名づく。瑞見は其の通稱也。)橋有り、架す。安治川橋と曰ふ。橋北もと戯塲有り。今廢す。(都人傳へ云ふ。此の戯塲、五偸児/、一士を殺すの事有り。)此の間も亦檣影林立。且つ四國九州の諸藩公、述職往來の江/也。世子新たに立ち、初めて江戸に朝するを、邦俗稱して乘出/と曰ひ、又初登/と曰ふ。都下の諸商家、或いは藥草、或いは絹帛、若しくは木綿、若しくは陶器、紙や鍋や傘や屐や、凡百の雜貨、此より以て海内に運せざるは無し。其の大繁昌、實に天下長へに安く、國家久しく治まるに由る也。川の名、尤も虚ならず。
五山堂の詩話に長門侯の竹枝を録す。(侯、諱は元義、字は萬年、蘭齋と號す。もと十首。)曰く。
南去北來 船叢を作す
津樓 架し得て曲げて弓の如し
濕雲半ば破れて天雨を收む
各自の蓬窓 便風を祈る
家父、安治川の詩に曰く。
纜を繋ぐ 諸邦運米の船
遥かに聞く 大皷の中流に響くを
九星一轡 章/辨じ難し
是肥侯ならざれば定めて薩侯
○玉江橋
雨霽玉江橋上風 雨は霽る 玉江橋上の風
侯家粉壁水西東 侯家の粉壁 水の西東
南方直望荒陵塔 南方直ちに望む荒陵の塔
長在頼翁詩句中 長く頼翁詩句中に在り
玉江橋は安治川の東に在り。橋、土佐溝に架す。大阪に在りては乾位と爲す。荒陵は巽位に在り。理、南望す可からず。然れども橋上に在りて望めば、乃ち荒陵の塔尖、午方に位す。真に是異景。樂美、細かに地理を考ふるに、溝、實に艮位より起こり、一派の清流、迤邐蜿蜒、斜めに坤位に入る。橋も亦斜めに架して、巽位に對す。是自然の地勢、人、斜の又斜なるを覺へざるのみ。
頼春水遺稿、玉江橋の春望七律の二聯に曰く。
侯邸の古松 濤陣陣
市樓の春柳 翠重重
雲邊の塔影 天王寺
海上の嵐光 佛母峰
○雜喉塲
活溌紅鬃籃聲有 活溌たる紅鬃 籃に聲有り
雜喉塲上買相争 雜喉塲上買ひて相争う
異鱗別有尺餘物 異鱗 別に尺餘の物有り
欲起瀕湖問此名 瀕湖を起こして此の名を問はんと欲す
雜喉塲は玉江橋の西南に在り。舊名鷺嶋、後、雜魚を鬻ぐの市塲を開く。因って轉じて雜喉塲と呼ぶ。(魚は呉音古。)今、雜喉塲に作るは謬なり。樂美、古記録を按ずるに、承應中、鬻魚の本肆、我が安土坊/の東に在り。(余の家、安土坊第三街に在り。)即ち上魚屋街/是也。(古名今猶存す。)別に子肆/を鷺嶋に築く。朝に子肆に往き、暮れに本肆に還る。牙儈/、常に東走西奔、多事冗務を厭ひ、延寶中、遂に本肆を撤し/、子肆に遷ると云ふ。
此の市、曉天より起こる。一商豎、高搨に屹立し、大號して以て群魚の價を傳ふ。萬人、環匝して、手を揚げ指を揺らかし、其の價の廉を欲すること、蝉の如く鴉の如し。嘈熱、人を醉はしむ。緩歩矚目すれば、則ち紅魚/と青魚/、籃中に躍り、烏魚/及び章魚/、石上を歩す。沙狗/、腕を奮ひ、海蝦/、髯を怒らす。頭/、牛尾/、貂皮/、烏頬/の諸魚、夫れ委して塵より輕く、其の棄つること芥より甚だし。大や鰌/、小や鰛/。左大沖をして一見せしむるも、復た賦す可き無し。
家父の詩に曰く。
環立喧豗して隠語傳ふ
爭ひ沽ふ 溌剌滿籃の鮮
近來風惡くして漁船少/
數尺の紅魚 價萬錢
李時珍、瀕湖と號す。樂美一日、佐藤一齋翁の愛日樓詩集を讀み、翁媼對食の圖に題する詩を見る。今、附載して肉食殞命の徒を戒む。曰く
錦綺膏粱 身を損じ易し
竟來富貴 貧を知らず
千金 買ひ難し雙眉の壽
多くは鶉衣藿食の人に在り
