安治川 Mar.1997.

雨無く また風無く
浮かび遊ぶ幾釣船
相逢い また相別る
終日蘆荻の中


 鰺河=安治川は、淀川が大阪湾に注ぐ三つの流路のひとつ。木津川・尻無川が南へ向きを変えて流れているのに対して、安治川はほぼストレートに海につながる流れで、大川の川筋の水はけをよくするために、貞享元年(1684年)に河村瑞賢によって開鑿された人工の川だということです。当時の淀川河口域には、川の堆積作用でできた三角州を開いて次々に新田が開発され、広々とした田園風景が広がっていました。そして、その中をゆったりと流れる淀川の末流は、釣りをはじめとする舟遊びの場として浪速の人々に親しまれていました。小竹もやはりこの辺りの風景を好んでいたのでしょう。安治川だけでなく、尻無・木津の三川とも十二勝に採り上げて詩を献じています。「摂津名所図会」には「秋興沙魚(ハゼ)釣」と題して釣船が出盛る河口の風景が描かれていますから(「浪華名所図鑑」参照)、この詩で言う秋釣もおそらくハゼ釣りのことなのでしょう。屋形船には芸者の姿もあって、釣客たちは弁当を食べ、酒を飲みながら、釣れても釣れなくてもいいといった顔で船端から竿を伸ばしています。魚影の濃い当時のことですから、今のように餌だ仕掛けだとガツガツしなくても、きっとそこそこの釣果はあったはずです。一日のんびり葦原に浮かぶ釣り舟の様子を、小竹は軽い調子でリズミカルに歌っています。