甲山 Mar.1997.

甲山 一樹無く
冑嶺 緑いよいよ明かなり
行人 西駅の道
送るが如くまた迎えるが如し


 甲山は六甲山、冑嶺は甲山(かぶとやま)のこと。少々ややこしいですが、現在の地名でいえばそういうことになります。初句の「甲山無一樹」は緑豊かな六甲連山を目にしている我々からは信じられない表現ですが、事実だったようです。幕末から明治の六甲がほとんどはげ山だったことは、その後の大規模な植林活動とともによく知られています。自然破壊とは無縁の時代だったと考えられがちな江戸時代ですが、実は薪や堆肥、炭焼きなどの日常的な自然資源の利用の結果、人家に近い里山はかなり疲弊していたようです。はげ山化した六甲山はその代表的な例といっていいでしょう。そういう意味では、人の自然利用がほとんど停止した現代は、里山にとって自然回復の時代だといえるのかもしれません。もちろん、他方ではスケールのまったく違う全破壊的な“里山利用”が拡大しているのですが…。それはさておき、天気のいい日なら、今も大阪から北西の方向をながめると、六甲山の中腹に可愛らしく盛り上がった甲山の姿を認めることができるはずです。また、西宮付近からはより近くその特徴的な山容を楽しむことができます。背景をなす六甲山がはげ山だった当時、その姿はさらに印象的なものになったことでしょう。大坂から西宮への道を往還する人は、甲山に向かって歩み、そして甲山に送られて帰ったのです。