(樂美の曰く、二十八字の養生訓。又曰く、貝原先生、養生訓を著す、時に年八十四。今、一齋翁にして此の壽有り。此の壽有って、此の詩有り。蓋し先輩諸公、みずからこれを身に驗し、而して後、筆を下す。讀者、草草に看過すること勿れ。)
○福嶋逆櫓松
白髪老翁漫論兵 白髪の老翁 漫りに兵を論ず
逆艩 被笑一軍營 逆艩/ 一軍營に笑はる
黄昏樹下風尤激 黄昏樹下 風尤も激す
猶作源郎大喝聲 なお源郎大喝の聲を作す
福島逆櫓松は玉江橋の北に在り。(源義經、柁原景時と樹下に坐し、逆櫓の議を論ず。後人因って此の樹を指し逆櫓の松と名づく事、平家物語に見ゆ。)日本外史に曰く。二月京師を發す。(元暦二年。)渡部に艤す。東兵、水戰に習はず。人人自ら危ぶむ。柁原景時の曰く。請ふ、逆櫓を爲せよ。義經の曰く。何をか逆櫓と謂ふ。曰く、舳艪に皆櫓を設け、進むに舳を以てし、退くに艫を以てす。義經の曰く。進を求めて退くは兵の通患。乃ち退くことを求めんと欲するか。曰く、宜しく進むべくして進み、宜しく退くべくして退くは、良将也。進むこと有って退くこと無きは、野猪にして介する者のみ。義經、色を變じて曰く。猪か鹿か、吾自ら知らず。吾唯進みて敵を勦/き/るを快と爲すを知るのみ。公、若し大将と爲らば、逆櫓千百、公の爲す所に聽/マカ/す。義經のごときは則ち欲せず。衆、景時を目笑す。(黄門公の大日本史、中井履軒の通語、青山拙齋の皇朝史畧、巖垣東園の國史畧等、此の事を載す。今、日本外史を采る。)
○寒山寺
夜半烏啼月落後 夜半 烏啼き 月落つる後
閑牀美睡夢将回 閑牀の美睡 夢将に回らんとす
吾儂不是楓橋客 吾儂 是楓橋の客ならず
何厭鐘聲枕底來 何ぞ厭はん 鐘聲の枕底に來るを
寒山寺は福島の東北に在り。禪宗、即ち臨濟派と云ふ。梵鐘古雅、其の音、斷金調に當たる。撃てば乃ち其の鳴るや、幽遠。四方に聞こゆ。北風急なる時、樓上に在れば、則ち隱隱として水を渡り、耳底に響く。蓋し姑蘓城外の寺名を用ゆるは、古鐘有るを以て也。
○金魚戸 附金魚異名
滿園紅雪落花初 滿園の紅雪 落花の初め
又恨今年春色虚 又恨む 今年春色の虚しきを
一樹南風吹不起 一樹の南風 吹き起こらざるに
街頭早已賣金魚 街頭 早く已に金魚を賣る
大阪郊外に金魚戸/なる者有り。數小池を鑿ち、幾敗箔を掩ひ、種種の珍鱗を生じ出して、以て市の利を網す。日に菅笠を戴き、矮桶を擔ひ、市上を往來して、曰く、金魚金魚。
樂美按ずるに、述異記に晉の桓中、廬山に遊ぶ、湖中に赤鱗魚有るを見る。是を始と爲す。宋に至りて、始めて缸を以て之を畜ふ者有り。花鏡に曰く。魚、土に近くば、則ち色紅鮮ならず。必ず須らく缸にて畜ふべし。缸は宜しく底尖り口大なる者を良と爲すべし。本草綱目に曰く。今は則ち處處の人家に養玩す。春末、子を草上に生じ、好んで自ら呑啗す。亦、化生し易し。初め出るとき黒色、久しくして乃ち紅に變ず。(我が邦、元和中、始めて異域より來る。詳らかに貝原翁の大和本草に見ゆ。)
樂美、諸書を歴讀し、異名を記すること左の如し。
朱魚(閩書南産志) 盆魚(福州府志) 手巾魚(正字通) 玳瑁魚(群芳譜) 火魚(山堂肆考) 金鱗(事物異名)
一種、金鼈/なる者、頗る畜ひ難し。(此金魚と異なり。其の品類甚だ多し。)
大窪詩佛詩聖堂詩集に(巻七)、金魚の七律を載す。其の一聯に云ふ。
楓葉 紅衰へて水の冷たきを愁へ
桃花 浪暖かにして春の喧しきを喜ぶ
○吉介牡丹 附牡丹異名
誰玩沈香亭北花 誰か沈香亭北の花を玩んで
