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大峰・孔雀岳、十郎尾根

「十郎尾根」は仮称である。大峰山脈南部の秀峰・釈迦ヶ岳の北にあって、地味な山容から注目されることの少ない山、孔雀岳。その1779mのピークの少し北から東に派生する尾根は、途中1477.6m三角点を通って、1300m付近で幾つかの支尾根に分散して終わるが、国土地理院の地図を見ると、その末端部の小ピークの一つに十郎山という名がつけられている。十郎尾根という仮称はそこから取った。
 この十郎尾根に豊かな自然が広がっていることを知ったのは、ある4月、前鬼裏行場の三重滝手前から1477.6m三角点に向けて登り、さらに尾根伝いに孔雀岳に達して、奥駈道で釈迦、深

釈迦ヶ岳と大日岳(左)
仙、太古の辻から前鬼へ下るという、あまり人の歩かないルートを採った時のことだ。1477.6m三角点にはまったく無傷な標石があって、この山域の人擦れしていないことを感じさせたが、それ以上に印象に残ったのは、三角点からさらに東へ続く広々とした尾根。それは、ブナやミズナラが立ち並ぶおおらかな空間を奥深くまで連ねて、一見して、人を逍遙に誘う魅力を備えていた。先を急ぐ山行でなければ、一面ヤブレガサが新葉をもたげた林床を踏んで、心ゆくまでさまよいたい場所だった。その先、孔雀に向かう稜線にも端正なブナの木肌と、緑の噴水のようなバイケイソウの芽出しに彩られた林がしばらく広がり、目を楽しませてくれたが、心は尾根の深部に残った。
 また、三角点に達する少し手前、踏み跡もかすかな裏行場からの急登を、息もたえだえに登り詰めた辺りでは、魅力的な小平地にも出会った。モミやブナの大木に囲まれ、大きな倒木が横たわるその場所には焚き火の跡があり、モミの枝をていねいに立て掛けた薪の用意もあった。モミの枝にはまだ瑞々しさが残っていたから、さほど遠くない時にここで静かな幕営を楽しんだ人がいたようだった。いかにも山慣れた人らしい、そのユニークな幕営地の選定と細心の燃料の備えは、もっと自由な山行への憧れをかき立てた。
「いつか、あそこで幕営を。そしてあの尾根をゆっくり歩いてみたい」
 名高い釈迦・大日の鋭鋒よりも、名もない尾根の魅力に触れたことが、その日の一番の収穫だった。

その秋、10月の半ば、念願の尾根に向けて、再び裏行場から、今度はテントをかついで登った。急登は覚悟のうえだったが、足元の悪さに荷の重さが加わり、登高ははかどらなかった。もっともその日は、例の小平地にたどりついてテントを張るだけの行程と決めていたから、この近畿でもたぶん一二を争う「南ア南部的登り」をかろうじて楽しむ余裕はあった。
 春にくらべて、1時間以上多く費やして登りついた小平地は、明るく乾いた早春のころの印象とは少し違っていた。黄葉した樹や緑を残す樹、針葉樹、さまざまな種類の樹木が周辺を覆い、少し雑然とした印象を与える。そして、のたうつように横たわる倒木が、森の荒々しさを感じさ