移栽道頓港東家 移し栽ゆ 道頓港東の家
春林有箇孟之反 春林 この孟の反有り
獨殿無雙富貴葩 獨り殿す 無雙富貴の葩
道頓溝の東、栽種戸/有り。園中年年牡丹盛んに開く。(都下稱して吉介の牡丹と曰ふ。)觀客、雲の如し。脂粉の香、花氣と競鬪し、嬙施の容、花色と映發す。美人、牡丹に似るか、牡丹、美人に似るか。蓋し聞く、和州長谷寺/、姚黄魏紫、名を海内に擅/にす。觀音佛殿に禮し、廻廊を歩/れば、則ち實に是富貴花中の真富貴と云ふ。我、大いに馬に策/ち、殿を探るに意有り。然れども固く文宣聖の教えを守り、遠く遊ばず。
樂美按ずるに、歐陽永叔、洛陽牡丹記を著し、四十餘種を辨ず。秘傳花鏡に百三十一種を載す。群芳譜に百八十三種を集む。最も品類を分かつは、花壇大全に詳らかなり。
神農本經に云はく。牡丹は上古より之有り。唐に盛んなり。(花の淵源。)張元素の曰く。牡丹は乃ち天地の精。群花の首たり。(花の美稱。)蘇東坡の曰く。牡丹を觀るは午前に宜し。午後に宜しからず。花譜に曰く。牡丹を觀るは巳刻を好しと爲す。花鏡に曰く。午後は花の精神衰ふ。(觀花の期。)今又異名を挈て、讀者に便にし、兩兩相ひ比す。
花后(花史左編) 姑(盛京通志) 一捻紅(花壇大全) 百兩金(王氏彙編) 花王(山堂肆考) 賞客(花木雑考) 鸚鵡白(牡丹史) 鶴翎紅(歐陽公の牡丹記) 天香(尺牘雙魚) 京花(種樹書) 第一香(皮日休の詩) 富貴花(周濂溪の愛蓮説)(餘は金字編に見ゆ。)
春水遺稿、牡丹の詩に、
錦幄彫欄 豪貴の家
李唐當日 紛華を競ふ
東方 別に櫻華の在る有り
未だ許さず 渠儂/の百花に王たるを
茶山、黄葉村舎の詩に、
李溪桃塢 已に塵と成る
何處の風光か 人を慰藉せん
獨り牡丹花の尤も事を解する有って
艶粧緩緩 殘春に向かふ
米庵百絶に(六言絶句)、
園裏 花を種ゆる窄/しと雖も
幾番の紅紫 看るに堪えたり
此の心自ら笑ふ 飽くこと無きを
鄰舎只羨む 牡丹
又(七言絶句)、
細繪 剪り出して紅霞を簇らす
千瓣重臺 艶更に加ふ
至竟 金錢籬落の物
繁華 何ぞ洛陽の花に似/かん
(王敬美の曰く。夜落金錢鳳仙の類は、籬落間の物。)
盤溪詩鈔に、
飛花 亂れ撲つ 半扉の柴
東風を愛惜して小齋に坐す
三尺の藥欄 春未だ老ひず
園丁 已に挂く牡丹の牌
滿郊の芳樹 已に離披
復た香輪の草を輾/て馳する無し
自ら是閑人落後を甘んじ
花を看て亦牡丹の時を趁/ふ
ただ魏紫と姚黄のみならず
幾種の奇葩 靚粧を鬪はす
笑殺す 阿瞞の寒乞相
一枝の穠艶 僅かに香を凝らす
翠幕紅欄 幾處にか開く
清茶一椀 亭臺に倚る
高風ただまさに襟を正ふを見るべし
肯へて許さんや 醉人の狂躁し來るを
(自注に園中飲を禁ず、故に云ふ。)
山陽遺稿、牡丹を栽ゆる詩に、
田圃 寧んぞ富貴の花無からんや
一稜の金粉 桑麻に映ず
人世真の黄紫を看ることを要せば
洛陽姚魏の家に在らず
詩聖堂集、牡丹雨に値ふを傷む詩。山陽詩鈔、畫牡丹に題する詩。家父、墨牡丹に題する詩。今、附載す。
詩佛の詩に曰く。
一枝濃艶 露華多し
笑を帯びて看る時 醉を帯びて哦す
當日誰か知らん 今日有るを
滿天の風雨 馬嵬坡
山陽の詩に曰く。
京洛の春風 常に關を掩ふ
姚魏に從ひて彫欄に醉はず
秋燈半壁 蕭蕭の夜
翻/て霜縑に向かって牡丹を看る
家父の詩に曰く。
花王群立して御庭馨し
是明皇の寵靈を降すに因る
月落ちて白紅誰か辨ずることを得ん
沈香亭北 夜冥冥
○權現祭
真主揮戈天下平 真主 戈を揮ふて天下平らかなり
諸侯建廟采蘋清 諸侯 廟を建てて采蘋清し
長将靈皷神鈴響 長へに靈皷神鈴の響きをもって
換得千軍萬馬聲 換へ得たり 千軍萬馬の聲
四月十七日、都下十萬戸、一籠燈/を掲げ、東照宮を祭り、以て太平の恩澤に答ふ。(ただ都下然りと爲すのみならず、凡そ諸藩の封地、悉く之を祭る。)一天下、權現祭/と稱す。(逸史に曰く。十七日、太大君薨す。壽七十有五。遺命して久能山に窆す。天使、弔を致し、卹典、隆を極む。駿河參議頼宜、就きて廟を建つ。日本外史に曰く。僧天海、廟を大權現と號することを請ふ。三年将軍、遺命を以て下野の日光山に改葬し、新廟を建つ。天王、廷臣三輩を遣はし、命を宣して正一位を贈り、號を賜りて東照と曰ふ。是の日将軍、江戸より來たり、次日祀る。柁井親王尊純、禮を掌る。後三十年、詔して大權現を改めて、宮と曰ふ。)此の日都人、其の業を執らず。沐浴して服を更め、天滿橋/北の權現廟に賽す。廟門の前、露肆/地を填/む。士女絡繹、忽ち今日の繁昌を見て、當時の戰亂を思ふ。銀鍪金甲の叢、轉じて繍帯錦衿の林と成り、白刃素鋩の霜、消へて瑚簪玳櫛の雲を生じ、三軍連營の鼙、歇んで衆屐群屨の雷を起こし、陣糧兵糒/の山、崩れて賣餻賈餈の海を湧かし、烽臺狼煙の火、滅へて千店萬肆の燭を放つ。ただ其れ然り。是以て太平繁昌の兆しを卜す可し。又、以て太平繁昌の澤を拜す可し。廟前は乃ち肅然、天下の侯伯、皆石燈/を獻ず。(凡そ諸侯の大阪城に鎮たる者、各々石燈を廟前に建つ。謹んで其の官位姓名を題す。)廟西の巫、金鈴を鳴らし、祝ひて畫皷を撃ち、終日其の舞樂を獻ず。
樂美竊かに謂へらく。偏に權現と稱すれば皆東照宮と爲し、太閤と呼べば悉く豊臣氏と爲し、天神と唱へば便ち菅原公と爲し、大師と號/れば概して空海僧と爲す。嗚呼、人斯の世に生まれて此の如くなれば、則ち足れり。(物徂徠の文集に曰く。古者、廷臣の外州に血食する。皆天神を以て稱す。而して土官は國神/と號して以て之を別つ。)
大田錦城詩集に、四月十七日の二詩有り。曰く、
薫風和氣 山川に滿つ
四海昇平二百年
東照の神恩 蓋載に同じ
農は田畝に安んじ 賈はに安んず
二百年來 太平を歌ふ
四民老死して兵を知らず
唐虞の徳化 相ひ遠きに非ず
生まれて此の時に遇ふは何の幸榮ぞ
松陰餘事に七言古詩を載す。(其の題に曰く。東照公の廟に謁す。四月十七日也。)第三四に云ふ。百折、撓まず漢の隆準。一戰して覇たり、晉の駢脅。(實に妙對。)
○野田藤花
紫浪漲空神廟前 紫浪 空に漲る 神廟の前
将軍憩處已爲田 将軍 憩う處 已に田と爲る
猶留半杓當時水 なお半杓當時の水を留め
片石長標舊玉川 片石 長く標す 舊玉川
野田は權現廟の西、福島の北に在り。國風を按ずるに、六玉川の一。四月、藤花盛んに開く。花、他の老樹を絡ひ、開きて空中より垂る。古雅、尤も賞す可し。傍らに滿架の花有り。是人作りしのみ。空中の花に如かず。都人、酒瓢を腰にし、行厨を提げ、古廟の下に遊ぶ。(廟は春日明神を祭る。)貞治三年、足利二世将軍寳篋公(名は義詮/)、墨江に賽し、遂に此の地に來たり、花を賞し歌を咏ず。(事、住吉參詣記に見ゆ。)蓋し玉川は世遠く年古く、鞠して一小池と爲る。今傍らに片石を建て、公の歌を刻し、不朽に垂る。(其の歌に曰く。以仁志恵廼、由加里遠、伊満茂牟羅佐起農、不爾那美加加留、乃多能太磨嘉和。)中将公廣、藤花を咏ずる。新類題に見ゆ。