登り着いた小平地にテントを張る
せた。しかし、それらの間に広がる平坦な地面は、柔らかな腐葉土の上にわずかな下草と乾いた落ち葉を敷いて、格好のテントサイトだった。倒木のすぐ脇に場所を決めて、気持ちよくペグを差し込みながら、テントを張った。意外なことに、春に見つけた枝のデポは、そのままの形ですっかり枯れ尽くしている。あれからここに泊まった人はなかったようだ。そうわかると、にわかに人気(ひとけ)から遠ざかったことを実感した。
 日が傾くとともに、急速に冷気が加わり、木々を揺らして風が出始めた。その勢いは次第に増し、通常の山風とは違う荒れ方を見せ始めたので、楽しみにしていた焚き火は諦めて、早々とテントにもぐり込んだ。水場は期待できないと、たっぷり2リットル汲んできた水を沸かし、レトルトの赤飯とシチューを温める。飢を癒して人心地がついたころには、外はいよいよ風の世界だった。
 小さな蝋燭ランタンを灯してラジオをつける。その声が聞き取りにくいほどの風声。遠くの峰全体を揺るがす轟々とした音から、テントの脇のモミの大木が枝葉を激しくかき乱されてあげる切迫した叫びまで、あらゆる距離から届く音がテントを囲繞する。もちろん、テント自体も風の格好の攻撃対象だ。まともに側面から風を受けて、フライは大きく内側へ膨らみ、アルミパイプの骨組みがゆがむ。
 夏のアルプスでもこんな風は体験したことがなかったので、最初はテントが潰されないか真剣に心配した。シュラフにくるまった体を、重しがわりに風上側に押しつけて、テント地の膨らみを抑え、風の呼吸がひときわ強まった時には、腕を伸ばしてフレームの動揺を支えたりした。しかし、風の咆哮にも慣れ、その圧力を弱々しげに撓みながらも受け流すテントの構造の強靱さがわかってくると、心配は明日の天気に移った。風だけならまだしも、これに雨が加わるとなると少々やっかいだった。イヤホンを耳に当て、日頃縁のないラジオ番組を聴きながら、定時のニュースに前後する天気予報を待ついつもの山の夜。ただ日本アルプスや白山での夜と違うのは、周囲数キロの範囲にいる人間が恐らく自分だけだということだった。あらためて感じる紀伊の山の奥深さ――。幸い翌日の予報は、風は強いものの晴れ。翻弄され続ける薄い天幕の下で、もちろん深い眠りは得られなかったが、それでもシュラフの温もりに守られていつしか風の脅迫を忘れた。

結局、風は朝まで吹き続けた。明け方頃目を覚まして、雲がちぎれ飛ぶ空に、それでも青い部分がのぞく事を確認した後は、ペグの具合を確かめるために外へ出る気も起こらず、フライを染めて朝日が射し始めるまで、シュラフの中でうとうとしていた。7時、風はやや弱まったものの、相変わらずテントの側面への攻勢は続いている。湯を沸かしながら、少しずつパンを食べ、熱いコーヒーを時間をかけてすすった。そうして、身体のなかで山に向かう気持が動き出すのをゆっくりと待ってから、サブリュックにカメラ、地図、水を詰め、風対策に雨具の上下を着て外へ出た。不安げに揺れるテントを残して登っ

鮮やかなカエデの黄葉
て行くと、嵐の夜からの解放を喜ぶように、カエデの黄葉が朝日にまぶしく輝いていた。
 幕営地のすぐ上のピークを左から巻いて越す。その先の広々とした鞍部には、春、一面にヤブレガサが新葉を広げていた。今は落葉が散り敷いたくすんだ平だ。登り返す斜面には、皮も枝もとうに剥がれ落ち、硬い芯だけになってなおも堂々たる倒木が横たわる。その横を獣の足跡に従いながら登り、1477.6mの三角点に近づいていくと、右手の谷のごく近い所から水音が聞こえて来た。のぞいてみると、少し下った浅い谷筋にちらちらと光るもの。「水場があるんだ」これでわがテントサイトはいよいよ十全なものになったと思った。
 まもなく三角点。大事そうに石で囲われた、傷一つない標石と再会。そばの立木には、春にはなかった「岩屋谷三角点」のプレートが目についた。ここからは右に進路を転じて、いよいよ尾根を下り始める。下っていく尾根の立木にも、所々にビニール紐。ふだんは鬱陶しいと感じることの多いその目印も、今は頼もしく思えるのは、不安な一夜とあまりに人気の薄いこの山の空気のせいだろうか。
 ゆっくりゆっくり落ち葉の林床を踏みながら念願の尾根を下る。下草のほとんどない尾根は、

十郎尾根を歩く
温かそうな茶色の林床のカンバスの上に、ブナ・ミズナラ・ヒメシャラ・カエデ類、その他名前の知らないさまざまな樹木を連ね、その幹と枝が描く多彩な表情の線の間を、朝日に透けて一層輝く黄や、黄葉直前の淡い緑が埋めて、複雑きわまりない光と色彩の絵を描きだしている。しかも、進むに連れて、この絵の色調は微妙に移り変わり、構造は変化し、モチーフさえも違ってくるように思える。常緑の低木の多い少し沈んだ色合いの鞍部では、小さな池ほどもある獣のぬた場に出会った。鹿の足跡や体を横たえたらしい窪みを残す泥は、乾燥の季節を迎えて堅くなりはじめていた。また、ある場所では一本のめざましいミズナラの巨木が風景の主役だった。周囲数メートルはあろうかというその幹には、枯れた部分が太い筋となって入り、それは一本の太枝ま