皆川淇園詩集(初編巻の二)、藤花を觀る五律。後聯に云ふ。緑香、夕雨に宜しく。紫潤、春風に媚ぶ。(十字、藤花を寫し盡くす。)
家父の詩に曰く。
桃谷櫻祠 緑天を染む
人は傳ふ 城外紫の娟娟たるを
郊南郊北 花何れか好き
刈田/に到る可きや 野田に到るべきや
(刈田村は住吉の東に在り。其の架二。花開きて殆ど地を拂ふ。美なること甚だし。然れども是亦人作。)
○浦江燕子花 附燕子花異名
東帝已辭花是塵 東帝已に辭して花は是塵
北郊野廟滿池新 北郊の野廟 滿池新たなり
紫藤架上雖凋落 紫藤架上 凋落すと雖も
杜若橋邊別有春 杜若橋邊 別に春有り
浦江歡喜祠/は野田の東に在り。五月、燕子花/、碧水と相映發す。八板橋/上を徘徊すれば、則ち滿池の紫氣、掬す可し。此は是、近來實に之を鑿ち之を栽/ゆ。故に在中郎の遺愛(参河鳳來寺に在り。)、淺澤池の餘興(攝津住吉祠に在り。)、蓋し同年の談に非ず。やや東して玉藤の酒樓有り。(此の樓、麥飯を製し出す。)樓上、北野曠濶、能勢妙見の碧嶺、中山觀音の紫巒、指點目撃の際に在り。此の樓、昔は混沌社中の會集する所なりと云ふ。且つ頼春水、安藝に定省/し、大阪に還るの日、(此の時春水江戸濠に寓す。事、春水遺稿、山陽遺稿中の行状文に見ゆ。)筱葛の諸公、つねに必ず一筵を開き、春水を待つ處。(事、春水遺稿附録在津紀事に出づ。)
樂美按ずるに、杜若、燕子花、同種に非ず。杜若は和名也婦免烏革/、多く竹木林下に生ず。(中山傳信録も亦之を失す。然れども姑く我が邦の傳稱する所に從ふ。辨、小野蘭山本草啓蒙に見ゆ。)燕子花は始めて漳州府志に見ゆ。藏玉集に貌吉草/と稱す。紫燕花、紫冠、紫君子等の異名有り。
頼仙齢、春風舘詩鈔八橋の詩に曰く。
滿池の紫燕 人に背きて飛ぶ
惜しむこと莫れ 殘香の我が衣を襭/むを
今年花落ちて 明年發す
王孫の去りて歸らざるに似ず
○大仁村 附渡唐天神説
傳得此花兼此文 傳へ得たり 此の花此の文を兼ぬと
千秋不朽兩芳芬 千秋朽ちず 兩つながら芳芬
誰呼培塿一杯土 誰か培塿一杯の土を呼んで
漫道王仁博士墳 漫りにいう 王仁博士の墳と
大仁村/は浦江の東に在り。村人、一塊の土を指して王博士を葬る處と爲す。蓋し、大、王と、我が邦音讀相同じ。故に無文の野老、遂に大仁を謂ひて王仁と爲す。(或るひとの曰く。大は王に作るべし。字形相似たるを以て誤る。是儒臭、取る可からず。)近來、此の墓を祭り、大仁天皇と呼ぶ。(應仁天皇より謬り來る。)殊に笑ふ可し。樂美因って細かに舊志を考ふるに、王氏の墓は實に河内交野/郡に在り。このごろ頼杏坪春草堂の詩鈔、王博士墓の七律を見るに、自注に云ふ所、我が考ふる所と暗合す。嗚呼、堂堂たる天朝の儒職、豈死して一培塿と化するの理有らんや。嘗て之を聞く、交野の墓、阜を成し、岡を成す。樹木蓊鬱、空を掩ふ。乃ち塊土に非ずと。(世に渡唐天神の畫幅を傳ふ。其の像、漢土の衣冠、端立して一朶の梅花を持す。衆人、謬って菅丞相と爲す。是大いに然らず。渡唐天神は必ず王仁の形貌を寫すは、蓋し唐土より渡り來たり、死して天神と號するならん。今、丞相と爲るは山陽遺稿、歌聖堂の記に言ふ所の人丸の木像を謬って蛭子三郎と呼ぶの類。)
家父、土人の稱する所に從ひて一詩を賦す。曰く、
平堤 水を隔てて一燈紅なり
人語梭聲 深樹の中
行く行く識る 王仁荒墓の近きを
暗香袂を襲ふ 野梅の風
○祈晴僧/