堂々たる巨木
でつながっていた。しかし、他の枝はたくましく伸び上がり、旺盛に葉を繁らせていたので、胴中に食い入った疵は、かえってこの木の雄偉さを際立たせていた。
 尾根の主役は、もちろん樹木だけではなかった。何頭もの鹿を、それもごく近い距離で見た。強い風が足音をかき消しているせいだろう、いつもは優雅な飾りのような白い尾を弾ませて逃げ去る姿しか目にできないこの動物が、この日はこちらに気づきもせず無警戒に草を食んでいたりした。胸を弾ませながらなおも近づくと、ひょいと頭を上げてこちらを捕捉し、一瞬怪訝な表情をした後、みるみる精悍な緊張が加わって、バネが弾けるように体を翻して逃げ去る。その表情と振る舞いに宿る威厳から、彼らは弱々しく逃げ去ったのではなく、人間との接近を誇り高く拒絶したのだと感じられた。そして、そんなことからもこの森にたった一人で居ることの孤絶感が募った。
 尾根自体は終始十分に広濶で、秋の日差しにこの上なく明るく、山歩きのコースとしては何の不安もなかった。しかし、進むに連れて、原初性を湛えた自然のなかで、気持ちは次第に怯みがちになっていくようだった。とりあえず、尾根が大きく屈曲し支尾根に分散し始める1348m標高点のあたりを目標に進んでみよう。手にした地図と時々現れるビニール紐だけを拠り所に頼りない気持で歩きつづけた。
 行程のほぼ中間点にあたる地図上の1383mポイントは、たくさんの倒木が横たわり、素っ気ない針葉樹の姿が目だつ、心なしか剣呑な雰囲気の場所だった。ますます頼りにする気持を強くしながらビニール紐を追うが、なぜかそれは左へ逸れはじめた。さらにたどると、目印は明らかに左の支尾根を北へ下っている。地図を見ると、北の大黒構谷には林道が来ているから、目印はそこからこの尾根に這い上がるルートを示しているようだった。不安な気持ちで本尾根に戻り、地図を慎重に確かめながら心持ち南寄りに続くゆるやかな傾斜を下る。その先で南の岩屋谷方向へ

ここは野生動物の領分
下る尾根を分けて、今度は心持ち北へ。歩き初めの尾根を楽しむ気分は影をひそめ、今は目的地へ急ぐ気持ちだけが強かった。急ぐ足には、伸びやかな尾根も距離を稼ぐ通過点に過ぎない。そそくさと下って、わずかな高まりへ登り返す。そんなことを繰り返しつつ行くと、尾根の先が急激に谷に落ち込んでいる場所に着いた。そこがどうやらめざす1348mポイントのようだった。
 十郎尾根の主脈は、ここから南へ屈折し、依然広がりを維持しながら末端の1297mまで長い山上空間をなおも連ねる。そして、途中から北へ分かれる支稜に乗って少し急な傾斜を下れば、再び広やかな尾根に出て、やがて、下からは独立峰として仰がれるほどのしっかりしたピークを成した十郎山にたどり着く。幕営山行を計画した当初は、これらすべてを歩くつもりだったが、そんな探検的な意欲はとうになくなっていた。申し訳程度に、少し南へ尾根筋を進んでみる。まだまだ深々と続く空間。目をとめた一本の立木に、ささくれ立った鋭い掻き疵が幾筋も入っているのに気づいた。
「熊?」
 急に背筋が寒くなった。今は自然からのシグナルがすべて人への敵意を含んだものに思えるほどに、心が怯えていた。
 もう帰ろうと思った。テントに戻り、秋の日差しに温められた空気のなかでコーヒーの香をかぎ、腹を満たそう。そして、人心地ついたら山を降りよう。
 しかし、来年もまた来よう、その次の年も。いつかはこの自然に何の恐れもなく溶け込めるようになるかもしれないし、ずっとダメかもしれないが、この聖地を訪れることだけは続けよう。秋の光を揺らして時折強風が吹き抜ける尾根をゆっくりと登り返しながら、そんなことを考えていた。